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2016年08月16日

終戦記念日

こんにちは、てしねこです!

リオ オリンピック熱いですね!
実は僕の友人もリオに行っています。
フィナーレでリオから東京に引き継ぐセレモニーに
ダンサーとして登場するそうです!
すごいですね!
でも、今のリオは本当に治安が悪いようで、
かなり厳戒体制で毎日を過ごしているようです。
とくに日本人は狙われやすいと聞くので、
無事に帰国するまで本当に心配です。

そして、昨日は 8月15日 終戦記念日でした。

僕が育った埼玉県川口市は、
当時、日本ディーゼル川口工場の爆撃からはじまり、
日本軍の攻撃による、
芝川公園(現在の川口オートレース場)にB29の墜落、
その後なんども焼夷弾の投下を受け市内各地が被災しました。
桶川市には熊谷陸軍飛行学校があり、
特攻隊を含むたくさんの少年飛行兵が戦場へ送られていたそうです。
終戦間近で実行された熊谷空襲が、
埼玉では最も被害が大きかった…

この話を教えてくれたのは、僕の父です。
父はよく戦争の話しをします。

父の父、つまり僕の祖父は陸軍でした。
まだ20代だった祖父は異国の地フィリピンに送られ、
同年代の仲間たちと国のために戦っていた。
ジャングルのように木々が生い茂る戦地で、
どこに敵がいるのかわからない恐怖の中、
祖父は撃たれて負傷し茂みの中に倒れた。
しばらくして、たくさんの仲間の死のとともに、
日本が降伏したことを告げられたそうです。

僕がまだ幼稚園の頃でしょうか、
一度だけおじいちゃんにこの話を聞かせてもらいました。
その時に見せてもらった祖父の体に残った弾痕は、
今でも鮮明に覚えています。

祖父は生きて家族のもとに帰ってきて、
僕の父が産まれ、僕がいまこの記事を書いている。
戦場にいた祖父の恐怖、悲しみは計り知れないけど、
それを語り継いでいくことはできる。

祖父のような人がいたから、
命を奪い合うことへの恐怖、怒り、悲しみを知って、
危機感を持つことができる。

祖父が生きようとしなければ、
今僕はいない。
奇跡だと思うのです。

最後に、故郷埼玉県川口市の戦後を調べると、
「すぐに鋳物産業を立て直し、いち早く復興した街」とありました。
キューポラのある街は、
職人たちが生きようとした証だったのかもしれません。

てしねこ

ニッポン手仕事図鑑カメラマン てしねこ

名前:てしねこ
職種:撮影、編集、一応チーフ
出身:埼玉県川口市

くだものが好き。りんごなら紅玉。
自由奔放な学生生活から、急遽の映像の世界に飛び込む。
父親と映画を見て育ったという経緯はとくに関係無い。

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