みんなの「”あの人”に知ってほしい!」をつなぐオンラインマガジン
2018年01月30日
精霊が宿るノスタルジーな青垣町
皆さん、初めまして!
「meimon」こと 大阪商業大学の足立芽生と申します。
よく小動物みたいだと言われるのでマスコットキャラクターだと思って
覚えていただけると嬉しいです。
今回、ふたりごと文庫さんに寄稿させていいただくことになりました。
私を見つけてくださった浅野さんには心から感謝いたします。
さて、私が何者かについても含め、出身地域についてお話します。
私は兵庫県の中部にある「丹波市」、
その中でも北にある「青垣町」の出身です。
そして、大学に入学するまでの18年間をこの地域で暮らしました。
「丹波市」と聞くと「丹波黒豆」をイメージする方も多いと思いますが、
どちらかというと「丹波大納言小豆」の方が産地としては正しいです。
(ここは大切な事なので出身者として注意書きしておきます。)
このように有名なブランドがあるこの地域は山間部の農村地域です。
特に私の暮らしていた青垣町は
さらに山と山に囲まれた自然豊かな場所です。
◆ノスタルジーな田舎の風景
春は川沿いの桜で花見をしながら登下校。
川の風の精霊が花吹雪でご挨拶。
夏は田植えに、川遊びに、釣り。
畑のスイカをみんなで食べて、種飛ばし競争なんて。
秋は町中に咲く、金木犀の香りに恋の夢を思い浮かべて青春する。
町の木々は紅葉し、伝統的な秋祭りも盛んで活気が溢れる。
冬は「丹波の北海道」と言われるほど雪が積り、
近くの山の神社からソリで降りたり、大きな雪だるまや、
かまくらを作る子も。
制服で雪合戦をはじめる高校生までいたりして。
私はそんな地域を堪能しながら育ちました。
春夏秋冬の輝きや、「自然とは、生命とは、」を精一杯に表現してくれる。
この青垣町を私は愛おしく思っています。
しかし、地域の人口減少により、地域の姿が大きくかわりはじめ、
地域課題は無視できないものになってきました。
少子高齢化、地域間教育格差、小学校の統廃合、地域の衰退……
私はなんとかして「守りたい」と思うようになり、
まちづくりや町おこしをする地域貢献人材になることを
小学校六年生ごろに決意しました。
現在では、大学では公共経営学科というところで
まちづくりやNPOについて学びながら、
青垣町を研究対象としたまちづくりの研究も行っています。
◆民族的なことが根付く青垣
幼い頃から
「みんな都会に憧れるのに、あなたはどうして田舎の青垣がいいの?」
とよく聞かれることがあります。
前述したような理由があるからというのは
簡単に説明できますが、その他にも深い理由があります。
ちょっとおかしな話だと思って聞いてください。
小学生の頃、私が川辺でひとり遊んでいた時です。
耳元で風が過ぎ去る音と
同時に 名前を呼ばれ
「あなたは帰ってきて。」「それと助けて。」
という優しい、でもはっきりとした声を聞いたことがありました。
あたりには元から誰もいません。
こんなことが別の川でもありました。
歴史の深い町でたくさんの昔話も残っている地域なので
自然の中に住んでいる精霊の声なのではと思っています。
この神秘的な体験が昔話や歴史に触れるきっかけとなり、
言葉にできない神秘は数多くありました。
先祖が青垣を生きた証であり、
故郷を大切に思う願いや守る信念を感じました。
これが私は「青垣がいい」という理由です。
そこから地域の文化(心)も守っていかなくてはいけない
ということも教えてくれました。
◆地域に寄り添うまちづくりをデザイン
高校時代から地域の祭りの企画運営に関わってきましたが
まだ、胸を張って何かを成し遂げたというものはありません。
ですが、地元の人間だからできること、
地元住民だからできる発想をもとに
革新と保守を行き来しながら
まちづくりをしていきたいと考えています。
「創造することだけでなく、
まちの文化や歴史、人に寄り添いながら、
インパクトを与える形を追い求めデザインする。」
これが私のまちづくりのモットーです。
そして、何よりキーワードなのは
地域住民が主体となるまちづくりです。
簡単なことではありませんが
地域の方々が地域課題に立ち向かい、
ここに生きれてよかったと思えるように
私も一緒に立ち向かい続けます。