みんなの「”あの人”に知ってほしい!」をつなぐオンラインマガジン
2018年06月29日
第二弾:「私はどうやって生きたいのか」に向き合って見つけた“夢の道”
皆さん、こんにちは。「ふたりごと文庫編集長」の浅野有希です。
今回は私がどうしてもお会いしたかった憧れの女性、
ウェブメディア「灯台もと暮らし」の創刊編集長である伊佐知美さんにお会いし、インタビューをしてきました。
とても素敵なお話を伺えたので、全3回に渡ってお届けします!
第二回目のテーマは、「キャリア」について。
就職活動では雑誌の大手出版社に落ち、一度夢を諦めた伊佐さん。
金融業界に務めるも、金曜日を待ち望む自分にモヤモヤ……
改めて、「自分はどう生きたいか」見つめ直し、夢中でライターの道を歩み始めます。
「他に方法がわからなかったから、ひたすらにやるしかなかった」と言う駆け出しのウェブライター時代。
遠回りだったけれど、「私はどうやって生きたいのか」に向き合い続けたからこそ“夢の道”を見つけられたと言います。
これから将来を考える方、私と同じように就職活動を終えた方、ライターになりたい方……とても参考になるのではと思います!
「なぜ私は金曜日を楽しみに生きているんだろう?」
大学をストレートで卒業して22歳。
ずっと国公立の中・高・大ときて、父親も上場の大きい企業に勤めていて……
「一社に勤めて、いつか街に家を買う」という暮らしが当たり前だと思っていました。
というのも、私が就活をしていた時期は10年前で、社会が全然違ったんです。
転職やフリーランスもまだ一般的でなくて、
SNSはたしかmixiが全盛期。iPhoneもなかったし、とにかく今と世の中が全く違いました。
書くことが好きだったので、雑誌関連の仕事がしたいと思っていたのですが、
就職活動が始まってすごく早い時期、大手出版社にすべて落ちてしまいました。
「就職できないなら、またいつか入り口を探そう」と思って、別の業界を志しました。
その後偶然クレジット会社の方にお会いして、採用をいただくことができました。
金融に魅力を感じたというより、「前例がなくてもやる」という文化と社員の方の雰囲気に惹かれました。
化粧品やランジェリーも好きだったので
ロレアル、ワコール、カネボウなどの面接も受けていたのですが、
最終的には「好きなものに囲まれるよりも、好きなものを買える選択をしよう」と決めて。
金融はお給料が良かったので、最後はそれで(笑)。結果的に、この時に貯めたお金が後に世界一周の資金になるのですけど、まぁそれは余談で……。
こうして入社したのですが、1年目はすごく楽しかったんですよ。
お金も稼げるし、先輩も優しいし。
でも、どうしてもやっぱり金曜日が待ち遠しくて、月曜日は辛い。
毎日同じ電車に乗って、同じ目的地に向かって、きっと5年後も10年後もこうだなって。
なんか、違和感があったんです。
それから3年……
私一回結婚したんですけど、ハワイで式を挙げたとき
毎日スローテンポで時が流れ、夕陽をぼーっと見ながらビールを飲んで暮らす人たちを目の当たりにして。
こんなに心地いい暮らしをしている人が沢山いるのに、
なぜ私は金曜日を楽しみに生きているんだろう?
これは人生の過ごし方として正しいのか?って疑問が浮かびました。
「じゃあ、私はどうやって生きたいのか」って考えたときに
ずっと感じていたこの違和感は
書き物がしたい、旅にも関わりたい
“旅ライター”になりたいって夢を抱いていたからだと気が付きました。
夢中でウェブライターの道を歩み始める
そうは言っても、“なりかた”がわかりませんでした。
その頃はまだ頭が堅かったから、フリーランスという発想もなかったんです。
だから、結婚を機に退職、「再就職」を選んで、
広告部のアシスタントとして出版社に潜り込みました。
でも、大手出版社で歴史もあり、編集部に異動したいと思ってもそう簡単には無理だったんですよね。
その後、試行錯誤の末「兼業でウェブライターを始める」道を見つけて、今に至ります。
その時は、複数の編集部に所属しながら、週5で普通に出版社で働いていました。
9時~18時は出版社、19時から曜日別で各編集部のミーティング、
土日は取材・執筆作業に明け暮れる生活を数ヶ月ほど続けました。
ピーク時は、月100本の原稿を書いていました。
朝4時半に起きて原稿を書いて9時に出社、お昼休みは取材の下調べをして、夜も1時まで作業……なんて平気でやっていました。
皆さん「え!?」って思うかもしれないし、今思えば私も「???」ってなる生活だけど、
とにかく当時は楽しかったんです。
寝るのが惜しいくらい夢中になれた期間でした。
今だから気づいたけど、私は「書くこと・旅・写真」が好きなんです。
今はありがたいことに、それが全部仕事につながってくれているから、楽しいんですよね。
身の回りがすべて「好き」でできているのも、それはそれでシンドイ時もあるんですけど。
私、27で夢を追い始めたんですよ。これ、結構遅いんです。
でも、遠回りだったけど、やっと見つけたこれが「夢の道」かもって思っています。
実際には、経済基盤がしっかりしていたということは大きかったです。
ただ無謀にチャレンジするのはおすすめできません。
やるのは簡単だけど、続けていくのは難しいからです。
「新卒フリーランス」が今もてはやされていますが、私は就職が悪いとは思いません。
長年続く大きな会社は、それなりの理由があります。そこでしっかり研修を受けられるのは大きいです。
前職の金融会社は本当に素晴らしい会社で、ビジネスマナーや電話応対などの研修をきちんと受けられました。
目上の方との接し方や、資料の準備など、沢山のことを学びました。
それは自治体の方と接する機会が増えた今、すごく役に立っているんです。
また、規模の大きな仕事を若い頃に見ることができたので、数字の大きさにビビらなくなったとも言えます。
あとは、「大手に勤めていた」というある種の信用もいただけた気がします。
中途で出版社に受かった理由は、金融会社に勤めていたからか「しっかりしてそう」と思ってもらえたからなのかなって。
結果として2社とも退職しましたが、上司にも同僚にも恵まれ、今でもすごく感謝しています。時折食事に行ったりしますよ。
最高のビジネスパートナーがいる会社
今の勤務先「Wasei」のことの方が大好きな理由は、人です。
既存の会社を好きになったのではなく、好きな会社を一緒に作らせてもらえたというのも大きいかな。
Waseiって、明らかに変わった組織なんですよ(笑)
私仕事が大好きなんですけど、仕事をしている感覚があんまりないんです。
毎日全力で遊んでいる感じ。ただ、“真剣に”遊んでいるんですけどね。
代表の鳥井は、結構特殊な人かもしれません。
世界で一番信じられるなと思うからついていってるんですけど、
彼はコンテンツを創る人ではなくて、「好きな人たちのやりたいことをやれる場を用意したい」って人です。
感覚は合うけど性質が全く別だから、成り立っているんだと思います。
「〇〇やって!」ではなく、
「伊佐さんは何やりたい?どうしたい?」としか聞かれないです。
会社が好きというより、最高のビジネスパートナーがいる会社を見つけられたことが大きいのかな。
……まぁ、かなり譲歩してもらってる状況だとは理解・自覚しているので、真面目に仕事をして成果で恩返しできたらな、と思っています……。
【伊佐知美さんインタビュー】
名前:伊佐知美
職種:灯台もと暮らし創刊編集長
出身:新潟県これからの暮らしを考えるメディア「灯台もと暮らし」の創刊編集長。書籍『移住女子』の出版やメディア連載など、フリーライターとしての活動もしている。
Twitter https://twitter.com/tomomi_isa
Note https://note.mu/tomomisa