ニッポンものづくりフィルムアワード 作品公開中!

10月11日〜12日「スキマ講座2020」にて「“想い”を伝える地域のPR動画を作ろう講座」に登壇しました。

“想い”を伝える地域のPR動画を作ろう講座で相談している写真

想い”を伝える地域のPR動画を作ろう講座で小林が教えている写真

想い”を伝える地域のPR動画を作ろう講座の風景

想い”を伝える地域のPR動画を作ろう講座の風景

10月11日(土)12日(日)スキマ信州プロジェクト主催
スキマ講座2020
第2回「“想い”を伝える地域のPR動画を作ろう講座(講義・撮影編)」
第3回「“想い”を伝える地域のPR動画を作ろう講座(編集・発表会編)」
に編集長 大牧とニッポン手仕事図鑑のビデオグラファー小林、熊谷の3名が
ゲスト講師として登壇しました。

「地元の情報発信に力を入れたい」
「動画制作のノウハウを学び、地域の魅力を動画で伝えたい」
という方を対象に、映像制作の基礎を学びながら、2日間に渡り、
実際に撮影・編集を行い、発表まで行いました。

今回は、天気も心配でしたが当日はなんとか持ち堪え、
長野を代表する観光スポットである善光寺さんにもご協力いただき、
撮影をさせていただきました。

全くの初心者の方も、意外に動画編集できちゃうんだ!と
感じていただけたようで、
地域の魅力を発信する人が増えると
とても嬉しく思います!

参加してくださった皆さま、
本当にありがとうございました!

【イベント概要】
スキマ講座2020
動画で、写真で、SNSで地域を発信できちゃう講座
第2回「“想い”を伝える地域のPR動画を作ろう講座(講義・撮影編)」
第3回「“想い”を伝える地域のPR動画を作ろう講座(編集・発表会編)」
日時:10月10日(土)10:00~16:00
10月11日(日)10:00~16:00
会場:第2回 CREEKS COWORKING
   第3回 イベントスペースENKAI
ゲスト:大牧圭吾(安曇野市出身・ニッポン手仕事図鑑代表取締役)
    小林良也(ニッポン手仕事図鑑 ビデオグラファー)
    熊谷寿将(ニッポン手仕事図鑑 ビデオグラファー)
主催:スキマ信州プロジェクト

ふるさとに帰るという選択肢

集合写真

初めまして、こんにちは。熊本市在住の池田真麻(いけだまあさ)と申します。
現在32歳、今は熊本市役所内にある「熊本市UIJターンサポートデスク」で移住支援員として働いています。

熊本の風景画像1

今回、“ふたりごと文庫”さんに寄稿させていただくこととなり、とても嬉しく思っています。何を書こうかなと迷ったのですが、今回は私自身のUターンについてのお話を交えながら、これから地元や地方に移住したい、もしくは関わりたいと思っている方へ、私からメッセージをお届けできればと思っています。

地元で歳をとっていきたい

まずは私のことを少しお話しますね。
元々は熊本県北の田舎町の出身なのですが、田舎の狭いコミュニティが苦手で、幼少期からあまり地元が好きではありませんでした。高校卒業後、親を説得して神奈川の大学に進学。それから約12年間東京近郊で暮らし、一昨年2018年5月に熊本へUターンしました。

熊本の風景画像2

好きではなかった地元になんで帰ったの?と思う人もいらっしゃるかもしれません。
私の場合は、「地元で歳をとっていきたいと思ったから」です。

音楽の勉強のために東京の大学に進学したものの、卒業後、音楽ひとつで身を立てることができず、また親にも心配をかけていたので、どうしても東京に残りたかった私はアパレル会社に就職。
親の反対をなんとか説得して上京したこともあったし、何も成し遂げないまま地元に帰るわけにはいかないような、何か意地のような気持ちもあったかもしれません。もちろん、東京の方が仲のいい友だちも多かったし、当時の私に「熊本に帰る」という選択肢は全くありませんでした。

でも、ある日電車に揺られながら思ったんです。定年退職するまで、この満員の電車に毎日乗らないといけないのかな、とか、おばあちゃんになってもこの電車に乗り続けるのかな、とか。

熊本の風景画像3

私が東京から熊本に帰省していたあるとき、すごくハッとさせられた出来事がありました。
熊本のとある駅で電車を降り、ホームから改札階に行く途中、人が二人ギリギリ並んで通れるかな、というくらいの狭い階段の一番前を、杖をついたおばあちゃんがゆっくり降りていました。その後ろにたくさん人が並んでいて、なかなか先に進みません。東京のエスカレーターだったら、たまに舌打ちする人とか、イライラを露わにしてしまう人もいますよね。(もちろん、そういう人ばかりではないと知っているし、そうしてしまう気持ちも理解できます。)
でも、ここでは会社員らしき人も、高校生も、子どもとそのお母さんも、みんなでおばあちゃんの歩調に合わせて階段を下りている。その穏やかな光景に、「みんな温かいな、こっちが良いな」と思ったんです。

自分の子どもの頃を振り返ると、確かに地元のコミュニティは苦手だったけれど、みんなで食卓を囲んで、母が作ってくれたごはんを食べて。自分でごはんを作ることの鬱陶しさを知った今、母のごはんの有難さといったらありませんよね。一人で食べるごはんより、誰かと食べるごはんの方が絶対に美味しいことも、一人暮らしを経た今では身に染みて感じています。

食卓の画像

いつも家族や祖父・祖母、親戚、近所のおじちゃん・おばちゃんが可愛がってくれて、誰かが自分のことを気にかけてくれていて。その当時はそれが幸せだと気づけなかったけど、今になって振り返ればなんて幸せで、温かくて、有難いことだったのだろうと。

そう思えたときに、やっぱり自分は熊本で歳をとっていきたいな、熊本で家族をつくって、熊本に根をはって暮らしていきたいなと、思うようになりました。

「帰っておいで」と言ってくれる人がいるところ

とはいえ、素直に「熊本に帰ろう!」と決めることはできませんでした。元々熊本が好きではないと言って出てきたし、東京に仲のいい友だちもたくさんいて、なんだかんだと東京の暮らしも気に入っていたし、離れがたい気持ちも大きかったのです。

でも本能的に、何か熊本と関わりを持ちたい、何か関わりがあれば、前向きにUターンを決意できるきっかけになるかも、と思い、熊本に関わることのできる仕事への転職を決意。そこで見つけたのが「NPO法人ふるさと回帰支援センター」の熊本県専属移住相談員というお仕事でした。

ふるさと回帰支援センターの画像

ふるさと回帰支援センターは、東京・有楽町駅の「東京交通会館」に入っている施設で、全国各地の専属移住相談員さんに直接相談をすることができます。毎週末移住セミナーが開催されていたり、全国各地の移住に関するパンフレットも揃っているので、移住を検討している人にはぜひ一度足を運んでいただきたい場所です。

ここでのお仕事を通して、熊本県内のいろんな市町村の職員さんや実際に移住した方と知り合うことができました。みなさんとコミュニケーションをとる中で、幼い頃には分からなかった熊本の魅力や、地元の方々の熊本への想いを知ることができ、「私も何か役に立てれば」と移住相談員の仕事にのめり込んでいきました。

また、仲良くなった方々から、「池田さん、いつ熊本に帰ってくると?」「早く帰って来んね!」と言われると、いよいよ帰りたい気持ちが強くなってきて、みんながいるなら早く帰りたいなって思えるようになったんです。

宴会での集合写真

これまでたくさんの方の移住を見届けてきましたが、個人的に移住先を決めるうえで大切なことは、「そこに会いたいと思う人がいるか」だと思っています。もちろん住環境や行政の支援制度なども大切だとは思うのですが、どこに移住しても自分ひとりでは暮らしていけません。何か困ったときや悩んだときに、力になってくれる人や気軽に相談できる人がいるかどうかはとても大切だし、そうでなくても、せっかく移住したなら飲み友だちの一人や二人、欲しくないですか?(笑)移住したらこの人とごはん食べよう!って頭に思い描く人がいる方が、移住も楽しみになると思うし、安心できると思うんです。

私の場合もまさにそれで、私に「帰っておいで」と言ってくれる人たちのおかげでUターンが決断できました。今度は私自身が、「池田さんがいるから熊本に行こう」って思ってもらえるような人になれたらと思っています。

本来の自分に戻っていく感覚

2018年の5月、私は熊本へUターンしました。
翌年の4月からご縁あって熊本市UIJターンサポートデスクの移住支援員として働くことになり、熊本市役所で毎日、移住希望者さんからご相談を受けたり、メールやお電話でサポートを行ったりしています。

熊本市は繁華街の中心に熊本城という立派なお城があるのですが、小さいころから慣れ親しんだこのお城を通勤時に毎日見ていると、「あぁ、本当に帰ってきたんだなぁ」と、嬉しさと安堵感でしみじみと満たされた気持ちになります。東京にいた頃はあまり出てなかった熊本弁も少しずつ戻ってきて(笑)。本来の自分に戻っていくような、不思議な感覚もあります。

熊本の風景画像4

実家からは車で約50分くらい離れていますが、定期的に私が実家に帰ったり、逆に母が私の家に遊びに来たりしています。台風が来たり、大雨で警報が出る時などは実家の家族が私の家に避難してきたりもします。何かあればすぐに助け合える距離にいられることが、Uターンしてきて本当に良かったなぁと思えることのひとつです。

東京に仲の良い友だちが多かったので、彼らと離れることはUターンするうえで本当に寂しいことではあったのですが、いまはLINEやSNSなどでいつでも東京の友だちとも連絡が取れるので、完全に関係が途切れてしまったということはありません。最近は、ふるさと回帰支援センター時代の同僚が子どもを授かったという嬉しいニュースもあって、何か熊本らしいお祝いが送れないかなと考えているところです。

また、私と同じようにUターンしてきた方や移住してきた方と定期的に飲み会を開くようになり、その中で友だちも増えました。最近はコロナ禍でなかなか飲み会は開けませんが、私の友人の移住者さんと移住希望者さんを交えたオンライン飲みもやっています。移住してもしなくても、こうして人と人とのご縁が広がっていったらいいなと思っています。

集合写真

まずは誰かに話してみることから

最近はコロナ禍で、行きたいところに気軽に行けなくなってしまいました。地元にもなかなか帰れないという方も多いかもしれません。私自身、去年は仕事で頻繁に東京に行けていたのですが、コロナが広まってからは全く熊本から出れておらず、県外の友人にも全く会えていません。

となると、やっぱり行けるときに行った方が良いし、会えるときに会っておいた方が良いなって、つくづく思うんです。

熊本の風景画像5

今はコロナのせいで行動は制限されるかもしれないけれど、最近はネットで相談したり情報収集したりが当たり前の世の中。いつかコロナが落ち着いたとき、すぐ動けるように、今は自分の気持ちや想いを整理してみてください。
そのために私みたいな移住相談員がいるし、友だちやパートナー、家族でも良いと思います。まずは話すことから始めてみませんか。

みなさんの思い描く人生が実現できますように、いつも応援しています。

池田真麻

名前:池田真麻
職種:熊本市UIJターンサポートデスク 移住支援員
出身:熊本県和水町

熊本市へ移住したい方々のサポートをしています。熊本市でなくても、なんとなく移住に興味がある方、熊本に行ってみたいなという方も、ぜひ気軽に連絡してくださいね!

▷熊本市公式移住情報サイト「熊本はどう?」
https://kumamotodo.jp/

KBS京都『笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ』に編集長 大牧が出演しました!

KBS京都『笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ』

9月23日(水)、KBS京都『笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ』に、
編集長 大牧が出演いたしました。

『笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ』は、KBS京都ラジオの朝の看板ワイド番組。
「朝は一日のスタート地点。だからこそ、食卓での家族との会話のように和やかで、
笑いにあふれて、心がほっかほかあたたまる番組をリスナーに届けたい。」
という想いのもと、配信している番組です。

今回は、地域社会の気になる動きについて関係者に話を聞く
「ほっかほか 噺の朝ごはん」のコーナーにお呼びいただきました。

放送では、「ニッポン手仕事図鑑が伝えたいこと」をテーマに
お話しさせていただきました!

話を引き出していただいたパーソナリティの笑福亭晃瓶さん、中村薫さん、
お世話になったスタッフの皆さま、
放送をお聴きくださった皆さま、
本当にありがとうございました!

<番組情報>
パーソナリティ:笑福亭晃瓶さん、中村薫さん
出演放送日時:2020年9月23日(月)6:30-10:00
WEB:KBS京都『笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ』公式サイト
https://www.kbs-kyoto.co.jp/radio/hokahoka/index.htm

このままではコロナに京都の伝統産業が負けてしまいます

このままではコロナに京都の伝統産業が負けてしまいます

5月半ば、「このままではコロナに京都の伝統産業が負けてしまいます」というメッセージが放たれました。

このメッセージを発信したのは、save our crafts by MIYABIというオンラインショッピングサイト。京都の工芸品を販売するオンラインショップ「京もの専門店みやび」が、特設サイトとして開設したものです。

伝統文化保護に積極的に取り組んでいるイメージのある京都から真っ先にSOSのメッセージが発信されるとは思ってもいなかった私は、このメッセージに衝撃を受けました。

京都の伝統産業はどのような状況にあるのか?そしてどうしてこのサイトを立ち上げたのか?サイトの運営者である吉澤さんと、サイトの開設に関わり、サイト上で商品の販売もされている中村ローソクの田川さんにお話を伺いました。

今回は京都伝統産業ミュージアムにて、インタビューをさせてもらうことができました。

ところで、この京都伝統産業ミュージアムもコロナの影響を受けた施設だそう。今年リニューアルオープンしたものの、タイミング悪く観光客が激減し、来場者も少なくなっているのだとか。しかし京都市の伝統産業74品目が一堂に会するミュージアムの展示内容は圧巻で、とても無料の施設とは思えない充実ぶりです。

伝統産業に興味がある人もない人も楽しめる工夫がなされていたので、京都を訪れた際に立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

先が見えない不安

さて、終息の兆しが見えない状況の中、インタビューは自然と暗い話題が多くなりました。
「店を開けているだけでもしんどいですからね。固定費がかかる。いつ終わるのかがわかっていれば対策も立てられるけど、誰もわかっていない状況やから…。収入が減った。たくさんの人に来てほしい。でも人は集めるなと言われる。どうせえっちゅう話でしょ」
田川さんの営む中村ローソクでは商品の売り上げが減少したことに加え修学旅行の見学プログラムなどが軒並み中止となったことで、売り上げは半分以下に落ち込んでいるそうです。
店を閉じる職人さんも少なからずいて、これからも増えていくだろうと田川さんは嘆きます。

「経済が元に戻ったとしても、これまでのブランクを取り戻すには数年はかかる」とも話す田川さん。
よく考えれば当たり前のことです。しかし、なんとなく「経済が回復すればいまの窮状も解消するのだろう」と楽観視していた私にとっては衝撃的な一言でした。

特に、ものづくりの産業は材料を仕入れて商品を作るのが先で、収入が入ってくるのは後になります。突然商品を売りづらい状況になったことで支出だけが膨らみ、収入に対する不安が特に高まっているのだそうです。

伝統断絶への危機感

今の状況が続くと、何が起こってしまうのでしょうか。お二人は揃って、伝統が途絶えてしまうことへの危機感を口にしました。

「伝統産業が今まで続いてきたのは、世の中に必要とされているから。実は伝統工芸品って高級品よりも、日用品の方が多いんですよ。でも今は必要な産業さえ続けるのが難しくなっている。」
「根の技術が無くなってしまうと、それを取り戻すのは村おこしと同じくらい難しい。だから根の技術を残していく必要があるんです」(田川さん)

「伝統工芸っていうと土産物のイメージがあると思うけど、実は寺社仏閣の修復などにも需要があるんです。このまま職人さんが減っていくと、修復できるんかな…今が耐え時ですね」(吉澤さん)

吉澤さんのお話は盲点でした。普段伝統工芸品を使わない方も、神社やお寺に行くことは少なくないはず。伝統産業の危機は、意外なところで多くの方の生活にも影響するかもしれないのです。

「儲けることが目的ではない」

そんな状況のなか、田川さんはオンラインショップの開設を考えます。

「こういうサイトをいつまでも続けたいと思っているわけではないですよ。でもそうでもしないとやっていけない状況なんです」
「こういうことは真っ先にやらないと注目も集まらないから、なるべく早く始めたかった。吉澤さんたちのような若手がGW中も作業してまとめてくれた」(田川さん)

サイトには、「このままではコロナに京都の伝統産業が負けてしまいます」のメッセージや職人さんの動画など、他のサイトにはない「伝える」ための工夫が随所に見受けられます。

「取り組みとしては、ただのショッピングサイトじゃなくてインタビューを入れたりとか、とにかく頑張っている職人さんがいることを知ってもらうのが先決やなと。もちろん売れるに越したことはないけど、儲けることを目的にしているわけではないんです」(吉澤さん)

確かに、MIYABIでは商品が4割引きで販売されています。割引販売を目にすることの少ない伝統工芸品で、これほどの割引率は衝撃的です。お二人はこう語ります。

「最初は半額にしよう、なんて話もあったんですよ。ただ、計画していたGW中は、まだまだ状況を楽観視している人も多かった。いまは当時より状況が悪いから、同じことをやったら半額でも参加する人は沢山出てくるでしょうね。ただ勘違いしてほしくないのは、これは安売りをしているというわけではないんです」(吉澤さん)
「B級品とかではなくて、定価以上の良いものをここまで割引いている。思い切った値下げをすることで『こんなモノがあったんだ』と手に取ってもらうきっかけにもなるし、それだけ現場が困っているんだ、ということを知ってもらえれば」(田川さん)

MIYABIで販売されている商品は、今春に販売を予定していた商品や催事に出展できなかったものなど、どれも良品ばかり。普段あまり見かけない商品もあり、見ているだけでも楽しめます。

良いものへの投資

最後に、田川さんはこう語ってくれました。
「コロナウイルスの影響を受けてかわいそうだから買う、というのではなくてお客さんが本当に良いと思ったものを買ってほしい。いらんものまで買う必要はないから、良いものへの投資として私たちの商品を買ってもらいたいです」(田川さん)

save our crafts by MIYABIは8月末を目途に運営を終了する予定で、今後の計画については検討中とのことです。
家にいる時間が長い今だからこそ、普段の日用品にこだわることの価値が高まっていると思います。このサイトはもちろん、この機会にお住いの地域の職人さんにも目を向けてみるのはいかがでしょうか?もしかするといままで気が付かなかったような発見があるかもしれませんよ。

save our crafts by MIYABI:https://www.miyabi-satellite.com/
京都伝統産業ミュージアム公式サイト:https://kmtc.jp/

甲斐玲音

名前:甲斐玲音
職種:学生
出身:千葉県

工芸品が好きな大学3年生。
ものづくり自体も好きで、趣味はレザークラフト。

秋田ABS放送ラジオ『エキマイク』に編集長 大牧が出演しました!

8月28日(金)、ABS秋田放送ラジオ番組
「まちなかSESSION エキマイク!」に、
秋田県鹿角(かづの)市のメディア「スコップ」発行人でもある
編集長 大牧が出演しました。

「まちなかSESSION エキマイク!」は、
秋田県内の最新ニュースやまちづくりを
盛り上げる方たちの取組の紹介など、
秋田のステキ情報を秋田県駅前から発信&トークセッションする番組。

鹿角市の魅力と求人の情報を発信するウェブメディア「スコップ」を始めたきっかけ、
「スコップ」の取り組みをとおして出会ったかづのの魅力の他、
8月に鹿角市とニッポン手仕事図鑑 映像メンバーにて行った、
鹿角の伝統的な夏祭り「花輪ばやし」のオンライン配信でのウラ話なども
たっぷり紹介しました!

パーソナリティのマティログさん、鴨下望美さん、藤田裕太郎さん、
お世話になったスタッフの皆さま、
放送をお聴きくださった皆さま、
本当にありがとうございました!

<番組情報>
パーソナリティ:マティログさん、鴨下望美さん
出演放送日時:2020年8月28日(金)13:00 – 15:55
WEB:、ABS秋田放送ラジオ番組「まちなかSESSION エキマイク!」
公式サイト: https://www.akita-abs.co.jp/blog/ekimic/

FM長野『ラジモ!』に編集長 大牧が出演しました!

FM長野『ラジモ!』

8月17日(月)、FM長野『ラジモ!』に、編集長 大牧が出演いたしました。

『ラジモ!』は、長野をモット楽しみたい!をコンセプトに
ジモトを応援する情報を届けている番組です。
今回は、様々な角度からジモトの魅力にスポットライトを当てる「ジモトーク」の
コーナーにお呼びいただきました。

放送では、編集長が「ニッポン手仕事図鑑」を始めたきっかけや
映像を撮る際に大事にしている職人への向き合い方、
最近ニッポン手仕事図鑑が力を入れている後継者育成支援にて
長野県で新たな職人さんが誕生したことなど、たっぷりと語らせていただきました!

おはなししてくださったパーソナリティの小林新さん、飯野美紗子さん、
お世話になったスタッフの皆さま、
放送をお聴きくださった皆さま、
本当にありがとうございました!

<番組情報>
パーソナリティ:小林新さん、飯野美紗子さん
出演放送日時:2020年8月17日(月)16:00-18:55
WEB:FM長野『ラジモ!』公式サイト(http://fmnagano2.com/radimo/

南部鉄器職人|田山鐵瓶工房

伝統工芸南部鉄器職人|田山鐵瓶工房

南部鉄器職人では唯一の「無形文化財記録保持者」であった第十三代 鈴木繁吉盛久氏に師事していた田山和康氏。2011年に鈴木盛久工房を定年退職したあと、「自分自身が満足するまで、作品をつくり続けたい」と、「田山鐵瓶工房」を設立。自分の代で終わらせるつもりだったが、故鈴木繁吉盛久氏に直接薫陶を受けた父の技術を途絶えさせてはいけないと、2012年に息子の貴紘氏が都内の食品メーカーを退職し、父に師事。現在は鐵瓶の製作だけでなく、盛岡市内に「お茶とてつびん engawa」をオープンさせるなど、南部鉄器の魅力を広める活動も積極的に行っている。

生姜糖職人|來間屋生姜糖本舗

伝統工芸生姜糖職人|來間屋生姜糖本舗

「日持ちがして、お茶に合う菓子がない」と、松江藩の奉行所務めだった來間屋文左衛門が正徳5年(1715年)、繊維が柔らかく、独特の爽やかな風味を持つ出西生姜に目をつけ、考案した生姜糖。材料は砂糖、生姜、水のみで、製法も江戸時代から変わらず、砂糖水を炭火で煮詰め、そこに生姜の搾り汁を入れ、銅製の型に流し込み、冷やすだけ。シンプルゆえに、煮詰める時間と温度の見極めがシビアに問われる。創業300余年、出雲参りの定番土産となった生姜糖は、今も昔も多くの観光客や地元のお客さまに愛され続けている。

越後与板打刃物職人|舟弘刃物製作所

伝統工芸越後与板打刃物職人|舟弘刃物製作所

日本の建築や木工の現場で欠かすことのできない道具のひとつ、鉋(かんな)。全国の数ある産地の中でも、与板の打刃物は多くの大工や木工職人から絶大な指示を得ている。その工房のひとつ、「舟弘刃物製作所」の三代目 船津祐司さんは、三条にある新潟県金属工業試験場や、日立金属工業㈱安来工業などで鋼の熱処理技術を学び、その後、刀匠 雲龍子貞次に師事し、より高度な玉鋼に関する知識と技術を学んだ。平成28年秋には叙勲瑞宝単光章受賞。70歳を超えた今もなお、日本の伝統建築の文化を守り続けている若い棟梁たちにひとつでも多くの大工道具を残していきたいと、今日も1本1本、最高の切れ味を追求し、丹念に鋳造している。

真田紐職人|幸道庵

伝統工芸真田紐職人|幸道庵

戦国時代の名将、真田幸村が考案したとされる「真田紐」。縦糸と横糸を平たく織り、ほとんど伸縮がなく丈夫なため、古くは刀の下げ緒や鎧兜着用時の紐や帯締めとして使用され、茶道千家流の始祖となった“茶聖”千利休は茶道具を入れた木箱に真田紐をかけ、紐の柄で自分の持ち物だとひと目でわかるようにしていたと言われている。その真田紐を、今も手織りで作り続ける西村幸さんと、娘の操さん。操さんは「両親が礎を築いた、100年以上続く真田紐の歴史を継承していきたい」と、今日も母とともに織り機に向かう。

墨職人|喜壽園

伝統工芸墨職人|喜壽園

2018年、新たに国の伝統的工芸品に指定された「奈良墨」。奈良市にある興福寺二諦坊の燈明の煤(すす)を集め、膠(にかわ)と合わせて作られた油煙墨が始まりとされており、現在では国産の固形墨のほとんどが奈良で製造され、国内のシェアは9割を超える。その一大産地で創業より150年に渡り、伝統を受け継いできた老舗「喜壽園」。練り、型入れ、削りはもちろん、木灰による乾燥、そしてその後の自然乾燥や磨きまで、今も昔ながらの手法で製造を続け、独特の色合いや摺り心地は多くの書家や水墨画家に愛され続けている。

畳職人|松屋畳店

伝統工芸畳職人|松屋畳店

元禄からの長い歴史を誇る、群馬県桐生市の老舗畳店「松屋畳店」。「学生の頃は継ぐ気がなく、働き始めてからも甘く考えていた…」と語る11代目の大川智樹さんだが、10代目の父、昌男さんから基本を身につけることの大切さを学び、畳製作技能士一級の資格を取得。畳の文化を残していくため、畳替えの際にはお客さま一人ひとりに対して、い草が持つ効能や国内産と外国産の違いなどを、丁寧に伝え続けている。良質な国産のい草を生産する農家を守るために、ブックカバーや名刺入れなどの畳雑貨を製作。首都圏の店舗でも売られ、人気商品となっている。

ニッポン手仕事図鑑 編集長 大牧が「地域力創造アドバイザー」に就任

2020年4月1日付で、総務省がさだめる地域活性化制度「地域人材ネット」にて、
地域創生の知見・ノウハウをもつ「地域力創造アドバイザー」として編集長の大牧が就任いたしました。

「地域力創造アドバイザー」とは、自治体からの推薦により、
地域創生の知見・ノウハウをもつと認められた
外部専門家を「地域力創造アドバイザー」として総務省が認定、
アドバイザーを自治体が呼ぶ際、その経費を国が支援する制度です。

地域力創造アドバイザー

「地域力創造アドバイザー」を呼ぶための旅費、謝金、ワークショップ開催等で

これまで全国各地の自治体との仕事で培ってきた経験を活かし、
「後継者育成インターンツアー」開催での手仕事の後継者育成支援、
地域の若者の情報発信力を磨く講座の開催、まちの資源を活かした商品開発など、
地域の方たちとタッグを組んでの地域おこしに、一層力を入れて取り組んでいきます!

「まずは話を聞いてみるだけでも」という自治体の方、お気軽に こちら までお問い合わせください。

【地域人材ネット】
地域力創造アドバイザー ニッポン手仕事図鑑編集長 大牧圭吾 紹介資料 
https://www.soumu.go.jp/main_content/000674462.pdf

『ニッポンものづくりフィルムアワード2020』に関するお知らせ

大変残念なお知らせではありますが、
今年、第2回目を開催する予定だった
『ニッポンものづくりフィルムアワード』の開催を
2021年に延期することにいたしました。

東京オリンピックの延期が決定したら…と
メンバー内で決めてはいたものの、
アワードを応援してくれている人、
開催を待ち望んでいるクリエイターが
僕らの想像している以上に多くいることを知り、
最後まで諦めがつかずにいましたが、
開催する上でのあらゆるリスクを想定した結果、
延期の判断をいたしました。

その分、来年はより一層、
『ニッポンものづくりフィルムアワード』を、
そして、日本のものづくりを
盛り上げていきたいと考えておりますので、
応援をよろしくお願いいたします。

ニッポン手仕事図鑑
編集長 大牧圭吾

【ニッポンものづくりフィルムアワード2019 レポート】
 https://nippon-teshigoto.jp/news_event/news_20191118

ニッポンものづくりフィルムアワード2020

ニッポン放送『あさナビ』に、編集長 大牧が出演中!

3月30日(月)~4/3(金)の一週間、ニッポン放送『あさナビ』に、
編集長 大牧が出演しています。

ニッポン放送『あさナビ』に編集長 大牧圭吾が出演

ラジオ番組『あさナビ』は、毎朝、
さまざまなジャンルのプロフェッショナルをお迎えして、
朝の活力になるお話をうかがっていく番組です。

放送では、編集長が「ニッポン手仕事図鑑」を始めたきっかけや、
撮影で出会ったたくさんの魅力的な職人さんのご紹介、
そしてニッポン手仕事図鑑として
これから一層力を入れていきたい日本の手仕事の後継者育成支援の
ことなどたくさん語らせていただきました!

1週間限定ですが、放送された番組を下記リンクからご視聴いただけます。
ニッポン放送『あさナビ』 radikoフリー視聴

 

おはなししてくださったナビゲーターの黒木瞳さん、
お世話になったスタッフの皆さま、
放送をお聴きくださった皆さま、
本当にありがとうございました!

<番組情報>
ナビゲーター:黒木瞳さん
出演回放送日時:2020年3月30日~4月3日 6:43〜6:49
HP:ニッポン放送『あさナビ』公式サイト

ニッポン手仕事図鑑 大牧編集長のインタビューが学生向けキャリア支援WEBメディア「My Future Campus」に掲載!

㈱マイナビが運営する学生向けキャリア支援WEBメディア「My Future Campus」の、
『29歳までの道しるべ』コーナーに、
ニッポン手仕事図鑑大牧編集長のインタビューが掲載!

「My Future Campus」

「My Future Campus」

前編 https://mfc.mynavi.jp/post?id=FjyUfImFQyGI5Fz0Dto1

後編 https://mfc.mynavi.jp/post?id=GcKiSKssGuYyPLLWPUx3

学生時代の夢、20代に経験したたくさんの経験、失敗…そして挫折を乗り越えて、
ニッポン手仕事図鑑を設立するまでの話など、読みごたえたっぷり!
仕事をするうえで大切にしている考え方や、
新しい一歩を踏み出したい人に向けたメッセージなど、
将来に悩む学生さんだけでなく社会人にもぜひ読んでいただきたい内容です!
大牧編集長から、読者の方へのプレゼント企画もありますよ!

MyFutureCampusさん、ありがとうございました!

「後継者育成インターンツアー」にて、初の後継者が誕生!

2020年3月7日(土)、長野県塩尻市木曽平沢の木曽漆器工房
丸嘉小坂漆器店にておこなった「後継者育成インターンシップ」。

参加者のうちの一人が、塩尻市に移住し、
4月から丸嘉小坂漆器店にて漆工職人として働くことが決まりました。

毎日新聞 木曽漆器後継者育成インターンツアー

長野県の伝統的工芸品 木曽漆器の後継者誕生に立ち会えたことは

わたしたちスタッフとしても、心から嬉しい想いです。
職人となった方の新たな門出を心から応援します!

ニッポン手仕事図鑑はこれからも、「後継者育成インターンツアー」をとおして
後継者を育てたい工房と、全国各地にいる未来の後継者候補をつなぐ支援をしていきます。
地域の手仕事、工芸品の後継者問題について相談したい方は、
まずはお気軽に こちら からお問い合わせください。

地域と仕事を知る「後継者育成インターンシップ」を開催しました

2020年3月7日(土)、長野県塩尻市木曽平沢の伝統的工芸品である、
木曽漆器の工房 丸嘉小坂漆器店にて工房見学や作業体験をおこなう
「後継者育成インターンシップ」を開催いたしました。

昨年度開催から4回目となる「後継者育成インターンシップ」のツアー。
全国から集まった、職人を志す熱い想いの学生さんたちが
歴史ある漆工、木工の作業を、工房にて職人さん指導のもと体験。

また、実際に働いている先輩職人さんとお昼休みや作業後の懇親会など、
時間のゆるす限り、仕事やその土地での暮らしについて
お話をうかがい、語り合いました。

木曽漆器後継者育成インターンシップ

木曽漆器後継者育成インターンシップ

この経験が、“後継者”としての、参加者の背中を押す第一歩となることを願って…。
丸嘉小坂漆器店さん、参加者のみなさん、ありがとうございました!

第3回「後継者育成インターンツアー」の詳細はこちら

未来の後継者を応援するフリーペーパー『あいらし』第三弾島根編 完成!

あいらしとはポーラ・オルビスホールディングスと
ニッポン手仕事図鑑が共同で発行するフリーペーパーです。

伝統工芸の世界には、「後継者不足」という大きな問題が存在します。
職人を養成する大学や専門学校に進学しても、
その道に進むことを断念してしまう学生さんが少なくありません。
厳しいと思われがちな、職人の世界。
もちろん、その側面もありますが、自分らしさを大切にし、
日々の暮らしを丁寧に営まれている方も多くいます。
「私も、伝統工芸の道に進み、頑張っていけるかもしれない」
素敵な職人を応援し、そして、未来の後継者の背中をそっと押していきたい。
そんな想いを込めて、『あいらし』を発行しています。

第三弾は島根。3組6名の職人さんに登場いただきました。

鍛冶職人 小藤宗相さん、柘植由貴さん
(鍛冶工房 弘光 https://kaji-hiromitsu.com/
組子職人 沖原 昌樹さん、岡村 春奈さん、清水 智加さん
(吉原木工所 http://yoshiharawoodworks.com/
布志名焼職人 福間 庸平さん
(湯町窯)

未来の後継者を応援するフリーペーパー『あいらし』第三弾島根編 完成!

未来の後継者を応援するフリーペーパー『あいらし』第三弾島根編 完成!

未来の後継者を応援するフリーペーパー『あいらし』第三弾島根編 完成!

未来の後継者を応援するフリーペーパー『あいらし』第三弾島根編 完成!

【配布先・取材先募集】
現在、各専門学校や地域の公共施設、美術館、セレクトショップ等で配布を検討中です。
興味のある方は、お問い合わせください。
また、今後も日本全国の地方自治体、産地や、教育機関と連携しながら
制作を続けていきます。
取材をご希望される地方自治体や産地の方は、ぜひご連絡ください。
お問い合わせはこちら

独楽職人|木工房かたやま 片山木工所

ろくろ木地師発祥の地ともされる、滋賀県。琵琶湖のほとりからほど近い、長浜市三ツ矢町に、片山木工所は工房を構える。1980年代後半、木地師の片山喜一さんは、地元の名物になるような工芸品をつくろうと、「いろ色浜独楽」を考案した。その形や模様には、ひとつとして同じものはない。機械にはできない手仕事の面白さを知ってほしいと、すべて即興で、削り方や絵付けの仕方を変えているのだ。遊び心が満載の独楽たちは、新しい伝統となって、回り続けている。

アパレルブランド「wjk」×錫師「錫光」のコラボレーションによるノベルティグッズを、ニッポン手仕事図鑑が初プロデュース

ニッポン手仕事図鑑が初めてプロデュースした“ノベルティグッズ”が
リリースされました!

メンズ衣料品を取り扱うアパレルブランド「wjk」とのコラボレーションにより実現した
今回のプロデュース。

『wjk artisan products』として、
世界に誇る日本のものづくりを広く知ってもらうことを目的の一つとしています。

wjkブランド商品をお買い上げのお客様にプレゼントされる錫光の「ぐい呑」は、
ブランドイメージに合わせたシャープなデザインと、
槌目模様が美しいオリジナルの酒器で、
埼玉県に工房を構える「錫光」(※)の錫師・中村圭一さんによるものです。

「ぐい呑」の裏底には、wjkのロゴが刻印された特別な一品。

アパレルブランド「wjk」×錫師「錫光」ノベルティグッズぐい呑

アパレルブランド「wjk」×錫師「錫光」ノベルティグッズぐい呑

「錫光」… 1987年創業。
はんだやメッキに使用される錫を用いて、酒器や茶器などを制作する。
「現代の名工」にも選ばれた先代中村光山の技術を受け継ぎ、
様々な異業種とのコラボレーションを積極的に行う。

錫光さんの動画はコチラ

後世にも伝え続けたい、手仕事が持つ不変の価値を繋げるプロジェクト。
この機会に、皆さまも是非ご体感ください!

プロジェクトについて詳しくは以下のリンクからご覧いただけます
wjk artisan projects

TOKYO FM『SUNDAY’S POST』に、編集長 大牧が出演しました。

2月2日(日)、TOKYO FM『SUNDAY’S POST』に、
編集長 大牧が出演いたしました。

TOKYO FM『SUNDAY'S POST』撮影風景

『SUNDAY’S POST』は、日本の伝統・文化を、音や手紙で紹介する番組。

放送では、編集長が「ニッポン手仕事図鑑」を始めたきっかけや、
今まで撮影してきた沢山の動画の中でも、
特に印象的だった手仕事などについてたっぷりと語らせていただきました!

アーカイブは以下のリンクからご覧いただけます。
TOKYO FM『SUNDAY’S POST』大牧編集長出演回アーカイブ

お話してくださったパーソナリティの小山薫堂さん、宇賀なつみさん、
お世話になったスタッフの皆さま、
放送をお聴きくださった皆さま、
本当にありがとうございました!

<番組情報>
パーソナリティ:小山薫堂さん、宇賀なつみさん
出演回放送日時:2020年2月2日(日)15:00-15:50
WEB:TOKYO FM『SUNDAY’S POST』公式サイト

秋田県鹿角市で「ホームページ構築講座」がスタートしました

秋田県鹿角市で「ホームページ構築講座」がスタートしました。

秋田県鹿角市にて女性若者活躍促進事業(ICTを活用したテレワークの普及による柔軟な働き方推進事業)として、
角市交流プラザMIT PLAZAにて「ホームページ構築講座」が開催されました。

講師を務めるのは、ニッポン手仕事図鑑のプランナーであり、
鹿角をもりあげるWEBメディア『スコップ』副編集長の花田。

「初心者からでも、即戦力になれる人に」をコンセプトに、
約半年間に渡り、全10回の講義を開催予定。
Web初心者の方でも、講義後にはWebサイトを自分で構築できるまで、
ひとつひとつ、丁寧にコツを伝えていきます。

秋田県鹿角市で「ホームページ構築講座」の様子

秋田県鹿角市で「ホームページ構築講座」の様子

講義終了後の受講生たちは、どんな素敵なサイトを作るのでしょうか…?
どうぞご期待ください!

■花田が副編集長を務める、
秋田県鹿角の求人&ローカルメディア『スコップ』
https://scoop-scoop.jp/

12月18日(水)、産業能率大学にて編集長 大牧が講義に登壇いたしました。

2019年12月18日(水)、産業能率大学にて編集長 大牧が講義に登壇いたしました。

授業では、「小さなプロジェクトの情報発信」をテーマに、
学生の皆さんにお話をさせていただきました。

産業能率大学講義

当日参加してくださった産業能率大学の皆さん、本当にありがとうございました!

12月11日(水)、成蹊大学にて編集長 大牧が講義に登壇いたしました。

2019年12月11日(水)、成蹊大学にて編集長 大牧が講義に登壇いたしました。

授業では、「チャンスを手にする情報発信」という題目でお話をさせていただきました。

成蹊大学チャンスを手にする情報発信

成蹊大学チャンスを手にする情報発信

また、当日は急遽2限目もお願いされ、
競争戦略についてのお話を150名の学生の皆さんに向けて語らせていただきました。

成蹊大学の皆さま、本当にありがとうございました!

12月9日(月)、10日(火)の2日間、福島県葛尾村にて「葛尾村体験コンテンツ造成合宿」に参加しました。

2019年12月9日(月)、10日(火)の2日間、福島県葛尾村にて開催された
「葛尾村体験コンテンツ造成合宿」に参加しました。

「葛尾村学生滞在プラン企画フィールドワーク」のアドバイザーとして、編集長 大牧と、秋田県鹿角市のローカルメディア『スコップ』から村木が参加。

アドバイザー陣は他に『TURNS』の堀口正裕プロデューサー、『仕事旅行社』の田中翼代表、『ニッポン女子応援部』の幸脇麻由子編集長という豪華な顔ぶれでした。

『葛力創造舎』の下枝浩徳さんがアドバイザーと地域関係者をつないでくださり、2日間、葛尾村の課題解決に向けて参加者たちにより活発な議論が交わされました。

葛尾村 学生滞在プラン 企画フィールドワーク

葛尾村体験コンテンツ造成合宿 民泊にて

葛尾村 学生滞在プラン 企画フィールドワーク

葛尾村体験コンテンツ造成合宿 民泊にて

お世話になった葛尾村の皆さま、合宿参加者の皆さま、本当にありがとうございました!

地域と仕事を知るための、「後継者育成インターンツアー」を開催いたしました。

2019年12月4日(水)から12月5日(木)までの2日間、
南木曽ろくろ細工・木曽漆器の工房見学や作業体験を行う
「後継者育成インターンツアー」を開催いたしました。

長野県で開催された本ツアーでは、
塩尻市、南木曽町を巡り、
南木曽ろくろの「ヤマイチ小椋ロクロ工芸所」さん、
木曽漆器の「丸嘉小坂漆器店」さんを訪れました。

真剣な眼差しの職人さんに、
真剣な姿勢で向き合う参加者の皆さん。

地域と仕事を知るための、「後継者育成インターンツアー」開催いたしました。

地域と仕事を知るための、「後継者育成インターンツアー」開催いたしました。

地域と仕事を知るための、「後継者育成インターンツアー」開催いたしました。

地域と仕事を知るための、「後継者育成インターンツアー」開催いたしました。

職人さんの言葉一つ一つに背中を押された参加者の中から、
新たな後継者が生まれることを願っています。

参加してくださった皆さま、
ツアーにご協力いただいた工房の皆さま、
本当にありがとうございました!

「後継者育成インターンツアー」の詳細はこちら

11月26日(火)鹿角市主催「あなたのピッタリに出逢う!キャリアデザインを考えるトークセッション」に、編集長 大牧が登壇しました。

11月26日(火)、秋田県鹿角市主催
「あなたのピッタリに出逢う!キャリアデザインを考えるトークセッション」に、
編集長 大牧がスピーカーとして登壇しました。

イベントでは、ITを活用した地方の課題解決の事例等について
お話させていただきました。

鹿角市主催「あなたのピッタリに出逢う!キャリアデザインを考えるトークセッション」

鹿角市主催「あなたのピッタリに出逢う!キャリアデザインを考えるトークセッション」

鹿角市主催「あなたのピッタリに出逢う!キャリアデザインを考えるトークセッション」

鹿角市主催「あなたのピッタリに出逢う!キャリアデザインを考えるトークセッション」

セミナーにご参加くださった皆さま、ありがとうございました!

<イベント概要>
【日時】2019年11月26日(火)
【場所】鹿角市文化の杜交流館 コモッセ
【内容】
第1部「あなたのピッタリに出逢う!キャリアデザインを考えるトークセッション」

■スピーカー
ミライ ~鹿角WEB活ラボ~
渋谷 加好 氏 / 工藤 博子 氏

株式会社ファストコム
ニッポン手仕事図鑑 編集長
大牧 圭吾

■モデレーター
株式会社コー・ワークス コトづくり事業部
五十嵐 淳

第2部「女性・若者活躍促進事業説明会」

【Web】https://co-works.co.jp/co-project/event/kazuno2019/

11月23日(土)池田つむぐ講座「地域の伝え方を学ぼう!」に、編集長 大牧が登壇しました。

11月23日(土)、池田つむぐ講座 vol.3「地域の伝え方を学ぼう!」に、
編集長 大牧が講師として登壇しました。

イベントでは、地域の情報発信について学ぶ講座が開催され、
SNS・動画・Web記事など、さまざまな方法での情報発信を
基礎から学ぶといった内容で行われました。

池田つむぐ講座 vol.3「地域の伝え方を学ぼう!」

池田つむぐ講座 vol.3「地域の伝え方を学ぼう!」

池田つむぐ講座 vol.3「地域の伝え方を学ぼう!」

池田つむぐ講座 vol.3「地域の伝え方を学ぼう!」

イベントに参加くださった皆さま、ありがとうございました!

<イベント概要>
【日時】2019年11月23日(土)
【場所】池田町交流センターかえで クラフトルーム
【講師】
山本麻綾氏(長野県最大規模のSkima信州代表、地域コンテンツデザイナー)
■Skima信州HP https://skima-shinshu.com/
大枚圭吾(ニッポン手仕事図鑑編集長)

【Facebook】https://www.facebook.com/events/605680183302459/

ニッポンものづくりフィルムアワードの表彰式ダイジェスト動画を公開しました!

9月25日に行われた、「ニッポンものづくりフィルムアワード」の
表彰式ダイジェスト動画を公開しました。

当日会場にお越しになれなかった皆さまも、
こちらの動画にて表彰式の様子がご覧になれますので
どうぞお楽しみください!

また、グランプリ作品「小鹿田焼 BELONG」を制作した株式会社STEQQIの皆さんが、
大分県知事に受賞報告を行った記事が大分県公式ホームページにて公開されています。

大分県公式HP
▼http://www.pref.oita.jp/site/chiji-tsushin/20191016.html

さらに、特別賞を受賞した「とじて竹ひらいて花」の制作者・森野継偉さんの記事が、
岐阜新聞にて掲載されました。

岐阜新聞
▼https://www.gifu-np.co.jp/news/20191022/20191022-183871.html

受賞された皆さま、本当におめでとうございました!

ニッポンものづくりフィルムアワードについて、
当日の詳しいレポートは、こちらからご覧いただけます。
https://nippon-teshigoto.jp/award2019/award2019-report

ニッポンものづくりフィルムアワード2019公式サイト
https://nippon-teshigoto.jp/award2019

11月11日(月)「かづの商工会会員懇談会」に、編集長 大牧が登壇しました。

11月11日(月)「かづの商工会会員懇談会」に、
編集長 大牧が講師として登壇しました。

パネルディスカッションのセクションでは、
「鹿角で頑張る元気な企業」をテーマに、
鹿角の企業の情報発信について講話しました。

かづの商工会会員懇談会 パネルディスカッション

かづの商工会会員懇談会 パネルディスカッション

かづの商工会会員懇談会 パネルディスカッション

かづの商工会会員懇談会 パネルディスカッション

かづの商工会の皆さま、ありがとうございました!

<イベント概要>
【日時】2019年11月11日(月)
【場所】ホテル鹿角
【内容】パネルディスカッション、交流懇親会
    テーマ「鹿角で頑張る元気な企業」

未来を生き抜く“ヒント”を探るラジオ番組「未来授業」に、編集長 大牧が出演しました。

11月5日(火)~7日(木)、TOKYO FMによるラジオ番組「未来授業」に、
編集長 大牧が出演いたします。

未来授業

1時間目は「職人の声を届ける」をテーマに、
動画メディア「ニッポン手仕事図鑑」について、
ニッポンの“手仕事”の魅力についてを語りました。

2時間目以降、11月6日(水)、7日(木)と連続で公開予定となっておりますので、
どんなテーマになるのか、皆さまご期待ください!

1時間目の内容はこちら
https://www.tfm.co.jp/future/detail/25567/(TOKYO FM)

11月3日(日)「万祭2019(BANZAI)」にニッポン手仕事図鑑が参加しました。

11月3日(日)、
「日本の伝統文化を こころ と からだ で感じて未来につなげよう」を
コンセプトとしたイベント「万祭2019(BANZAI)」に、
ニッポン手仕事図鑑が参加しました。

ニッポン手仕事図鑑のブースでは、長野の伝統工芸品の動画を放映しました。

また、トークセッションでは、
編集長 大牧がニッポン手仕事図鑑の撮影現場であった話や、
伝統工芸品を未来に受け継ぎ、大切にしていくことについて語りました。

万祭2019

万祭2019

万祭2019

万祭2019

万祭2019

万祭2019

イベントにご参加くださった皆さま、
ニッポン手仕事図鑑のブースにお立ち寄りくださった皆さま、
誠にありがとうございました!

<イベント概要>
万祭2019 Presented by 若者に伝統文化を伝える会
【日時】2019年11月3日 文化の日
【会場】東京交通会館12階 ダイヤモンドホール
【公式HP】万祭2019(BANZAI) https://c-consul.co.jp/banzai/

「未経験から始めよう!初心者向けライター講座」を開催しました!

10月4日(金)、5日(土)、
秋田県鹿角市の「文化の杜交流館 コモッセ」で開催されたライター講座にて、
弊社小黒が講師を務めました。

今回の講座は、
「市民ライターをしたいけれど自信がない」
「文章を書くのが苦手」という方の声を受け、
弊社で運営するWebメディア『スコップ』編集部と、
花輪図書館とが共同で開催したもの。

「相手に伝わりやすくなる文章の書き方」を行った2回の講義には、
鹿角市内外より、累計40名近くの方々にご参加いただきました。

秋田県鹿角市にて、「初心者向けライター講座」を開催しました。

秋田県鹿角市にて、「初心者向けライター講座」を開催しました。

秋田県鹿角市にて、「初心者向けライター講座」を開催しました。

秋田県鹿角市にて、「初心者向けライター講座」を開催しました。

「次回は私の町でも開催を!」と、
ご好評をいただきましたので、
ぜひ今後は様々な地域で行ってければと思います。

改めて、参加者の皆さま、コモッセの皆さま、
ありがとうございました!

■秋田県鹿角の求人&ローカルメディア『スコップ』
https://scoop-scoop.jp/

「Webサイト構築講座」2期目がスタートしました

10月2日(水)より、青森県三戸町にて、
「三戸町テレワーカー育成推進事業『Webサイト構築講座』」の
2期目が始まりました。

講師を務めるのは、弊社プランナーであり、
『スコップ』副編集長の花田。

「初心者からでも、即戦力になれる人に」をコンセプトに、
昨年は約半年間に渡り、全10回の講義を開催。
受講前はWeb初心者だった生徒も、
地元企業のWebサイトを実際に制作するまでに成長しました。

第2期目となる今期は、
内容を更にブラッシュアップさせ、
全7回に凝縮して行います。

受講生の成長に、どうぞご期待ください!

■花田が副編集長を務める、
秋田県鹿角の求人&ローカルメディア『スコップ』
https://scoop-scoop.jp/

■テレワーカー育成推進事業Webサイト
https://sannohe-teleworker.com/

三戸町テレワーカー育成推進事業『Webサイト構築講座』

古家具修理職人|仁平古家具店 pejite

「子どもの頃から古いものが好きだった」という、仁平透さん。東京からU ターンをした後、古家具を修理し販売する「仁平古家具店」を2009年に、それとは趣が異なる古家具や地元の作家の作品が並ぶ「pejite」を2014年に、それぞれオープンした。現在は栃木県益子町をはじめ、県内外に合計4店舗を構えている。「古いから良い」「懐かしいものだから良い」と単に決めつけるのではなく、そこに込められたかつての職人の情熱と向き合い、物の本質的な価値を届けようと取り組んでいる。

9月25日(水)ホテル雅叙園東京にて、『ニッポンものづくりフィルムアワード』の 表彰式を行いました

9月25日(水)ホテル雅叙園東京にて、
ニッポン手仕事図鑑が開催した
初めての映像コンテスト
『ニッポンものづくりフィルムアワード』の
表彰式を行いました。

日本の手仕事にフォーカスを当てる作品を募った、今回のアワード。
全国から「ものづくり」に対する想いが込められた、
素敵な92作品が集まりました。

今回、受賞式で司会を務めてくださったのは、
フリーアナウンサーの住吉美紀さん。

受賞者の皆さんはもちろん、
審査員の方々や各協賛企業の皆さまにもご出席をいただき、
盛大に式を執り行うことができました。

今回のアワードを経て、少しでも多くの人に
職人さんの想い、ものづくりの魅力を
感じてもらい、その伝え手が増えることを
願っています。

遠方からはるばるお越しくださった皆さま、
お忙しい中足を運んでくださった皆さま、
そして何よりも素敵な作品を応募していただいた皆さま、
本当にありがとうございました。

なお、受賞作品と一次審査通過作品の、
計53作品がアワードサイト内で公開されています!
ぜひご覧ください!

https://nippon-teshigoto.jp/award2019/first-screening-work

『ニッポンものづくりフィルムアワード』表彰式

『ニッポンものづくりフィルムアワード』表彰式

『ニッポンものづくりフィルムアワード』表彰式

『ニッポンものづくりフィルムアワード』表彰式

<概要>
ニッポンものづくりフィルムアワード表彰式

【日時】
2019年9月25日(水)
19:00~21:00

【会場】
ホテル雅叙園東京

【審査員】
松浦弥太郎〈エッセイスト〉
加藤 浩次〈タレント〉
三島有紀子〈映画監督〉
福岡 元啓〈プロデューサー〉
堀口 正裕〈『TURNS』プロデューサー〉
岡本俊太郎〈『Vook』代表〉
大牧 圭吾〈動画メディア『ニッポン手仕事図鑑』編集長〉

【司会】
住吉 美紀〈フリーアナウンサー〉

【主催】
ニッポン手仕事図鑑

【特別協賛】
株式会社ポーラ・オルビスホールディングス
株式会社ACD
株式会社目黒雅叙園
東京メトロポリタンテレビジョン株式会社(TOKYO MX)

【協賛】
エールマーケット(ヤフー株式会社)
学校法人 二本松学院 京都伝統工芸大学校
株式会社 大丸松坂屋百貨店
株式会社システムファイブ
株式会社クレオフーガ
株式会社第一プログレス
株式会社玄光社
株式会社アドワール
新浪公司
Smarcle Japan株式会社
フォト蔵株式会社
東京コネクション株式会社
特定非営利活動法人映像産業振興機構(VIPO)

※掲載されているお名前、企業名については、敬称略、順不同でございます。
ご了承ください。

Holzarbeiten Shokunin|Buchi Mokkou

Herr Masato Nishimuras Motto ist es „aus Nichts etwas zu schaffen”. Als ein Holzarbeit “Shokunin” (Handwerksmeister), verwendet er Altholz wieder, das er von Möbelgeschäften und Schnittholzhändlern einsammelt. Herr Nishimura gründete sein Atelier “Buchi Mokkou” im Jahre 2011. Mit seinen Fähigkeiten als traditioneller Handwerksmeister und seiner gutherzigen Persönlichkeit, ist Herr Nishimura sehr beliebt und bekommt Aufträge von maßgefertigten Holzarbeiten bis hin zum Veranstalten von Workshops. Das Ziel des jungen und bekannten „Shokunins” ist es die Besonderheit zu bewahren, dass Handwerker und Kunde sich persönlich begegnen.

Woodwork Shokunin|Buchi Mokkou

Mr. Masato Nishimura’s concept is “to create 1 from 0.” As a woodwork “Shokunin” (artisan), he regenerates the scrap woods he collects from furniture stores and lumber dealers. Mr. Nishimura has established his woodwork studio “Buchi Mokkou” in 2011. With the skills acquired from his experience as a furniture Shokunin and his kindhearted personality, Mr. Nishimura gets endless offers ranging from the creation of custom-made products to hosting workshops. The objective of the attention-drawing young woodwork Shokunin as he states it is to “try preserving the value of the manufacturers and consumers meeting face to face.”

9月21日(土)未来定番研究所にて『製硯師・青栁貴史とものづくりの未来を語りあう「5年後の自分のつくりかた」』に編集長 大牧が登壇しました

9月21日(土)、未来定番研究所にて
『製硯師・青栁貴史とものづくりの未来を語りあう「5年後の自分のつくりかた」』に
編集長 大牧が登壇しました。

未来のくらしのヒントについて意見を交換するイベント「未来定番サロン」。

ものづくりの発展と未来を考える、対話型イベントが開催されました。

製硯師・青栁貴史さんの思い出の地・谷中で、
これまでの失敗と成功、テレビでは伝えられていないことを語りました。

イベントに参加してくださった皆さま、
本当にありがとうございました!

製硯師・青栁貴史とものづくりの未来を語りあう「5年後の自分のつくりかた」

製硯師・青栁貴史とものづくりの未来を語りあう「5年後の自分のつくりかた」

製硯師・青栁貴史とものづくりの未来を語りあう「5年後の自分のつくりかた」

製硯師・青栁貴史とものづくりの未来を語りあう「5年後の自分のつくりかた」

<イベント概要>

日時 :2019年9月21日(土)13時−15時(12時30分受付開始)
会場 :未来定番研究所(東京都台東区谷中5−9−21)
ゲスト:青栁派四代目 製硯師 青栁 貴史
    動画メディア「ニッポン手仕事図鑑」編集長 大牧 圭吾
トーク内容:
第1部 未来定番研究所の紹介、経歴紹介、ものづくりの今と未来について
第2部 「みんなで語ろう、ものづくりの未来」
イベント詳細:https://www.miraiteiban.jp/event/event_13/

Kerze Handwerker|Takazawa Kerze

Candle Craftsman|Takasawa Candle

„Takazawa Kerze“ wurde 1892 in Nanao in der Ishikawa Präfektur gegründet. Seit langem schon, spielen die japanischen Kerzen (Wa-Rousoku) eine wesentliche Rolle bei den Einheimischen, der Schreinen, der Tempeln und den religiösen Festen der Noto-Halbinsel. Mit der Verbreitung des elektrischen Lichts jedoch, verschwindet diese Handwerkskunst, sodass „Takazawa Kerze“ mittlerweile in der Ishikawa Präfektur der einzige Hersteller der „Wa-Rousoku“ ist. Herr Hisashi Takazawa, die nun fünfte Generation von „Takazawa Kerze“, gibt nicht auf, die Wärme des traditionellen Feuers zu erhalten.

Candle Craftsman|Takasawa Candle

Candle Craftsman|Takasawa Candle

“Takasawa Candlre” was established in Nanao in 1892.In here, “Wa-Rousoku”(Japanese Candle) have been closely related with the lives of the people since long ago.
Whereas after spreading of the electric light, Wa-Rousoku companies went bankrupt in various places. Now only ”Takasawa Candle” makes Wa-Rousoku in Ishikawa prefecture.
Mr.Takasawa, the 5th generation, keep lighting the traditional fire by taking time and effort.

7月20日(土)「スキマな地域の情報発信講座」に編集長 大牧が登壇しました

7月20日(土)スキマ信州プロジェクト主催
スキマな地域の情報発講座
第1回「情報発信とは?基本と考え方を学ぶ」に
編集長 大牧がゲスト講師として登壇しました。

「地元の情報発信に力を入れたい」
「地域情報を発信する個人ブログなどを運営したい」
という方を対象に、
情報発信の基本と考え方のプレゼン、
より深いトークセッションによる「地域トーク」を行いました。

参加してくださった皆さま、
本当にありがとうございました!

スキマな地域の情報発信講座

スキマな地域の情報発信講座

スキマな地域の情報発信講座

スキマな地域の情報発信講座

【イベント概要】
スキマな地域の情報発信講座 第1回「情報発信とは?基本と考え方を学ぶ」
日時:7月20日(土)13:00~16:00
会場:オンライン配信(ENKAIより)
ゲスト:
堀口正裕(全国移住雑誌「TURNS」プロデューサー)
    大牧圭吾(安曇野市出身・ニッポン手仕事図鑑代表取締役)
主催:スキマ信州プロジェクト

ガラスペン職人|ガラス工房ほのお

ガラスペン職人

1902年に日本で発明された、ガラスペン。滑らかな書き心地やインク持ちの良さ、工芸品としての美しさは、海外でも人気を博している。京都府京都市に工房を構える、1920年生まれの菅清風さんは今なお現役で、ものづくりへの情熱を絶やさない。軸からペン先までを、書き心地と耐久性とを両立できる硬質ガラスでつくることにこだわり、長年にわたって磨き続けてきた技術は、孫である菅清流さんにも受け継がれている。ワークショップにも積極的に参加をし、世代を越えて、手仕事の未来を描いていく。

7月3日(水)秋田県立花輪高等学校にて社会人講話に登壇しました

7月3日(水)、秋田県立花輪高等学校にて
編集長 大牧が社会人講話で講師を務めました。

テーマは
『高校生の今だからできる、「小さな一歩」の踏み出し方』

編集長自身のこれまでの経験談を交えつつ、
「5つの大切なこと」をお話させていただきました。

メモを片手に、熱心に話に耳を傾ける生徒さんや、
編集長に自ら質問をぶつける「小さな一歩」を踏み出した生徒さんも。

参加してくださった花輪高校の皆さま、
本当にありがとうございました!

花輪高校社会人講話

花輪高校社会人講話

花輪高校社会人講話

花輪高校社会人講話

作り手と若者を好きで繋げる|松田沙希

日本の伝統工芸品と聞いて、皆さんは何を連想するでしょうか。
色鮮やかで美しい友禅染めのお着物、煌びやかな糸で丁寧に織られた西陣織の帯。
そういうものが思い浮かびます。

今回はそんな、日本の着物文化の本場京都で新風を吹かせる、松田沙希さんにお話を伺いました。

松田さんは、2018年6月に株式会社APPRE-ARTを設立し、伝統工芸の職人の方と、現代の若い女性が取り入れやすい商品の提案とデザインを行っています。
また、“ものづくり手と若者を好きで繋げる空間”をコンセプトとしたカフェSenbonLabの運営をしながら、ものづくりの現場に学生が触れ合い学びを得るプロジェクトの企画とプロデュースをしています。

松田さん:「もし日本の伝統工芸の文化が無くなったら、きっとみんな寂しい思いをすると思うんです。
私のこの活動の先に明るい未来があると確信しています。」
そう語る松田さん。

今回はそんな彼女の学生時代に遡り、今のお仕事にたどり着くまでの心境の変化と過程について教えていただきました。

―松田さんは学生時代に複数の留学経験があるとのことですが、きっかけはなんだったのですか?

松田さん:私は父の仕事の関係で幼いころに海外に住んでいました。
そのせいか、帰国後日本人のコミュニティになじむことが困難で、小学校中学校と、人間関係に大変悩んでいました。
そして高校に上がるときにアメリカに留学することを決意しました。
当時医療系の進路を目指していたため、グローバルに活躍できる英語力身につけるためでもありましたが、人間関係もアメリカに行けば何か変わるかもしれないと、期待を持っていました。
しかし、アメリカで私を待っていたのは、アジア人である私に対する偏見と差別でした。
それから日本人であることがコンプレックスとなった時期もありました。

―それは辛い経験ですね。
そこからなぜ、松田さんは日本の伝統工芸に興味を持ったのでしょうか。

松田さん:実はそこで、私は日本の文化に救われたんです。
現地の学生の中には、アニメや食文化などの日本の文化を好む人も多く、日本人だというと興味を持って話しかけてくれる子が沢山いました。
その経験から日本の文化の偉大さに気づきました。
日本人であることが嫌でアメリカに留学したはずが、逆に日本人であることの誇りを知って、日本に帰ったというわけです。

―ふむふむ
それで伝統工芸に携わりたいと思ったのですね。

松田さん:いえ。実は今のお仕事にたどり着くのは、それからもっと後の話なんです。

高校卒業後、松田さんは立命館大学に入学し、英語の強化プログラムを履修しました。
そこで出会ったカンボジアの先生の影響で途上国の開発経済と人の幸せの結びつきに興味を持ち、在学中にタイに留学しました。
現地で、開発が必ずしも直接的に人の幸せに関与するとは限らないと気付き、考えが大きく変わったそうです。

松田さん:タイから帰って、“私にできることは?”っていうことを何度も考えていました。
そして、世界とか大きいところでなく、自分の周りの人の日常の小さな幸せを作りたいという結論にいたりました。
この頃から起業は考えていましたが、何をしようか未定の状態でした。
“自分の好きなファッション+人に幸せを届けられるもの”というところで、ブライダルなんかも真剣に考えてましたね。
そんな中で、京都の伝統工芸とフランスのオートクチュールの刺繡のコラボ企画の番組をみて、これだと思いました。
それが今のお仕事にたどり着いた最終的なきっかけでした。

伝統工芸の業界では、圧倒的に消費者と生産者の仲介役が足りていません。
松田さんは、だからこそ自分が使い手と作り手の間に立って使い手にストーリーを伝えながら、使い手が求めるものを作り手と考えていきたいと言います。

伝統工芸品と聞くとどうしても高価で非日常的なものに感じる人も多いでしょう。
しかし松田さんがプロデュースした品物は工芸品の良さも残しつつ、普段身に着けても全く違和感がありません。

職人の思いと暖かみがこもった伝統工芸品を、いつものコーディネートにプラスしてまちを歩く。
それだけでなんだかわくわくしてきそうです。

松田さん:確かに今までも伝統地場産業を現代の生活に合わせようという商品開発はあったけど、少しなんだか野暮ったい、ダサいと言われてしまうことが多く、若い女の子が気軽に普段使いできるものってなかなか無かったんですよね。
素材やプロセスの工夫や、際に使用してもらいたい世代の子達にアイデアを出してもらうだけで、ファッショナブルで現代の若い世代にも受け入れられる新しいものが生み出せると思うんです。
ファッションのトレンドと若い女性の好みに合った西陣織の全く新しいブランドで、私だから生み出せる新しい風を吹かせていきたいです。

伝統工芸の明るい未来を描く松田さんの表情からは、これからの課題の解決に燃える闘志と矜持が感じられました。

職人として生きる|菅清流

なにかの職人になってみたい。
黙々と自分と作品とだけの時間を永遠と味わう人生を送りってみたい。
ひそかにそんな思いを持つ人も、少なくないのでは?

京都北白川にあるガラス工房「ほのお」
色とりどりのネオン菅が並ぶ工房で、一際輝くガラスペン。
ガラスペンに興味のある人の中で、菅清風ときいてピンとくるかたもいるのではないでしょうか。

今回私は、硬質ガラスペン職人の菅清流さんに、ガラスペンの魅力と、大学時代に職人としてガラスペンづくりに一生を捧げる決意をした経緯について、お話を伺いました。

一日に作ることができる本数は多くても4本と、一本一本に大変根気のいる作業を要するガラスペンづくり。
その魅力とは、一体?

菅さん:私が思うガラスペンづくりの魅力は、ガラスの性質の奥深さにあります。
ガラスが溶けるときの、あの特有の感覚に魅了されました。

また、時間をかけ、魂を込めればこめるほどお客さんの喜ぶ顔が浮かび、それが一番の励みになります。

こちらが、菅さんが作ったガラスペン。
実際に試し書きをさせていただきましたが、手作りのガラスペンでしかだせない書き味と、ガラスならではの見た目の美しさにうっとりします。

菅さんは、小学生の頃から祖父である菅清風さんの工房によく訪れ、ガラスやネオン菅に馴染みがありました。
小さい頃からものづくりが大好きだった菅さんは、夏休みの自由研究もよく工房で作っていたそうです。

ガラスの工房で働くことを本格的に考え出したのは、高校時代だったそう。
当時はガラスペンよりネオンサインに興味を持ち、ネオン菅の勉強をしていたそうです。

その後は、ガラスペンの宣伝のため、情報デザインの大学へ入学しました。
菅さんは大学に通いながら工房でネオン菅の勉強は継続していましたが、より繊細なで美しいガラスペンへの興味が増していました。

菅さん:その時初めてガラスペンを作ってみると、ものすごく面白かったです。
そこからガラスペンの魅力にはまってしまいました。
両親からの反対もありましたが大学を辞めて、そこからはガラスペン一本で今に至ります。

その選択に、不安はなかったのですか?

菅さん:もちろん、不安だらけでした。
でも、一度きりの人生ですから。
私は、会社勤めの仕事をして人から感謝されることより、いいものを作ってお客さんに直接喜んでもらえることに魅力を感じました。
必ずしも、安定=正解とは限らないですからね。

安定や無難さより、自らの素直なトキメキに一生をかける決意をした菅さん。
そんな菅さんの、今後の目標とは?

菅さん:師匠から受け継いだものだから、ガラスペンをより進化させて残す立場としての責任は感じています。
発信の方法や売り方を今の時代に合わせながら、受け継いだ質は落とせません。
歴史ある伝統工芸として何代も何代も継承して、進化させ続けていきたいです。
100、200年後に素晴らしいガラスペンが或るために。

確かに、職人になるという決断はメジャーではないし不安も伴うでしょう。
それでも、好きなことに没頭し、素晴らしい継承品のバトンの渡し手にもし自分がなれたとしたら、とても素敵なことではないでしょうか。

大学を卒業したら、就活してどこかの企業で働こう。
これももちろん一つの決断ですが、実は気づかないところにも、将来自分が輝ける最高の選択肢が転がっているかもしれません。

良い!と思ったことは自信を持って発信してみる|庄司賢吾・庄司真帆

アイキャッチ逗子記事

こんにちは。カッシーです。

皆さんは何曜日が好きですか?
私は金曜日と土曜日が好きです!
次の日がお休みという心の解放感がたまりません。

今回私は土曜日だけの珈琲店、「アンドサタデー/珈琲と編集と」を開くご夫婦に会いに逗子に行ってきました。

土曜日だけの珈琲店のれん

この日はちょうど逗子海岸映画祭の時期。
今年で10周年を迎え、期間中の来場者は1万人を超えるという大変盛り上がるイベントです。

残念ながら取材日は雨が降ってしまいました…。
行きたかった!

時間まで逗子の町を散策。
近所のおばあちゃんと「今日は冷えるわねぇ。」なんておしゃべりをしながらゆっくりと時間の流れる逗子の朝を感じていました。

逗子の海

朝の海もなかなか良いものです。

さて、そんな逗子でアンドサタデーを営むご夫婦。
庄司賢吾さんと庄司真帆さん。
コーヒーをいただきながらゆったりとお話しを伺いました。

アンドサタデーマグ

コップのデザインがとても素敵!

大切にしていた時間を共有する空間、アンドサタデー

庄司さんたちとお話し

東京で働き、都心に住んでいた庄司さんご夫婦。
もともとお店を持ちたいという気持ちがあり、東京よりも自由な暮らしができるのでは、と島に住みたかったのだとか。
今でも島が好きで旅行にもよく行くそう。

真帆さん
「東京で働いてた頃は、家と職場の往復の毎日でした。
島にも行きたかったけど、仕事などの関係ですぐに島に行くことはできなかったんです。」

逗子に引っ越したのは転職がきっかけ。
やりたいことを見つけ、転職をすると同時に暮らしも見つめなおした。

“仕事が終わったら早く家に帰りたいなって思える場所、それが逗子”

逗子は東京まで1時間。
東京で働きながら多くの人が暮らしている町。
東京の仕事を諦めなくて良い。
海辺の町も好きだと話す。

島暮らしではないけれど、今の庄司さんご夫婦の暮らし方にぴったりの街だったのだろうなと感じた。

暮らしを見つめなおした庄司さんご夫婦は、逗子に引っ越しても変えたくない大切な時間があった。

それは、週末にふたりでゆっくりとコーヒーを飲んだりリラックスして過ごす時間。

逗子に引っ越した当初、週末にコーヒーを飲んで過ごせる場所は駅前のスターバックスぐらいしかなかったという。

だったら自分たちでつくろう!と作ったのがアンドサタデーである。

カフェが好き。というよりは、ゆっくりと過ごすような時間や空間を大事にしているそう。

真帆さん
「○○屋さんっていうよりは、みんなと空間を共有するみたいなことをやってきたかな。」

働く場所、住む場所だけでなく、大切にしている時間はなんなのか、暮らしの中でほしい空間を自分たちでつくってしまったのだ。

自分たちの暮らしを自分たちの手で作っていく。
当たり前のようで実はみんなできていないのかもしれない。

アンドサタデーは庄司さんご夫婦の大事な暮らしの時間を共有させてもらっている素敵な空間に感じた。

理想の週末ってなんだろう?

アンドサタデー看板

アンドサタデーという名前には、土曜日という限定感と、土曜日と、私たちと、みんなと、コーヒーと、という”共に”という想いがこめられているのだとか。

まさに素敵な週末を誰かと共有しているようなイメージが伝わってくる。

真帆さん
「背伸びしてくるとか、おしゃれしてくるところじゃなくて、日常の中で土曜日をゆったりと過ごしてもらえる空間にしてる。」

と真帆さんの話すように、店員さんとお客さんという関係よりももっとラフな近い関係でお話しできる雰囲気。

真帆さん
「2人でやってたコーヒータイムをみんなで共有している感じです。
最近は良く来るお客さんに部室みたいって言われたんだ(笑)」

たしかに取材中も道行く人が声をかけたり、お客さんもお客さんというよりはお友達が遊びに来たよう。明るく賑やかな空気が広がる。

アンドサタデーとお客さん

くつろぐお客さん

顔見知りでなくても、アンドサタデーにいるとまるで知り合いだったかのように、お客さん同士の距離も近くなる。

庄司さんご夫婦は、アンドサタデーという場を開いたことで沢山の繋がりができたことが幸せだという。

逗子に来たときは知り合いが居なかった庄司さんご夫婦。
お店というスタイルでやっていると、アンドサタデーの庄司さんね、と呼んでもらい逗子の町に溶け込みやすくなったのだとか。

場にこだわらない、新しい活動の挑戦

毎日に土曜日をデザイン

アンドサタデーは、今年クラウドファンディングに成功。
“ Everyday like Saturday ”「毎日に、土曜日を。」という想いで、新しい挑戦を始めている。

場というものにこだわらず、コーヒーと編集というユニットとして。
土曜日を概念として広げて、私たちの想いをアウトプットしていく。
活動の幅を広げていくのだとか。

アンドサタデーは「深夜食堂」、「親子茶論」、「日曜商店」、「土曜日だけの珈琲店」と土曜日にこだわらない形でも展開を考えているそう。

真帆さん
「町の人が東京に行かなくても楽しめたり、そういう暮らしを楽しめたら良いなって。」

と話す真帆さん。
アンドサタデーはあったら良いなという空間にどんどん形が変わっていく。

賢吾さん
「場を持つって一見非効率な今の時代。
でもそこが面白い。
オンライン上では出会えない人と出会えて、強い繋がりで出会えて、次の仕事に繋がったりとか。
この場所があって良かったと思う。」

賢吾さんが話すように、強い繋がりというのは大事だと思う。
1つの形にこだわらなくても、アンドサタデーという庄司さんたちの持っている軸があれば形が変わっても大事なことは伝わる。とてもわくわくする面白い活動だと感じた。

誰にも言えてない考えはないだろうか、ぼやいてみることの大切さとは?

庄司さんご夫婦

真帆さんは東京での仕事やスキルをどうやってアンドサタデーに還元するか、さらには、仕事以外で関心のあることをどうアンドサタデーに結びつけるかを考えて活動しているのだとか。

賢吾さんは、暮らしの中で無理をしないこと。
自分たちらしく自然体でいることを大切にしていると話す。

仕事で得ることのできるスキル、仕事ではできないけれど関心のあること。
庄司さんご夫婦は良いバランスで活動をしているんだということが良く分かる。

バランスと言うと、賢吾さんと真帆さんのご夫婦のバランスもとても気になるので、お互いについてインタビューをしてみた。

賢吾さんから見て真帆さんはどんな方ですか?

賢吾さん
「誰からも愛される。場づくりだとかは天職だと思います。」

とても納得。
真帆さんはきらきらとした笑顔が印象的。
一緒にいるだけで明るくなれる。
まさに愛される方だと思った。

真帆さんから見て賢吾さんはどんな方ですか?

真帆さん
「優しくて雰囲気が柔らかい。
だけどすごく頭の中で考えることが得意。
ちゃんと頭でプランニングしていて、それは私にない部分だから賢吾君がいなかったら今のアンドサタデーにはなってなかった。」

インタビューするとお二人からとても素敵な回答をもらうことができた。
ご夫婦はどちらが欠けても今のお店は出来ないと笑う。

イラストは真帆さんが書いて、写真やデザインなどは賢吾さんが行う等、それぞれが得意なことを活かしている。

今でこそ自分たちの活動を多くの人に発信し、活発に活動をされているが、真帆さんは昔、周りからどう見られるかが怖くて、自分の中で固まってない考えは人に言えないタイプだったという。

例えば、アンドサタデーでは賢吾さんの考えで、イベントのビジュアルを雑誌のようにデザインしている。

真帆さんにとっては斬新なアイデアで躊躇したのだとか。

イベントデザイン

しかし実際に作って発信すると多くの人からの好評の声。

真帆さん
「賢吾君と活動する中で、自分たちで胸張って自信もって発信していくことの大切さに気づくことができた。
大事なパートナーです。」

と、きらきらの笑顔で真帆さんは話してくれた。

自分が良いと思ったことは誰かに話してみたり発信して、反応をもらっていくことが大事。

やってみないと分からないっていう精神がここにはある。ぼやいとくのは大事かも。
と話してくれた。

真帆さんと賢吾さんはこれからもアンドサタデーで想いを形にしていくのだろう。

庄司さんたちとカッシー

最後に庄司さんご夫婦の思う理想の週末を改めて聞いてみた。

「1週間で一番リラックスできる日。
だけど明日はどこに行こうかワクワクして、活動的にポジティブに思えるのが土曜日かなって…。
そんな気持ちで過ごせる土曜日が理想的で良い。」

とても共感できた。
何かに焦るわけでもなく、明日も休みだとリラックスできる時間。
思い思いの週末をアンドサタデーでラフな会話とコーヒー片手に楽しむお客さんたち。
アンドサタデーはまさに理想の休日を過ごすことのできる空間である。

考えているだけでは何も始まらない。
どうやってアウトプットしていくのか。
自分一人で難しいのならば、誰かにそっと話してみる。

もしかしたら、予想を超える素敵な形となって多くの人に想いを伝えていけるかもしれない。

選択の方法は人それぞれ。
自分なりの形に自信を持って発信していくと、共感しくれる誰かが現れるかもしれない。

そんな大切なことをアンドサタデーで教えてもらいました。

“あなたの理想の週末はどんな週末ですか?”

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▼リンク▼

【アンドサタデー/珈琲と編集と】

太鼓職人|東太鼓工房

太鼓職人

千葉県香取市の伝統的工芸品、佐原太鼓。明治元年創業の「東太鼓工房」を引き継ぎ、営むのは、四代目の新治さんと五代目の龍彦さん。胴づくりや皮の加工、張り上げといったすべての工程を手作業で行うため、音の高低などの細かな要望にも対応できるのが特徴だ。見よう見まねだけでなく、創意工夫しながら伝承されてきた職人の技。その技術は重厚な音となって、地元の「佐原の大祭」をはじめ、数々の場面で響いている。

傘職人|槙田商店

傘職人|槙田商店

江戸時代末期の慶応2年(1866年)に創業し、150年以上の歴史を持つ槙田商店。山梨県発祥の伝統的織物「甲斐絹(かいき)」の生産にはじまり、その経験を活かして、傘づくりを手がけるようになった。素材の選定から行うデザイン。富士山の雪解け水で色鮮やかに染まった、12,000本の縦糸と横糸によるジャガード織。1mmにこだわった正確な裁断や縫製、組み立て。一連の工程を手がける職人たちの技術や、蓄積された膨大なアーカイブが、品質と美しさとを裏打ちしている。

大学時代、旅のなかでみつけた出会い | 宮田サラ

高円寺アパートメント1階、まめくらし研究所

おしゃれなハンドメイド雑貨などが並ぶお店「まめくらし研究所」の窓から顔を出し、子どもたちと穏やかな笑顔でふれあっているこの方こそ、今回インタビューさせていただいた宮田サラさん。

宮田さんは、まめくらし研究所の店主であり、まめくらし研究所がある賃貸住宅「高円寺アパートメント」を、住み込みで運営するコミュニティーマネージャー(通称 女将)でもあります。

高円寺アパートメントは、1階に飲食店が2戸、店舗兼住宅が4戸、住居が44戸ある団地のような賃貸住宅です。
高円寺アパートメント自体は、株式会社ジェイアール東日本都市開発がオーナーで、宮田さんが務める株式会社まめくらしが委託を受けて、住人同士や地域の方々との関係性を育む場づくりをしているそう。

宮田さん:人生で一番過ごす時間が長いのはきっと自分の家だと思うの。
その家に対する諦めというか、ただ職場から近いとかの理由じゃなくて、もっと住人同士の人間関係だったり、その住宅自体に魅力を感じられる暮らしを提供したいと思って活動しています。
高円寺アパートメントの運営以外にも、「大家の学校」という場づくりを学ぶビジネススクールを企画運営しています。

宮田さんは大家の学校で、大家さんの意識や行動を変え、関係性を育む暮らしができる住宅をつくる人を増やそうと活用しています。

高円寺アパートメントは、一階が店舗、二階が住居の構成で、宮田さんは一階の店舗で週に三日程度、ハンドメイドの雑貨屋を開きながら住み込みでアパートメントの運営を行っています。

宮田さん:今の仕事は、自分が本当にやりたいことというか、自分の問題意識、思いにあった仕事かな。
だから仕事を自分ごとにできるし、すごくやりがいも感じている。

そういきいきと話す宮田さん。

普段の宮田さんのお仕事の様子を拝見させていただきましたが、住人の方々と話し込んだり、施設内の芝生で遊ぶ子どもたちやそれを見守るママさんたちと談笑するサラさんは、なんだかとても輝いてみえました。

もし私もこんな風に、自分の仕事と暮らしを心から楽しんで暮らせたら、どんなに幸せなんだろう。

それって、本当に素敵なことだと思いませんか?

今回はそんな宮田さんが、自分が輝けるお仕事に出会った大学生のころに遡って、今の暮らしの秘訣を教えていただきました。

大学時代、全国を旅してみつけた出会い

宮田さんが大学一年のときは今している仕事に全く興味もなく、大学の講義とサークルとバイトが生活のすべてだったといいます。

しかし、二年時に参加したゼミをきっかけに、その生活は大きく変わったそう。

そのゼミは、何かプロジェクトをするのではなく、大学の外に出てさまざまな活動に参加し、さまざまな人に会うことに重きを置いた内容でした。
そこで出会った学外の大人たちの影響で行動範囲や考え方の幅が広がったのだとか。

最初は都内で活動していた宮田さんですが、次第に全国に足を延ばすようになり、2年生の時にはバスで東北各地にボランティアに行くプロジェクトにも参加したそうです。

宮田さん:東北で出会った人たちにすごく衝撃を受けたのを覚えているな。
全然地域おこしの専門じゃない人、例えば普通にその辺の畑で働いてるおじいさんおばあさんが町のことをすごく真剣に考えていたんです。

原因はどうであれ、自分のまちのことをこんなに真剣に思えるって、すごいことだなって。

考えてみたら、私自分の地元の岡山のこと全然知らなくて。
だから、もっと岡山のことを知ろう!と思って、三年生のはじめに岡山でひとり旅をしてみたんだ。

そしたら、住んでたときには知らなかった、面白い場所、町づくりしているところ、地域を盛り上げようと頑張っている人、知らなかった魅力的で面白いものやひとに出会ったの。

でもそれって、岡山に限ったことじゃないと思って、いろんな地域の面白い人に会いに行く旅を始めたんだ。

その中で出会ったひとりが、豊島区で活動していた今のボスの青木純です。
ボスは賃貸住宅の大家さんで、単なる部屋を貸すだけの大家さんじゃなくて、住人同士の関係性づくりを丁寧にして、住人やまちの人たちの暮らしを育てていました。

サラさんはそれまで、東京では地方のような人との関係性にあふれた理想の暮らしはできないと思い込んでいました。
しかし、青木さんと出会い、東京でも理想の暮らしができるだと実感したと言います。
そして当時4年生だった宮田さんは、青木さんの育てる暮らしの場に共感し、青木さんに誘われたこともあり、一緒に働くことになりました。

旅の末にみつけたもの、秘訣は直感と好奇心

― 宮田さんが今の仕事をみつけることができた、一番の秘訣とは?

「私の場合、大学1年生は大学・サークル・バイト以外の活動の選択肢がなくて、ゼミに入ってからも2年生のときは何かの活動に参加するだけで受動的だったけど、徐々にフットワークを軽くして、興味あるものに手を伸ばすようになって、だんだん行動範囲が全国になっていました。
そして、枠にとらわれない働き方をしている人とたくさん出会ったお陰で、そんな働き方が私にとってはマジョリティになっていました。
だから、いわゆる就活はしないと決めて、自分ならではのやり方で卒業後の道をみつけられたんだと思います。

最初から全国に旅するとかは難しいけど、自分で徐々に外に出ていけるようになれば、今は手が出しづらいものも、そんなに大きな一歩には感じなくなる。

大学生って色々考える時期だけど、やりたいことを無理に探す必要はないと思うし、無理にひねくりだしたやりたいことは途中で挫折すると思っています。

悩みながらでもいいから、ちょっとでも会ってみたいとか、興味あるなと思った人がいたらその直感と好奇心を大切にして会いに行ってみるとか。
会ってみたい人に会えるのって、学生の特権だと思います。
私もその特権、すごく使ったし。(笑)

そうやっていろんなものに触れて、出会って、選択肢を増やす時期が大学生なんじゃないかなと思います。」

誰もが、自分を見つめなおして生き方を悩むであろう大学時代。
きっとその短い時間の中で、足踏みをしている暇なんて無いのでしょう。

これからの人生が輝くチャンスは、これから踏みだす一歩の先にあるのかもしれません。

5月20日(月)Hills Breakfast Vol.94 にゲストスピーカーとして登壇しました

5月20日(月)、
ヒルズカフェ/スペースにて
Hills Breakfast主催「Hills Breakfast Vol.94 by PechaKucha」に
編集長 大牧がゲストスピーカーとして登壇しました。

Hills Breakfast Vol.94

テーマは「伝えるとはどういうこと?」

自らが選んだモノ・コトを、
志高く追求するスピーカーの方たちが登場するなか、
製硯師 青栁 貴史さんとともにお話をさせていただきました。

朝早くの時間から会場にお越しいただいた皆さま、
本当にありがとうございました!

Hills Breakfast

Hills Breakfast2

Hills Breakfast

<イベント概要>
【日時】2019年5月20日(月) 7:30開場 8:00-9:00
【場所】ヒルズカフェ/スペース

vent organized by 森ビル(株)+六本木ヒルズオフィスワーカー
Breakfast supported by だし茶漬け えん

【MC】Kumika Minagawa
【Speaker】鈴木 香里武、田中 美咲、秋吉 浩気、青栁 貴史/大牧 圭吾、
福澤貴之+諸星智也+油井俊哉

【ホームページ】http://hillsbreakfast.roppongihills.com/event/volume_94
【Facebook】https://www.facebook.com/events/428368794593614/
【twitter】https://twitter.com/hillsbreakfast

ヴァイオリン職人|平原ヴァイオリン工房

ヴァイオリン職人|平原ヴァイオリン工房

平原勝己さんがヴァイオリン職人の道を志したのは、大学を卒業し、社会人になってからのこと。イタリアでの修行の後、帰国し、茨城県に工房を開設した。時間が経つほど熟成され、丁寧にメンテナンスをすれば、何百年も奏で続けることができるヴァイオリン。古い楽器を修理・調整をする時には、かつてそれを手がけた職人の技量がよく分かるという。きちんとした仕事を未来に残したいと、緑に囲まれた工房で、繊細な音色を響かせる。

「子どものためのニッポン手仕事図鑑」ワークイベントを開催しました!

2019年5月6日(月)幕張 蔦屋書店にて、
書籍「子どものためのニッポン手仕事図鑑」特別イベントを開催いたしました。

製硯師 青栁 貴史さんを講師に迎え、
親子で参加できるワークイベントと、
青栁さん・ニッポン手仕事図鑑編集長 大牧 圭吾の両名による
トークイベントを行いました。

参加型ワークイベントでは、
参加した子どもたちが製硯師 青栁さんの弟子になり、
実際に本物の硯を研ぎ石で研ぐ工程を体験。

トークセッションの質疑応答タイムでは、
普段はなかなか聞くことのできない、
手仕事や職人さんについての質問やお話が多く飛び交い、
観覧者のみなさまも、
うんうんと大きくうなずきながらその様子を楽しんでいらっしゃいました。

イベントにお越しのみなさま、
幕張 蔦屋書店のみなさま、
オークラ出版のみなさま、
誠にありがとうございました!

書籍「子どものためのニッポン手仕事図鑑」特別イベントを開催1

書籍「子どものためのニッポン手仕事図鑑」特別イベントを開催2

書籍「子どものためのニッポン手仕事図鑑」特別イベントを開催3

書籍「子どものためのニッポン手仕事図鑑」特別イベントを開催4

「ニッポンものづくりフィルムアワード」作品の応募受付を開始いたしました

ニッポン手仕事図鑑初の映像コンペティション、
『ニッポンものづくりフィルムアワード』にて、
作品の応募受付を開始いたしました。

日本全国にいる、
高い技術と情熱を持った才能ある映像クリエイターたちが、
世に出るきっかけを作りたい。

一次審査を通過した作品はすべて、
「ニッポン手仕事図鑑」にて公開いたします。

グランプリ受賞作品は
『TOKYO MX (地上波)』で放映!
さらに、受賞者には“サプライズ特典”も!

作品募集期間は、
2019年4月26日(金)~ 8月31日(土)
※応募締切8月31日(土) 23:59まで。

みなさまのご応募をお待ちしております!

アワードの詳細・作品の応募については以下をご覧ください。
https://nippon-teshigoto.jp/award2019

ニッポンものづくりフィルムアワード

ニッポンものづくりフィルムアワード 作品の応募受付を開始いたしました

ニッポンものづくりフィルムアワード 2019年4月26日(金)より作品の応募受付を開始いたしました!

日本の「ものづくり」「手仕事」にフォーカスした、ドキュメンタリー映像作品を広く募集いたします!
年齢、個人・グループ、プロ・アマチュア、国籍は問いません、応募数の制限なし。

作品募集期間は、
2019年4月26日(金)~ 8月31日(土)
※応募締切8月31日(土) 23:59まで。

みなさまのご応募をお待ちしております!

詳しい応募要項は >こちら

TURNS×ニッポン手仕事図鑑meetingを開催しました!

2019年4月24日、TURNS × ニッポン手仕事図鑑 meeting
『ここからはじめる! 顔出しで伝える勇気のつくり方』を開催いたしました。

「自分の言葉を伝える勇気」をテーマに、
人と地域を結び、移住を応援する雑誌「TURNS」プロデューサーの堀口 正裕氏と
ニッポン手仕事図鑑編集長 大牧がトークイベントを開催いたしました。

二人のトークセッションのみではなく、
イベント参加者が匿名でなげかけた質問を
リアルタイムでスクリーンに映し出し、2人に回答をしてもらうコーナーも。
「地方を仕事をする上で、何が一番大切ですか?」
「会社に所属した上で個人が発信することと、個人だけが発信することの違いはありますか?」など、
参加者の方々から、次々と質問や意見があがりました。

トークセッション後は、参加者1人ひとりのプロフィール写真撮影を
ヘアメイクデザイナーの八木香保里さんがヘアセットをした上で、
ニッポン手仕事図鑑のフォトグラファー 小黒が撮影をしました。

参加者からは、早速、プロフィール写真を変えられた方や
「これからの情報発信の参考になりました!」という声もいただけました。

こちらのイベントは第二弾も開催予定!
これからの展開に乞うご期待ください。

TURNSの皆さま、参加者の皆さま、
本当にありがとうございました!

イベントTURNS×ニッポン手仕事図鑑meetingを開催しました!1

イベントTURNS×ニッポン手仕事図鑑meetingを開催しました!2

イベントTURNS×ニッポン手仕事図鑑meetingを開催しました!3

イベントTURNS×ニッポン手仕事図鑑meetingを開催しました!4

「ふたりごと図書室 Vol.1」を開催しました!

4月21日(日)、ふたりごと文庫が開催するトークイベント『ふたりごと図書室』を開催いたしました。

“ふたりごと図書室”は
「ふたりごと文庫」が運営するイベントで、
ゲストの方をお呼びし、直接その方の想いや活動のきっかけを

参加者みんなでシェアするトークイベントです。

第一回目は70seeds store(マチナカ製図室)をお借りしての開催。
今回のゲストは、パラレルキャリアで活躍し、多拠点生活を送る守屋真一さん。
ふたりごと文庫としては、初めてのイベントとなりましたが多くの方に集まっていただきました。

ふたりごと図書室という名に合った、学校でみんなでワイワイ喋っているような雰囲気。
アットホームであり、とても刺激的なお話ができる、楽しくて充実した時間になりました。
第2回目の開催もたくさんの方々に参加していただけることを、楽しみにしています!!

イベントふたりごと図書室1

イベントふたりごと図書室2

イベントふたりごと図書室3

イベントふたりごと図書室4

まずはやってみること。やりながら見えてくるものがきっとある。|岩本秀央

岩本秀央さん

こんにちは
かっしーです!

みなさん、ゲストハウスってご存知ですか?
泊ったことはありますか?

ゲストハウスはドミトリーという1つの部屋を複数の人たちで泊る部屋があったり、宿泊者同士やスタッフの方たちとの交流が生まれやすいのが特徴。

比較的安価な為、外国人観光客の方も多く利用し、多国籍交流ができたりもします。
ホテルとはまた違った良さがあるのがゲストハウスです。

今回私は、毎日イベントを開催しているという楽しそうな「ゲストハウスFete」!
の運営を行う岩本秀央さんにお話しを聞きに、両国へ行ってきました!

ゲストハウスFete

岩本秀央さん、以下ヒデさんと呼ばせていただきます!

両国に到着!

両国といったら…

お相撲さんポーズのかっしー

これでしょう…!
(何をやっているんだ私は)

なんて両国の街をのんびりと歩いていると、

みつけた!ゲストハウスFete!

Feteの外観

外観がとてもかわいい!

Feteのとびら前

では、おじゃましまーす!

ちょうどヒデさんはスタッフさんの賄いを作り中。
Feteの中は暖かい日が差し込んでいて、スタッフさんもとても穏やかに過ごしています。

ヒデさんは初対面の私に、こんにちは~よろしくね~っとまるで知り合いのように迎え入れてくれて、すぐに自宅のリビングのような空気感に包まれました。

そんなFeteでゆるりとお話し。

ゲストハウスに出会うのはしばらく後、何よりもサッカーが好きな少年だった

ヒデさんインタビュー様子

4歳ごろから高校生までずっとサッカーをしていて、大学もサッカーで入れるだろうと勉強もしてこなかったというヒデさん。

しかし、膝の怪我が原因でサッカーができなくなってしまう。
進学は動物の専門学校のAOを受けて入ることに。

でも、なんで動物の専門学校を選んだのだろう。

ヒデさん
「毎日サッカーの帰りに野良猫と遊んでたから、猫興味あるから動物好きかもしれないなって思って動物の専門学校受けたんだ。」

野良猫と遊んでいたのが進学に結びつくとは…

ヒデさんは動物理学療法学科という当時比較的新しかった学科に入り、2年の時はイルカのトレーナー、3年の時は動物園の飼育員をしていた。

医療、トレーナー、飼育と幅広い。
その中から就職したい場所は見つからなかったのだろうか。

ヒデさん
「専門学校3年になったら膝の怪我治ってて、あれ?これサッカーできるなって。
就職先決める2週間のインターンシップは動物の先進国ドイツ行ってきますって言ってサッカーしてた(笑)」

やっぱりサッカーがやりたい!と思ったヒデさん。
卒業後、半年でコンディションを整えてドイツに向かう。
ヒデさん、この時22歳。

周りの人とか驚いてなかったですか?

ヒデさん
「驚いてた驚いてた。
みんな意味わかんないって。」

そうですよね、全然動物関係ないですもんね。
国際交流とかの興味はなかったんですか。

ヒデさん
「うん。英語も全くしゃべれなかったし。
でもドイツ行ったからには日本と違うことをしたいとは思ってたよ。
ドイツのチームは日本人が多すぎて日本と変わらなかった。
だから日本人いなさそうなところ行こうと今度はクロアチアに行ったんだ。」

クロアチア?!
確かに日本人少なそう。
それにしても、ヒデさんの決断力が凄まじい。

リスクを負いすぎずに楽しいことをやる。やってみて見えたものとは?

クロアチアの世界遺産

やりたいことをすぐに見つけられない人もいると思いますが、ヒデさんはすぐにやりたいことがピンとくるんですか?

ヒデさん
「ピントはこない。
興味があったり、楽しそう!
って思えることをまずやってみる。
やりながら現実が見えてきたり、もっとやりたい突き詰めたいと思えることが見えてくる。」

なるほど。
ピンとこなくても、まずやってみることが大事なのか。

ただ、私にはまだその勇気はなくて、ながながと悩んでいるうちに古い気持ちになってしまう。

ヒデさんは長い時間悩んだり迷ったりしないのだろうか。

ヒデさん
「長い時間迷うことはないかな。
人の相談聞くの苦手で、自分が迷わないから(笑)
リスクを負い過ぎずに楽しいことをやる。」

人の相談を聞くのが苦手と話すが、必ずしも言葉で投げかける必要はないのかもしれない。
ヒデさんのすぐに行動を起こす姿や活動を見て、自分もできるかもしれない、頑張ろうと思える人は絶対にいるはずだと感じた。

そんなヒデさんがゲストハウスに出会ったのはクロアチアでのこと。

ヒデさん
「クロアチアについた時飛行機の中で財布すられてお金全然ないし、言葉も分からなくて安い宿探したら、日本人夫婦が経営しているゲストハウスが見つかったから、助けてもらおうと思って行ったのが初めてゲストハウスに入ったきっかけ。」

ゲストハウスに出会ったきっかけはとんだハプニングである。

ヒデさん
「実は日本人夫婦ハネムーンに行っちゃって、クロアチア人のバイトの人1人しかいなかったんだよね。
でもその人がすごく良い人でいろいろ調べてくれたり、宿泊客の人も世界遺産とか連れて行ってくれて優しかった。」

世界遺産に行く途中のバスで携帯を忘れるハプニングもあったらしい。

携帯を落とした時も帰りにバスの停留所によると、行きで隣に座っていたクロアチアの人がヒデさんの携帯を持ってずっと待っていてくれたのだとか。

クロアチア世界遺産とヒデさん 世界遺産プリトヴィッツェ国立公園にて

ヒデさん
「ゲストハウスの人だけじゃなくてクロアチアの国民性の良さもすごく感じることができた。」

そこではまだゲストハウスをやりたいとは思わなかったんですか?

ヒデさん
「まだサッカーがやりたかったからね。
その後、宿泊していたオーストリア人の子からオーストリアのサッカー面白いよって言われてオーストリアに行ったんだ。」

今度はオーストリア?!
オーストリアに行くためにオーストリアのサッカー協会の人にメールを送って、広場でリフティングのパフォーマンスをしてお金を貯めたのだとか。

決断力はもちろん、それをするために今何をすれば良いのか自分で考えてすぐに行動できるのがすごいのかもしれない。

オーストリアのサッカーはどうでしたか?

ヒデさん
「オーストリアで元代表クラスの人とサッカーをして圧倒的なレベルの差を感じた。
この歳からなら結構厳しいって感じて日本に帰った。
切るときはすぐ切っちゃうから。」

ヒデさんは実際にやってみないと出会うことのなかった現実にであったのだ。
やる前に諦めるのでなく、実際にやってみたからこそ、すぐに切り替えることができたのかもしれない。

助けてくれたのは自分でつくってきた人脈だった。

朝日とヒデさん

日本に帰ってきたヒデさんは、さてこれから何をやろうという状態。
この時ヒデさんまだ23歳。その状態でヒデさんは何を考えたのか。

ヒデさん
「自分がやったことないし、やるわけがないと思っていることに挑戦しようと思った。」

確かに何かやりたいことがない時にしかできないことってあるのかもしれない。
この後ヒデさんは俳優事務所に履歴書を送って3か月ぐらい俳優業をしてみたり、何をしようか考えながらバイトをしていたのだとか。

ヒデさん
「なにしようか考えてたらクロアチアのゲストハウス思い出して、あれ面白かったからゲストハウスに就職しようと思った。」

ここでようやくゲストハウスにたどり着いたのだ。
ヒデさんはゲストハウスに就職すべく多くのゲストハウスを調べたり、直接行ってみたり。

ヒデさん
「クロアチアのゲストハウスは誰がスタッフか分からない。
それでいて成り立っていた。
日本にはそんなところはなくて窮屈に感じたから、じゃあ自分でゲストハウスを作ろうって思ったんだ。」

それからヒデさんはいろいろなゲストハウスのラウンジでイベントを主催し、ゲストハウスを運営する上での情報を集める活動を行ったのだそう。

するとあるゲストハウスのオーナーの方から経営が危ないから新しくこの場所でゲストハウスを運営してくれる人を探していると声がかかる。
一度は断るものの一般公募に出た時、ついにやってみることに。

プレゼンを行うと見事ヒデさんに経営譲渡してもらえることに決定!

どんなプレゼンをしたんですか?

ヒデさん
「その時PC持ってなかったからスケッチブックにボールペンでその宿がなぜだめだったのか、良い点も悪い点もその宿に対するレビューを読んで一個一個矢印で改善案とかを羅列して終了(笑)」

イメージを書いて、数字的なことは書かなかったヒデさん。
レビューという実際の声に真摯に向き合って考えるのは、説得力が強かったのかもしれない。
それにしてもスケッチブックとは驚き!

ヒデさん
「ゲストハウスやるって決まって2か月後がオープンだった(笑)
でもオープン準備を手伝うって来てくれた人がいっぱいいたんだ。
自分が主催したイベントに来てくれた人とか、オーナーさんとかも手伝ってくれたんだよね。」

Feteペンキ塗り

ヒデさんはゲストハウスを自分でやると決めてから数々の旅イベントなどに参加し、知り合いを増やしていたのだそう。

ヒデさんいわく、ゲストハウスをやる!と色々な人に宣言してから早い段階での実現だったため、集まりが良かったのだとか。
まさに、ヒデさんを助けたのはヒデさんが今まで活動した中での人脈なのだ。

Feteを始めたヒデさん、24歳である。

大事にしていることは人との出会い。ゲストハウスと決め切らず、空間として捉える、とは?

Feteでのゲスト同時の様子

ゲストハウスを実際にやってみて、改めてヒデさんの思うゲストハウスの良さとは何でしょう?

ヒデさん
「普通に暮らしてたら絶対に会わない人と会える場所。
その時いる人の組み合わせによって毎回何が起きるか分からないのがゲストハウスの良さかな。」

ヒデさんは人と人との出会いを大事にしていた。
ヒデさんのゲストハウスで恋が生まれることもよくあるのだとか。

ヒデさん
「イベントは毎日やってる。
あんまりイベントの内容とかは決めてなくて、何が起こるか分からないからそんな決めなくて良いんだよね。
人と人が繋がるきっかけを作れれば良いから。」

今後はどんなことに挑戦するんですか?

ヒデさん
「地域の人、外の人を中に入れたい。
スタッフとゲストの中の関係は自信を持ってここだけの空間になってるって言えるんだけど、やっぱり地域の人があってのゲストハウスだから。」

ヒデさんは八百屋さんスペースをゲストハウスに付けるというクラウドファンディングを達成し、Feteの前でマルシェなどもすでに始めている。

というのも、地元のスーパーで多くの人に今困っていることを聞いてまわったところ、美味しい野菜を食べたいけど手に入るところがないという声が多かったからだという。

ヒデさん
「ここを会場として週1とかで市場をやってもらえればなって考えてる。
農家さんにも来てもらって、Feteのキッチンで農家さんが調理したものを、買いに来たお客さんが試食しながら、直接農家さんから調理法を教えてもらったりできれば良いなぁ。」

Feteでのマルシェ様子

ヒデさん、ゲストハウスを超えましたね。

ヒデさん
「ゲストハウスって呼ばれなくても良いって思ってる。
そういう空間として捉えてるからね。
スタッフも住んでるし、お家としても捉えてるから。
外の人とか来ても気遣いとかないんだけど、それが良いって言ってくれる人は来てくれる。
あんまり気にせずにいられる場所であってほしいからね。」

Feteにいると聞こえてくる、おかえり~、ただいま~の声。
お家のようなFeteの空間は年齢、国籍も関係なくみんなを繋げてくれます。

ヒデさんとお話して考えたこと。
それは、今まで私が無理だと決めつけて諦めてしまったことはいくつあるだろうかということ。
きっと数えきれないほどあるはず。

まずは自分の小さな興味に気づけること、次にその興味に対してどういうアクションを起こせるか。
小さなアクションの積み重ねで、将来思ってもいなかった自分に辿り着くかもしれない。

ヒデさんが帰りに話してくれたこと、「またサッカーやりたいんだよね」
今もいくつかのチームで練習を行っているのだとか。

まだまだヒデさんは止まりません。
かっこ良いなぁ~!

Feteのスタッフの皆さんとかっしー

ヒデさん!
たくさんお話しを聞かせてくれてありがとうございました!

ヒデさんとかっしー

今度は泊りに行きます!

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▼リンク▼

【ゲストハウス fete】

「感じて、考える。日本の手仕事プロジェクト」 開催しました

2019年4月14日(日)京都府京都市にて
CISVJapan関西支部 × ニッポン手仕事図鑑
「感じて、考える。日本の手仕事プロジェクト」
を開催いたしました。

モノづくり手と若者を”好き”で繋げる空間Sebon Lab.さんを開場としてお借りし、
ガラスペン職人の菅清流さんと、漆蒔絵職人の枚田夕佳さん指導の元、
ガラスペンへの絵付け体験や、
「価値の本質を見つける」についてのグループディスカッション、
ニッポン手仕事図鑑の制作映像の上映会などが行われました。

ガラスペンを作成する際に出る廃材から、
漆金継ぎの技術をつかって、新たなガラスペンを作るワークでは、
世界で一つのだけの、自分のオリジナルのペンを作る事に
皆さん夢中で、真剣に取り組んでいる姿はまさに職人でした。

「価値の本質を見つける」についてのディスカッションでは、
西の内和紙の、またったく新しい価値やデザイン、売り出し方を
考えるグループワークが行われました。
参加した子どもたちのユニークな発想が光りました。

「感じて、考える。日本の手仕事プロジェクト」 開催しました1

「感じて、考える。日本の手仕事プロジェクト」 開催しました2

「感じて、考える。日本の手仕事プロジェクト」 開催しました3

「感じて、考える。日本の手仕事プロジェクト」 開催しました4

ライフスタイルの多様な可能性。東伊豆を笑顔にする人 | 菊地順平

菊地順平さん

天城山を視界の端に、相模湾を大きく回って静岡へ。
道路標識に「熱海」の二文字が現れても、そのまま真っ直ぐ。

熱海行きの看板

伊豆半島を南下し、曲がりくねった山道を抜けると木々に覆われていた視界が突然開かれました。

東伊豆

目の前には、陸から突き出てきたような岬と港町。
自然の緑と、細事と並び陽の光を集めて照り返す家々。
入り江には子供が散らかしたおもちゃのような防波堤。
山と海と雲と、飛び出したこの岬が神秘的に感じられます。

いつか旅行誌で見たアドリア海の真珠、ドブロブニクに似ていると言ったらほかのメンバーに少し笑われてしまいした。

東伊豆町稲取。
それがこの土地の名前です。

稲取の笑顔が集まる場所、ダイロクキッチン

稲取のある一角で、地元の高校生たちがなにやらオシャレなカフェで活動していました。

ダイロクキッチン

地元の人たちの憩いの場であるシェアキッチン「ダイロクキッチン」。
それがこの場所の名前です。
この日はフレッシュな高校生たちによるカフェが開かれていましたが、ほかにも地元の有志によるカフェや料理教室など様々な地域の交流イベントなどが開かれるそうです。

地元の人たちや若い人たちの笑顔が集まるダイロクキッチン。
町の活性化の中心であるここを改修、運営した人たちがいます。

大学の学生団体空き家改修プロジェクトから始まり、現在はNPO法人ローカルデザインネットワークで活躍する人たちです。

私は今回、東伊豆町で活躍するローカルデザインネットワークの菊地純平さんにインタビューをさせていただきました。

菊地さん

この一枚からもわかる通りに菊地さんは東伊豆町を回る時や、インタビューをしている間ずっと笑顔で接してくれました。
その雰囲気からこちらも自然と笑顔が誘われます。

実務的な事をやりたい、始まりはそんなフラストレーションから

空き家改修プロジェクトには、当時同じ大学の建築学科の先輩であった荒武さんと守屋さんから誘われたという菊地さん。

しかし、この学生団体に加わったのはただ誘われたからではなく、胸の中にとある理由が存在したからだそう。

リノベーションしてる様子

「きっかけとしては、大学の建築学科の授業って設計課題があって、それをバーッと製図して模型を作って競い合うのを基本としてやってるんだけど、あんまり実践的なことはなくて……」

大学のカリキュラムにないような実践的なことをやりたい。
そんな思いが段々と積み重なっていったと言います。

菊池さんが大学で作った模型

「それがすごいフラストレーションになって、実践的な何かをやってみたいなって思ったことかな」

実践的なことがやりたかった、それが根本にある理由。
大学のカリキュラムと自分のやりたかったことの乖離に限界を感じたそうです。

「とはいえ、最初はこんなに大きくなるとは思ってなかったんだけどね」

笑顔に話す菊池さん

(常に笑顔が絶えない菊地さん)

“東伊豆での活動を大きく意識しだしたのはいつごろだったんでしょうか?”

「意識しだしたのは割と最近かな」

こうやって改修をしただけじゃ何も変わらない。
空き家改修プロジェクトを進めていく中でそう考え始めたそうです。
ただ建てるだけでなく、その後にどう運営していくのか。

「新しい問題を見つけていくうちに、その解決方法も考えるようになって…。
そうすると町のリソースとかにも気がついていって、そこら辺から意識が変わってきたと思う」

シェアオフィスを作りたいとか、空き家って稲取にどういうところにあるのだろうとか、さまざまなアイデアが浮かぶようになってから、色んなところに目をつけてもいいかなという話になったそうだ。

菊地さん

稲取だからできる、自分の選ぶライフスタイル

菊地さんは、この町で自分のライフスタイルが実験できると言います。
一体、どんなライフスタイルなのでしょうか?

ローカルデザインネットワークの3人

「平日は普通に働いて、休日はこっちに来て何かをやるっていうスタイルって、新しいなーって思うし、自分でもすごい楽しんでる」

街を歩いてうろうろしたり、近所のおばあちゃんに美味いの食え、って言われたりだとか。
そんな東京では味わえない感覚も普通にできるんだと言うことを知って欲しいと言います。

稲取港

「伊豆の人って、観光地だからなのか港町だからなのか、いろんな地方からいろんな人が来ることに抵抗がないんだよね」

オープンな気持ちがここ稲取にはあると言います。

カメラを構える菊池さん

「前も、静岡の大学生と町を歩いてた時も、干し柿が干してあるとかいってみんなでバシャバシャ写真を撮ってたんだけど、普通に考えたら自分家の前で写真を取られるのは不快だなって思うことが多いと思うのに、おばあちゃんが顔を出して干し柿を分けてくれて、なんかそういうのはオープンだよね」

稲取の人と話す様子

一緒に町を散策している時に、地元の方からみかんをいただく場面も。
普段の生活の中で知らない人から声をかけられ、食べ物をもらうことなんてほとんどありません。
菊地さんの言う2拠点生活では東京で体験できないことがもう1つの場所で経験できる。
そんな感覚が普通にできるようになる生活を考えると、とても魅力的に映りました。

関係性が深いような人が増えていって欲しいな、と菊地さんは話します。

「確かに東京で働く方が稼げることも多いし、完全に移住をするのも少し難しいという人もいる。
でも東京に固執しなくても色々な場所で仕事はできるし、だからといって完全な移住100%だけじゃない。
こうやって自分達が選択肢を広げていって、色々な人が色々な人と関係を持てるようになって欲しい」

屋上で景色を眺める守屋さんと菊池さん

休日にふらっと行って、仕事をしたり地元の人とお酒を飲んだり100%移住しなくても、自分のやりたいような割合での2拠点生活をする事が出来る。

菊地さんはそんなところにも惹かれたそうです。

選択肢を広げて、やりたいことをやる。菊池さんの伝染する笑顔。

この町の最終的なビジョンというか、ゴールみたいなものってありますか?

菊池さん

「やっぱり、もう少しだけ都市の人が来て欲しいかな。
観光だけではなくて、さっき話したみたいなライフスタイルを実践する場とか、ここで仕事をしてみたりする人が増えて欲しいな」

インタビューを受ける菊池さん

地元の頑張りもあるのですが、やはりまだこの稲取の良さをアピールしきれていないとも言います。

「この町の山から見下ろした半島の景色、、、あれ、太智くん何に似てるって言ってたっけ(笑)」

ドブログニクです…。

「そうそう、それそれ。ここの景色はこんなに良いのに、町の人は当たり前だと思ってて。
町を見てたらわかると思うんだけど、凄い金目鯛を押しててさ。
それももちとん魅力の一つなんだけど、それ以外にもいいところがあるのにまだそこは発信しきれていないなー」

こうやって色々発信し続けて人を増やしていきたい。
菊地さんのビジョンが見えてきました。
新しいライフスタイルを広げたりしながら、稲取を発信したい。
そして色々な選択肢があるという事を伝えたい。

「あとは、この場所を介して、なんでも出来る場所になったら面白い。
ただ人の数を増やすだけじゃなくて、人のつながりの濃さとかそういう点を意識したい」

人の数ではなく、繋がりの濃さ。
菊地さんはそんな関係人口増やしていって「第二の故郷」のような場所にしたいと言います。

「東伊豆が観光だけで他の場所に勝てるかって言われると正直わからない。
でもここに来れば面白いやつに会える。だから行きたい。そういう場所になったら面白いなって思う。」

どんなに忙しくなっても、活動を続けられるのは”楽しいから”。
純粋で真っ直ぐな気持ちと常に笑顔を絶やさない菊地さんは、笑顔を伝染させる不思議な魅力に溢れた方でした。

3月に2年間勤めた仕事を退職し、4月より新しい仕事に転職することになった菊地さん。
作りたい未来に向かってまっすぐ走る菊地さんから勇気をもらえた1日になりました。

足湯に入る菊地さんと太智

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▼各リンク▼
【NPO法人ローカルデザインネットワーク】
【ダイロクキッチン】
【空き家改修プロジェクト】

Photo by 小黒恵太朗

内に秘めた、東伊豆への思い | 荒武優希

「最近のマイブーム?

うーん、そうだなあ。
最近はよく近くの温泉に行ってるかな。

温泉がたくさんあって、本当に心が安らぐよ。

あと、実はこの辺おいしいコーヒー屋さんも多いんだ。
エスプレッソが好きなんだよねー。

散歩とかもするよ。
ここは景色も素敵だからね。」

海を見る荒武さん

一見、とっても穏やかなこの方こそ、今回私がインタビューさせていただいた、荒武優希さん。

荒武さんは東伊豆・稲取の地域おこし協力隊(2019年3月に任期終了)と、「都市とローカルをつなぎ、暮らしたいまちと暮らす社会をデザインする」をモットーに活動するNPO法人ローカルデザインネットワークの副代表理事として、稲取に拠点を置き、日々アクティブに活動しています。

私たちも荒武さんと一緒に稲取を散策させていただきました。

荒武さん

「この辺は魅力的な空き家も多いし、近々町イベントもするから、いろんな構想をしながら町を歩くんだよ。」

稲取は吊るし飾りの発祥地であり、1/20-3/31雛のつるし飾りまつりが催され、毎年多くの観光客が町に集まります。

そのタイミングで今年は、荒武さんの三年間の地域おこし協力隊としての集大成とも言うべきイベント「雛フェス」が開催されました。町の数多くの空き店舗を改修してシャッターを開けて多くの人に見てもらったそうです。

「改修した空き家に借り手がついたり、その建物に少しでも興味を持ってもらえるといいな。

元々漁師町で住宅が密集していて、活用されていない空き家もたくさんある。
でもそれって、素材が沢山あるっていうことだから、空き家の改修による町おこしのポテンシャルはすごく高いよね。」

イベントの企画は荒武さんを中心に、町の人の協力を得て行っています。

稲取に来て3年程、荒武さん自身も空き家に住んでいました。

「当時は普通に空き家で一人暮らししてたんだけどさ、なんだか、前に住んでたおばあさんの仏様がまだその家にいたまんまだったらしくて。
あの時おれは一人じゃなかったんだなーって、あとでわかったんだよね。」

インタビューに笑顔で答える荒武さん

そう明るく話す荒武さん。

ちょっと背筋がヒヤッとするような話ですが、そんなエピソードがあるのも空き家に暮らすことの魅力なのかもしれません。

ごちゃ混ぜで心地良い、稲取での暮らし

横浜で生まれ育った荒武さんにとって、東伊豆での生活は不便に感じないのでしょうか?

「そりゃあ少なからず感じるけど、電車は30分に一本は走っているし、町に学校もあるし、観光地としても栄えているから、最低限暮らすのに支障はないかな。

ここでの生活は居心地も良いよ。」

インタビューに答える荒武さん

町を歩いていても、スーパーに行っても、温泉でも、大体顔見知りで、声をかけてくれる人がいることが、まるでジブリ映画のワンシーンのようで、横浜にいたときの憧れだったといいます。

まちの人と話をする荒武さん

「今の自分の東伊豆でのポジションって、本当にいいとこ取りなんだよね。
どっぷり地元に根付いているわけじゃないから居心地悪さとかしがらみもないし、町長とも旅館の経営者さんともフラットに話せて、近所のおじいちゃん、小学生、旅館の新入社員として移住してきた若い子なんかともしがらみなく付き合えるし。」

ローカルどっぷりの居心地悪さを感じずに東伊豆に定住する魅力を享受でき、東伊豆での仕事も、プライベートとの境無く、ごちゃ混ぜな感覚が気楽で居心地がよいとのこと。

地元稲取でいきいき暮らすこととは

現在荒武さんは、“この町で働くことの本当の良さ”を町の若者に伝えるべく、奮闘しています。

稲取の風景

進学、就職等の理由で都会に出た若者のUターンのケースが少ない稲取。

その理由は、働き口の選択肢の幅と、観光業に対する若者のイメージにあるといいます。

稲取の主産業は観光で、仕事の選択肢も観光業の占める割合が高くなっています。

しかし、新規で観光業に就職するのは町外出身の若者たちが中心で地元出身者は少なく地元の主産業への関心はそこまで高くありません。

「観光にたずさわっていないひともこの町に携わって協力した先に、この町の明るい未来があるのだと思っているよ。

だから、今自分がそれを手助けしたい。

イベントもっと規模を拡大していきたいし、より多くの町の人を巻き込んでいきたい。

こういうことって、自分自身がよそ者だったからできることだと思うんだ。
よそ者の自分が言い出したから、みんな協力してくれている。」

また荒武さんは、自分がイベントを企画しスタッフを募集することで働く選択肢を増やし、地元で自分らしく生きるための提案をしていきたいとも考えています。

「この稲取の景色って、本当に綺麗でしょ。

この町を作ってきた地元の人たちにすごく尊敬している。
通りすがりの観光客にもフレンドリーに道を教えたり、町民同士が思いやりあって生活しているところも、魅力的な場所だと思うよ。
そんな町の人たちが自分のイベントの手伝いだったりを協力してくれて支えてくれるのが本当にうれしい。」

稲取の風景

いきいきと語る荒武さん。

稲取への愛情がひしひしと伝わってきました。

インタビューに答える荒武さん

小さな一歩が産んだ、大きなトキメキ

そんな荒武さんが地域おこし協力隊に入り、空き家の改修を始めたきっかけはなんだったのでしょうか。

学生時代の荒武さん

「俺大学三年生のとき、とにかく何かしたいけど何やればいいかわからない大学生だったんだよね。(笑)

そんなときに友達に長野の空き家回収の手伝いを誘われて行ってみて、それが今の活動の原点かな。

長野に行ったときに田舎での暮らしに魅力を感じて、感覚的にいいなと思って、そこからいろんなことに踏み出せるようになった。」

まちを歩く荒武さん

「やっぱり、最初の一歩をふみだすことが大事だと思う。それからいろんな地方のプロジェクトにかかわって、そして最終的に東伊豆に引っ越してきた。

直感でビビッと来たものには前のめりになってすぐ動いちゃうんだよね。

本当はゆったりとスローライフをおくってもいいなと思って東伊豆に来たけど、気付いたら思ってたより忙しくアクティブに動いてるな(笑)」

「そういう直感でビビッとくるものを探す作業がたのしいんだ。
その中で助けてくれる人もいっぱいいてさ。
今も探している最中なのかもしれない。」

大学時代の荒武さんのように、これからなにかしたい!と思っている若者に対してアドバイスをいただきました。

「考えすぎてるひとが多いけどさ、まず規模が小さいことでもアクションを起こすことが大事だと思うよ。
小さいことでも、自分ができることなんでもいいからアクションを起こす。
自分の中で小さな挑戦をしていく中で、きっとなにか見えてくる。
そして、チャンスをつかめ!って言いたいな。」

最初は直感と勢いでも、結果として今、荒武さんが楽しくいきいきと稲取で暮らしていることこそ、その行動力の賜物だったのだと私は思います。

2人で撮影した写真

私自身、地元福島県いわき市から去年の春に都内に引っ越してきたばかりで、田舎と都会のギャップに驚くことがしばしばあり、逆に都会から東伊豆に移住した荒武さんのお話は、とても興味深く感じました。
特に、その地でどう自分らしく、生き生きと暮らすかというお話はとても心に響きました。

荒武さん、貴重なお話をありがとうございました。

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▼各リンク▼
【NPO法人ローカルデザインネットワーク】
【ダイロクキッチン】
【空き家改修プロジェクト】

Photo by 小黒恵太朗

常に新しいことをやりたい。東伊豆に新しい風を吹かせる | 守屋真一

守屋真一

皆さんは東伊豆、稲取に訪れたことはあるだろうか。

海と山の距離が近く、港の美しい、華美ではないが贅沢な景色。
じんわりと心落ち着く空気が広がる。

稲取港

向かう途中、車から見える海にひょっこりと飛び出たような地形がみせる東伊豆の景色は、別世界にたどり着いたようでとても印象的。

稲取高原

町は下町のような雰囲気があり、散策するのもおすすめ。
静かで穏やかな空気が流れている。

この日は天気も良かったので、ルンルン気分で思わず走り出してしまった...!

稲取の街を駆け抜ける様子

そんな稲取で、新しい風を吹かせる守屋真一さんという人がいます。

今回取材を受けてくれた守屋真一さん

守屋さんは大学時代、”空き家改修プロジェックト”という活動を始め、今でもプロジェクトのOBとして、活動を引き継ぐ学生のサポートを行っており、空き家改修プロジェクトで改修した第六分団の旧器具置き場、ダイロクキッチンは、「食」をテーマにした稲取のコミュニティキッチンスタジオとして地元の方々に愛されています。

拠点でもあるダイロクキッチン

また、ダイロクキッチンを拠点に「都市とローカルをつなぎ、暮らしたいまちと暮らす社会をデザインする」をビジョンに活動するNPO法人ローカルデザインネットワーク(LDN)の理事を務め、パラレルキャリアで活動するとてもアクティブで魅力あふれる人です。

今回私はそんな守屋さんにお話しを伺いました。

シェアオフィス、イーストドックにてインタビューをする様子シェアオフィス、EAST DOCKにて

活動のきっかけは友達からのお誘い。活動する中でのポテンシャルとは?

もともと守屋さんは空き家改修プロジェクトをやろう!
と思って始めたわけではないらしい。

守屋さん
「大学の同期が、東伊豆に街づくりのインターンで来ていて、活動している中で空き家改修をやることになったけど、設計ができないからってことで誘ってもらったのがきっかけ。」

スタートは6人。
だんだんと活動範囲も増え、2年で50人ほどへと大きくなっていったのだとか。
では、NPO法人設立にまでいたった動機はなんなのか、

守屋さん
「ダイロクキッチンを改修したのは良いけど、それこそ裏側の話、そこで運営する人が誰も見つからなかった。
だったら自分たちでやろう!ってことでNPO法人として運営をすることになったんだよね。」

友達に誘ってもらった活動が、6人から50人へとさらにNPOまで設立して運営まで行うようになったのは驚き。

ダイロクキッチンは地元の方たちがカフェを開いたり、地元の高校生が食堂を開いてご飯をふるまうなど、地元の方たちの交流の場となっているそう。

カフェを開く稲取高校の学生

高校生が作ったご飯をいただく様子

私もダイロクキッチンで地元の高校生が作ってくれたご飯をいただきました。

器もおしゃれで味もプロ顔負け。
デザートも飲み物もこだわりの手作りで、本当においしかった!
これはリピーターになること間違いなし。

なにより、地元の学生やお年寄りの方、幅広い年齢の人が同じ場所に集まって関わりを持てる空間が、暖かくて落ち着く。
チェーン店のカフェではなくて、地元の人がおもてなしできる、来てくれた人とゆっくりとお話しできるダイロクキッチンは特別で素敵なコミュニティの場なのだ。

守屋さんはこの東伊豆に魅力を感じて今も活動されているんですか?

守屋さん
「場所にしばられず、今後も稲取以外も活動したい場所はいっぱいあるんだけど、その中でもこの町はやりたいことを受け入れてくれる体制がものすごい!
当時からの付き合いもあってか役場の人もどんどん面白がってくれて、稲取はすごい寛容なところがあるから、そこが魅力と思ってる。」

確かに、町を散策してる時、町の人が挨拶をしてくれたり、沢山稲取の歴史を語ってくれるおばさまがいて、寛容さや優しくて明るい街のイメージを持った。

稲取の人と話す様子

やはりそこが東伊豆の魅力でしょうか?

守屋さん
「うんうん。町自体も小さいから、主要メンバーと仲良くなるとその人がいろいろな人を紹介してくれたり、だんだん顔見知りも増えるし、向こうも覚えてくれたりとか。
港街だったからか新しい人にあんまり拒否反応しないんだよね。
そこはすごいポテンシャルが高い。」

原動力は飽きっぽいこと。常に新しいことが起こるのが楽しい。

守屋さんは東伊豆だけでなく、これやりたいっていうのはありますか?

守屋さん
「稲取モデルみたいなのを作りたくて、空き家を改修して都心部から人を呼んでくるみたいなモデル作りができたら、全国でもやりたいなって思ってる。
だんだん東京つまらなくなってきて、地方は東京にはない刺激がいっぱいあって、心もリフレッシュできる。
でも、東京も好きだから離れたくないし、両立できる方法を今探してる最中なんだ。」

2拠点、3拠点生活ととてもアクティブに活動している守屋さん。
正直大変ではないのだろうか、守屋さんの原動力はどこにあるのだろう。

守屋さん
「人としゃべるのが好きで、楽しいんだよね。
あと、飽きっぽいから常に新しいことやらないと飽きちゃうんだよね。
あ、原動力飽きっぽいことかも(笑)。」

イベントも何か新しいことが起こりそうだから楽しい。
誰か人とやると自分が想像していない予想外の方向に変わってくることがある。
そこが面白いのだと守屋さんは言います。

守屋さん
「ここでの仕事は半分プライベートだと思ってるからそんなに苦じゃなくやってるし、本業の方が忙しくなっても、伊豆にきて色んな人としゃべってこういう企画やりましょうとか話してるだけでだいぶリフレッシュしてる。」

無料休憩所で話すメンバー

守屋さんは伊豆を仕事の場としてというよりは、リフレッシュの場にしているのだ。
誰かとしゃべって企画をするのが楽しいという守屋さん。

では、企画の楽しさとは…。

守屋さん
「大学の時学祭の実行委員とかやってて、今も文化祭をやりたいんだよね。
マインドとして。文化祭マインド。」

文化祭マインド…!?

守屋さん
「文化祭って全員で力を合わせて一つのものを作る。
それが文化祭当日を迎えて、一日終わるともう全部なくなっちゃう。
でも思い出や仲間意識だけは残るみたいな、みんなが得意なことを出し合って一つのことを作る祭。
空き家改修の時もみんな担当バラバラで6人が自分の好きなことをやってたら上手く終わって、それがすごく文化祭っぽいなって。」

守屋さんの話を聞いて、高校の時の文化祭を久しぶりに思い出した。

企画って仕事で考えると堅くて難しいイメージがあるけど、まさに文化祭の時、何の出し物をやるか、お客さんに喜んでもらうことだけじゃなくて、自分たちが何をやれば楽しいかを考えてたなぁと。
文化祭当日よりもそれまでの過程が仲間と協力して取り組む大事な時間だった。

守屋さん
「やらされたわけじゃなくて、自分の好きなことをやって、上手く合わさっていく感じが良いなと思って、そういうことをやりたい。」

たしかに、文化祭は楽しむものであって、やらされていると思ったことはなかった。
学校に守られていたし、負わなくてはならない責任もない。
そうは言っても、守屋さんの行っている活動は学祭ではない、責任だってあるだろうし不安や大変なこともあるはず…。

守屋さん
「学生の時とかは結構大変だった記憶ある。
町とのやりとりとか怒られながらやってたね、でも怒ってくれた人がいたから今色んなことを一緒にできる関係性ができた。
今も社会人だから時間がとりずらくなって忙しいとかあるけど、あんまり大変なことはないかもしれない。」

あれ…?不安とかもないんですか?

守屋さん
「何とかなるって思ってる。
自分の手に負える範囲で全部やってる。
ちっちゃくステップアップしていくというか、自分の責任の負える範囲内、生活が保たれる範囲のリスクしか負わないとか、そんな感じでやってるからあんまり不安はない。
失敗してもまぁ大丈夫かなって。
怖がったらできないかも。」

インタビューに笑顔で答える守屋さん

学生と違って責任がかかってくるのが大人。
加えてきちんと自分の手に負える範囲を理解してリスク管理をできるのも大人。
リスクや責任ばかりを気にして行動を起こさないのではなく、考えた上で行動を起こす守屋さんはかっこいい大人だと感じました。

自分のやりたいことをやってみること。地域を盛り上げる!に必要なこととは…?

神社でお参りする様子

守屋さんの強みは人と話して聞くことなのだとか。
その人がしたいこととプロジェクトを繋げたり、この人とこの人を繋げたら上手く回りそうだとかを考えて、それを企画にしたり、実現させることができる。

守屋さん
「企画も数を増やした方が上手く回るんだよ。
1つでやってると、上手くいかない時に行き詰まるけど、そういう時に他のプロジェクトを進めると、そっちで得たヒントがこっちのプロジェクトに生きるみたいなこともあるし。
相互に新しい情報とか手法を手に入れられるから上手くできる。」

守屋さんは人を見たり、企画したり、スケジュールを管理したりと全体を見ることが得意。
逆に細かいこと、例えば建築で言うミリ単位でずれのないおさまり、寸法を見ることは苦手なのだとか。
だからこそ仲間が大事で、それぞれができることをやる。
いろいろな仲間が集まるとすごく大きなことができるという。

そんな守屋さんの思う、地域を盛り上げるとなった時に重要だと思う働き方はなんなのだろうか。

守屋さん
「自分のためにやる。
地域を盛り上げようっていうよりは、自分がこの場所でこういうことをやって楽しそうってやる方が良いなって思ったんだよね。
全員が東伊豆って面白いって想い始めたら、地域って盛り上がってくる。
でもボランティア精神でなんかしてあげたいって思うと、どこかで限界があるんだよ。
結果自分のためじゃないなぁって思い始めたらやる気なくなってくるみたいな。」

無料休憩所での団欒の様子

誰もやらされてるって思わないで、自分のやりたいことをやってみること。
自分の関わった地域が増えるのはおもしろくない?という守屋さん。

私も今回の取材で東伊豆を知れたこと、何より東伊豆に関わる守屋さんたちに出会えたことが何より嬉しい。
この地域に行ったらこの人に会える。
お友達ができた喜びに似ているかもしれない。

自分が案内できる街。
自分の大事な友達とかに、面白い街あるからおいでよって誘う。
初めてその地域に来てもらう、それが地域活性になるのではと守屋さんは言う。

都市とローカルを繋ぎたい。つくりたいのはきっかけづくり。

屋上で黄昏る様子

守屋さん
「東京は情報も人も集まるからそこはそこで大事。
でもそこで完結できないから地方にいくとか、NPOのテーマにもあるんだけど、“都市とローカルを繋ぐスタイル”を作りたいなって思ってる。
だから、移住を薦めているわけでもなくむしろ移動を薦めてる。
そういうことができる選択肢やきっかけづくりもできれば良いと思ってる。」

守屋さんは地方がなくなることは日本の多様な文化がなくなってしまう、日本全体の損だと話す。
外国人観光客の方もセカンドジャパン、サードジャパンと地方に行った方が面白い経験ができると。

守屋さんはリモートワークなので多拠点生活を送っているが、リモートワークでない人はなかなか難しいのが現実。
これは働き方の問題にも関わってくるので厳しい人も絶対にいるはず。

だけれど、5年後10年後、テクノロジーがどんどん進化していってリモートワークや自動運転ができれば、地方への移動者も増えるだろうと守屋さんは時代の大きな流れを見て考えていた。

空き家改修プロジェクトは今後、やみくもに改修するのではなく、街のツボを押すことを考え、ここを重点的にやったらこの町すごく面白くなるというツボをよくよく考えていくらしい。

きっかけは友達からの誘いでも良い。
堅く力を入れ過ぎずに、自分の力を発揮できる場所を探すことができたら強い!

大きなことを成し遂げようだと疲れてしまうから、まずは小さなきっかけを大事にしながら、自分のできることを一生懸命に取り組んでみる。

楽しそうに活動している人を見て、仲間が増える。
文化祭マインド。
私の中で響いた言葉でした。

悩んだときは東伊豆に行ってあの穏やかで優しい風にあたりに行こう。

2人で写真をとる守屋さんとカッシー

守屋さん、ありがとうございました!
絶対また東伊豆行きます!!

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▼各リンク▼
【NPO法人ローカルデザインネットワーク】
【ダイロクキッチン】
【空き家改修プロジェクト】

Photo by 小黒恵太朗

東伊豆を盛り上げるパラレルキャリア集団 | NPO法人ローカルデザインネットワーク

熱海から車で走ること1時間30分。
伊豆への玄関口と言われている「東伊豆」。

東伊豆には「大川」「北川」「熱川」「片瀬」「白田」「稲取」の6つの温泉が集中しており、お風呂好きには堪らない観光エリア。
道中、6つの温泉の看板が見えてくるのだが、デザインを統一させ、それぞれの色を持たせていたのが印象深かった。

稲取温泉の看板

北川温泉の看板

おぼろげにしか知らなかったその地域を帰る頃には私たちは好きになっていた。

今回私たちが向かったのは東伊豆町の稲取という地域。
稲取は静岡県賀茂郡東伊豆町にある小さな港町。

稲取港の様子

毎週土・日曜と祝日に稲取漁港で「港の朝市」が開催されており、朝市には地元の商店などが出店し、名産物や地場産品などを販売している。
そこで人気なのが、その場で炊きたてを味わうことができる「キンメダイの釜飯」。
1人前700円という安さに加えて、無料の「キンメのあら汁」まで付いてくるというサービスも。

朝市を歩く様子

朝市を歩く様子

朝市を歩く様子

海と山に囲まれたここ稲取に、東伊豆を盛り上げようと奮闘する人達がいる。
シェアキッキンスタジオの「ダイロクキッチン」やシェアオフィス「EAST DOCK」を運営する、NPO法人ローカルデザインネットワークのメンバー達だ。

ダイロクキッチンの前で写真を撮るローカルデザインネットワークのメンバー

今回取材したのは、守屋真一さん(右)、荒武優希さん(真ん中)、菊池純平さんの3人(左)。

▼それぞれの記事▼

【常に新しいことをやりたい。東伊豆に新しい風を吹かせる | 守屋真一】

【内に秘めた、東伊豆への思い | 荒武優希】

【ライフスタイルの多様な可能性。東伊豆を笑顔にする人 | 菊池純平】

彼らは、ローカルデザインネットワーク(以下、LDN)の前身である建築学生による地域活性化団体「空き家改修プロジェクト」の頃から同じ時間を過ごしたメンバーでもあり、社会人になった今も共に活動を行なっている

全員で顔合わせを行なった後、LDNの3人が稲取を案内してくれた。
取材を行なった日にはシェアキッキンスタジオの「ダイロクキッチン」で稲取高校被服食物部の生徒たちがカフェを。
街中では「雛のつるし飾りまつり」の無料休憩所にて味噌汁を配っていたり、フリーマーケットや写真展などのイベントが多く行われていた日だった。

取材前の団欒の様子

稲取の人と話す様子

菊池さんから説明を聞く様子

普段東京では見ることのできない景色にただ興奮するばかり。
街を歩けば、街の人が話しかけてくれる。
稲取を案内してくれた3人と稲取の人の温かさが身に染みた。

「都市とローカルをつなぎ、暮らしたいまちと暮らす社会をデザインする」をビジョンにまちづくり活動やパラレルキャリアをしながら二拠点での暮らしを実践している彼ら。
今年度からまた新たに大きく動き出すそうです。

自然の豊かさと人の温かさを感じられる、ここ稲取に歴史の紡ぎ、新たな風を起こす人達が、そこにいました。

集合写真を撮るローカルデザインネットワークのメンバーとふたりごと文庫のメンバー

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▼各リンク▼
【NPO法人ローカルデザインネットワーク】
【ダイロクキッチン】
【空き家改修プロジェクト】

Photo by 小黒恵太朗

飯山仏壇|上海本店 藤澤蒔絵

飯山仏壇|上海本店 藤澤蒔絵

親鸞聖人も歩いたと伝わり、かつてより信仰心が育まれてきた、長野県飯山市。その地で作られる飯山仏壇は、木彫や彫金による装飾が多く、扉裏にも蒔絵が使われるなどの荘厳さが特徴だ。「上海本店」「藤澤蒔絵」など、製作に携わる職人たちは、家の中心に仏壇が置かれ、毎日手を合わせる習慣があった昔と比べると、現在は関係性が薄れてきたのではと憂える。仏壇を通して職人とお客様とがつながり、仏壇を介して家族がつながる。繰り返す時代の中、100年後の未来にも、人々の拠り所として仏壇が存在してほしいと願う。

信州打刃物職人|畑山刃物

信州打刃物職人|畑山刃物

長野県信濃町に工房を構える「畑山刃物」。信州打刃物職人である畑山充吉さんは、自身の製作物ひとつひとつに、名入りのひょうたんの刻印を押す。自信と責任の証であるこの刻印を頼りに、遠方から工房を訪れてくる方もいるそうだ。16世紀半ば、戦国時代にはじまってから、450年以上続く信州打刃物の歴史。この道50年を超える畑山さんも、到底一人前ではないと語り、明日は更に良いものを作れるようにと、基本に忠実に、技術を研ぎ澄ましていく。

南木曽ろくろ職人|ヤマイチ小椋ロクロ工芸所

南木曽ろくろ職人|ヤマイチ小椋ロクロ工芸所

南木曽ろくろが作られる長野県木曽郡南木曽町周辺は、ケヤキ、トチ、センノキ、カツラなど、古くから豊かな森林資源に恵まれていた。選木から木取り、ろくろ挽きから塗装に至るまで、ひとりの職人がすべての工程を一貫して行い品質を追求するのが、南木曽ろくろの特徴である。職人としての技術を身に着けるのに長い時間がかかる中、「ヤマイチ小椋ロクロ工芸所」では、はじめての取り組みとして、地域おこし協力隊を受け入れている。技術の伝承と習得は急務であると、使い手の笑顔を想像しながら、今日もろくろに向かう。

木曽漆器職人

木曽漆器職人

長野県塩尻市南部の山岳地帯にある木曽平沢。奈良井川の中流に位置するこの集落は、木曽漆器の中心的産地として知られ、いくつもの工房が存在する。祖父が興した会社を守る経営者のもと、師匠は弟子にものづくりへの姿勢を見せる「山加荻村漆器店」。伝統をただ受け継ぐだけでなく、その時代に求められるものを取り入れながら、夫婦で歩む「うるし工房 石本玉水」。6代目の父から7代目の息子へ、技術を伝えつつ、鍛錬を重ねる「白木屋漆器店」。木曽漆器の職人たちの背景にも、それぞれの物語が脈々と流れ続けている。

4月21日(日)トークイベント「ふたりごと図書室」を開催します!

ふたりごと図書室

今月リニューアルを予定している、ふたりごと文庫。
そのふたりごと文庫が、
4月21日(日)に、トークイベントを開催します!

その名も「ふたりごと図書室」。

ゲストの方をお呼びし、
想いや活動のきっかけを
参加者みんなでシェアしていくトークイベントです。

今回はパラレルキャリアで活躍し、
多拠点生活を送る守屋真一さんとお話ししていきます。

活動をはじめるとき、ひとりでは怖い。
これから何かをしたいけれど、何をしたらいいかわからない。
このような思いを感じてる人も多いのではないでしょうか。

「あの人だからできる、自分にはできない」ではなく、
「頑張れば私にもできるんだ」。
そう思えるきっかけを提供する場を作れたらと思っています。

ぜひお越しください!

<イベント概要>
【日時】
2019年4月21日(日)19:00~21:30(18:45開場)
【場所】
マチナカ製図室 mon-naka×70seeds store(東京都江東区永代2丁目20-8)

詳細や申込みは、こちらをご覧ください。

和紙職人|阿部製紙

楮を原料とし、手漉きで製造される伝統工芸品「内山紙」。独特の技法「雪さらし」により、繊維を痛めることなく自然な白さに変わった紙は、丈夫さと透明感を持ち合わせ、上質な障子紙などに使われている。長野県飯山市に工房を構える「阿部製紙」では、3代にわたって内山紙を継承。「地元のものを子どもたちに知ってもらい、いつか外に出たときにも語れるように」と、30年以上、地元の小学校の卒業証書も製作している。生活様式が変化し、障子を知らない世代が出てくる中、伝統の存続と時代に合わせた変化に挑む。

「“わかったつもり編集人”にならないために。会議」に、編集長 大牧が登壇しました

3月28日(木)に開催された、
70seedsさん主催の「“わかったつもり編集人”にならないために。会議」に
編集長 大牧が登壇しました。

『70seeds』編集長の岡山史興氏、
『セコリ百景」編集長の大瀧洋之氏とともに、

「伝える」をテーマにトークセッションを展開。

3人の編集長がそれぞれの伝え方や、
メディアのあり方について語り合いました。


ライターや編集に携わる方々も大勢参加されるなど、
満員となった会場はセッション終了後も熱気に包まれていました。
(当日の様子は、Twitterのハッシュタグ検索「#わかつも会議」からご覧いただけます。)


また、開催に合わせて3人の編集長が持ち寄った、
「ヤバイ珍味」。

大牧が用意したのは、
私たちのサテライトオフィスがある秋田県鹿角市の
「しそ巻大根」と「しそ巻あんず」でした。


主催の70seedsさん、

セコリ百景さん、

会場に起こしいただいた参加者の皆さま、

ありがとうございました!

【イベントの様子】

70seeds主催の「“わかったつもり編集人

70seeds主催の「“わかったつもり編集人

70seeds主催の「“わかったつもり編集人

70seeds主催の「“わかったつもり編集人

松本家具職人|松本民芸家具

民芸家具の起源は、柳宗悦氏による「民芸運動」である。各地の風土や手仕事の中から生まれた日常の生活道具の中にこそ健全な美が宿ると、新しい価値観を提唱した。昭和23(1948)年、「松本民芸家具」の創始者である池田三四郎氏は、柳氏の講演に感銘を受け、民芸家具の製作開始を決意。庶民工芸の代表ともいえる椅子作りを筆頭に、現在の製品点数は800種類以上にも及ぶ。故きを温ね、新しきを知り、今日もまた松本民芸家具では、用と美を兼ね揃えた家具を追求する。

伊那紬│久保田染織工業

「蚕の国、絹の国」と呼ばれるほど、養蚕業が盛んだった長野県。全域で生産される織物は、地域によって様々な名称を持ち、総称して「信州紬」と呼ばれている。伊那地方の天竜川沿いでつくられる「伊那紬」は、そのうちのひとつ。かつては約120の工房が存在していたものの、現在唯一生産を続けているのは、明治43(1910)年創業の「久保田染織工業」のみ。4代目となる久保田貴之さんも、その技術を受け継ぎ、糸づくりから手織りでの仕上げまでを、すべて自社内で行っている。

浅野ゆうき編集長にインタビュー

『今の自分をどう更新して、これからの大学生活含め、自分の人生をどう歩んでいけばいいのか。』

私自身も悩んでいるし、大学生ってやりたいこととか生き方云々を考える時期でもあるのかなって思います。

今回はそんなあなたに、私の素敵な先輩を紹介させていただきたい。

 
 

この方こそ、初代ふたりごと文庫編集長・浅野ゆうきさん。
いつも口角上がりっぱなしで、笑顔が素敵な私たちふたりごと編集部二期生の先輩です。

浅野さんは、この春産業能率大学を卒業し、念願だったYahooへの就職を果たしました。
高校時代に受験勉強をおろそかにし大学受験で大失敗してしまったそう。
その悔しさをばねに大学の講義やゼミ、大学外での活動に全力で取り組み、就職活動での大成功を遂げました。

浅野ゆうきとは?

 

朗らかでアグレッシブ
私から見た浅野ゆうきさんはこんな感じです。

私が浅野さんに初めてお会いしたのは、大学一年生の夏のゼミのときで、

内容は、大牧編集長が「インタビュー力の大切さ」の講義をした後、実際に学生が大牧さんと浅野さんにインタビューをするというものでした。

 

 

すごいこの人。初めての場所で知らない学生に囲まれているのに、堂々と自分のことを話してる。きらきら眩しいというか、なんだか同じ大学生って感じがしないな。

それが浅野さんの最初の印象でした。

果たして本当に、浅野さんは普通の大学生と一線引いた存在だったのか?
大学の課題に追われて、インターンやサークルとの両立に苦しむこともあるし、恋もするし、就活に焦った時期もあったし。
根本的に、私たちと同じ大学生です。

浅野さんは“私はこうなりたい“、“これがしたい”という自分の欲求と向上心に、真剣に向き合える人だから輝いているのだと、私は思います。

 
 
 

憧れて進化した

 

何事にも物応じしない浅野さんですが、小学生のころはクラスのみんなの前での発表で恥ずかしくて顔を真っ赤にしていたそうです。

浅野さん:いまでこそ「肝が据わってる」ってよく言われるけど、元々そうだったんじゃなくて、中学生のとき、ある友だちに憧れて変わったんだ。
その子はとてもフレンドリーで知らない子とすぐに仲良くなれて、私もその子みたくなりたくてしぐさをまねするようになったの。
その子が手叩いてゲラゲラ笑ってたら、自分もそうしてみたりね。

 
 

浅野さん:そしたら、いろんな人と仲良くなれるようになったの。
今も人見知りとか緊張とか全然しないしね。

インターン中も、浅野さんのそういった明るさと度胸は、地方でのインタビューや自治体のイベントなどでも役に立ったといいます。

浅野さん:ただそれとは別に、いい意味で妥協ができるようになったかな。

この性格だから大学のゼミやサークルでリーダー格になる事が多くて、自分の意見が比較的通りやすい環境が今まで多かったけど、インターンでは会社としての事情とか周りの意見を鑑みる必要があるからね。

大人な力がつきました。(笑)

秋田県鹿角で初めてみたもの

 

浅野さん:初めて見るものや新しいものが好きだから、地方や田舎にも興味があったのだと思う。

ビルも何もない景色
よそから来た私たちにフレンドリーに話しかける町の人たち
うちの村はもう終わりだと冗談混ざりにつぶやくおじさん
なんだかおせっかいなおばさん
村おこしに奮闘する地方行政の皆さん
そういう地方で出会うなにもかもが新鮮で、特に最初に秋田県鹿角市に訪れたときは、初めて田舎というものを目の当たりにしとてもわくわくしたそうです。

 
 
 

それからは、積極的にFacebookで地域おこし系の団体にいいねを押し、情報を集め何度もイベントにも足を運び、お金が無くなることもしばしば。
(金欠にはご注意ください。By浅野)

学歴コンプレックスとうまく付き合っていく

 

結論からいうと、浅野さんの学歴コンプレックスはまだ無くなったわけではありませんでした。
受験失敗の悔しさから、浅野さんは大学での授業は一切の手抜きなしで、発表で優秀賞を取ることもあったそう。
それは自分自身の自己肯定感を上げるためでもありました。

 
 

インターンを始めるとき、大学の授業をおろそかにしたらすぐにインターンをやめるという自分との約束をしました。
しかし大学の勉強に熱心に打ち込めば打ち込むほど、もっといい大学に行ってさえいれば、より質の高い講義が受けられたかもしれないと、受験勉強を悔やんだといいます。

 
 

浅野さん:大学どこ?と聞かれたときにカッコ悪いとかの外見の話じゃなくて、これこそが学歴コンプレックスの本当の意味なのかもしれないね。

今ほど大きくはないけど、きっとこれからも学歴コンプレックスと付き合っていくのかな。

本音の発信、もっとやっちゃえばよかったな。

浅野さんが今までのインターンを振り返って、やってよかったことはなんですか?

浅野さん:やってよかったことより、少し後悔したことの方が先にでてくるな…。
情報発信って、難しいよね。
今思えば響かない薄っぺらな発信ばかりしてた。

 
 

浅野さん:どうしても、カッコつけちゃうというか、綺麗な部分だけを見せようとしがちだけど、今振り返った時に、見かけ騙しだったな。
最初は外見だけ頑張って、後から中身を頑張ろうと思ってたんだけど、気付いたら大学生活終わってたの!ホラーだよね

浅野さんはふたりごと文庫以外でもnoteで発信も頻繁に行っていました。
そこでの発信で、本音とリアルが求められてることに気づいたそうです。

浅野さん:今までうまくいったことばかりを取り上げてたけど、ふたりごと文庫オンラインサロンの失敗について初めてnoteに取り上げた時にすごく反響がよくてびっくりした。
そのとき、発信ってこういうことかって気づいたんだ。

浅野さん:失敗を公にするなんて今まで絶対してこなかったけど、やってみたら自分の気持ちも少し楽になった気がする。
ふたりごと文庫も大学生が運営するメディアだし、もっとありのままにリアルを出しちゃえばよかったな。
でも失敗や気づきがあるっていいことだから、結果よかったって思ってる。

ふたりごと文庫編集長として成功と失敗を経験し、まだやりたいこともたくさんあると話す浅野さん。
その表情は明るく、これからの希望に満ち溢れていました。

浅野さんは先日、ニッポン手仕事図鑑でのインターンを卒業し、春からまた新しい環境で社会人としてのスタートをきります。

これからも、持ち前の明るさと度胸で、真っ直ぐに浅野さんらしくご活躍できますよう、ふたりごと文庫編集部一同、祈念いたしております!

名前:柳葉優有
職種:ふたりごと文庫編集部
出身:福島県

飯山市の非公認B級グルメ「サバごはん」とは

ふたりごと編集部メンバーは長野県飯山市で取材旅行をし、飯山市の魅力をたくさん教えていただきました。今回は飯山市の意外な一面についてご紹介いたします。

実は、飯山市は鯖缶の消費量が日本一なんです!その飯山市でひそかに人気を集める 飯山市非公認名物 、それがさばごはん です。

今回はさばごはんの生みの親、笹寿司屋ぜにがめ堂の岩崎さんにお話を伺いました。

さばごはんとは、さばの水煮の缶詰とタケノコまたはキノコなどの具の炊き込みご飯です。岩崎さんは飯山市に高校卒業ぶりにUターンした時、奥様に「なにか地域に根付いたものを作ったら?」と提案を受け、飯山市の郷土料理である笹寿司のお店を営むことにしました。

しかし久しく飯山に身を置いていなかった岩崎さんにとって飯山での笹寿司屋の経営は難しく、当時の不況も重なって4枚で500円の笹寿司の売れ行きは順調なものではありませんでした。

そこでパートさんのまかないとして作っていたさばごはんを商品として300円で売り出すと笹寿司よりも売れ、現在もぜにがめ堂の人気商品です。そもそもなぜ、飯山市では鯖缶が多く消費されているのか。

冷凍冷蔵技術が発達していなかった時代、飯山市では肉の代わりに保存できる動物性たんぱく質として鯖缶が食べられてきました。

その味が根付いていることと、価格と手間の手軽さから現在でもカレーなど家庭料理で肉の代わりに鯖缶を使う家庭は多いといいます。また飯山の酒蔵の地酒のおつまみとしても食されています。

かなり前から飯山市で親しまれてきた鯖缶ですが、なんだか少し貧乏くさくて恥ずかしいという理由で、飯山市自身あまり積極的に鯖缶消費量日本一を公表していません。

しかし近頃、鯖缶はダイエット食品、健康食品として期待されており、ナウな食べ物としてテレビや雑誌でも紹介されています。

現在岩崎さんはこの鯖缶ブームにのって、さばごはんを市の名物のB級グルメとして観光客にも売り出していきたいということで、レシピの公開もしています。(長野県知事賞受賞)別に名物じゃないよ。

長野県非公認B級グルメ市のイベントや店頭で売り出すときは、このようにくすっと笑ってしまうようなキャッチが目を引きます。岩崎さん「なぜなら、うちは笹寿司がメインだからね。(笑)」岩崎さんは、鯖缶のブームを機に飯山市の名前を広めていきたいといいます。飯山市は野沢温泉にも近く、冬にはオーストラリア人も多く観光に来ます。

今すぐにとはいかなくても、いつか田舎に行きたいと思ったときや観光で近くまで来た時に、鯖缶の町飯山として名前を覚えてもらうことで、人を呼び込むきっかけになります。

人口約二万人、少子高齢化が進む飯山市には、今後を考え創造していく知恵と行動が必要です。

名前:柳葉優有
職種:ふたりごと文庫編集部
出身:福島県

受け継がれてきた感性を信じ、酒造りをする

豪雪地域である奥信濃、飯山に、
原料と手作りにこだわった地酒、「水尾」があります。

ふたりごと文庫編集部は「水尾」を造る田中屋酒造店に行き、
6代目、田中隆太さんにお話しを聞きました。

 

 
 

「水尾」の歴史

 

田中屋酒造店の創業は明治6年。田中さんで6代目です。
田中さんの家系は江戸時代にまでさかのぼることができ、
酒蔵を始める前、だれがどんな仕事をしていたのかまでお話ししていただきました。
とても歴史のあるお家です。

明治6年に地酒を作り始めたのですが、
最初は「水尾」という名ではなく、「養老」という名でした。
田中さんは「養老」という名に古いイメージを持ち、岐阜の酒だと勘違いされるため、
平成4年ごろに現在の看板商品でもある「水尾」という銘柄を立ち上げました。

酒造りに欠かせない水と米も変えました。
昔は井戸水を使っていましたが、飯山は雪が降る地域のため、
消雪パイプを作ろうと役場の方がつぎつぎに井戸を掘っていき、
酒造りに使っていた井戸水はだんだんと涸れて水質も悪くなりました。

悩んだ末、水を変えようと良い水を捜し歩き、15キロ北の野沢温泉村一角、
虫生という農家の方が昔から使っている井戸水にたどり着きました。
水質も味もよく、今ではトラックで年間200回程汲みに行きます。

米も良いものにしようと徐々に良いお米に。
今は“金紋錦”と“ひとごこち”というお米を使っています。

実は飯山、米作りに最適地でした。
飯山、野沢温泉、木島平、栄村の4市村で作っている米をコンテストに出すと、
4千軒中40軒の優秀賞の中に、5〜10軒ほど入るのだとか。
コンテストに優秀賞として殿堂入りしてしまうほど米作りの技術が高く、
とてもおいしいお米のとれる地域だったのです。

このように、試行錯誤をしながら、地元の水や米にこだわり、
おいしいお酒を追求し、伝統を守りつつも
改良しながら受け継いでいます。

 

地域に根差した味

 

 

流行りに合わせた酒造りがあまり好きじゃない。
東京にいた時は吟醸酒が大好きだったが、
こっちに帰ってきて1年くらいこっちの食生活してたら全然だめになった。
という田中さん。

飯山地域の美味しいお米食べておいしい野菜食べる食生活、
雪の中で暮らして、この環境の中で暮らしていると
何か味覚的な好みが変わってくるのだと言います。

「水尾」の味のこだわりについてお話しいただきました。

もっとシンプルなものが欲しくなる。
香りで言うとゴージャスで華やかなものでなくもっとナチュラルな香りが良い。
毎日飲んでも飽きないようなお出かけの服でなくて普段着の味わい。
そういったお酒を造れるように酵母や作り方を選んでいきます。

水尾はすっきりしているように感じるけれど、うまみがある。
透明感のあるうま味のある酒造りをしたいんです。

透明感のある水のようなお酒っていうのは、カメレオンのようなお酒。
人間の香りの組成みたいなものと自然に溶け合うものが
最も透明感のあるお酒なのではないかと思います。

甘いだけのものはあきてしまう。
甘みを減らすにはうまみでカバーすれば良いんです。
うまみの正体は苦みや渋みで、その苦みや渋みが飽きの来ないポイント。
だしもそのままは苦い。
酒もそういったうまみをどういうように表現していくかっていうのが
透明感のある自然のお酒をどう作るかに関係していくと思うんです。

「この地域の人たちは吟醸酒が苦手」と話す田中さん。

この地域で食べているものや風土に基づいた個性のあるお酒を造れれば、
お酒としての存在意義が小さなメーカーにもあると思うんです。

大事なのは世間で良いと思われているものではなく、
自分で良いと思ったものを選択しようとする力。

世間の中の成功体験を真似するのは簡単なことでどこかテキストにも書いてあることだけど、
試行錯誤の中で良いものを求めたり、自分の感覚を信じるしかない。

その人の価値観を磨き上げていくしかない。
自分がもっているものは結構決まっているので、
自分の持っているものの中の個性みたいなものを磨く作業しかないんですよ。
真似しても追いつけないんです。
だけど、自分しか持ってない、地域しか持ってないもので勝負しよう、
それを磨いていこうと思うと、追いつけるというよりも違う土俵に立つことができます。

ただ、注意すべき点は個性があるということと
クオリティが良いということは別でかんがえること。
ある一定のクオリティを超えなければ個性は欠点でしかない場合もある。土俵すらできない。

 

手仕事を受け継ぐ

 

 

田中屋酒造店さんは比較的若い方が多く働いています。
大卒の方もいますが、地元の高卒の方が多いのだそう。
そんな田中屋酒造さんに技術を受け継ぐことに対する考え方をお話しいただきました。

高卒ですぐ働きたい人で酒造りに少し興味あるなという人が来る。
あえて酒造りがしたいと入ってくる人は少ないけれど、
そこが良くて、フラットな気持ちで入った方が良い。
まっさらな状態の方が価値観を共有しやすく、同じ価値観で働けることが重要なんです。

大学の醸造学科で学ぶのも良いが、限界があるので、
実地でやって学んだ方が絶対に良い。
高卒で酒造りを始めた人も今では10年以上のベテランですよ。

うちでは精密な数字分析をしているけれど、
その分析結果を優先に作るのではなくて、
優先にするのは手触りや手仕事で感じる感覚。
その感覚を優先にして分析グラフとずれていってしまっても、
そのずれがその年の正解だったりする。

例えば、蒸米をひねる作業は非常に重要なんですけど、
最近はほとんどそういうことをやる蔵はなくなってるみたいですね。
実際ひねってみると、だんだん数字では得られない情報がいっぱい分かるんです。
酒造りに必要なのは、技術者というよりは職人。
伝統的に引き継がないといけない技術なんです。

他の造り酒屋って技術的の受け継ぎがされないまま若手に受け継いでしまうことがあるんです。
年代の高い杜氏と20代になって受け継ぎにもどってきた若手との間の人がいなくて、
年代の高い杜氏が直接若手に伝えようとするとなかなか話が伝わらない。

というのも、年代の高い人は体感で覚えろと言われてきたので、伝え下手なんです。
本当は次々に技術伝承して次の50代、次の40代と伝えていかないといけなかった。
そうしないと業界が技術の伝承が十分にできずに疲弊していってしまう。

年代の高い杜氏と若手の間に入る通訳のような存在が必要だと思うんです。

杜氏さんがこのぐらいが良いんだよと言ったこのくらいを
なんとか若手に言語化して伝える努力をしています。
うまみも理解するにはうま味の成分は数字では出ないので意見交換をしたり
感覚の部分をしっかりと共有しなくてはならない。
また、教わる方も教えてくれる人を信じなくてはならないんです。

信じ切れるまでは教わることはできないのだと田中さんは言います。

盗んで覚えろと言う昔からの教え方ではなくて、
若いうちからきちんと価値観を共有し、
受け継いできた伝統技術を正確に理解してもらうことが
確実に受け継いでいく大事なことなのだと思いました。

手触りや香り、その土地で長く生きている杜氏さんの感覚は
学校では教わることができません。
実地で得られることは非常に多く、数字では表せない感覚を身に付けることこそ
職人の技術伝承なのだと思います。

今回田中屋酒造の田中さんにお話しを聞き、
自分の持っているものを磨いていけば良いという言葉にはっとさせられました。
人が持っているものを羨ましがってばかりで、自分が今何をもっているのかすら
考えていませんでした。土俵が違っても良い。
自分の良いと思った感性を大切に生きようと思いました。

雪の中の和紙工房 内山紙の魅力編

東京駅から北陸新幹線で二時間。

 

工房に向かうと風景は変わり、雪解け水の屋根からこぼれる音だけが響く銀世界。

ここ長野県飯山市で江戸時代初期から受け継がれる伝統工芸こそ、内山紙です。

 

私が内山紙職人の阿部一義さんの工房にお邪魔させていただくと丁度、
職人さんとその見習いさんが柔らかく湿った和紙を、
特注のレトロな機械で乾かしているところでした。

 

 
数十枚か重なって寝かされた和紙を一枚ずつめくって機械の上にはらりと優しく置き、
乾かしながら手際よく刷毛で強く撫でてしわをのばしていきます。

 

静かな工房に、刷毛の音だけが響いていました。
私もこの工程を体験させていただきましたが、
絶妙な力加減がとても難しく、完成品はしわだらけでした。

 

工房の皆さんはそれをそつなくこなし、完成品にはしわひとつ、
ムラひとつありません。

その手つきと皆さんの真剣なまなざしに、
内山紙に対する敬意と強い愛情を感じました。

地元に帰って、日本の伝統工芸に携わりたいと思ったから。
飯山の風土が好きだから。

見習の皆さんが工房に入ったきっかけは様々でしたが、お話を聞けば聞くほど、
内山紙に本当に愛情を持っているのが伝わってきました。

中には、埼玉から毎週末通っているという方も。

手間がかかること
それが内山紙の魅力であると、見習いの天野さんは言います。

 

阿部さんの工房では、和紙の材料となるコウゾの木を育てるところ
から和紙として製品にするまですべての工程を行っています。

“雪さらし”といって雪の上にコウゾの枝を並べて漂白する、雪国ならではの工程もあり、
私たちの知る和紙の形になるまでは、本当に気が遠くなる作業です。

その長い道のりを経てやっと完成した和紙を見た時の達成感こそが、
内山紙製作の魅力だそうです。

私も工房にお邪魔してはじめて、手すきの和紙が職人さんたちの手で作られる現場を
目の当たりにし、皆さんの和紙に対する思いに触れると、
ラッピングされて道の駅の店頭に並ぶ和紙が全く違うものに見えてきました。

そちらでは内山紙製の懐紙を二束購入しましたが、
人の手で漉かれた紙からは何とも言えない暖かみが伝わってきます。

そしてこの懐紙、強く引っ張ってもなかなか破れないんです!

手すきの和紙は、障子紙としても使われるくらいに頑丈です。

白くて美しく、更に丈夫でやぶけにくい。

雪さらしなどの間のかかる作業段階をふみ、
職人さんが長い時間をかけて生み出した内山紙の魅力です。

後半では、その内山紙と伝統工芸全般の現状と課題について、
紹介させていただきます。

 

名前:柳葉優有
職種:ふたりごと文庫編集部
出身:福島県

雪の世界の内山紙 後編

長野県飯山市の内山紙取材後編です。
 
前編では工房内の見学をさせていただきました。
後編では、阿部製紙にて作られている、様々な紙の工芸品について紹介していきます。

内山紙の七変化

 
紙の工芸品と言われたとき、何を想像しますか?
正直私はあまりイメージが出来ませんでした。
 
ですが、そこには本当に紙とは思えないようなものがたくさんありました。
工房内にたくさんありすぎて、見えるものすべてが紙なのではないかと疑ってしまうほどです。
 

 
このランプは紙を二重に重ねて片方を切り抜き、明るさの違いを出すことで模様を作っています。
 

 
写真右側は、針金に紙を張り付けて、独特な形が形成されまたランプです。。
 
内山紙の頑丈さと、温かさが最高にマッチしています。
部屋にこんなにすごいものが置いてあったら超オシャレです。
無機質なLEDの光も、紙を通した間接照明にすると一瞬で温かいものとなります。
驚くほどの可能性を感じてしまいます。
 

 
今風のオシャレなクラッチバックです。
 
一見、紙に見えませんよね。
でもよーく見てください、これ紙でできているんです。
 

 
次もそうです。
この、栗のような形をしたかわいらしいバック。
 
これも紙でできてます。
 

 
そして極めつけは最後の写真。
私がどや顔で写っていますが、注目すべきはその胸元、手でつかまれているものです。
 
そうネクタイです。
そのまさかですよ。
 
これも紙でできているんです!!!
 
信じられますか?
その場で持ち帰ってしまいたくなるくらいかっこいいです。
私ではなくネクタイが、です。
 

 
そして、この二つの綺麗に染められたクッション。
このクッションも紙なんです。
 
しかも、この二つのクッション、両方とも肌触りが違います。
片方は少し固めでもう片方はとてもやわらかくなっています。
 
左側のクッションは、少しだけ肌触りが固く、しっかりとした安心感を感じます。
対して右側のクッションは、非常に柔らかく紙とは思えないほどに滑らかなさわり心地です。
 
さらに、このクッションは大事に使えば3、40年も持つといいます。
使い込めば使い込むほど、色が鮮やかな味を放ち、だんだんとほぐれていき
丁度いい柔らかさになっていくそうです。
 

 
最後に、この木のような置物と、壺のような焼き物。
 
もちろんこれも紙です。
 
持ってみるとわかるのですが、非常に軽いです。
持って重さを確かめるまでは紙だと信じられないほど精巧さです。

内山紙の可能性

 
内山紙は今現在、障子や書道紙を中心に販売しているといいます。
私はそれだけでなく、この内山紙の、和紙の可能性を見られたと思います。
 
多くの田舎には伝統工芸品が存在します。
和紙もまた、いくつかの地域で作られています。
 
それは、人によってはどこにでもあるもののように映るのかもしれません。
しかし、どれも一緒のものではありません。
 
ここ阿部製紙では、和紙のたくさんの可能性を見させていただきました。
紙でここまでたくさんのものを作れることも、他とは大きく違う、とても大事な魅力です。
私はここを見学する事が出来て、職人さんのお話を聞いて、魅力を感じる事が出来ました。
 
私はこの可能性が、職人さんだけでなく多くの人に認知され、
より多くの人に内山紙を始めとした伝統工芸に携わる人が増えていけばいいなと思いました。

 
 

名前:中川太智
職種:ふたりごと文庫編集部
出身:神奈川県

変幻自在な内山紙 後編

飯山市の伝統的工芸品である内山紙の伝統工芸士、阿部一義さんの工房では、
内山紙を学びたい、好きだから勉強したいと様々な想いを持った人たちが一義さんのもとに学びに来ています。

今回はその方たちにお話しをお聞きしました。

 

埼玉から通う、天野さん

 

 

―通われてどのくらいになりますか?

5年ぐらいになりますかねぇ。

―5年も?!なぜ一義さんの工房で内山紙を学ぼうと思ったんですか?

長野県の自然に惹かれて埼玉から通っています。
もともと和紙が好きで、和紙研究会にも入っていて、埼玉でも和紙の勉強はしていたんです。

―和紙作りの魅力って何ですか?

まず手漉きと機械だと全然風合いが変わってくるのが面白いんです。
紙漉きも楽しいですが、楮という原料から仕立てる作業が、大変ですけど好きなんです。

―それは体験してみないと分からない魅力ですね。

そうですね、何か良さを伝えたいと思った時に、実際に体験したことを伝えるのと
聞いたことだけを伝えるのでは熱量が全然変わってくると思うんです。

 

内山紙に詳しいという方と現実的なお話

 

今は後継者不足っていうのがどこ行ってもあるから大変だね。

―後継者不足の1番の理由ってなんでしょうか。

やっぱりこれだけでは収入が安定しないっていうのが理由だね。
県が後継者を見つけるサポートをしてたり、いろんな取り組みをしてるんだけど難しい問題だよね。

―収入の安定というと、どんな取り組みができるでしょう。

一番は売れるようにすることだと思うよ。
例えばきちんと販売する販路を確定させてあげること。
そしてどういう商品をつくってどうやって売るかを考えることだね。

―どういう商品をというと?

今は障子のある家も減って、和紙を使う人が減ってしまっているから、
今の人に和紙を使ったどういう商品を作ればよいのか考える必要があるんだよね。

例えば、生活の中で使ってもらえるっていうのが大事だから、
昔のままの世界観や価値観じゃなくて、新しい人を取り入れたり、デザイナーをつけたり、
今の人にも使ってもらえるものっていう商品を考える必要があるよね。

―後継者を見つけるにはその仕事で生活できることが大事ということでしょうか。

生活できることも大事だ。でも伝統に興味のある若い人って、とにかく好きだからやりたい!
って人が多くて、そういう気持ちからやってみるっていうのも大事だと思う。

 
 

お二人の話を聞いて、もともと興味があったり、地元であったり、
内山紙に関わる理由は人によってさまざまであるけれど、
関わるきっかけがあることは素敵なことだなぁと思いました。

内山紙の魅力、地元の伝統的工芸品、知らないなんてもったいない。
日本の大事な伝統は多くの人に知ってほしい、触れてほしい。
まだ存在を知らなかったり、興味を示すきっかけがない現代人に、
昔のままだけでない、新しい方法でアプローチしていくことが必要だなと感じました。

 

内山紙を乾かす体験!

 

 

鉄板に濡れた和紙を貼って、上から刷毛で空気を抜きます。
簡単そうに見えて結構難しい。

横から一義さんや皆さんに、
「もっと力入れて!」「端の方全然空気ぬけてないよ!」
など熱いアドバイスをいただきながら頑張りました。

刷毛をかけた部分がピシッとするのがとても楽しい。
乾いた後鉄板からシュパッと和紙をはがすのも癖になります。

少しよれてしまいましたが初めてにしては良い出来だとほめていただき、
とても嬉しい!

体験してみて感じたのは、やっぱり人から話を聞くだけじゃなくて、
実際に体験しないと分からない面白さがあるということです。
自分自身で感じることが、これ好き!に繋がるということ。

実際に触ることで水の冷たさや作業の難しさ、大変の中にあるやりがいや楽しさなど、
自分にしか分からない好き!のポイントを発見でき、好きのポイントを沢山見つけることで、
今後も関わっていきたい!という気持ちになるんじゃないかな~?っと思ったりしました。

 

手作り卒業証書?!

 

 

一義さんの工房では、小学生に紙漉きを体験してもらい、
卒業証書を自分の手で作るという取り組みをしています。

自分でつくった卒業証書はきっとすごく特別に感じるんだろうなぁ…と羨ましく感じます。
内山紙の手漉きの風合いは、大人になってから卒業証書を見返した時に、
一義さんの工房で体験した時の気持ちを思い出す、味わい深いものになる、
とても素敵な取り組みだと思いました。

このような小学生の頃から地元の伝統的工芸品を体験したり、
何らかの形で触れてもらうことが、伝統をつないでいく大切なことだと感じます。

また、伝統を受け継ぎつつも新しい価値観を取り入れて、
今の人やこの先の人、多くの人に使ってもらう。

例えば、障子のある家が減っているので、
洋風な家にも置けるような、おしゃれなインテリア雑貨。
内山紙の高い品質と風合いを生かしてファッションに取り入れるなど、
内山紙という変幻自在な上質な素材を、今の人たちの生活や日常に溶け込ませることが、
古い伝統という考えから今も人々の生活に寄り添う伝統に繋がると思います。

内山紙をつくる職人だけでなく、
内山紙を使って作品を作る人を増やすことが大事なのではないかと考えます。

そして、内山紙が好き!と思うファンが沢山増えたら嬉しい♪

私の地元にも伝統的工芸品はあるのだろうか。考えたこともなかったけれど、
もっと自分の地元を知りたいと思えるきっかけになりました。

一義さん、お話をして下さった皆さん、貴重な経験をさせていただきありがとうございました!

 

名前:柏原彩里
職種:ふたりごと文庫編集部
出身:神奈川県

変幻自在な内山紙 前編

長野県の北端に、飯山市があります。

自然豊かで豪雪地域である飯山市は、冬になるとあたり一面白銀の世界が広がります。
平成27年には北陸新幹線が開通し、全国各地からのアクセスがとても便利になりました。

そんな飯山市には沢山降る雪を生かした伝統的工芸品、“内山紙”という和紙があります。

今回私は内山紙を作る職人、阿部一義さんの工房へおじゃまし、
内山紙づくりの体験と工房の見学をさせていただきながら、
内山紙についてのお話を聞かせていただきました。

それにしても、工房に行くまでの景色が素晴らしい!

 

白く雪化粧した山々に、高く降り積った雪。
雪を見慣れていない私にはとても幻想的で息を飲むような景色でした。
空気も綺麗で美味しい!

 

内山紙とは…

 

工房に到着。
一義さんよろしくお願いします。

 

まず見せてもらったのは内山紙を作る大きな機械!


 

ぐるぐると巻かれていく出来立てほやほやの内山紙は、ほのかに暖かいのです。


 

ガションガションという音と共に、とろとろとした水から内山紙が出来上がる
この一連の様子を1日中ぼーっと横でながめていたい…。

一義さんが内山紙が完成するまでの工程を教えてくれました。

これが原料となる楮という植物です。


 

この楮の黒皮を雪の上に並べて雪にさらします。
これが内山紙をつくる特徴的な工程、“雪さらし”と言います。

この“雪さらし”を行うことで、太陽の紫外線と雪の水分からオゾンが発生し、
楮が漂白され綺麗な白い内山紙となります。


 

雪の多く降る土地だからこそ生まれた技法であり、雪にそんな力があるとは…驚きです。

原料になる楮を栽培し、皮を剥ぎ、雪さらしを行い…
和紙になるまでなんて時間と手間暇がかかる作業なのでしょう。

 

手漉き体験!

 

 

楮とのりの入った冷たい水はとろとろと気持ちがよく、この水が和紙になるのかと不思議な気分。

水中の楮を沢山すくいあげ、縦横にふりふり…
一義さんのサポートもあり完成!
今回はハガキサイズのものをつくらせていただきました。


 

手漉きしか体験していないのに自分で作ったオリジナルの山内紙に感動し、
伝統的工芸品の内山紙を体験できた喜びで興奮しました。楽しい!

 

紙という概念を超えた衝撃の作品たち

 

一義さんが内山紙でつくった作品を見せてくれました。

ランプは和紙の切り込み方、形、透かし方のデザインによって周りの雰囲気を変化させ、
和紙を通して伝わる光は温かみのある柔らかな光になります。


 

デザイナーの方がつくられた作品もありました。
シンプルなものから見た目のかわいらしいものまで数多くあり、
1つ家に置いただけでおしゃれな空間になること間違いなしです。

次にみせてくれた作品はなんと木彫りの置物?


 

に見えますが、じつは和紙でできているのです!
型となるものに和紙を貼り重ねるとできるそう。

どこから見ても木彫りの風合いを出しているその置物ですが、
和紙でできているので持ってみるととっても軽く、見た目とのギャップが面白い。

工房の中を見渡してみると、
木彫りでできているような壁飾りやお面がいくつも置いてありました。


 

もちろんこれもすべて和紙。完全に騙されました!
ほかにも鉄でできているような、和紙でできた壺があり、
木の風合いだけでなく鉄のような風合いも出せる和紙に衝撃を覚えました。

一義さんの息子さん、阿部拓也さんが、今作っている作品をみせてくれました。
なんと和紙でできたクラッチバッグ!


 

おしゃれすぎます。まだ開発段階だとおっしゃっていましたが、完成するのが楽しみです!
内山紙でできたバッグは使っていくうちに徐々に手になじむ柔らかさになっていき、
より風合いが出てきます。丈夫で長持ちもするため、大切な人にプレゼントするにも最適です!

まだまだ作品あります!
内山紙でつくった鞄、クッション、服、ネクタイ。
え、これ本当に和紙で作ったの?という驚きの品々が次から次へと出てきました。


 

鞄は可愛らしくしっかりとした質感で多少重いものでも十分入りそうです。


 

クッションは驚きの柔らかさ、
もっとゴワゴワしているかと思ったのに予想外のさわり心地。
これは実際に触っていただきたい!

服を着させてもらいましたが、着ると暖かく、やはり柔らかな質感で着心地は最高、
ネクタイも使えば使うほど味わいが出る内山紙でできているので、
こだわりの強い人や長く大事に使いたい人など絶対に欲しい人がいるはず!

この品々、なんと一義さんのお母さんがつくられたものなのだとか。
一義さんのお母さんの時から、内山紙を障子紙など紙としての機能でなく、
日用雑貨やファッションに取り入れるアイデアを出して、実際に形にしていたことに驚きです。

そして、今も綺麗に作品が残っているのは、丈夫で長持ちする内山紙だからこそだと感じました。

 

内山紙にふれて

 

和紙と聞くと障子紙や書道の紙など、紙としての機能しかイメージができませんでしたが、
今回内山紙を教えていただく中で、和紙というのは上質な素材であって、
その素材をどういうように加工するのかは自由なのだと、紙という概念が消えました。

それは、内山紙のような丈夫で長持ちし、
日焼けしにくい品質の良さがなければなかなかできないと思います。

楮や雪などの自然の力を借りながら職人の手で手間暇かけてつくられた1枚。
内山紙でできたものは絶対に大切に使いたいと思える一品になるはず。

短い時間でしたが、内山紙が大好きになりました。

内山紙の可能性をもっといろいろな方に知っていただきたい!
内山紙を使った素敵な作品が沢山生まれれば素敵だなと思います。

 

名前:柏原彩里
職種:ふたりごと文庫編集部
出身:神奈川県

【長野県飯山市(インターンツアー)】編集室メンバーが書いた取材記事を公開!

2019年2月18日〜19日、経済産業省が公募を行っていた

「伝統的工芸品産業支援補助金」のプロジェクトの1つとして大学生3名が長野県の飯山市へ。

 

 
プロジェクトに採択された、株式会社ファストコム(ニッポン手仕事図鑑)は、
長野県の伝統工芸品

『南木曽ろくろ細工、信州紬、木曽漆器、飯山仏壇、内山紙、信州打刃物、松本家具』

の7品目において、支援プロジェクトを行ってきました。

 
▼詳しくはこちら▼
【経済産業省 採択結果ページ】

【ニッポン手仕事図鑑 イベント情報ニュース一覧】

 

今回訪れた長野県の北端に位置する飯山市は、

「信濃平」「斑尾高原」「北竜湖」「戸狩温泉」「なべくら高原」「いいやま市街地」

と6つのエリアに大別できます。

どの季節に訪れても、色濃い四季を体感することができる町です。

 

 
そんな飯山ですが、平成27年3月に北陸新幹線・長野~金沢間が開通し、
「飯山駅」が誕生しました。

新幹線が開通し、全国各地からのアクセスがぐっと便利になった飯山には
注目の目が集まっています。

そんな飯山を訪れた大学生が1日目に向かったのは

千曲川の近くに工房を構える『有限会社 阿部製紙』さん。

 

 

実際に手漉きの体験や乾燥作業を体験し、
内山紙の魅力を感じた3人の記事をぜひご覧ください。


【柏原彩里】


『変幻自在な内山紙 (前編)』
『変幻自在な内山紙 (後編)』

【中川太智】

『雪の世界の内山紙 (前編)』
『雪の世界の内山紙 (後編)』

【柳葉優有】

『雪の中の和紙工房 内山紙の魅力編』
『雪の中の和紙工房 伝統工芸としての内山紙編』

 

雪の世界の内山紙 前編

今回、内山紙について知るために、長野県飯山市へ。

北陸新幹線が通る飯山市は、スキー場や温泉などが魅力です。
冬になるとスキーや温泉を目当てにやってくる観光客がたくさんいます。
 
現代的な綺麗な飯山駅から少し離れると、真っ白な雪の世界が広がります。
都会で育った私にとってはこの大量の雪が、とても眩しく非常に魅力的に映りました。
 

 
多くの地域には伝統工芸品が存在します。
 
しかし、一つとして同じものなんてありません。
例えば、同じ和紙でも工程は異なり、触感が違うものもあれば、用途の向き不向きもあります。
 
このように、同じものを作る地域があっても、その場所独自の魅力は必ずあります。
 
今回訪れた飯山市の伝統工芸である内山紙は、雪ざらしと呼ばれる工程によって
非常にきれいな白を発色し、原材料ある楮からは薄くて丈夫なかみとなっております。
 

 

内山紙を作る工房「阿部製紙」

 
訪れたのは、千曲川の近くに工房を構える「阿部製紙」さんへ。
古来から日本の和紙作りの原料となってきた楮(コウゾ)
というクワ科の植物を100%原料に使います。
 
「雪さらし」という工程を行う内山紙は、綺麗な白の漂白と、驚くほどの丈夫さ、
また紫外線への強さを得ます。
そのため、書道紙や障子に使われることが多く、国内でも最高級の品質を誇ります。
 
今回私は、阿部製紙さんを取材させていただく事になりました。
 
最初に出迎えていただいたのは、
有限会社 阿部製紙の代表取締役である阿部一義さんと、
伝統工芸士である息子さんの阿部拓也さんでした。
 

(温かく見守る阿部一義さん)
 

工房見学

 
工房内を見学しながらいろいろな機械と紙の説明をしていただきました。
 

 
現在は手すきだけではなく、機械を使った生産もしています。
大きな部屋に広がる機械たちは、やる気にみちた声を出しながら紙を作っています。
 

 
和紙の作成工程は、まず原料の採取、加工から始まり、すき、圧搾、乾燥を経て完成となります。
さて、ここの写真の工程は何だと思いますか?
 
工程の途中にあるこの機械、これがちょうど「手すき」のところだそうです。
 
この工程を超えると一気に私たちが知るような和紙に近づいていきます。
 


 
そして最後に、水蒸気が立ち上るこの大きな機械に一枚一枚が貼り付けられます。
高温になった鉄のローラーに薄く伸びると、和紙はたちまち脱水され、熱せられます。
 
そして、一回転した向こう側には、出来立てほやほやの和紙が。
手に取って触ってみると、人肌より少し高い温度の、優しい温かさを感じます。
 
機械で作る工程も、回りながら見ていると人の手で
やっていることの形が変わったものだと実感することができます。
しかし、機械でできた和紙は非常に均一できれいなのですが、
やはり手すきで作られた紙の方が心地のいいさわり心地や温かさを感じました。
 
それを手でやってしまう職人さんも、延々と稼働し続ける機械もどちらもすごいものです。
黙々と稼働し続ける機械の錆が、長年職人さんとともに頑張ってきたのを感じさせました。
 
後編へ続く

 

名前:中川太智
職種:ふたりごと文庫編集部
出身:神奈川県

東京100年企業フォーラム〜伝統の技の100年先を考える〜に、編集長 大牧が登壇しました



3月20日(水)、
NIPPON GALLERY ABIDO MARUNOUCHIで開催された、
江戸東京きらりプロジェクト「東京100年企業フォーラム~伝統の技の100年先を考える~」。

編集長の大牧が、「人を育てる、技を受け継ぐ」をテーマに、
トークセッションに登壇いたしました。


【イベントの様子】

江戸東京きらりプロジェクト「東京100年企業フォーラム~伝統の技の100年先を考える~」

江戸東京きらりプロジェクト「東京100年企業フォーラム~伝統の技の100年先を考える~」

江戸東京きらりプロジェクト「東京100年企業フォーラム~伝統の技の100年先を考える~」

江戸東京きらりプロジェクト「東京100年企業フォーラム~伝統の技の100年先を考える~」

「伝統工芸には、作り手と使い手、
そして『伝え手』が大切」という話には、
大きく頷かれている参加者も。

また本フォーラムには、小池都知事も登壇。

日本が誇る伝統産業・伝統工芸のこれからについて、
参加者全員が今一度考え直す契機となりました。

Design Week Kyoto内「DWK CROSS」に、編集長 大牧が登壇しました

2月23日(土)、京都市のSenbon Lab.さんで開催された、
Design Week Kyoto内のイベント
「DWK CROSS : Life Sharing ~謎多き西陣をチラ見せる~」に、
編集長 大牧がゲストパネラーとして登壇しました。

イベント当日は、
京都・西陣からの豪華なゲストの方々に
「西陣の今」を語っていただくだけでなく、
伝統工芸を伝えていくための
「これからのメディアのあり方」についてのディスカッションも。

当初のスケジュールより
1時間延長してトークが繰り広げられるなど、
とても白熱したイベントとなりました。

また、今回会場となったSenbon Lab.さんとは、
これからもイベント等を開催していく予定です。
どうぞご期待ください!

シンバル職人│小出シンバル

大阪府大阪市に工房を構える「小出シンバル」は、国内唯一のシンバルメーカーである。昭和22年の創業以来、70年以上手がけてきたのは、へらしぼりという金属加工。約20年前に、若手社員が「本物のシンバルをつくりたい」と声をあげたことが、研究開始のきっかけとなった。当初は上手く鳴らなかったシンバルも、素材や加工技術を研鑽し続け、その豊かな音で今や多くのファンを持つまでに。世界の市場に立ち向かう、勇ましい「小出」のロゴは、Made in Japanの技術とプライドの結晶である。

雪の中の和紙工房 伝統工芸としての内山紙編

長野県飯山市の伝統工芸、内山紙。
職人、阿部一義さんの工房には、その魅力にひかれた方々が見習いに来ています。

 
前半で紹介した通り、魅力にあふれた内山紙ですが、
若い後継者の不足、伝統工芸品の需要減退など、
日本の伝統工芸の多くの現場と同様、現在沢山の問題を抱えています。

伝統工芸品の需要減退と内山紙の挑戦

 

前半でも触れましたが、内山紙は主に障子紙として加工されています。

しかし近年、日本の住居は和室から洋室へとシフトする傾向にあります。

もちろん、障子紙以外にも懐紙、ラッピングペーパと様々な用途で商品化されていますが、
天然素材100パーセントかつ時間と手間がかけられた和紙は、
機械で大量生産される紙と比べて安価なものではありません。


 

そこで、様々な内山紙制の新しい製品が開発されています。

(卒業生自作、内山紙の卒業証書)

 

(和紙制クッション)

 

丈夫な内山紙のクッションは、なんと30年使い続けられるとのこと!

(ランプシェイド)

 

内山紙を通したランプの灯りはほのかで柔らかく、暖かみを感じます。

和室から洋室へとシフトしている現状に一番適した製品として期待されています。

時代に合わせた内山紙製品の変容
素敵でしょ。

 

若い後継者の獲得

 

この問題は現在、日本の数々の伝統工芸の現場が直面している問題です。
伝統工芸の職人って、夢のある響きですが、
収入が安定しづらく、県自治体からの経済的支援があっても厳しいと言います。

飯山市から首都圏に出た若者のUターンする率も低下しており、
内山紙の工房に限らず、若者の人手不足も深刻です。

現在阿部さんの工房でも若い後継者の不足が問題となっています。


 

今回皆さんの工房にお邪魔させていただき、日本の伝統工芸の魅力と価値を
再確認することができました。

機械で大量生産が主流の時代ではありますが、人の手で丹精込めて作られたものには、
暖かみとか味とか、制作の過程や作った人の愛情と思いが裏に透けてみえるような、
なんともたとえがたい不思議なものがあります。

今回が私たちの初めての伝統工芸の現場の取材でしたが、
その魅力をこれからもっと多くの人々に伝えていけるように何をしていくべきか、
深く考えさせられました。

 

名前:柳葉優有
職種:ふたりごと文庫編集部
出身:福島県

うるし蒔絵職人│漆芸よした華正工房

石川県加賀市の山中温泉付近で発展してきた、伝統工芸、山中漆器。「漆芸よした華正工房」では、その中でも茶道具を中心に取り扱ってきた。漆で絵や文字を描いた後、金や色粉などを蒔いて装飾する蒔絵の技法を活かし、一品一品を丁寧に装飾していく。その道60年を超える職人・吉田華正さんでさえ「まだ道半ば」と語る、無限の可能性を秘めた漆の世界。若き職人たちにもその姿勢は伝播し、蒔絵ガラスなどの新たな素材や技法に挑戦し続け、伝統を進化させていく。

九谷焼職人│九谷陶泉

江戸時代前期、九谷村(現在の石川県加賀市)で、磁器の原料となる良質な鉱石が発見されたことがきっかけとなり、九谷焼は誕生した。その約50年後、突如生産が終了してしまったものの、江戸時代後期に制作が再開。明治時代からは、輸出産業としても盛んとなった。高級品という印象を抱かれやすい陶磁器だが、「九谷陶泉」では、裁縫道具のシンブル(指ぬき)や、箸置きを入れたガチャガチャなど、伝統を土台に、日常にも溶け込む意欲的な作品を展開する。

和ろうそく職人│髙澤ろうそく

明治25(1892)年に石川県七尾市で創業した「髙澤ろうそく」。寺社仏閣や祭りが多く、信仰心の篤い能登の地では、和ろうそくは古くから人々の生活と密接な関わりを持っていた。しかし、電燈の普及とともに各地の和ろうそくの店舗は姿を消し、現在石川県内で和ろうそくを製造するのは、髙澤ろうそく一店のみ。5代目となった高澤久さんも、てまひまをかけ、あたたかな伝統の火を灯し続ける。

【北海道当麻町】編集室メンバーが書いた取材記事を公開!Part3

9月にふたりごと文庫編集室のメンバー8人で取材に行った北海道当麻町。
その時の取材記事が当麻町のウェブサイト「全部ある当麻町」で公開されました!
今回は、第19弾から第24弾までの記事をご紹介いたします。

当麻町から食を見直す。養生農園の食へのこだわり

当麻町取材旅行

第19弾は、「養生農園」を取材しました。
「当麻町イチ、食材にこだわっている」と言われ、
米や野菜だけではなく、調味料ひとつまで無添加の養生農園。
そんな食へのこだわりの強さの裏には、ひとの変化への危惧も…。
「125歳まで生きることが目標」と話す粂田さんのお話には、
ハッと気付かされるものがあります。

この記事について詳しくはこちら!

当麻町でバーベキュー体験

当麻町取材旅行

第20弾は、「バーベキュー体験」!
どこでもできる・いつも同じなバーベキューも当麻町ではひと味ちがう。
飯盒にまき割り、そしてビッグなマシュマロと驚きが連続でおこります。
戸惑う姿にふふっと笑ってしまう、
そんなたのしい記事で当麻町の空気感と一緒にお届けです。

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ちょっと変わったお肉屋さん、山本精肉店
~アツアツご主人とジンギスカン~

当麻町取材旅行

第21弾は、「山本精肉店」を取材しました。
66年目になる老舗精肉店のチャーミングな店主さんと、秘伝のタレが自慢のジンギスカン。
スーパーやコンビニにだって、お肉は売ってるけれど、
「わざわざ立ち寄りたくなる」、そんなお肉屋さんが当麻町にはありました。

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当麻町 養生農園のおいしい物

当麻町取材旅行

第22弾は、「養生農園」の、食レポ記事です!
食や生きることそのもののお話を聞きながら、
じつはおいしいものもたくさん頂いていたんです。
ソーセージにイチゴ、そして初めて食べた「マクワウリ」。
ソフトクリームに◯◯をかけて、みたらし団子に…!?
おいしさいっぱいの当麻町を伝えます。

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「好きなことを一生懸命に」ピザハウスココペリを経営するご夫妻

当麻町取材旅行

第23弾は、「ピザハウス ココペリ」を営むご夫婦に取材しました。
しらかばの山のなか、ひっそりと佇むログハウス。
日常を大切に過ごしながらも、まだまだ旅の途中、夢の途中なおふたり。
「あるがまま自由に生きる」「これからどう生きるか」、
そのヒントを教えてもらいました。

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当麻町で5代続く多品種栽培の農家『髙橋農園』

当麻町取材旅行

第24弾は、「髙橋農園」に取材しました。
3日間の当麻町取材、最後にであった髙橋農園5代目のスーパー農家・髙橋希さん。
なんと、生産だけではなく、マーケティングから企画、デザインまで手がけているんです。
その仕事を「すべて楽しい」と答える髙橋さんは、まるで改革者のようでした。

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どの記事も当麻町の魅力をたっぷりと感じられるものになっています!
皆さま是非ご一読ください!

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【ご報告】

これまでの感謝の気持ちを込めて、大事な、大事なご報告です。

2019年1月23日、
「株式会社ニッポン手仕事図鑑」を設立しました。

2015年1月に産声をあげたニッポン手仕事図鑑は、
この4年間、たくさんの方に支えていただきながら、
少しずつ少しずつ、成長をしてきました。

まだまだ未熟な動画メディアにもかかわらず、
たくさんの素敵な出会いに恵まれたこと、
たくさんのチャンスをいただけたこと、
今は素直に感謝しかありません。
本当にありがとうございます。

これからはその恩返しと、皆さまからの期待に応えるべく、
より積極的に、日本の地域が誇る文化や技術の魅力を、
多くの方に届けていきたいと考えておりますので、
これからも応援をよろしくお願いします!

スタッフ一同

ニッポン手仕事図鑑

1月7日(月)成蹊大学にて、編集長 大牧が授業を行いました

1月7日(月)成蹊大学にて、
編集長 大牧が授業を行いました。

授業の内容は『ちいさなプロジェクトのファンづくり』についてです。

実際に学生たちにプロジェクトを立ち上げてもらい、
そのプロジェクトに対して、
実践的に起業家的な考え方を学んでもらうというもの。

学生の皆さんは、
とても熱心に自分たちのプロジェクトについて
ディスカッションをしていました!

【授業の様子】

成蹊大学にて

成蹊大学にて

成蹊大学にて

成蹊大学にて

刺繍職人│和光舎

3,000を超える寺院が存在する、歴史の都、京都府京都市。法衣のクリーニング専門業として1994年に創業した「和光舎」は、20年以上の歳月の中で、環境の変化や技術の蓄積とともに、業務を拡大していった。打敷(うちしき)の刺繍修復は、その中のひとつ。専門の工房を伏見区に構え、現代の職人たちの手によって、100年、150年と受け継がれてきた刺繍の修理と修復を、一針一針丹念に行う。いにしえの美を現代につなぎ、再び未来へと、伝統と技術、想いを伝えていく。

【北海道当麻町】編集室メンバーが書いた取材記事を公開!Part2

9月にふたりごと文庫編集室のメンバー8人で取材に行った北海道当麻町。
その時の取材記事が当麻町のウェブサイト「全部ある当麻町」で公開されました!
今回は、第7弾から第18弾までの12記事をご紹介いたします。

森と人とを繋ぎたい。家具職人原弘治さん。

当麻町取材旅行

第7弾は、当麻町の地域おこし協力隊員である、原弘治さんにお話を伺いました。
当麻町では、情操教育の一環として「木育」に取り組んでいます。
家具職人である原さんは、家具に使われる木材を生む森の「守り手」として、
森と人との関係をコーディネートすることに力を入れています。

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「北海道で一番美味しい!?」当麻のお米

当麻町取材旅行

第8弾は、長谷川農園の代表、長谷川新さんに取材を行いました。
全国でもトップクラスのお米の名産地である北海道。
当麻町は7年連続で「北海道一美味しいお米」に選ばれています。
代々農業を営んできた長谷川さんは、
この寒冷な地で美味しいお米を作るためにたくさんの試行錯誤を重ねてきました。

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カタチあるものを考えて使う

当麻町取材旅行

第9弾では、当麻町の子どもたちの遊びの場、家族同士の憩いの場、
そして障がい者の就労の場として作られた「くるみなの木遊館」を訪れました。
「木育」を推進している当麻町ならではの施設で、
子どもたちは木材に関わるたくさんのことを知って、実際に触れて、
学ぶことができます。

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出会いと発見がいっぱい当麻山

当麻町取材旅行

第10弾は、当麻町のシンボル「当麻山」について取材を行いました。
案内をしてくださったのは、ガイドの長多さんと石黒さん。
当麻山をめぐる「くるみなの森」を歩きながら、
図鑑を片手にさまざまな種類のキノコを観察したり、
木に残されたクマの爪痕を発見したり…。
道を進んだ先では、可愛らしい森の住人に遭遇しました。

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帰りたい場所が、そこにある。町を支える一軒の駄菓子屋さん
―当麻町・はしだ商店―

当麻町取材旅行

第11弾では、開業明治33年の老舗駄菓子屋「はしだ商店」さんを取材しました。
当麻駅近くの商店街に店を構え、元日以外は毎日営業しています。
子どもたちの拠り所として、また、大人になっても帰ってこられる場所として、
変わらずに地域を見守り続けています。

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当麻の魅力を引き出せ~この町を動かす移住者~

当麻町取材旅行

第12弾でお話を伺ったのは、とうま振興公社の石黒康太郎さんです。
今回の取材旅行で「ふたりごと文庫編集室」のメンバーが最もお世話になった方の一人で、
3日間のツアーの企画から、役場での町長さんとの意見交換会にも参加していただきました。
当麻鍾乳洞や当麻山の観光施設などの管理運営をする「とうま振興公社」では、
企画を練り、町の良さを発信し、地域おこしのために日々様々なことを行っています。

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通学路が大冒険!旧緑郷小学校

当麻町取材旅行

第13弾では、地域おこし協力隊である原弘治さんの案内で、
今は廃校となった旧緑郷小学校を訪れました。
新鮮な空気と森に囲まれた校舎は、
以前まで町のコミュニティ施設としても使用されていたそうです。

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楽しみをつなぐ場所「和のみ」

当麻町取材旅行

第14弾は、喫茶店でありながら、
敷地に陶芸教室と宿泊所を構える「和のみ」さんを取材しました。
経営者の菅野さんは、和のみを「表現の場所」として活用しています。
週末の夜には、喫茶店がライブハウスとなり、
さまざまな音楽イベントが行われています。

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森を丸ごとコンテンツ化!?北海道当麻町の森を遊び尽くす!!〜森林探検&森の中でのカレーづくり〜

当麻町取材旅行

第15弾、当麻町の地域おこし協力隊であり、家具職人兼木こりの原弘治さんと一緒に、
森の中でのカレー作りに挑戦しました。
ナイフでの火起こしや、スパイスからのカレー粉作り、焚火でお米炊きなど、
木漏れ日の優しい光に包まれた自然の中で、特別な体験をすることができました。

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当麻町の林産業について

当麻町取材旅行

第16弾では、当麻町の主要産業、林業についての取材を行いました。
町の面積の約70%が山林という、自然に恵まれた当麻町。
地域で採られた木材が、町内の住宅や施設などに使用されています。
町が推進している「木育」は、木に触れることで命の温もりを感じられる心を育てることを
目標にしています。

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すべてがすべて同じ咲き方じゃないからこそ
‐花工房比呂でのときめき備忘録‐

当麻町取材旅行

第17弾では、当麻町のお花屋さん、花工房「比呂」さんを取材しました。
町内外で人気のこちらのお店は、
冬季にはお店の外観に綺麗なイルミネーションを施して
訪れる人たちの目を楽しませてくれます。
男性スタッフの方も多いので、男性のお客様が相談しやすいお店でもあります!

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子どもたちと一緒に町づくりを-当麻町役場-

当麻町取材旅行

第18弾は、当麻町役場を訪問し、町長の菊川健一さんにお話を伺いました。
民間から町長になられた菊川町長さん。
町長を務めて19年、町民を代表して当麻町を盛り上げるため、
踏み込んだ改革に取り組み続けています。

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12月1日定住サポーター養成研修会「一人でも仲間とも!大館びとのファンづくり」に、編集長 大牧が登壇しました

12月1日(土)、
秋田県大館市で開催された定住サポーター養成研修会
「一人でも仲間とも!大館びとのファンづくり」に、
編集長 大牧が登壇しました。

イベントでは、
“弱者のファンづくり”(=ニッポン手仕事図鑑流のファンづくり)
をテーマに講座を行いました。

会場にお越しの皆さま、ありがとうございました!

【イベントの様子】

定住サポーター養成研修会

定住サポーター養成研修会

<イベント概要>
【第1部】編集者・プランナーに聞く地域の魅力の見つけ方

【第2部】ワークショップ 大館びととして暮らしてみて

【会場】大館市中央公民館 第1研修室

【主催】秋田県

【運営】NPO法人かづのclassy

⇒イベントについて詳しくはこちら

【北海道当麻町】編集室メンバーが書いた取材記事を公開!

9月にふたりごと文庫編集室のメンバー8名で取材に行った北海道当麻町。

その時の取材記事が当麻町のウェブサイト「とうまにあ」で公開されました!

今回は、私たちが書いた8記事を紹介していこうと思います。

 

くるみなの庭とエジソン

 

 

第一弾は「くるみなの庭」について、“そねちゃん”が書いてくれました!

ここは子供が自由に自然で遊ぶことのできる広場。

ちなみに当麻町には「くるみな」とついた名前の場所がいくつか存在します。

アイヌ語の「クル(人)」「ミナ(笑う)」にちなんでつけられているそうですよ。

そねちゃんは、ここくるみなの庭でエジソンが幼少期そうだったように
“豊な学びを楽しく”する場だと表現してくれています。

そねちゃん自身も東北の大自然のもと育った経験から、
好奇心」を原動力に遊びながら学ぶことの意義を知っているんですね。

それにしても、くるみなの庭を訪れて「エジソン」の例を出せるそねちゃん、
すごいなあ~と感心しました。

 
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北海道の冬をあたたかくするMOON LOIDの最強ダウン

 

 

第二弾は私、浅野有希が「MOON LOID」さんについて書きました!

ダウンジャケットなどを販売するアパレルショップMOON LOIDさん。

もともとインスタグラムで拝見し、ずっと行きたかったお店でした!

なんといっても、木でできた店舗がかわいくてテンション上がります。

この建物は80年前のもので、譲り受けたのだそう。

北海道当麻町は“木のまち”でもあって、いたるところで美しい木造建築が見られます。

木好きの私にはたまらなく嬉しい町でした。

主力商品である質にこだわったダウンジャケットは、とっても寒い北海道当麻町ならでは。

ふわふわですごく軽いダウンジャケットは新感覚です。
 
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当麻町で自給自足ー笑顔と生命あふれる相馬ファーム

 

 
第三弾は「相馬ファーム」さんについて、“おがた先生”が書いてくれました。

相馬ファームさんはご家族で無農薬・無化学肥料栽培をされている農園です。

案内をしてくれた佐藤さんはとっても明るく天真爛漫。

明るく丁寧に紹介をしてくださいました。

たくさんの野菜を栽培している相馬ファームさんを野菜のテーマパーク」と表現してくれました。

たしかに、敷地の広さや探検感、野菜を味わったり収穫させてもらったりさせてもらえて終始ワクワクしていました。

ポーカーフェイスでも内に熱い想いを秘めているおがた先生(本当の先生ではない)は、その感情の揺れを記事に込めてくれています。

私個人的には、そんなおがた先生の心の中を覗けているようで楽しい記事でした。

最終日に訪れた道の駅では、そんな相馬ファームさんのお野菜が置かれていました。

実際に訪れていなければ、この野菜たちに特別な感情を抱くことはなかったかもしれません。

野菜のテーマパークは、帰ったあとも小さな幸せをくれる素敵な場所でした。
 
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当麻鐘乳洞で冒険ツアー!

 

 

第四弾は「当麻鍾乳洞」について、“りさこちゃん”が書いてくれました。

当麻鍾乳洞は昭和32年に発見された自然の産物

今回は暗闇を体験できるナイトツアーに参加させてもらいました。

中に入ると無数の美しい鍾乳石がありました。その形は様々で、面白いものもありました。

りさこちゃんは「自然が作った作品」と表現してくれています。

鍾乳石はすごく長い年月をかけてつくられているもの。

自然、そして時間から作られているって本当に尊いことだなあと感じますね。

鍾乳洞って全国各地にありますが、当麻鍾乳洞がより楽しいと感じられたのは面白いガイドさんがいたからです。

豆知識やクイズでワクワクしながら進んでいきました。

りさこちゃんは、その内容をあえて記事に書いていません。ぜひ現地で楽しんでほしいからです。
 
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田んぼの学校の不思議な力

 

 
第五弾は「田んぼの学校」について、“みきてぃ”が書いてくれました。

田んぼの学校とは、当麻町が行う食育プログラムのひとつ。

小学校3年生~中学校3年生までが田植えなどの体験を行うそう。

この田んぼの学校、「食育のための田んぼ」だけではなく「町内外の交流の場」の役割をも果たしているのだと記事を読んで発見しました。

小・中学生だけでなく、ボランティアに訪れる町内外のすべての方々との関わりが生まれる場所。当麻町にとって、ここでの田植えはビッグイベントなのだなあと思いました。

そしてやっぱりこの取り組みのすごいところが、将来の夢を「農家」と書く子が増えたというエピソード。

農家も後継者不足に苦しむいま、こういった食育の取り組みこそが未来をつくるのだなあと感じさせられます。

私は田植えも稲刈りもしたことがないので、本当に羨ましい。
 
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真っ白のキャンパスに香るピザ〜「ココペリ」

 

 
第六弾は「ココペリ」さんについて、“しーちゃん”が書いてくれました。

絶品ピザを食べることができるココペリさん。

そのお店は森の中にぽつんと佇んでいます。この店舗もまた、当麻町の木で作られた素敵な建物です。

しーちゃんの書く文章は深みがあって、まるで小説を読んでいるかのよう。

素敵すぎるお話をたくさんしてくれたココペリを営むご夫婦は、たまたま当麻町を見つけてココペリをオープンさせました。

ふたりはまだまだ旅の途中のようで、当麻町へ“移住”したのではなく“移動”したのだといいます。

当時の当麻町はなにもなくて、真っ白だからこそ自分たちで何色に出も染められると思ったそう。

しーちゃんはそのお話を、ココペリさんの美味しいピザに重ねて

「真っ白な生地にソースを塗り、リズミカルに具を載せ、チーズを散らす。まるで白いキャンバスに絵を描いているように見えた。」と表現してくれています。

しーちゃんとココペリさんの世界観が融合された、すごく深みのある記事でした。
 
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とっても充実した取材になりました。次回は残りの記事をまとめます!
 
 

#2 楽しんでいる人には勝てない -可愛くない女の子なんていない!

 

みなさんはじめまして!
福岡の大学4年の山本富貴(やまもとふき)です。

編集長の浅野ゆうきさんから声をかけて頂き、
このような素敵な場で想いを発信できること、
とても嬉しく思います♡

今回は私の想いを存分に知ってもらうべく、
二回に分けて書かせてもらいます!!

可愛くない女の子なんていない!『#1 自分の人生をきりひらく』

 
 

daisySを作った理由。

 

 
 

daisySを作ったのは大きく2つの理由があります。

1つ目は、
社会問題を解決したい・たくさんの人を幸せにしたい
と思っていた自分が、今幸せではないという大きな矛盾に気づいた
こと。

そしてそれは、周りの人にも同じことが言えるのではないかと思いました。
社会問題に向き合っていたときに自分が一番敬遠していた
“自分のために何かをする”ということが、
実は今の日本人には一番足りていないのではないか
と思った。
少なくとも自分には絶対的に足りていないと思った。

だからまず、「自分で自分のことを幸せにできる人を増やしたい」
それは自分の存在意義を“他己”承認ではなく、
“自己”承認することで見出すことができたら、
もっと自分らしく肩の力を抜いて生きることができると思いました。

それは自己肯定感を他人に依存していて、
幸せをいつも他人軸で測っていた自分への想いでもあります。

 

そして2つ目が、
過去の自分がこんな団体があったら飛びつくような、
やりたいことに何でもチャレンジできる環境がある団体があったらいいな

と思って作りました。

「環境が人を変える」みんなが口をそろえてそういうけど、
環境を作ることは本当に難しい。

私はそれができなくて悩んで苦しかったから、
私がこんな環境があったらいいなと思う場を作っています。

何かやりたいけど、何をしたいかわからない、
やりたいことはありけど実現の方法が分からない人は
ぜひ一度声をかけてほしいです♡

 
 

人生楽しんだもん勝ち!!!

 

 

誰かのために何かをすることは素晴らしい。
それは紛れもない事実だし、むしろそれをモットーに生きてきた自分が
今ではまず自分が楽しいか幸せかどうかで判断するようになって、

「自己犠牲の上でいい顔をしようとしていないか」を問いかけるようになり、
何事も自分優先で考えるようになりました。

そこで気づいたことは、
「楽しんでいる人には勝てない」こと。

楽しんでいる人が放つプラスのパワーは何にも変えることができない、
人を惹きつけるとてつもなく大きな力があることに気づきました。

そのパワーはwin-win-winでしかない。
そんな大きな力を持った人間になりたいから、自分の心に素直に、
やりたいことはなんなのか・今幸せを感じられているのか、
自分の中の感性を大事に日々を過ごしています。

 
 

内定を辞退しました。

 

 

私の就活の軸は【何をするかより、誰とするか】でした。
3月の中旬に内定を頂いた会社の方々は本当に良い人ばかりです。
プライベートでも遊びたいし、もっと仲良くなりたい!!と思う人ばかりで、
就職するのが楽しみでした。

しかし、daisySの活動や起業したいという目標がどんどん明確になっていくうちに、
組織に属することがこわくなってきました。
「何かに染まりたくない。今の感性を大事にしたい。もっと自由に生きたい。」
そう思って、内定を辞退することに
決めました。

心では「大丈夫!どうにかなる!」と思っていても、
体は正直で辞退して6ら数週間、体調が悪くなりました(笑)

 

来年から本当に私は生活していけるのか……
そんな不安が消えない中で私の気持ちを救ってくれたのは、
周りにいる大好きな人たちでした。

お世話になっている経営者の方は一緒にできるビジネスを考えてくださったり、
一緒に面白いことでお金稼ごう!と言ってくれて。
不安な気持ちを大きな心で受け止めてくれる、心の底から尊敬できる大好きな仲間たち。

たくさんの人たちのおかげで大きな不安は少しずつ消えていき、
完全には消えていないものの今は未来にとてもわくわくしています♡

 
 

最後に

 

今の私の目標は、
「感性を大事に自分らしく思いっきり人生を楽しんでいる」
女性のロールモデルになりたい
です。

もっと“自己満足”の大切さ、
自分で自分のことを幸せにすることの大切さを発信していきたいです。

 
 

そして最後にもう一つ!!男の子に言いたいことがある!!
周りの女の子にもっと可愛いっていってあげてください♡

女の子にとって男の子からの可愛いは本当に特別で、
可愛いの数だけ自信がもらえます♡

可愛くない女の子なんていない。
外見も中身も。女の子はみーんな可愛い♡

 
 

最近、もし一か月まるまる休みだったら何をするかと聞かれて
意外とすぐに出てきた答えが「イベント!!」でした。

自分がわくわくすることで周りの人たちをHappyにできるイベントを
これからたくさんやっていくのでみなさん一緒に楽しみましょう!!♪

ちょうど昨日クリスマスの超ハートフルなイベントを思いついたので
もうすぐしたら告知します……♡

読んでくださった皆さん、ありがとうございました♡

名前:山本富貴
職種:大学4年生
出身:熊本県

daisyS(でいじーず)

HP→daisyS
instagram→daisys0503
facebook→@daisyS0503

#1 自分の人生をきりひらく -可愛くない女の子なんていない!

 

みなさんはじめまして!
福岡の大学4年の山本富貴(やまもとふき)です。

編集長の浅野ゆうきさんから声をかけて頂き、
このような素敵な場で想いを発信できること、
とても嬉しく思います♡

今回は私の想いを存分に知ってもらうべく、
二回に分けて書かせてもらいます!!

「山本富貴」とは?

 

 

1997年2月20日生まれ。
ストレングスファインダーは
①最上思考②着想③共感性④社交性⑤活発性
という感じな性格です♡
 
出身は熊本県で、大学から福岡に出てきました。
福岡の大学に通っている4年生で、管理栄養士の養成校に通っています。
実は、中・高家庭科教諭の免許と栄養教諭の免許も持っています♪
(正確に言えば取得予定!母校での教育実習はすごくすごく楽しかったです♡)

 
 

活動内容

 
 

daisyS(でいじーず)という女の子向けイベントを主催する団体の代表をしています。

「女の子の自己肯定感を上げる」をコンセプトに
イベントをやる私たちが可愛い、楽しいと思うことで、
周りの人たちをHappyにしようということをモットーに活動しています。

 

イベントの内容は、
アクセサリー作りのワークショップや
美容学生の方たちにヘアメイクをしてもらって、
写真を撮ってもらうというイベントをしています。

手前味噌ですが、かなりイケてるキラキラした団体だと思ってます(笑)
「誰かのために何かをする」団体が多い中で、
daisySは主催者も参加者も「自分のため」にやっています。

メンバーのあずさがが投稿してくれている
Instagramもイケてるのでぜひフォローしてください♡

 
@daisys0503


 
 

その他に「可愛い×女子大生×SDGs」をキーワードに、
女子大生が可愛い、楽しいことでSDGsを広めようというプロジェクトをやっていたり!!

化粧品の商品開発企画をやっていたり、
ウエディングの広告写真を撮るところでインターンをしていたりと……
忙しくも充実した幸せな毎日を過ごしています。♪

 

実はこの幸せをつかみ取るまでにはなが~~~~い道のりが……

 
 

 
 

私は、今が21年間生きてきて1番幸せだと心から思っています。
それくらいの幸せを感じられるようになったのは実はここ数か月で……

今でこそ自信に満ち溢れていて、ぐいぐい前に突き進んでいる!!
みたいに思われることが多いですが、ちょっと前まで全然自分に自信がありませんでした

ずっとずっと理想と現実のギャップに悩み苦しんでいました。
楽しそうな人や私の理想の状態の人を見て、
「どうすればあんな人になれるんだろう」
「なんでこの大学に来たんだろう」
「結局私は口だけのやつだ」などなど、自己嫌悪に。

悩みと葛藤が尽きない毎日で周りの人がとにかく羨ましくて、
いつも自分の目の前には霧がかかって見えるような日々でした。

 

小学校高学年の頃にテレビで、
ごみ山で生活をしていたり、児童労働をさせられている子たちがいることを知ってから、

「私がなんとかしなくては!!絶対に私ならみんなを救うことができる!!」
という、“社会に生じている矛盾を自らの手で変えたい”という強い強い使命感に駆られて、
この頃から私の人生の目標は「世界平和のために貢献すること」でした。

 

熊本の田舎で育ってきて、思うように動けなかった分何かしたいという想いを大学で必ずぶつけよう!と意気込んでいたのですが、
そこにあったのは想像していた大学生活とは全く違うもので。

同じような想いを持っている人は周りにいないし、授業も詰め詰め。
おまけに友達がたくさんできそう♪という考えで入った寮の門限は22時!
規則も多かったり、周りになじめなかったり……

大学1年生のときには、先輩と相部屋の小さな部屋で声を殺して
ひっそり泣くような毎日を過ごしていました。

 

そんなこんなでただ悩み苦しんだだけの記憶しかない1年生が終わり、
ついに寮を出て、一念発起!!

大学2年生の4月に、1年生のときにボランティアのイベントで出会った
フェアトレード商品を扱った会社をされている方に勇気を出して連絡をして、
「食」と「国際協力」を結び付けた何かがしたい!という想いを伝えたところ、
一緒にスタディツアーを作ることに
!!

 

何度も文を考え直して、
当時のアルバイト先のカフェのオーナーに添削してもらい、
汗をかきながらメッセージを送った自分に拍手を送りたいです。

初めて自分の行動から何かを生み出すことができたという、
何とも言えないワクワク感と感動で胸が高鳴ったことを覚えています。

 

その他にも地元の熊本震災が起きたときに、
真を集めて動画を作ってNHKのWebニュースに載ることができたり

【熊本地震】復興応援メッセージ 第1弾

 

スタディツアーの宣伝のためにと思って参加した
『グローバルワークキャンプ(留学生と日本の学生でワークなどをしながら交流する3泊4日のキャンプ)』でたくさんの素敵な出会いがあって、
協力してくれる人に出会ったりと

 

自分が起こした行動で目の前がどんどん開けていってやれることや可能性が広がる毎日の中で、
「自分の人生は自分次第」「自分で自分の人生を切り開く」という感覚を覚えるようになりました。

つづき :可愛くない女の子なんていない!「#2 楽しんでいる人には勝てない」

 
 

名前:山本富貴
職種:大学4年生
出身:熊本県

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信州の竹細工を受け継ぐための新しいスタイル 〜百瀬晃平さんインタビュー〜

伝統工芸の職人になる。そのためには、長年の修行期間が必要。
ものづくり1つで生計を立てるなど、
いくつもの壁があると感じる方も多いのではないでしょうか。
そんな中、伝統工芸の職人になるためにホテルで働きながら職人の元で修行をした若者がいます。

 

長野県松本市に住む百瀬晃平さん。
百瀬さんは長野県の伝統工芸品の須賀川竹細工の職人さんとして、
一人前になるために今も働きながら修行しています。
長野の伝統工芸を守りたいと強い想いを抱く若き職人にお話を伺ってきました。

 

 
 

何かを作ることが好きな少年時代

ーいつ頃から伝統工芸に興味を持たれていたのですか?

もともと何かを作ったりすることが好きでした。
本格的に興味を持ち始めたのは大学三年生くらいからで、民芸館に行ったり、本を読んだりしてました。

 

百瀬さんが作った竹籠

 

ーどうして竹細工職人になろうと思われたんですか?

実は最初から竹細工の職人になろうと思ってたわけじゃないんですよ。
最初は周りと同じように普通に就職活動をしてました。
だけどなかなか熱が入らなくて…。

親にも相談したりとかして、
いろいろな人と話をしているうちに職人になりたいって想いが強くなりました。
職人も地元長野の伝統工芸を守りたい・受け継ぎたいという想いがあって、
調べていく中で竹細工があって即決でしたね。
でも長野県に竹細工がなかったら、違うものだったからかもしれません。
地元長野に竹細工があったから竹細工をやろうと思ったんです。

 

 

 
 

ー竹細工のどんなところに魅力を感じてますか?

材料も作り方もシンプルだってところが魅力かもしれません。
例えば竹細工は竹だけで作れるし、材料の竹はすぐ成長して入手しやすい。
それに竹細工はもともと日常の生活の中で必要なもので、
日常使いできるものを作りたかった自分からしたらそこも魅力的でした。

 

作るときに使う道具。今は道具を作ることができる職人も減少している

 
 

職人になるための選択

ーホテルで働きながら職人の元で修行をされたということですが、どうしてそのような働き方をされたのでしょう。

正直言って竹細工だけでは食べていけないからです。
どんなに想いがあっても生活ができなければ、伝統を受け継ぐこともできないなと…。
働き先や修行先を見つけるために長野県庁のものづくり課のところに行って、
長野県中小企業団体中央会の方を紹介していただき、会社などを探しました。

最終的に自分が選んだ場所は山ノ内町という地域なんですけど、
最初は別の地域を考えていたんです。
そこで職人さんから弟子になってもらっても食べさせられないから、
働きながらなら教えてあげられると言われました。
そのようなことから働き口の多さをいうのを検討材料に入れて最終的に山ノ内町を選びました。

働き方ってことにフォーカスすると、
一般的な伝統工芸だと師匠の元でずっと修行するというイメージが強いと思うのですが、
竹細工はもともと農民が畑仕事ができないシーズンに竹細工を編んで生計を立てるという
兼業スタイルでやってきたものなので、働きながら修行するというスタイルは合ってると思ってます。

 
ー働かれていた時の勤務スケジュールやどれくらい先生の元に通われていたか、教えていただけますか?


ホテル椿野で約2年2ヶ月働きました。
スケジュールは、シフトによりますが、
起床5:45、6:30に出勤して、昼間に4時間休憩を挟んで、21:30頃に終わる感じが一般的でした。
自分は仕事の休みの日を利用して月に先生の元に2~3回通っていました。

 
ー今もホテルで働きながら修行されてるのですか?

今は、松本市内のセレクトショップで働いています。2〜3ヶ月に1回くらい先生のもとに通ってます。それ以外は自宅で竹を割ったり、編んだりと自主練してます。

家の近くには綺麗な水が流れる。よくここで竹を浸して柔らかくしている

 

 
 

作るものも働き方も時代に合った変化を

ー今の伝統工芸に変化は必要だと感じますか?

変化し続けないといけないと思います。
もちろん全部を変えなきゃいけないってことではないですが。
現代のニーズに合って必要とする人がいなければ残っていけないと思います。
作るものもそうですが、伝統工芸を学びたいという人を受け入れる側も
変わっていかなければいけないと思います。
今、いろんな働き方があるように修行のやり方もいろんなやり方があってもいいと思うんです。
これまで一般的とされたずっと一緒にいてやるスタイルももちろんですが、
自分みたいに働きながら空き時間にやったりとか、教室に通うとかいろんな形があれば、
職人になるってハードルが下がってくると思います。

 
ー伝統工芸の職人に興味を持っていたり、これからなりたいと思ってる方へ伝えたいことはありますか?

やりたいと思っている人はぜひチャレンジしてほしいと思う。
生業にできるものも中にはあるが、1本で生計立てるのが難しくても
片手間でもいいからやるとかいろんな方向を考えてほしいし、諦めてほしくないです。
実際に職人になる環境に身を置いた時にいろんなことが見えてくるんです。
竹細工で使う道具を作る職人さんも減少していて、近くで手に入らなくなっているんです。
先生が自分に言っていることなんですけど、
地元で材料とかを調達できてこそ伝統工芸と言えると。
これから後継者になろうとする人が
増えていって地元で成り立てる伝統工芸を一緒に作って行けたら嬉しいですね。

 

 
 

ー最後に百瀬さんはこれからどんなものを作っていきたいですか?

伝統を守るべきとことは守り、変化していくところは変化していく。
いい意味で伝統に縛られない。そういうものを作っていきたいです。
竹細工で言えば既存の編み方を生かしていろんな形を作れるようになれたらいいなと思っています。


 

自分のやりたいことに強い信念を持って頑張っている百瀬さん。
百瀬さんのように既存のスタイルにとらわれず職人という道に
挑戦する人がもっと増えていければいいなと思いました。
同じ同年代としてこれからも百瀬さんの挑戦を応援し続けます。

 
 

インタビュー終了後

時間があればお茶でもしていきませんかと声をかけていただき、
百瀬さん夫婦から大学いも・梨・柿をご馳走していただきました。
木のテラスに座りながら、
仕事の話からプライベートの話までいろんな話をして楽しく過ごしました。
このまま松本に居座わりたいと思いながら、
時間が刻々とすぎていく現実から目を背けたかったです(笑)
お話する中で松本市内のオススメのお店を教えていただいたので、
そのお店巡りと百瀬さんに再会するために松本に再訪したいと思っています。


 
 

名前:佐々木 雄大(ささき ゆうだい)
職種:ニッポン手仕事図鑑・プランナー / 離島移住計画・スタッフ
出身:埼玉県出身。
1995年埼玉県生まれ。
茨城大学農学部出身。学生時代から商品開発やイベント企画運営に携わり、食を中心とした活動を行う。
現在、フリーランスとしてプロジェクトや事業などのディレクションやマネジメントを行う。また職業の違う20代で結成されたユニット・unp(アンプ)としても活動中。

Facebookアカウントはこちら

11月11日(日)トークイベント『「製硯師」という生き方』にて、編集長 大牧が登壇しました

11月11日(日)開催、
宝研堂 4代目 製硯師・青栁貴史さんによる
特別講座『「製硯師」という生き方』に、
ニッポン手仕事図鑑編集長 大牧 圭吾が
ファシリテーターとして登壇しました。

イベントでは、
青栁さんの「製硯師」としてのお仕事のお話や、
これからの青栁さんの「野望」について、
青栁さんのもう一つの仕事場である、山のことなど、
魅力的なお話を伺うことができました!

質疑応答の時間には、
硯のメンテナンスの仕方など、
会場にお越しの皆さんからたくさんの熱心な質問を
いただきました。

【イベントの様子】

「製硯師」という生き方

「製硯師」という生き方

「製硯師」という生き方

「製硯師」という生き方

<イベント概要>
【開催日時】
11月11日(日)13:00~14:30

【開催場所】
東京都港区南青山1-1-1 新青山ビル西館4F
NHK文化センター青山教室5階502 A教室

【イベント詳細】
https://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_1151630.html

11月10日(土)伝統工芸6人展「匠の森」にて、ビデオグラファー 小林がトークイベントに登壇しました

11月9日(金)から開催中のイベント、伝統工芸6人展「匠の森」にて
ビデオグラファー 小林がトークイベントに登壇しました。

イベント当日、錫光の錫師・中村さんとのトークセッションでは、
中村さんと小林が初めて会ったときの秘話や、
中村さんが、小林が自分で撮影依頼をさせていただいた
初めての職人さんであることなどを語りました。
イベントは、大盛況のうちに終了しました!

錫光さんの動画はこちら!⇒https://nippon-teshigoto.jp/movies/suzushi

【イベントの様子】

伝統工芸6人展「匠の森」

伝統工芸6人展「匠の森」

伝統工芸6人展「匠の森」

伝統工芸6人展「匠の森」

伝統工芸6人展「匠の森」は、
ポーラミュージアムアネックスにて11月18日まで開催中です!
この機会にぜひ!

<イベント概要>
展覧会名:匠の森
会  期:2018年11月9日(金)~18日(日)会期中無休
会  場:ポーラ ミュージアム アネックス
主  催:株式会社ポーラ・オルビス ホールディングス
協  力:ポーラ デザイン研究室 ニッポン手仕事図鑑

「ふたりごと文庫編集室」による当麻町取材旅行が、北海道新聞に掲載されました

ニッポン手仕事図鑑のオンラインサロン「ふたりごと文庫編集室」が、
9月に北海道当麻町で行った取材旅行の様子が、11月7日の北海道新聞に掲載されました。

編集室メンバー8名が、
当麻町内の施設や商店を巡り、
さまざまな体験を取材しました。

取材記事をウェブ上で公開することで、
その情報発信力を生かし、
都市からの移住者を増やすことを目的としています。

作成した取材記事は、
当麻町の新規移住特設サイト「全部ある当麻町」にて順次公開中!

皆さまぜひご一読ください!

「全部ある当麻町」 http://www.furusatohma.com/zenbuaru/

オンラインマガジン「ふたりごと文庫」 https://nippon-teshigoto.jp/blog

長野の田舎で自分を取り戻す

はじめまして。長野県松川村地域おこし協力隊の浅田茉美(あさだまみ)と申します。
今年の8月に東京から長野県松川村へ移住しました。

松川村は、長野県北西部の北アルプス地域の一番南にあります。
「安曇野の原風景を守る最後の村」とも言われ、平成の大合併でも合併をせず、独自の景観を守るためむらづくり条例をつくり、美しい景色をひっそりと守り続けてきました。

安曇野という言葉は広く、安曇野市だけでなくその北に位置する松川村も安曇野エリアに含まれます。周辺地域に比べ観光地化がそれほど進んでいない松川村は、奇跡的に静かで心地よい住環境を維持し続けています。

松川村北西部のとあるゲストハウスから見た日の出

 
 

生きかたを探している

 

松川村の地域おこし協力隊は8名。いわゆる「ミッション型採用」で、採用時にある程度活動内容が決まっています。

例えば私は総務課1万人復活特命係。人口増加対策の係に所属し、移住者を増やすためにはどうしたらよいか日々考え、メディアでの情報発信、イベントの企画運営、個別相談対応、その後のフォローを行っています。

他の隊員も空き家対策、食育事業や農産品ブランド化・PR、安曇野ちひろ公園の運営、多目的ホールの運営等、ある程度固定されたミッションを持っています。

収穫祭の移住相談ブースにて。卒業した隊員が遊びに来てくれたりもします。

予算をつけるので自由に活動して、というフリーミッションではないため、就職先のひとつという感覚に近い部分もあるかもしれません。

ですので、松川村の協力隊はあんまりゴリゴリした人がいません。
自分が理想とするくらしを送りたくてここに辿りついた。だから、無理をせず、日々をナチュラルに暮らしていく。松川村の協力隊に流れるそういう空気感がとても心地よいと感じています。

 
 

有り余ったエネルギーをどうする?

 

村八分なんて言葉もありますが、松川村の人はよそ者を排除しません。
コミュ力が高くて人懐こい。なんとなくいつも幸せそう。こちらが心を開けば、いくらでも入ってきてくれます。村には村の時間軸で時が流れていて、村民も私たちを受け入れてくれて、とても幸せ。

それでも、なんだかもやもやした気持ちがある。この気持ちはなんだろう?
と考えていた時のこと。

東京に遊びに行った際に前職の上司に会い、こんなことを言われました。

「新しいことをやるのはいつもよそ者か若者かばか者だ。
よそ者の浅田さんが松川村で新しいことをやればいい。」

よそ者・若者・ばか者!3拍子揃ってる!私は何かをやるべきなんだ!
もやもやしていた私の心に、一筋の光が差し込みました。

そういえば、松川村で唯一足りないと感じるものがあります。
それは、若者がエネルギーを発散させる場。

松川村の若者は、アクセスがそこそこ良いから松本や大町・白馬方面に遊びに行ってしまいます。面白い人はたくさんいるけど、松川の外で活躍してるんだよなあ。

イベント参加の多い仕事柄、面白い人に会うたびにちょっと寂しいような、そんな場所がないことを不思議に思います。

例えば、バー・居酒屋やカフェ。もしくはシェアハウスやゲストハウス。どんなことが松川村でできるだろう?と考えると、自然とわくわくしてきます。

こうして、まだ構想段階ですが、松川村でお店を持つという目標ができました。

 
 

偶然が次の一歩をつくる

 

ぶっちゃけ、最初は自分が好きな場所に仕事があったからラッキーくらいの気持ちで移住してきました。

けど、すこしだけ自由度の高い地域おこし協力隊として活動する中で不思議と新しいことをやりたくなってきた。
こんなに恵まれた環境にいるんだから、やりたいことやらなきゃもったいない。
今はそんな気分。

偶然の重なり合いが次の一歩につながっていくことを実感しています。

北アルプスも気軽に登れます(燕岳にて)。自分と向き合う大切な時間です。

 

東京では鳴りを潜めていた反骨精神が、田舎に来て息を吹き返してきたのでしょうか。大人になってもうわくわくすることなんてないと思っていたけれど、ここにきて不思議と、まるで子供のようにわくわくし始めています。

松川村で、あたらしい人生が始まるのかもしれません。

日々の活動を発信しています。フォローしてもらえると嬉しいです。
facebook : https://www.facebook.com/matsukawa.rev/
Instagram : https://www.instagram.com/matsukawa_vill_chiikiokoshi/

 
 

名前:浅田 茉美(あさだ まみ)
職種:長野県松川村地域おこし協力隊、移住・定住担当。
出身:福岡県出身。
東京外国語大学卒。銀行やITベンチャーを経て、ネパールを旅した際に「これからは自分が自然と感じる生き方をしよう」と決意し、日本のネパール(?)長野県に移住。

趣味は世界のお酒を楽しむこと。長野県は酒どころでとても幸せです。

製硯師・青栁貴史さんによるトークイベント『「製硯師」という生き方』に、編集長 大牧が登壇いたします

11月11日(日)開催、
製硯師・青栁貴史さんが講師を務めるトークイベント『「製硯師」という生き方』に、
編集長 大牧がファシリテーターとして登壇いたします。

硯石を探すため各地の山に入り、選び抜いた石で硯を作り続ける青栁さん。

青栁さんが何を考え硯を作っていくのか、
ニッポン手仕事図鑑の編集長がファシリテーターとして迫ります!

「製硯師」という生き方 製硯師・青栁貴史さん

【開催日時】
11月11日(日)13:00~14:30

【開催場所】
東京都港区南青山1-1-1 新青山ビル西館4F
NHK文化センター青山教室5階502 A教室

【お申込み・イベント詳細はこちら】
https://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_1151630.html

土祭 土と益子−この土地で共に生きる−

みなさん、こんにちは!
今回は、今年の9月15日(土)〜 9月30日(日)と10月7日(日)に
「文化の力で地域を元気にする」という目的で栃木県益子町で開催された
「土祭 土と益子−この土地で共に生きる−」の様子をお届けしたいと思います。

私も見に行ったところと行けなかった箇所があるので、全てをお伝えすることはできませんが、
実際に見たり、SNSを通じて感じたことをありのままに皆様にお伝えしたいと思います!

「土祭 土と益子−この土地で共に生きる−」公式ホームページ
 

 

「益子」というまち

 

栃木県益子町は、全国でも有名なあの益子焼の産地として知られ、多くの陶芸家が在住し作陶をしています。

ご覧いただいている皆さんの中にも、行ったことがあるという方がいらっしゃるかもしれませんが、春と秋の年2回に「陶器市」と呼ばれる大きな市場が開かれています。

まだ行っていない、行ってみたいという方は、
来月の11月2日(金)〜 11月5日(月)まで秋の陶器市が
開催される予定なので、ぜひこの機会に足を運んでみてはいかがでしょうか?

 

ところで皆さん、この記事のタイトルである
「土祭」という名前、読めるでしょうか?笑

これは「土祭」と書いて「ヒジサイ」と読みます。

「土祭」をプロデュースした馬場浩史さんと旧知の文筆家 武田好史さんとの発案で、
古代の土や泥の呼び方のひとつ「ヒジ・ヒヂ」を用いて「土祭」という名が生まれました。

△「土祭2018」の公式パンフレット

私は益子という土地はそれだけ土と深い関係にあるということ、
土を扱う陶芸家にとっても、生活の中で当たり前のように陶器を使っている私たちも、
土という素材が無ければ生まれてこなかった「モノ」がそこにはあるような気がしました。

 

「土祭」 アート編

 

さて、いよいよ「土祭」の中身に迫って行きたいと思いますが!

そもそも「土祭」は何をしているの?と疑問に思う方もいらっしゃるかもしれません。

「土祭」は、大きく分けて、地域プロジェクト・アート展示・他プロジェクトの3つで構成されており、それぞれ益子地区・七井地区・田野地区で開催されました。

どのアーティストも、今年の「土祭」のテーマである
「土と益子−この土地と共に生きる−」
とはどういうことかを考えて制作されています。

自分にとって、地域にとって、あるいは益子という場所自体にとって
それがどんな意味を持っているのかを鑑賞する、私たちも考えされられる展示となっていました。

△”闘って撮る”写真家 井賀孝さんの作品

△芸術考古学を専門とし研究している石井匠さんの作品

△2017年に大学院を卒業したばかりの若手画家 田中望さんの作品

△彫刻制作と美術教育の研究をしている生井亮司さんの作品

 

「土祭」 地域編

 

続いて、地域プロジェクトについてお伝えしたいと思います!

地域プロジェクトの中でも私が一番お伝えしたい企画はコレ!
益子地区で9月22日(土)に、今から30年〜40年前の益子町の学校給食を再現したプロジェクトです!

私のような10代、20代の若者にとって給食というのは子どもたちの健康と食の美味しさを伝える大切な時間ですが、それは私たちのお母さん、お父さん世代も同じです。

ですが、今の学校給食と昔の学校給食ではどこが違うのか。
私も食べたかったのですが、別の予定と重なって食べられませんでした…(涙)

△昔懐かしい学校給食

 

ちなみに、ここで使われている食器はもちろん益子焼です!

 
 

「土祭」 他プロジェクト編

 

最後にご紹介するのは、他プロジェクトの企画の一つである「手仕事村」についてお話ししたいと思います。

「手仕事村」とは、益子町にある益子の森の中にあるひだまり広場と呼ばれる場所で開催されました。

周辺が緑の木々に覆われた中にぽっかりとひらけた場所で、
様々な素材を用いた手仕事品の展示販売を行ったり、益子を中心とした飲食店も日替わりで出店され、行く度に新しい発見があるプロジェクトとなっています。

これも残念ながら、開催が土日祝日のみだったので
私はFacebookでその様子を見ているだけでしたが、それだけでも面白い内容でした!

△手仕事村開催の様子

3つのプロジェクト以外にも関連企画として、「土と人」と題した高木正勝さんのソロライブが山本八幡宮という場所の野外舞台で開催されました。

私は残念ながら行けなかったのですが、200名以上の方が高木さんの音を聴きに訪れ、ライブ終了後は皆さん良い顔をして帰られたそうです!

 

△高木正勝さんソロライブの様子

 
 

「この土地で共に生きる」ということ

 

私は高校生の頃、美術大学進学を目指していた時期に自分は絵を描きたいのか?ものを作りたいのか?その先が見えないでいました。

 

そんな時、たまたま陶芸を学ぶ機会があり、そこでようやくものづくりを専攻しようと決意したことがあります。

ですが私は栃木県出身と言っても益子町生まれではありません。
だから私にとって益子という町は、憧れの場所でありながら自分にとっては遠い存在で、なんとも言えない気持ちがありました。

 

しかし今回の「土祭」を見て、その土地で生きた時間、生きている時間が長くても短くても、
人によって瞬間に感じること、流れを感じて気付くこと、
内に住んでいるからこそ外から来た人と関わることで気付くこと、
そして、その土地がもたらしてくれた素材に感謝すること、
それが大切なのではないかと私は感じました。

だからこそ、私にとって益子という町は憧れであり、こうして関われたことをとても嬉しく思っています。

「土祭 土と益子−この土地で共に生きる−」

それは、土あるいは土地(つち)から繋がるこの祭りに訪れ、
たくさんの感じたことを持ち帰り、自分にとってこの土地とは故郷とは、
共に生きるということはどういうことか考えるきっかけになる機会だと思います。

 

3年に一度の開催なので、次回は3年後になりますが
このイベントで会場となった場所や痕跡はあることでしょう。
それを探してみるのも面白いかもしれませんよ。

それでは、ここまで記事を読んでくださった皆様、
長い文章にお付き合い頂きましてありがとうございます。
益子町が気になったという方はぜひ、遊びに来てくださいね!

名前:田中絢子
職種:大学院生
出身:栃木県

漆という素材を使って、漆器やオブジェ、アクセサリーに至るまで幅広く作品を制作。工芸と若者がつながる場所を作るため研究中。
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想っている場所が”ふるさと” -武田昌大さんインタビュー

こんにちは、ふたりごと文庫編集室の山田帆菜です。

ふたりごと文庫編集室で発足したメディア部のメンバーで、
シェアビレッジの村長・武田昌大さんにお話を伺ってきました。
場所は、武田さんがオーナーを務めているおむすびスタンドANDONさん。

 

 

 
 

取材後にいぶりがっこのおむすびをぱくり。
チーズとの相性が絶妙でとても美味しかったです。

第3弾となる今回私が取り上げるテーマは『ふるさと』です。

秋田に戻って危機感を感じたとき、自分のふるさとを失いたくないと感じた武田さん。
地元「秋田」を拠点に動いている武田さんならではの視点で、ふるさと観についてお話してくださいました。

武田昌大さん
秋田県出身
 
東京のゲーム会社に就職した後、地元秋田県の活性化を決意。
2010年 若手米農家集団トラ男(トラクターに乗る男前たちの略称)を結成。
2015年 「シェアビレッジ」を立ち上げる。
2017年 おむすびスタンドANDONを東京・小伝馬町に設立

 
 
 

「ふるさと」は必ずしも生まれた場所ではない

 

 
 

―武田さんにとっての「ふるさと」ってどういうものですか?

僕らは生まれた場所がそのままふるさとって考えますが、それだけでもないんじゃないかと最近は強く思っています。
その場所に実際にいた時間の長さは関係ないと思うんです。

僕は今秋田に住んでますって周りには言っているのですが、月の半分以上は出張で秋田にはいないんです。
だから僕は「ふるさと」は暮らしている場所ではなく、想っているところだと思っています。

 
 

―想っているところですか!それなら都会出身だったり、親が転勤族の人のもふるさとはあると考えられそうですね。

「ふるさと」に縁がない人はいっぱいいると思います。
そういう人たちはこれから故郷を作っていけばいいし、自分が選んでいいと思います。

生まれた場所が都会だからというよりかは好きな、帰りたい場所や好きな人がいっぱいいる場所、落ち着く場所のようなところだと思います。

結局これらって全部気持ちに関わることです。「落ち着く」とか「懐かしい」といった気持ちを大事にすれば、故郷は都会の人でも持てると思います。
「都市の人たちの第二の故郷を作る」っていうのはシェアビレッジの目的の一つでもあるんです。

 
 

「ふるさと」という軸

 

 
 

―故郷への思いが「シェアビレッジ」という形にもなっているんですね。
武田さんにとっての今の故郷はやはり秋田でしょうか?

まだ18年という長さを超えた場所に住んだことがないので、ふるさとっていうと秋田ですね。
ただ、正直今僕の中で「秋田」というところは生まれた場所という認識の方が強いです。

 

―なるほど!それでも、秋田を「ふるさと」だと思うのには何か理由があるのでしょうか?

自分の今の人生を指し示すために生まれた場所を、「故郷」として自分の中で持っている方が進みやすいからですかね。

それに、この縛りがないと僕は解き放たれてしまう気がします。
だから、どちらかというと秋田=ふるさとって思っている方が今は動きやすいかなと思います。

 

―自分の中の一つの軸として「秋田」という場所があるんですね。
ちなみに、この先武田さんにとっての「ふるさと」は変わりそうでしょうか?

正直、(秋田以外に)浮気したい気持ちはめちゃくちゃあります。日本にはすごくいい地域がたくさんあるので。

だからさっき述べたように、生まれた場所、秋田を故郷として自分の中に持つようにしています。
そうでないと、「あそこにも住みたいし、あそこにも住みたい……」というように目移りしてしまいますから。
今は何をするにも、どこに行くにも秋田にどう生かせるかをずっと考えていますね。

「好き」からはじまる地域活性 -武田昌大さんインタビュー

こんにちは、ふたりごと文庫編集室の浅野有希です。
ふたりごと文庫編集室で発足したメディア部のメンバーで、シェアビレッジの村長・武田昌大さんにお話を伺ってきました。

第二弾、私が取り上げるテーマは『地域活性』です。
勉強になるお話をたくさんしてくれ、うんうん……!と頷いてばかりでした。

 

武田昌大さん
秋田県出身
 
東京のゲーム会社に就職した後、地元秋田県の活性化を決意。
2010年 若手米農家集団トラ男(トラクターに乗る男前たちの略称)を結成。
2015年 「シェアビレッジ」を立ち上げる。
2017年 おむすびスタンドANDONを東京・小伝馬町に設立

 
 

“ブーム”としての地域活性化

 

 

―地域活性、今ではある種ブームになっていませんか?

最近はやっぱり、イベントにきてくれる若者も多くなってきたかもしれません。
国も「地方創生」や「関係人口」というワードで予算を出していますね。

もちろん、国が提唱することにはいい側面もあります。多くの人々が自分の地域をよくしようと動き出すきっかけになります。でも、言葉だけが独り歩きしてしまうケースが良くないと思うんです。
なぜなら、それが「答え」だと思ってしまうことが多いからです。いろんな地域に行って講演していますけど、そう捉えている地域も少なからずありますね……。

 

―「答え」だと思ってしまう、たしかにそうかもしれません。

「正解」をすぐに求めてしまう地域や人が多いと思います。極端に失敗を恐れてしまっているんです。すべて、インプットが足りていないからなんですよね。いろんな情報を知らないから、発想が浮かばないのかもしれないです。

本当はできるかもしれないのに、失敗するかもしれないからやらない。
でも、国が言っているからできる……という流れができてしまっている。

“ブーム”になることは、思考停止してしまうから良くないですね。
本来はそこをきっかけにちゃんと地域と向き合って各々が考えることが大事だと思います。

 

「好き」という愛情が一番の原動力

 

 

―では、国と一緒に事業を進めていくってことはやらないのですか?

それは、果たして誰が面白いと思うのでしょう?その地域の人・またはお客さんがワクワクするのでしょうか?

国と一緒にやる・やらないではなくて、僕は「面白いこと」をやりたいだけなんですよ。それが僕らの軸です。
年貢を納めて村をつくるってコンセプトは、きっと今の行政ではできないのかなと思います。民間だからこそ県や市町村という枠を取っ払って秋田や香川に「村」を展開して、繋ぐということができますしね。

……というのは建前で、僕は「面白いこと」がやりたいだけなんですよ。それだけです。

 
 

―だからシェアビレッジの資金は補助金などではなく、クラウドファンディングで集めたのですか?

まず僕の考え方は、「3km²」っていう方程式なんです。
3Kは価値・課題・解決で、M²はメンバー×マネーを意味しています。
これは3KからM²に流れていくイメージです。


 

最初に価値・課題・解決という段階で、コンセプトからアイデアを生み出していきますよね。
その後、アイデアからプロジェクトに落としていくときに、一人じゃできないからメンバーとマネーが必要なんです。

ただ補助金ビジネスは、方程式の最後の「マネー」から始まるんですよね。
補助金があるから団体をつくるためにメンバーを集めて、「何の課題を解決する?」という価値を抜かしちゃうんです。“好き”っていう愛情が根っこにないと事業って続きません。

本来は3K(価値・課題・解決)から始まるべきで、補助金ビジネスはお金がなくなる・上手くいかなくなると終わることがほとんど。

でも、「これのためにやってる」というものがあれば続くんですよ。
だから補助金に頼るビジネスっていうのは僕はやりません。僕が好きなものしかやらないです。
あとは、地域で自立するビジネスモデルでないといけませんから、
ちゃんとお客さんからお金を取るビジネスをやりたかったこともあります。

 
 

―なるほど!!すごくわかりやすいです。では、クラウドファンディングの利点は何かあったのですか?

クラウドファンディングはこのビジネスモデルと相性が良かったんです。
村民は年貢の値段ごとにランクが変わります。「ブロンズ村民(ブロンソン)」→「シルバー村民(シルソン)」→「ゴールド村民(ゴールソン)」→「名誉村民(メイソン)」という風に。
これがクラウドファンディングの仕組みと似ていますよね


http://sharevillage.jp/
 

元々、日本にクラウドファンディングが出始めた頃から挑戦していました。
レディフォーの最初のプロジェクトの一つが「トラ男」です。馴染みがあったし、ノウハウもあったから挑戦できました。

 

地域活性化は、「一人一人が頑張ること」

 

 

―地域活性化の「答え」ってないと思うのですが、武田さんはどう考えていますか?

僕は「みんな、一人一人が頑張る」ことが大切だと思っています。
地域活性でありがちなのが、人のせいにすること。

町って一人一人の“人”でできています。これを意外と忘れがちなんですよ。

意識とお金と時間を使って、それぞれが地元について考えないといけません。
一つのイケてるプロジェクトがあればいいわけではないんです。能動的に動く人を増やしていかないといけませんよね。

 

―武田さんはきっと、外に出たからこそ分かるのですよね。

お金がないならつくる、仕事がないならつくる、出会いがないならつくればいい。
これは外に出たからこそ分かったことなんです。そんな人達がちゃんと地元に還元しないとだめですよね。

 
 

―外にいる人たちができることってなんでしょう。

やっぱり、地域にはインプットが大切です。情報と刺激を与えていくというのが、今の秋田には必要だと思います。

例えば、地域にいる人は「初代iPhone」なんですよ。でも外にいる僕らは「iPhone X」ですよね。僕らは常にアップデートされているけれど、地域にいる人はハードが一緒なのにソフトが古い。ただOSをインストールしてあげればいいだけなんです。

外にいる人たちは、そういう場を作っていければいいと思っています。


 

ニッポン手仕事図鑑 浅野有希

名前:浅野有希
職種:ふたりごと文庫 編集長
出身:埼玉県

地域活性化を志す産業能率大学3年生。ニッポン手仕事図鑑にて毎日勉強中!旅行と美味しいものを食べるのが好き。
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“おむすびというメディア”で秋田をつなぐ -武田昌大さんインタビュー

日本橋の町を歩いていると、突如きらきらした建物が現れます。
渋谷や表参道にあってもおかしくなさそうな、おしゃれな4階建てのビル。


 

ここは東京と秋田を食でつなぐ場所、ANDONです。

秋田のお米を使用したこだわりのおむすびを食べることができます。
注文してから握ってもらう出来立てほやほやのおむすびに、「肉みそ」「いぶりがっこチーズ」「ぼだっこ」などの豊富な具材が用意されています。


 
 

今回は、ふたりごと文庫編集室のメンバー3名でANODNのオーナー・武田昌大さんにお話をうかがいました。

武田昌大さん
秋田県出身
 
東京のゲーム会社に就職した後、地元秋田県の活性化を決意。
2010年 若手米農家集団トラ男(トラクターに乗る男前たちの略称)を結成。
2015年 「シェアビレッジ」を立ち上げる。
2017年 おむすびスタンドANDONを東京・小伝馬町に設立

 
 
 

武田さんは秋田県出身で、2017年にこのお店をオープンさせます。
「ずっとおむすびをやりたかった」と語る武田さんの、「秋田」と「おむすび」にかける想いに迫ります。

 

これからは”体験を提供する時代

 

―武田さんはすでに事業をいくつかなさっていますが、さらにANDONを始めようと思ったのはどうしてですか。

トラ男の活動と関係があります。トラ男ではお米の通販をしていたのですが、ネットのお客さんは宙にふわふわ浮いてるようなイメージがありました。
当時は毎月東京でイベントをやっていましたが場所もばらばらで、いつでも来られていつでも食べることのできるリアルな場所が欲しかったんです。


 

―ふわふわしているお客さんをリアルな場に着地させるということですね。
単なるお米屋さんではなく飲食店という形にしたのはなぜでしょう。

せっかくこだわってつくられたお米でも、炊き方を間違えるとまずくなってしまいます。
だから、お客さんの口に入るまでをプロデュースしたかったんです。

これからはおいしいお米をつくる時代から、お米をおいしく食べてもらう”体験”を提供する時代になるのではないでしょうか。
あと、ずっと「おむすび屋をやりたい」と思っていました。

日本橋から、おむすびというメディアで発信する

 

―お茶碗に盛られたご飯ではなく、おむすび。その形にこだわりはありますか。

おむすびはメディアだと思います。具材を伝えるためのお米になれるので。
一方で、お茶碗に盛られたご飯はおかずありきのお米になってしまうような気がするんですよね。
秋田の具材だけじゃなくて、他の地域の具材とコラボできるのもおむすびのいいところです。


 

―おむすびはメディア、格好いいですね。
おむすびという形をとることによって、お米が脇役を引き立てつつ、主役になるんですね。

昔からあるおむすびを、新しい形で伝えていきたいという想いもありました。
この店がある日本橋エリアは古いものと新しいものが混在していて、僕の考える”おむすび”と地域性がうまく絡み合っています。

―もともとこのエリアでお店をやりたかったのでしょうか。

常に最先端が集まる渋谷とか、そういうところに出すのは違うと思っていましたが、ここと出会ったのは偶然なんですよね。

ANDONがある小伝馬町は昔、地方から江戸に来る人が馬を繋ぎとめておく場所で、地方と江戸の繋ぎ目でした。そういう歴史もあるので、秋田(地方)と東京を結ぶANDONはこの地域にぴったりだったと思います。

日常に地域を

 

―お店では、お米のこだわりを聞きながら食べることができるのでしょうか。

もちろん、知りたい人には説明しますよ。
でも、別に知りたくない人には無理にしません。価値観の押しつけになってしまうので。

―興味がない人にこそ、こだわりを知って興味を持ってほしいという想いもあるのでは。

そこが難しいところなんです。
ただ、初めましての人にいきなり長文のラブレターを送りつけられたとして、それを読む気になるかって言われたら……きっと読みませんよね。

もっと長い時間をかけて、人間の自然なコミュニケーションの中で興味を持ってもらえればいいんです。地域と関わるハードルは低くていいと思っています。

 

―何事も一方的なアピールはよくないということですね。ハードルを低く、というのは、具体的にどのようなことですか。

最近「地方創生」と言いすぎて、地域と関わるハードルが高くなっている気がします。
そうじゃなくて、もっと楽しく、日常に地域があればいいのではないでしょうか。


 

―ANDONは、日常の中に秋田を落とし込む場としての機能を持っているんですね。

まずは秋田を好きになってもらえる土壌をつくることが大事です。
最終的に好きになってもらえない可能性もありますが、無理に秋田のファンになってもらおうとは思いません。

ANDONに来て秋田のものを食べて、秋田人と話して、なんとなく秋田にいるような感覚をもってくれたらそれだけでいいんです。

―ANDONではさまざまなイベントが開催されていますが、それも日常に秋田を落とし込むことを目的としているのですか。

おむすびフライデーなんかは、ワクワクの方が大きいですね。

こっちではご飯だけ用意て、参加者のお客さんに具材を持ってきてもらうのですが、「なんでその具材なの?」っていう具材談議が面白いんです。それがいろんな地域を知るきっかけにもなります。楽しいことが重要です。

名前:尾形希莉子
職種:学生
出身:神奈川県横浜市

大学で地理学を学ぶ傍ら、「面白そう!」を原動力にあちこち飛び回っている。食べ物には目がなく、農ある暮らしを求めて生産現場を訪れることもしばしば。身近なものの裏側が好き。

長野県後継者育成ツアーが、『信濃毎日新聞』に掲載されました。

ニッポン手仕事図鑑が10月9日・10日に行った、
全国から募ったインターン生6名による長野県後継者育成ツアーの様子が、
長野県の地方紙『信濃毎日新聞』に掲載されました。

信濃毎日新聞

『信濃毎日新聞』さま、取り上げていただきありがとうございました!

そしてお世話になった南木曽町と駒ヶ根市の皆さま、
本当にありがとうございました!

800年つづく”葛布”の魅力を伝えたい。

静岡県掛川市。


 

ここには800年以上つづく伝統工芸品、「 葛布くずふ」があります。
光沢が美しく、高級品として愛されてきました。


 

材料は街中・山野に自生している「葛」という植物です。
「くずきり」の材料と言うのが一番身近だとは思いますが、他にもさまざまなものに利用されています。

この葛を、美しい「葛布」にするまでは想像以上の手間暇がかけられているのです。

そんな、葛布に関わる職人さんたちの映像が完成しました。

 

 

思いの込められた大作です。
やっぱり映像だと伝わり方が違うなあと感動しています。

私も大好きな作品なので、ぜひご覧ください。

 
 

以前、編集長の私・浅野有希と、
ふたりごと文庫編集室メンバーの尾形ちゃんとで葛布の取材を行いました。


 
 
 
 

植物からつくられているので、綿や絹などとは全く違う肌触りの「葛布」
それをただ見るだけでは、その価値を理解するのは難しいですよね。

尾形ちゃんは、葛布に込められたストーリー、
そして“つくり手の想い”という切り口から書いてくれました。

お茶で有名な掛川の、もう一つの名産品。700年余り受け継がれてきた葛布に迫る。


 
 

どんな取材を行ったのか、全体像がわかる記事にもなっていますのでぜひ。

 
 

そんな「葛布」に関わる人たちは魅力的な方ばかりでした。

実は、この葛布を生産する工房は残り2軒。
この2軒とも取材に行かせていただきましたが、どちらも本当に魅力的で。


小崎葛布工芸さん
 
 

川出幸吉商店さん
 
 
 

私はそんな方々の人柄とか、考え・想いを伝えたくて書きました。

静岡県掛川市「葛布」の、目に見えない魅力


 
 

葛布の材料を生産している人もいます。
かなりの手間暇がかかるということと、高齢化によって材料の生産者さんも減少してきているとのこと。

私たちはその貴重なお一人、松浦さんにお話を聞きました。

松浦さん、「掛川の“仙人”」と呼ばれていましたが、仙人のイメージとは程遠く。
ほんわか優しい、丁寧な方でした。


 
 
 
 

丁寧さがかわいくて、完全にそのキャラクターに惹きつけられました。
葛布の材料ができるまでと、松浦さんのキャラクターについて書いた記事です。

憎まれっ子の「葛」が、美しい「葛布」へと生まれ変わるまで


 
 
 

静岡県掛川市と「葛布」

今まで知ることのなかった地域と文化に触れて、
私の価値観がまたひとつパワーアップしたような気がします。

正直言って、「葛布」産業は超順調とは言えません。
この取材では心が苦しくなるような、厳しい現実にも触れてきました。

今の私にはこうして伝えることしかできません。
少しでも多くの方に、この魅力が伝わるといいな。

 
 

葛布・葛苧職人│小崎葛布工芸 川出幸吉商店

静岡県掛川市で、800 年以上つくり続けられてきた伝統工芸品、葛布。山野に自生する葛を紡いだ糸から織り上げられるそれは、艶のある美しい光沢を放ち、参勤交代の献上品や、アメリカ・ヨーロッパへの輸出品としても高い人気を誇っていた。かつては市内に数十軒あった工房も、現在は「小崎葛布工芸」「川出幸吉商店」の2 軒を残すのみ。この先も100年、200年と技術を継承していくべく取り組みを続け、まだまだ道半ばであると謙遜しつつも、葛の持つ魅力と秘められた新しい世界を信じ続ける。

株式会社ポーラ・オルビス ホールディングス主催の展覧会「匠の森」に、カメラマン 小林が出演します!

11月9日~18日開催、
株式会社ポーラ・オルビス ホールディングス主催の展覧会「匠の森」にて、
カメラマン 小林が11月10日トークイベントに出演いたします!

匠の森

「匠の森」とは、日本を6つの地域に分け、
各地に伝わる伝統工芸の魅力が詰まった作品をご紹介する展覧会です。

会期中は、全国から集まった6名の匠による作品がひとつの空間に
集められ展示されます。

また、展覧会には、ニッポン手仕事図鑑が動画を撮影させていただいた
錫光」の錫師・中村 圭一さんも出展されます!
「錫光」さんの動画はこちら

皆さま、ぜひ会場にお越しください!

<イベント概要>
展覧会名:匠の森
会  期:2018年11月9日(金)~18日(日)会期中無休
会  場:ポーラ ミュージアム アネックス
主  催:株式会社ポーラ・オルビス ホールディングス
協  力:ポーラ デザイン研究室 ニッポン手仕事図鑑

【堀口正裕さんインタビュー】“いろんな人に会う”ことの大切さ。

こんにちは!ふたりごと文庫編集長の浅野有希です。
今回は少し変わったインタビュー記事をお送りいたします!

8月29日から9月7日まで、産業能率大学二年生の2人がインターンとして来てくれていました。
これは毎年恒例で、私も二年前にこのインターンでニッポン手仕事図鑑に出会ったんですよ!私も彼らを見ていると懐かしく思えます。

 

毎年様々なことをしますが、そのメニューの一つとして、雑誌『TURNS』の堀口正裕さんにお話を聞きに行くというものがあります!

私は2年前のこの日、目の前がパァーっと開けるような感覚を味わい、大きな転機となりました。

今回は私が“編集長”として、その様子を記事にします!
すごくいいお話が聞けたので、ぜひご覧ください。

ということで、今回のインタビュアーはこのお二人。(写真左側)

柏原彩里

あだ名は「かっしー」
中学一年生からずっと音楽
髪の毛がもったいなくて、一部だけ生まれてからずっと伸ばしています。
「地域活性」に興味があるそう。

向田健人

あだ名は「でんでん」
旅行とバスケットボールが好き
今年、湘南キャンパスから自由が丘キャンパスへ転学部しました。
「広告」などに興味があるそう。

 
 
 
 

 

堀口正裕さん

雑誌『TURNS』プロデューサー
株式会社第一プログレス常務取締役

国土交通省 二地域居住等の推進に向けた有識者委員
農林水産省 農業の働き方改革検討会委員
ビジネス・ブレークスルー大学(BBT大学)「Tourism Leaders School」講師
社会起業大学講師、丸の内朝大学講師
TOKYO FM『Skyrocket Company』 内「スカロケ移住推進部」ゲストコメンテーター
その他、全国各自治体の移住施策を手掛けています。

 

“幸せの価値交換”が行われる地方の豊かさ

 

―堀口さんは様々な地方に行かれていると思いますが、「地方だからこその魅力」って何ですか?

まず、私は「東京VS地方」という考え方は持ってないんです。
東京も大好きですし、魅力的な人や“人間力”の高い人もたくさんいます。

それを前提として、私が思う地方の一番の魅力は「お金じゃない価値の交換」ができるということでしょうか。

例えば、ジャガイモがたくさん摂れたら「軽トラックが必要だよね!」って貸してくれるんですよ。お金じゃなく、必要なものを貸してくれます。
私はこれを「幸せの価値交換」だと思っていて、それがよく行われるってすごく素敵じゃないですか?

そうすると、付き合い方も真剣になってきますよね。
東京だとどうしても競争社会になってしまいますが、地方にはそんな“自分を鍛えてくれる先輩”がたくさんいます。

 

 

―地方によっても、その付き合い方・繋がり方って変わってきますよね。

そうですね。今、いろんな繋がり方があります。
“移住”は簡単でも、“定住”って案外難しいんですよ。
『TURNS』はよく移住雑誌だと言われるけれど、そうではないんです。

人口が減っていくというのは止められることではありません。
この人口減少社会の中では、まず「選んでもらえる地域」になることが大事です。
これを「関係人口」と呼びますが、すごく大事なことだと思います。

東京には、東京出身の人って少ないですよね。いろんな地方から集まってきています。
だから意外と、東京には地方のことを考えている人が多いです。

 

 

―地域活性のやりかたってたくさんあると思いますが、一番TURNSとして大切にしていることって何ですか?

いろいろあるけれど、「そのままを伝える」ということですね。
色を付けないで、課題も含めてありのままを伝えます。
その地域に課題があって、それを乗り越えるストーリーにこそ読者の共感を呼ぶカギがあると思うんです。

うまくいっている地域ってたくさんありますけど、悲しいことにそうではない地域っていっぱいあるんですよ。
そういう現場もまだまだあるので、「地方礼賛」っていうのは少し無責任かなと考えています。
現実もきちんと伝えなきゃいけませんし、TURNSとしての使命だと思うんです。

あとは、同じ志を持って、一緒に地域を見て学んでくれる人を見つけるようにしています。
いわゆる“地域のキーマン”といわれる人ですね。私は現地に行っていろんな人と繋がっていく中で、
「この人にスポットを当てれば、我々は共感を持てるなあ」という見方をするようにしています。そしたらどんどん仲間が増えるじゃないですか。

 

 

―堀口さんが地方の良さを感じるようになったのは、いつ頃からでしたか?

大人になってきてからですね。私は北海道で生まれて、
それからすぐ宮城、埼玉と南へ移動してきたんですけど、大人になってから故郷を思うことがかなりあって。
だから、地域の豊かさとか、面倒くさいと思っていた組合や消防団など、すごく必要なことなんだって思えるようになったんですよね。

今、群馬県富岡市で高校生によるまちづくり講座を開講しているんですけど、
高校生がまちづくりを「楽しい」って言ってくれているのを見ると、素直に「すごいな」って思いますね。

私の若いころなんて全然そんなことは考えていませんでしたよ。

 

今打ち込んでいるものが将来の自分をつくる

 

―学生生活はどんなことをしていたんですか?

学生時代は合気道をすごく一生懸命やっていましたね。
今でも道場で子供たちに教えているほどです。合気道で幅広い世代の人と付き合っていたことが、今の仕事を作っていると思います。
幅広い世代の人と付き合っていると謙虚になれるんですよね。

同じ世代の仲間と一緒にいると、「その中だけの価値観」でいっぱいになってしまいます。
世の中ってそれだけではないですし、もっと広いので。

利害関係なしに、いろんな世界でいろんな年齢層の人と関わることは意識していましたね。

 

 

―今、何をすればいいかわからない場合はどうしたらいいでしょう?

今ただ好きでやっていることって、将来に繋がると思うんですよ。

向田さんはバスケットボールが好きと言っていましたが、
3人制バスケットリーグの3×3(スリー・バイ・スリー)は地域活性の分野ですごく可能性があると思うんです。

というのも、今一般人でもスリー・バイ・スリーでオーナーとしてチームを持てる制度があるんですよ。地域のスポーツチームって、熱狂的なファンが増えていくじゃないですか。
それってまさに地域活性なんですよ。

だからスリー・バイ・スリーの場合、その地域が好きになったらオーナーとしてチームを持って、地域を応援できるんですよ。
その視点で考えれば、地域活性をやりたいと思ったときに、好きでやってきたバスケットボールが生きるじゃないですか。全部繋がるんです。

 

私は埼玉県狭山市に家があって、趣味で3反もの畑をやっています。
また、父亡き後、兄が継いだ合気道の道場を一緒に盛り上げ、地元の子供たちに指導しているんですね。

「畑」と「合気道」っていうのは、私にとって絶対に外せない二つなのですが、
兄弟の中で私だけ祖父母について畑に行っていたし、合気道も学生時代からずっと取り組んできたことなんです。

ずっとやってきたことが、私の根幹を支えてくれています。
今打ち込んでいるものが将来に繋がらないわけがないし、繋げていかなければならないと思うんです。

 

 

―では、私は地域活性に興味があるのですが、何をしておけばいいでしょうか?

“どれだけたくさんの人に会えたか”が勝負だと思います。

「自分は人に会ったことなら誰にも負けないぞ」ってくらい、いろんなところに顔を出していろんな人に会うことが何より大事ですね。

メディアを運営する力って、結局はすべて「コミュニケーション力」だと思っているんです。
もちろん英語ができればさらにいいけれど、英語もコミュニケーションのひとつですから。

ぜひ、いろんな人に会ってください。

 
 

 

堀口正裕さん、ありがとうございました!!
そして、8日間のインターンを終えた産能生のお二人。すべてのことに真剣に取り組んでいたのが印象的でした。お疲れさまでした。

ニッポン手仕事図鑑 浅野有希

名前:浅野有希
職種:ふたりごと文庫 編集長
出身:埼玉県

地域活性化を志す産業能率大学4年生。ニッポン手仕事図鑑にて毎日勉強中!旅行と美味しいものを食べるのが好き。
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誰ひとり仲間外れにしない、みんなの居場所をつくりたい。

こんにちは。今回浅野さんにお声掛けいただき、記事を書くことになりました。
筑波大学3年生の鈴木葵です。野球とロックとめろんぱんが大好きな20歳です。

現在私は、「2020年の東京オリンピックで夏フェスを開催したい!」という夢を叶えるべく活動しています。
今回は、私がこの活動を始めたキッカケや私の想いを中心に書いていこうと思います。

◎オリンピックに魅せられて

 

今年の2月、私は平昌オリンピックに行ってきました。
以前から「東京大会でなんかしたいなー」という想いはぼんやりと持っていたので、そのための視察でした。

そこで私はオリンピックの魅力に憑りつかれることになりました。


 

オリンピックの会場周辺には、あたりまえですがいろいろな国の人がいます。
そしていたるところで、さかんに人々のコミュニケーションや助け合いが起こっていました。

たまたま同じ空間に居合わせたとき、自然と会話が生まれて仲良くなったり、
目があったときに優しく微笑みかけてくれたり、
困っているときは、大会ボランティアをはじめ、現地の人、通りがかりの人たちが助けてくれたり、
逆に誰かを助けたときは、嬉しそうに“Thank you”と言ってもらえたり。

だれかが笑ってくれたら自分も笑顔になるし、だれかが喜んでくれたら自分も嬉しい。
言葉が通じなくても気持ちが通じ合う瞬間に日々感動していました。

そこにはまさに平和の祭典にふさわしい、人々の笑顔と優しさが溢れるステキな空間が広がっていました。
これまでに見たことのない景色、経験したことのない感覚でした。

オリンピックという特殊な環境だからなのか、平昌という場所だからなのか、
それとも単なる偶然なのか、あんなにもステキな空間がなぜ、どうやって実現していたのかはわかりません。
それでも私は魅せられ、自分の手でそんな空間を作って、もっとたくさんの人に体験してほしいと思いました。

 

◎音楽の魔法

 

そんな空間どうやって作るんだ、という問いの答えを見つけたのが、平昌最終日に訪れたハイネケンハウスでのことでした。

そこでは、DJやバンドのパフォーマンスが行われる中、みんなで歌ったり踊ったり。
国籍や文化や言語のちがいを越えて、みんなで音楽を楽しみました。
そしてこの時の体験が私の原体験となりました。


 

私はこれまであまり自分を表現するのが得意ではありませんでした。
自分の気持ちや感情を、遠慮して溜め込んでしまいがちでした。
それゆえに、これまでこういう楽しい場にどこかうまくなじめないことも多くありました。

 

だけどこの時、音楽に合わせてみんなと歌ったり体を動かしたりしているうちに、
魔法にかかったかのように、余計なことを考えず自然体で楽しんでいる自分がいました。
そしてそこには、ありのままの自分を受け入れてくれて一緒に楽しもうとしてくれる心地よい空間がありました。
オリンピック会場で体感した、笑顔と優しさが溢れる空間がここにもありました。

その時私は、音楽にはその人らしさを引き出す力と、人と人とをつなぐ力があると確信し、
同時に、音楽の魔法で私が作りたいと思った空間が作れるんじゃないか
と思いました。

スポーツを通じて理解し合い、平和な世界を作っていくことを掲げるオリンピックと並んで、
音楽を通じてありのままを受け入れ合い、ちがいを越えて協働する、優しい世界を作ることを掲げ、「もうひとつの平和の祭典」を開きたい。
そんな想いから、「2020年の東京オリンピックで夏フェスを開催すること」が私の夢になりました。

 

◎誰も仲間はずれにしない世界を

 

よくこの目標を人に話すと、「音楽を通して国際交流したいの?」と言われることが多いのですが、それは少しちがいます。

私のコアは「誰ひとり仲間外れにしない、みんなの居場所をつくること」です。
だれも仲間はずれにしたくないし、誰にも居心地の悪さを感じてほしくないのです。

そこにいるだれもが無理せず自然体で、だれかとつながって、楽しめる。
あらゆるちがいを越えて、みんなが楽しさや居心地の良さを感じられる。
国際交流はあくまでそのための手段のひとつだと思っています。

誰も仲間はずれにしない世界にしたい、と口で言うのは簡単だけど、実際作るのはすごく難しいと思います。
それでも、せめて私が作り出す空間の中でくらいは、そんな理想郷を実現したいのです。

 

◎さいごに

 

ここまでいろいろと熱く語らせてもらいましたが、実はまだ動き始めたばかりで、決まっていないことだらけです。
それでもありがたいことに、「おもしろそう!」と賛同してくれる人たちが少しずつ集まってきて、ようやくスタートラインに立てました。
これからプレイベントなどを重ねていき、2年後には絶対に形にしたいと思っているので応援していただけたら嬉しいです。

活動に興味を持っていただけたら、ぜひ私のTwitterやnoteも覗いてみてください。
また、もし協力してくださる方がいましたら、私までDMなどからご連絡ください。
よろしくお願いします!

Twitter→@melonpan_oic
note→https://note.mu/melonpan_oic

 

名前:鈴木 葵
職種:学生
出身:茨城県

一生に一度かもしれない日本でのオリンピックで、最高の体験と思い出を。一緒に作ってくれる方募集中です!

ひとことめぐり商店ワークショップ第1弾「つまみ細工」制作体験を開催しました!

ニッポン手仕事図鑑の公式オンラインショップ「ひとことめぐり商店」主催、
ワークショップ第1弾「つまみ細工」制作体験を開催しました!

今回は江戸つまみかんざし職人・つまみかんざし彩野さんを講師として迎え、
「ひとつ菊」と呼ばれるつまみかんざしを作成。

参加者の皆さんがそれぞれ好きな色を選び、
糊をしみこませたちりめんの生地を整えていくと、
少しずつ花びらが形作られていきます。

【イベントの様子】

ワークショップ第1弾「つまみ細工」制作体験

ワークショップ第1弾「つまみ細工」制作体験

ワークショップ第1弾「つまみ細工」制作体験

ワークショップ第1弾「つまみ細工」制作体験

当日は満員御礼!

2時間のワークショップでしたが、
和気あいあいとした雰囲気の中、
作業の合間につまみかんざしの話で盛り上がりながら、
それぞれのひとつ菊が完成しました。

講師を務めていただいた彩野さん、
会場にお越しいただいた参加者の皆さま、
ありがとうございました!

【イベントの概要はこちら】https://market.nippon-teshigoto.jp/product/717/

毎日新聞「若者フリーゾーン」にて、ふたりごと文庫編集長 浅野さんが紹介されました!

ニッポン手仕事図鑑のオンラインマガジン
「ふたりごと文庫」の編集長 浅野有希さんが、
9月20日発行の毎日新聞「若者フリーゾーン」にて紹介されました!

ボランティア活動や起業活動、
芸能活動で躍動する10~20代前半の人たちを
ピックアップして紹介する「若者フリーゾーン」。

記事では、浅野さんが大学で経営学を学ぶ傍ら、
地方活性化に貢献したいと思うようになったきっかけが紹介されています!

毎日新聞 浅野有希

掲載記事(WEB版)はこちらをご覧ください!
https://mainichi.jp/articles/20180920/ddm/013/040/014000c

編集長 大牧とスコップ副編集長 花田が、きりたんぽFMに出演しました!

秋田県鹿角市のコミュニティラジオ放送「鹿角きりたんぽFM」に、
編集長 大牧と、鹿角ローカルメディア『スコップ』副編集長 花田が
トークゲストとして出演しました!

【収録の様子】

鹿角きりたんぽFM

鹿角きりたんぽFM

放送では、ニッポン手仕事図鑑と鹿角の出会いから、
かづの“初”、かづの“発”の求人&ローカルメディア『スコップ』が誕生した経緯、
そしてこれからの『スコップ』の課題などについて、
パーソナリティの方々を交えながらお話させていただきました。

きりたんぽFMの皆さま並びにラジオをお聴きくださった皆さま、
ありがとうございました!

【鹿角きりたんぽFM】http://fm791.net/
【鹿角ローカルメディア『スコップ』】https://scoop-scoop.jp/

[募集停止中]ふたりごと文庫編集室がリニューアルします!

こんにちは!ふたりごと文庫編集長の浅野有希です!

情報発信に興味のある大学生を集めたオンラインサロン「ふたりごと文庫編集室」を開講してから早いもので4か月。
30名もの大学生が参加してくれました!!ありがとうございます!!

しかし、旗揚げをした私がオンラインのコミュニティに参加したことがなかったのです。
Slackの使い方すら知らない始末。

それはそれは手間取ってばかりでした。
コミュニティづくりって難しいですね……。(←当たり前!!)

というわけで、ふたりごと文庫編集室をリニューアルすることに決めました!!!!

 

ふたりごと文庫編集室ってどんなコミュニティ?

 

リニューアル後も「地域活性化×情報発信」のコンセプトは変わりません。
今までの活動で、全国には地域活性化に取り組んでいる大学生、地元への大きな愛を持つ大学生が沢山いることを知りました。

そんな地域活性化を志す大学生が集い、一緒に学ぶことができるコミュニティを作ります!!
「情報発信が直接地域活性化につながるのか……」と言われると決してそうは思っていません。
しかし、若く経験・実績のない私たちと、活性化を目指す“地域”にこそ「発信力」は必要だと思っています。

一緒に地域活性化について考えながら、発信力を鍛えていきませんか?

 

引き続き、ビジネスチャットツールSlackを利用します!今想定しているチャンネルはこんな感じです。

#関連記事シェア
#注目人シェア
#感動した事例シェア
#こんなことやりたい!
#イベント情報

↑これらのチャンネルでは、積極的に情報交換をし合って
意見交換や分析をしたいと思っています。

 

班制度を設けて、ひとり1班以上に所属してもらいます。
“班希望届け”は、入会次第私まで出してもらいます!

#取材班

取材・ライティングをする班。
 
取材アポ取りから、何名か(or一人でも◎)で取材、ライティングまでを行います。
各地に支部をつくって数名でいけたら良いですね!!
また、イベントや取材ツアーのレポート、地域やその場所で感じたことの取材・ライティングも考えています。
 
過去にはシェアビレッジの武田昌大さんに取材をさせてもらいました。初心者こそ大歓迎です。
基本的に掲載する媒体は「ふたりごと文庫」ですが、他社メディアに掲載してもらうことも考えています。
 
[こんなメリットがある!]
・憧れの人に会える可能性有(私も伊佐知美さんにお会いできました)
・自分の“名前”が売れる
・ライティングの経験を積むことができる

 
 

 
 

#企画班

自治体&企業の課題解決、イベントなどの企画運営をする班。
 
自治体さんのプロポーザル案件や、企業さんからいただいた課題に対する解決策を企画していきます。
採用されれば、出張ツアーの開催ができるかもしれません。
また、定期開催するオンラインorリアルイベントを企画・運営します。
 
[こんなメリットがある!]
・本当の仕事が体験できる
・企画力を鍛えることができる

 

 
 

#運営班

一緒にコミュニティを動かしていく班。会社でいうところの経営企画部です。
 
コミュニティ内の施策やイベント(オフ会やオンライン飲み会?)を考えます。
また、「広報」の役割も担い、SNSアカウントの運営やプレスリリース、紹介リーフレットの制作等をします。
 
なんせオーナーである私が不慣れです。正直一人では心細いです。でも、仲間をつくって楽しいことがしたいんです。
一緒に走りながらコミュニティづくりを学びませんか。
 
[こんなメリットがある!]
・コミュニティづくりが学べる
・広報のお仕事が学べる

 

 



 
 

その他、全体での出張取材ツアー等は引き続きやっていきます!
プロジェクトや出張取材ツアーは、お話しをいただき次第取り掛かるので不定期になります。

[今まで]
静岡県掛川市(6月8日)


 

 
 
 

北海道当麻町(9月10~12日)取材ツアー開催


 

 

 
詳しい取材の様子はぜひ、Twitterで#当麻町でふたりごとをご覧ください!
 
 
 

また、「月1ゲストTalk」をやっていきます!
月に一度、面白い社会人の方をコミュニティにお呼びしオンラインでトークをします。
[今まで]シェアビレッジ武田昌大さん

 
 

何がどう変わる??

 

では、今までの「ふたりごと文庫編集室」とどう変わるのか。

運営が指示を出すセミナー式 ⇒ ひとりひとりが自発的に動けるコミュニティ

 

今までは、私や社会人アドバイザーさんが提示した通りに動いてもらう……という形に自然となっていました。自発的に提案をしてくれたり、動いてくれたりする方も少なかった印象です。

メンバーさんがどのように動けばいいのかわからなかったのは、ここのスタンスが決まっていなかったからかなと思います。

私はこのふたりごと文庫編集室のオーナーですが、メンバーでもあります。
私が1プレーヤーとして、「一緒にやりませんか?」の呼びかけはしますが、
同じように誰でも自発的に「あれやりたい!」「こんなことやりませんか?」って発言できるコミュニティにしたい
です。

自分のやりたいこと・得意なことがあっても、それに賛同する仲間がいないケースが多くあると思います。
そんなとき、このコミュニティで同じ志を持った仲間を見つけることができるかもしれません。

やりたい人が自由に部署へ参加 ⇒ 「完全班制」

 

各々、参加したい班へ所属してもらいます!
今までの「ふたりごと文庫編集室」では、なかなか発言しづらかったと思います。より小さなチームに所属することで、発言へのハードルが下がるのではないか!!という狙いがあります。

ちなみに、メンバーさんから提案をもらえれば新たな班を立ち上げ可能です!!
「こんな班が必要では?」「こんなことやりたいんだけど!」という提案を待っています!
例:地域別「#チーム関西」「#チーム九州」・役職「#???」

定例会議 ⇒ 廃止!

 

今まで、週一時間ほど定例会議の時間を設けて情報共有等をしていました。
これは廃止します!!

その代わり、常にチャンネルを動かしていきます。
また、各部署で自由にミーティングや、親睦会兼ビデオ会議等やってもらって構いません。

また、定例会議をやっていた目的はズバリ「情報共有」と「会話の活性化」でした。
廃止する分、誰かの発言にスレッドを開始して会話をしたり、気軽に議題を投げられる“雰囲気づくり”が私の課題です!!!

ふたりごと文庫編集室への参加方法は?

 

【会費】無料
【条件】現役大学生 / 積極的な参加をしてくれる人
【こんな人に入ってほしい】地域活性化に興味がある / 情報発信力をつけたい / 新しい仲間が欲しい

【参加方法】
専用応募フォームから必要事項を記入して送信!

・私から返信メールが届きます

・Slackアプリをインストール!
Slack「 [第二期]ふたりごと部の編集室」への招待メールが届くので参加してください

・#about というチャンネルに、概要やルールなどが書かれているので目を通して、私にDMで“班希望届け”を済ましてください。
・#自己紹介 にて自分の自己紹介を書き込んでください

完了!

この「ふたりごと文庫編集室」をどう使うかは自由です。
メンバーさんたちにとって、活躍の幅を広げるきっかけになれば嬉しいです。

話だけ聞いてみたい方も、FacebookTwitterのDMでお気軽にどうぞ!

私のnoteにも、ふたりごと文庫編集室について書いてあるのでご覧ください!
なぜ、普通の大学生である私がオンラインサロンを立ち上げるのか。
私がコミュニティ運営でやらかした4つの失敗

皆さんのご応募、お待ちしております!!

地元岩手を捨てたもんじゃないと気づかせてくれた、かっこいい大人たち。

こんにちは、初めまして。
生まれも育ちも岩手花巻市の大学4年生の照井絢子(てるいじゅんこ)と申します。

 

みなさん、岩手県をどのくらいご存知でしょうか?

岩手県は東北の青森の右下にある県です。
さらに岩手県は北海道の次に面積の大きい都道府県なのです。
実は長野県ではなく岩手県なのです。

また、2011年東日本大震災がありました。


 

沿岸、内陸被害の差はあれど私たちから日常を奪っていきました。

私が震災を体験したのは中学校2年生の時です。
幸い内陸だったので大きな被害はありませんでしたが、
翌々年沿岸へ見学したことがありました。

自分も震災を体験したのに目の前の状況に言葉が出ませんでした。

知っているようで知らなかったんです、岩手を。

それから、地元岩手を意識するようになりました。


 

 

今までは、地方なんてダサい岩手なんかダサいと。

しかし、県内で活動をしていくに連れて
運良くかっこいい大人たちに会うことができたんです。

地元百貨店の閉店を聞いて復活を願い署名活動する学生。

家業の木材店をやりつつ東京でITベンチャーも経営、
いくつか会社を経営しながら地元百貨店復活に自ら出資して貢献した方。

とにかく行動力にあふれていて二十歳の時にお米を一軒一軒売り周り生活費を稼ぎ、
今では市内でいくつかの飲食店を経営している方。


 

九州から岩手に来て岩手の魅力に惚れ、岩手初ゲストハウスを宮古に作り上げた方。

こんなかっこいい方々が岩手に埋もれていたのです。

そんなかっこいい方々を見える化して、
もっと岩手をたくさんの人に自慢したいし県内の人には誇りをもってもらいたい。

そういうプロジェクトを9月1日よりクラウドファンディングをスタートし始めました。



(https://ishiwari.iwate.jp/pj/IswA0406164)

 

熱い想いを持って活動している人は年齢関係なく輝いています。

そんな岩手で熱い想いを持っている仲間を可視化して、
かっこいい仲間を自己紹介形式で繋いでく仕組みも展開していきます!

県外でも岩手を感じられる内容になっておりますので
ぜひ応援していただければと思います!

これを機に岩手のファンになりませんか。
ぜひ応援いただけると嬉しいです、よろしくお願いいたします!

名前:照井絢子(てるいじゅんこ)
職種:岩手大学4年 BIZCAMPマネージャー
出身:岩手県花巻市

岩手に愛し愛される人間になることと東京との2拠点を目指しています!

【告知】北海道当麻町へ行ってきます!!

こんにちは!ふたりごと文庫編集長の浅野有希です。

9月10日~12日ふたりごと文庫編集室メンバーで、「北海道当麻町」へ取材に行きます!!
ニッポン手仕事図鑑にとっては馴染みのある北海道。ふたりごと文庫にとっては初の北海道進出です~!ワーイ楽しみ楽しみ!!

私はそれに向けてせっせと準備をする毎日です。


 
 

北海道当麻町とは?

 
 

北海道当麻町とは、北海道の中央部、旭川市のお隣に位置する町です。
人口は6582人(2017年10月)。北海道の中でも美味しいお米ができる地域で、他にもブランドスイカ「でんすけスイカ」の産地として有名だそうですよ。1玉65万円の値が付くこともあるとか!
当麻町では947人が農業従事者で、町の多くが農業を営んでいます。

美味しいものはもちろん、私が特に気になっているのは「木」です!!
当麻町は全体の65%が山林なんだそう。農業と並び、当麻町の大切な産業「林業」を支えています。

子どもの教育に木を取り入れる「木育」にも力を入れており、「くるみなの木遊館」という施設では沢山の木製遊具があります!
また、本格的な木材加工や作品制作を行える機材もあり、木に関わる様々なことを学ぶことができます。幼い頃から当麻町の“木の文化”に触れられるのはいいですよね。

他にも、リサーチをしていると素敵なお店がいっぱい。
そのほとんどのお店が「木」でできているのです。ログハウス調ですっごくかわいいんです!!まだ写真でしか見ていないですが……。

私も当麻町で、「木」を含め沢山のことを経験して、沢山発信しようと思います。とっても楽しみです!!


 
 

ヨソモノ×ワカモノの視点

 
 

私が地域活性化に携わりたいと感じた原体験は、秋田県鹿角市の雪景色や一本の線路、古い駅舎、そして人でした。
地元の人にとっては当たり前のことでも、「こんなに素敵な場所があったんだ!!」と感動しました。

これが「ふたりごと文庫」発足の原体験でした。

今、様々な地域で観光PRを実践していますが、それらは市や町が設定することが多いです。
もちろん素敵なものばかりですが、よそから来た人が魅力に感じるものや場所は、まったく違うことがあります。
若い人が魅力に感じ、SNSでシェアしたくなるものや場所も、他の世代とまったく違うことがあります。

日本には、まだまだ知られていない魅力があるはずです。それを、ヨソモノ×ワカモノならではの視点で発掘します。

 
 

どんなことをするのか?

 
 

メンバーの希望をもとにツアープランを作成!
二班に分かれて大自然を楽しみ、飲食店や農家を訪ね、当麻町の魅力を発掘します。

メンバーは各々テーマを設定し、北海道当麻町が運営するサイト「全部ある当麻町」や、「ふたりごと文庫」に掲載する記事を3記事以上執筆予定!!また、滞在中は自身のブログやSNSでの情報発信をします。

 

浅野有希Twitterアカウント
 
 

オリジナルのハッシュタグ #当麻町でふたりごと を付けて発信しますので、ぜひぜひご覧ください~!

残り二週間を切りました!!
既に高いテンションを、さらに高めていきたいと思います~!

ではでは、お楽しみに。

 
 

ニッポン手仕事図鑑 浅野有希

名前:浅野有希
職種:ふたりごと文庫 編集長
出身:埼玉県

地域活性化を志す産業能率大学4年生。ニッポン手仕事図鑑にて毎日勉強中!旅行と美味しいものを食べるのが好き。
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伝統工芸のストーリーや魅力を翻訳するために―古澤恵太

職人魂に心を揺さぶられ、隣にいる誰かに伝えたくなる。
そんな職人の生き様を仕立てる「仕立屋と職人」さんの
個性豊かな4名の方々にリレー形式で登場してもらいます!

第一弾ではワタナベユカリさんが、二弾では石井挙之さんが登場し、
熱いパトスを記事に込めてくれました。

第一弾 ワタナベユカリさん『職人の生き様を、私の言語で伝えていく
第二弾 石井挙之さん『地方や伝統工芸の世界で、なぜデザインが必要なのか

 

第三弾は、プロデュース・サービスデザイン担当の古澤恵太さんです!お願いします!!

(photo by Tomohisa Kawase)

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Facebook 仕立屋と職人
Instagram shitateya_to_shokunin
note 仕立屋の日記

 

“職人の生き様を仕立てる”とはどういうことなのか?

 

第三走者は、仕立屋と職人で参謀をしている古澤が担当させていただきます。
活動を始めて約1年半。

お陰様でどこへ行っても「仕立屋さん」と呼ばれることが増えてきました。
私たちの名前は、仕立屋と職人。

 

仕立屋と、職人がタッグを組んで伝統文化のストーリーや価値を未来に伝えていく。
そんな想いを込めてつけたチーム名です。


 

そんな私たちの活動の根底にあるのは、職人の生き様を仕立てること。
心の揺さぶりが連鎖していく世界を目指して日々活動しています。

「じゃぁ、実際は仕立屋さんは何をやってるの?」
今回はそんなお話を参謀の視点でお伝えできればと思います。

なぜコンセプトが必要なのか

 

私たちが掲げるコンセプト“職人の生き様を仕立てる”。
ここにたどり着くまでには喧々諤々、紆余曲折がありました。

1本目、2本目の記事を読んでいただいた方ならば何となくお分かりかと思います。
はいそうです。ワタナベ、石井のあっつあつのパトスとのぶつかり合いです。


 
 

仕事終わりの中華料理屋で麻婆豆腐を食べながら、
活動を始めたきっかけや自分が仕立屋をやる理由をひたすら棚卸し。
そこからワタナベのアパートで約16時間、、、狂気に満ちた一泊二日の合宿を経て、
いまのコンセプトが生まれました。

 

なぜそこまでしてコンセプトが必要だったのか。

メンバーは、三度の飯よりモノづくりが好き。
アイディア出しをすれば、どんどん話が膨みます。
パソコンの画面越しに、気づいたら日を跨でいることもしばしば。

私たちのいいところは、無理なく理解しあえるくらいには似ていて、
驚きがあるくらいにはお互いが違っていること。
一人では思いつかないような切り口や、満場一致でいいね!
と盛り上がるアイディアも生まれてきました。


 

ただその違う部分が、いつもプラスに働くわけではありません、、、
お互いの言葉に抱くイメージのズレや、認識の違いなどから、
進んでいるようで今ひとつスピードが上がらない。
そんな状態になることも。

 

大切なのはこの議論が、職人のストーリー、伝統文化を未来に伝えることに貢献するのか。

「なぜやるのか」「何が仕立屋のきっかけだったのか」
そこに立ち返ったことで、進む方向を再確認することができました。

メンバーが共通言語を持ち、試行錯誤しながら迷わず進むために。
そして、この先、興味を持ってくれた人に仕立屋の目指すビジョンや価値観を伝えるために。

道無き道を進むための地図として、コンセプトが必要なのです。

 

コンセプトから生まれた未来会議

 

2018年3月に、シルク産業の職人、市役所や技術センターの行政関係者、地域の方、
そして外部からゲストを招いて長浜シルク産業未来会議 vol.1を開催しました。
※詳しくは仕立屋のブログ(縫子ワタナベ編装飾イシイ編)をご覧ください。

プログラムは、大きく3構成。
リサーチの共有(素材としてのシルク、長浜シルク産業について)、長浜シルク産業の強み・課題の抽出ワーク、心を揺さぶるアイディア出しです。

ワクワク感を演出するために、
会場の壁面にリサーチ情報がびっちり書き込まれた模造紙を張り出したり、

実際のシルク生地を展示したり、
職人にはとっておきの長浜シルクの着物を着てもらったりと、
これでもかと言うほどに長浜シルク一色に作りこみました。

photo by Tomohisa Kawase
 

未来会議では、共創のアプローチ取り入れました。
これは、様々な立場の関係者を一堂に集めて、いち参加者として議論に加わってもらう方法です。

リサーチ内容は、時代を遡り、絹の起源から、
卑弥呼の時代の絹の生い立ちを経て、現代のシルクの最新技術についてまで。
産業に関わる職人だからこそ分かる課題や外部参加者の客観的な視点だから見えた強みなど、
参加者の立場の違いを上手く取り入れた結果、
400以上の課題と強みのカード、300以上のアイディアが生まれました。

 

実施の背景には、文献やフィールドリサーチをした結果、
情報や課題が多すぎて、何から手をつければいいのか。
どうやって進めればいいのか。
正直にいうと、少し行き詰まっていました。

そこで、関係者を一堂に集め未来を考える同じ時間を共有すること、
そして何かが始まるワクワクする空気を作ることにしました。

この未来会議の一番の成果は、
それぞれの視点からシルク産業の未来について考える時間を持てたこと。
そして、当事者としての関わり方を想像できたことだと思っています。

photo by Tomohisa Kawase
 

「いや~~面白かった」
言葉は違えど、様々な立場の参加者からポジティブな意見をもらうことができました。
いま、進めている商品開発のアイディアの一つはこの未来会議から生まれたものです。

 

参謀の役割とは

 

突然ですが、「参謀」て響きとても悪そうじゃないですか?
裏で悪企みをしている感笑

私が考える仕立屋と職人の参謀の役割は、
コンセプトに沿って、解決すべき課題を見つけ出し、
色々な人を巻き込みながら解決策を作ること。

そのために商品のコンセプトも書くし、映像も撮るし、ワークショップも作るし、
ワタナベが壁にぶち当たった時の人生相談にも乗ります笑。


 

そして、参謀である私が常に考えていることは、
“やりたいをやってみる、やってみるをやり続けるにする” というとてもシンプルなこと。

仕立屋は、個人が勝手に色々なことを始めます。
職人のインタビュー連載や他地域への視察、試作品の改善インタビューなど。
だけど軸は“職人の生き様を仕立てる”からブレません。
目指す先さえ決まっていればやり方は問わない。

色々な人と関わる中で思うのは、
“相手が正しい、そして自分も正しい”が往々にして起こるということ。
そんな時に大事なのが、どんな成果を作りたいのか、に尽きると思います。

その余白での試行錯誤の積み重ねが、
結果としてユニークなチームのキャラクターや実績になっていく。
まだまだ志半ばではありますが、そんなことを毎日考えています。

 

私自身は、学生時代は映像制作を学び、
卒業後は、広告、写真、デジタルアートの領域で仕事をしていました。
新卒で入った会社を辞めた後は、カメラひとつでインドを旅したり、
富士山の山小屋に住み込んで写真を撮ってみたり、
ロンドンのストリートに通ってグラフィティアーティストとプロジェクトをしてみたり。

photo by Keita Furusawa POPLE WITH COLOURS
 

いまは仕立屋と職人の他に、デザイン会社でサービスデザイナーとしても働いています。
結果、パラレルワークというやつをやっています。

心の赴くままに面白いことをしたい。
だけど、このままで進んでいいんだろうか。
良くいえば色々な経験があって面白い、だけど悪くいえば一つのことやり続けている人と比べて深さがない。
どこかそんな後ろめたさがありました。

しかし、悩みながらも飛び込んだ経験が、
人とは違った考え方や自分にはない才能を持った誰かと何かを作るのが楽しい、
といういまの働き方に繋がる気づきを与えてくれました。

会社では企業の新規事業開発や組織変革のお手伝いを、
仕立屋と職人ではチームとしての戦略やプロジェクトの立案と推進を、
最近は有り難いことに個人でも相談を受けることが増えてきました。

 
 

「結局、参謀て何をやってる人なの?」の答えにはなっていない気もしますが苦笑。
“何をやっているのかわからないけど楽しそうな人”がいま一番楽しく働ける肩書きなのかもしれません。
カメレオンのように、その時に足りない役割を担う。
そんなまだ名前のないポジションをもう少し楽しみたいと思います。

まず、やりたいをやってみる。そして、やってみるをやり続けるにする。

それは、一つの仕事だけをという意味ではなくて、
自分の軸をブラさずにやり続けることなのだと思います。

仕立屋と職人のメンバーは色々な才能を持っています。
しかし、まだまだ足りないところばかり。
もしこの連載を読んで、少しでも活動やキャラクターに興味を持っていただけた方、
何かご一緒できる可能性がある方はお気軽にご連絡いただけたら
(ご感想をいただけたら尚一層)とてもとても嬉しいです。

第三走者として、少しでも2人の伏線を回収して最終走者にバトンを渡すべく書きました。
最後は、運屋・堀出大介が締めくくります。

 

名前:古澤恵太
職種:仕立屋と職人 参謀, プロデューサー | サービスデザイナー
出身:群馬県

自分にない才能を持った誰かと、誰かを幸せにするモノ・コトを作る。
仕立屋と職人・企画、プロデュース担当。
 
illustration by tottie

仕立屋と職人

職人魂に心を揺さぶられ、隣にいる誰かに伝えたくなる。そんな職人の生き様を仕立てるのが、仕立屋と職人の仕事。
HP shitateya-to-shokunin.jp
MAIL info@shitateya-to-shokunin.jp
Facebook 仕立屋と職人
Instagram shitateya_to_shokunin
note 仕立屋の日記

 

第一弾 ワタナベユカリさん『職人の生き様を、私の言語で伝えていく
第二弾 石井挙之さん『地方や伝統工芸の世界で、なぜデザインが必要なのか

Prime Strategy様のKUSANAGI導入事例にて、「ひとことめぐり商店」が紹介されました


7月7日にリニューアルオープンした
ニッポン手仕事図鑑のECサイト「ひとことめぐり商店」が、
Webサイト構築を支えるシステムの開発等を行っている
Prime Strategy様が提供しているシステムサービス・KUSANAGIの
導入事例として紹介されました。

【取材の様子】

KUSANAGI導入事例紹介

KUSANAGI導入事例紹介

KUSANAGI導入事例紹介

KUSANAGI導入事例紹介

記事では、
KUSANAGIの導入によってサイトの表示が改善されたことに加えて、
ニッポン手仕事図鑑が「ひとことめぐり商店」をオープンした経緯や、
「ひとことめぐり商店」に懸ける想い、
職人さんたちをサポートするために
私たちが今後取り組んでいきたいこと等が紹介されています。

詳しくは以下をご覧ください!

【KUSANAGI事例】株式会社ファストコム「ひとことめぐり商店」
https://www.prime-strategy.co.jp/achievements/operate_jirei_hitokotomeguri/

【連載】#3『ボランティアは二の次』であることのこだわり

この記事をちょうど執筆している現在、テレビで見ない日はないというほどボランティアという言葉が連日取り上げられています。
西日本豪雨から始まり、ハイライトは行方不明になった幼児を見事に見つけ出して一躍脚光を浴びているスーパーおじいちゃん。

特にこの強烈なキャラを持つスーパーおじいちゃんに関しては、社会に恩返しの意味も込めて、引退後から数十年間各地のボランティアを渡り歩くというプロのボランティア(意味わからない)の方で、本当にニュースを見ていてもただただ感心するばかりです。

すごいなあ。

 

『ボランティア=自己犠牲』が地方を停滞させる。

 

あれ、ついさっき感心していたところなのにタイトルネガティブじゃない?

そうですね。スーパーおじいちゃんがとても素敵な人物だということには全面的に賛成ですが、
だからといって『これぞボランティアの鑑!』というメディアの煽り文句に覚えた強烈な違和感に目をつむるわけにはいきません。

前回の記事で少し地方のボランティアへの想いを書かせていただきましたが、まさにこのメディアの煽り文句にこそ、
ボランティアは二の次にしなければ真の意味での持続性のある地域活性はできないと感じる所以があります。

地方の課題は、きれいごとでは片づけられません。

 
 

そもそもとして、自己犠牲とボランティアは違います。

阪神淡路大震災のころから日本にもボランティアという考え方が輸入されましたが、欧米のそれとは少し違った形で世の中に広まっていきました。
それはつまり、ボランティアとは自己犠牲の社会奉仕精神だという考え方です。

NPO法人は金稼ぎをしない組織という認識もそうですが、日本では社会の為になることとはお金にならないこと、という考え方が一般的です。
欧米ではNPO法人のトップはお金持ちです。つい先日ノーベル賞平和賞をとった世界的なNGO団体もしっかりとお金をもらって活動しています。

「価値のある活動をしているのだから対価をもらって当然」という考え方が、欧米の主流なのでしょう。
だからといって、無償ボランティアがないというわけではありません。もちろんあります。
ただそれは、経験や人脈や名誉や満足感など何かしらの対価をもらうからお金はもらわないということです。

 
 

なるほどなるほど。

そう言われれば、日本でいうボランティアも一見自己犠牲の活動だけれども、
その意味では経験や気持ちの面でなんらかの対価は受け取っている気がする
な。

私もそう思います。
ボランティアを行う主たる動機が何であれ、事前に想定しているかどうかに関わらず、
少なからず何かしらの対価は受け取っているように思われます。
少なくとも、私自身はそうです。

だからこそ、です。
『ボランティア=自己犠牲』などというのは、極端に言えば事象の一面を切り取っただけの恣意的なキャンペーンです。

 
 

まあまあ落ち着いて。
百歩譲ってそうだとしましょう。
でも、だからといって別にそれに騙されて損害を被っている人なんていないんだし、別にどっちでもよくない?

もちろん誰がどう思って行動していようが、他人には関係ないことです。
どんなに打算的だったとしても、結果としてその行動が社会的に良いことをしているのであれば、むしろ奨励されることです。

ただ、こと社会的な風潮に関しては『ボランティア=自己犠牲』が主流であるゆえに弊害が引き起こされることが、確かにあります。

(ボランティアは『二の次』。つまりメインではないだけど、やるべきこと。)

 

想いは薄まる。お金は続く

 

『想いは薄まる。お金は続く。だからいなくなるならお金が回る仕組みを残せ。』

これは真庭である方に言われた言葉です。

僕が任期を終えたら復学の為に東京に帰るということを前提に活動していることに対して、
今自分がいるから打ち上げられる花火をあげてばかりではなくて、持続性を求めて活動しなさい。
でなければ、お前の真庭での活動はうたかたの夢として過ぎ去っていくぞ。
というような主旨で言って頂きました。

この言葉にはハッとさせられました。

 

自分の想いを受け継ぐ後継者へと代々バトンをつないでいくようにします。
と言いたいところですが、それは所詮きれいごとです。

世の中同じ人が一人もいない以上、受け継ぐたびに思いは変わっていくのは変えようのない事実です。
もし仮に自分のクローンをつくろうと頑張れば、むしろ代を重ねるごとに劣化版が作られていき組織は弱体化していきます。
例え90%のコピーでも、0.90の5乗は約0.6。5年目にはほぼ形骸化しています。

だからこそ想いを残そうとするのは前提として、
ちゃんとお金の流れが発生して土台がしっかりと引き継がれていく必要がある
のでしょう。

なんだかあまり気持ちのいい話ではありませんが、事実そうだと言わざるを得ません。

 
 

ボランティアにおいても同様です。
『ボランティア=自己犠牲』が広まるということは、想いの部分だけを取り上げていくということになります。
もちろん最初は想いだけで活動していたかもしれませんが、想いは薄まります。つまり、その活動に持続性はありません。

ボランティアによってどんな対価が得られるのか。

こんな人脈が手に入ります、エントリーシートに書けます、たくさん感謝されて気持ちいいですよ、名誉欲を満たすことができますよ、などなど。
お金ではありませんが、そういった対価の部分ももっと示す必要があるように感じます。
そう言うと、なんか嫌なやつみたいですが。

現状、地方の過疎地であればあるほどボランティアに大半の地域活動を頼っています。ボランティアが一切来なくなったら続かないこともたくさんあります。

だからこそ、困っています、助けてくださいという想いの部分だけではなく、この地域に関わってくれたらこんないいことがあるよという対価の部分を示すことは、本当に死活問題です。
そしてそんな死活問題をヨソモノがきれいごとで批判するのはあまりいい状態とは言えません。

(お金という評価基準を媒介しない価値そのものの交換は、地方社会の方が得意かもしれません。)

 

『三方よし』の地域活性化をめざす。

 

ボランティアの原義を問うのは確かに少し西洋かぶれなところもあるかもしれません。
ただ日本にも少し趣は異なりますが、『売り手よし、買い手よし、世間よし』という『三方よし』の考え方はありました。

私は、今の地方にこそこの三方よしの考え方が強く必要とされていると思っています。

地域おこし協力隊の活動をしていても、どうしても『売り手よし』が抜けてしまいます。
僕自身を見ても他の隊員の方々を見ても、誰々の為に、地域の為に、というキレイな理由に逃げてしまうことは多々あります。
でも、いくら誰かのためになるからと言って、自分がつらいことばかりをしていては持続性がありません。

今の地方の現状に必要なのはきれいごとではなく、三方よしの価値の循環です。
別に大金を動かす必要はありません。
少額でもお金でない価値でも、ちゃんと対価をもらってお互いの為になる活動を目指していかなくてはならないと感じます。

(ゆーまにわも稼ぐ力を付けたい。実際に出店してみて商売は実地で学ぶことばかりです。)

だからちゃんと『win-winのビジネス』

 

ゆーまにわのツイッターやフェイスブックのプロフィール説明欄には、『win-winのビジネス』という文言を入れています。
このビジネスという言葉には、お金に限らず与えたものに対して正当な対価をもらえる、
逆に言えば対価にふさわしいだけの価値を相手に提供できることを目指すという意味を込めています。

至極当然のことですが、相手が学生となるとこの部分が無視されていることは多々あります。
学生ボランティアだからなどというのは言い訳にはなりません。
自分たち学生、地域の方々、地域社会の全て対して等価交換ができる対等な関係である。

このバランスが一つでも崩れていたら、そこに健全な持続性はないでしょう。
持続性がないということは、その場の自己満足です。
三方よしではありません。

当然、対等な関係というからには悪い意味でも学生だからという言い訳も通用しません。
活動に責任が伴うことも、意識しなければなりません。僕も含めてまだまだ至らない点が多々あり反省の毎日です。

(学生団体が学生のインターンを受けたら面白いな。それだけのノリで夏季長期インターンを受け入れます。誰かの数十日を預かる。この意外と大きな責任を最近感じています。)

 

地方の未来は明るい

 

ここまで数回に分けてゆーまにわの活動を通して見えた地方社会について、『ワカモノ』というキーワードを軸に考えてきました。

あくまで全て今の私が思うことを書かせていただきました。
明日には何か大きなことが起きて、180度別の考えになっているかもしれません。
ある経営者の方は、「ビジネスは常に変化する状況に対応しなければならない。朝令暮改は大いに結構。」とおっしゃっていました。
この潔さが私は大好きです。

ぜひこれを読んで下さった皆さんとも、機会があればご一緒に語り合いたいなと思っています。
その時には、私が全く違うことを言っているかもしれませんが。

 

名前:橋本隆宏
職種:地域おこし協力隊
出身:栃木県出身

人生を面白くすることを目指しています。

ゆーまにわ3連載!

第一弾 『地方×ワカモノ』ゆーまにわの挑戦。
第二弾 今、地方でワカモノが求められていること。

70Seeds主催『「ものづくり」、じぶんの役割さがしNight』に、編集長 大牧が登壇しました

8月27日に開催されたイベント
『「ものづくり」、じぶんの役割さがしNight
~「TURNS」「Japan Made」「ニッポン手仕事図鑑」「70seeds」
4人の編集者と伝統工芸を語ろう~』にて、
編集長 大牧がゲストとして登壇しました。

イベントでは、
「ものづくり」を取り巻く課題をクロストーク形式で語り合い、
また、会場にお越し下さった方々と一緒に
「ものづくりのバリューチェーン」から
自分ならではの役割を見つけ出すための
ワークショップに取り組みました。

【イベントの様子】

「ものづくり」、じぶんの役割さがしNight

「ものづくり」、じぶんの役割さがしNight

「ものづくり」、じぶんの役割さがしNight

「ものづくり」、じぶんの役割さがしNight

<イベント概要>
開催日:8月27日(月)
場所:70seeds 編集部
開催内容
第1部『ものづくり、技術だけが課題じゃない』
第2部『バリューチェーンから見つける“じぶん”の役割』
主催:70seeds
https://70seeds-180827.peatix.com/

<出演>
堀口正裕【雑誌「TURNS」プロデューサー】
河野 涼【meets new共同代表、「Japan Made」編集長】
大牧圭吾【動画メディア「ニッポン手仕事図鑑」編集長】
岡山史興【株式会社am.代表取締役 CEO・「70seeds」編集長】

【連載】#2 今、地方でワカモノが求められていること。

こんにちは、ゆーまにわ代表で岡山県真庭市地域おこし協力隊の橋本です。
前回の記事ではゆーまにわ全体について書かせていただきましたが、
今回はゆーまにわの活動から見えてきた「地方の課題と可能性」について書かせていただきます。

田舎って本当にいいところなのだろうか。

 

昨年の夏に、私の協力隊着任以来最初の大きな仕事として、
真庭夏合宿』という学生対象合宿企画を開催しました。

この企画は全国から学生が集まり、
2泊3日で岡山県真庭市内各地にて活躍されている方々を訪ねて、
最終的に冊子という形にみんなでまとめるというものです。

TURNSさんにも取り上げていただくなど様々反響をいただき、
最終的に一定の体裁は整いました。

そして、これがゆーまにわ設立のきっかけとなりました。

今から振り返ってみれば、考えも企画自体も甘いところばっかりで、
今の自分がプロジェクトチームに入っていたら「意味わからない」と全部ボツにしそうな中身でしたが、
当時の市役所の方々は優しくて、全面的に応援して多くの面で手伝ってくださいました。

真庭市に来て数か月の若造が甘ったれた企画持ってきたけど、
一度やらせてみればわかるだろう、
くらいの気持ちで見守ってくださったのでしょうか。

結果としてそれが現在ゆーまにわの設立から発展にまで繋がっているので、
当時の担当者の方には本当に頭が上がりません。

 

余談ですが、真庭市の市役所の方々は本当にすごいです。
地域おこし協力隊員と市役所側がバチバチやりあうという、
“地域おこし協力隊あるある”不動の一位を誇る軋轢もほとんどなく、
基本的にやりたいことを理解してサポートをしてくれます。

頑張っている人の邪魔をしないで背中を押してくれる。

これは文字にすれば至極当たり前のことですが、簡単にできることではありません。
むしろ話に聞く限りではできていないところばかりです。
真庭市自体が先進事例として言われることが多いのは、
間違いなく市役所の方々の縁の下の力が一番です。

 

さて話を戻して、この企画の何がよろしくなかったのか。

端的に言うと、『真庭っていいところだよね』を見せようとしすぎました。
外から学生がわざわざ来てくれるなら、
精一杯おもてなしたいという気持ちが働くのは当然です。

でも企画自体として、学生に真庭に来てもらって楽しんでもらう程度にしか考えられておらず、
今では何のためにやるのかという点において目の前の一歩しか見えていなかったなと反省しています。

で、それをやって何に繋がるの?

何をするにも一番大切な、理念の部分が欠けていました。

(恥ずかしながらTURNSさんは取材に来ていただくまで知りませんでした。今思えばすごいことですね。)

 

理念なき『ワカモノ×地方』に物申す。

 

数十年前から始まったボランティアブームは盛況で、
真庭市内にも大学生のボランティアはたくさんやってきています。

学生ボランティアを派遣する組織もあって、
それで助かっている地域もいくつもあることも事実です。

地方でよくあるパターンが、市街地から学生がやってきて地域活動を手伝い、
一緒に地域の方々手作りのご飯を食べて楽しかった!と言って、帰るというもの。

学生からは、「田舎っていいところだね」「ここの地域好きになった」などなど、
テンプレ通りの素晴らしい感想がたくさん聞けます。
派遣元には実績になります。派遣先地域も喜んでいます。
みんなハッピーで素晴らしい。

これは本当に素敵な光景ですが、一つだけ決定的に欠けているものがあることに
受け入れ側になってみて気が付きました。

それは『持続性』という単語が欠けているということ。

どれもその場の人不足というニーズを解決することばかりで、
残るのはお互いに楽しかったという記憶と受け入れ地域の大きな疲労だけ

 

人手不足の地方にこれだけワカモノがやってきているのはすごいことです。
やはりボランティアの力は偉大です。

ただ、根本的な課題は何一つ解決していません。
おそらく学生ボランティアが何人来ようが、
ただ受け入れているだけではその地域の人口は減り続け、
社会の維持は困難になるだけ
でしょう。

目の前の一歩先に楽しさを生んだところで、
十歩先どころか三歩先も変えることができていない
のが正直なところです。

目の前の一歩と数歩先の未来、どちらも大切です。
どちらも大切だからこそ、数歩先の未来も見なければいけません。
そこに理想を掲げなければいけないと思います。

(中高生の学習支援に力を入れているのも、持続性のため。将来大学生になる地域の子たちと関わる事で、ゆーまにわ自身の持続性獲得の仕組みも作っていきます。)

 

学生の能動性が、持続性を生む。

 

批評には行動が伴わなければいけません。

ここまで、ゆーまにわの活動から見えてきた『持続性のなさ』という地方の問題点について書いてきましたが、
問題点が見えているということは可能性が見えているということ。
見えてきた課題を克服すればいいだけです。
後は、行動あるのみ。

理念なき『地方×ワカモノ』で見えない未来へ向かって地方が消費されているのなら
ゆーまにわでもってそこに持続性を兼ね備えた理念を掲げればいいだけです。

私たちはその持続性のキーワードとして、能動性ということを掲げました。
能動的である限り、持続的である。

 

学生と地域の関わりにおいて大半を占める学生ボランティアでは、
最初のきっかけとしてはボランティアの募集があったからや、
知り合いの先生に誘われたからなど受動的な理由で踏み出します。

そして現状では上記で述べたように、その受動的な一歩目しか用意されていない。
それでは地域はおもてなしをする側で学生はお客さんである関係性から先に進めません。
まるで奥手な青春の恋愛のようにお互い平行線をたどってきました。

しかし中には、受動的に地域に関わったのをきっかけに
もっと地域に深く関わってみたい、今度はこんなことをしてみたい、
という能動的な好奇心が生まれる学生たちもいます。

現状ではそんな志ある学生にも、能動的な二歩目の踏み出し方が見えていない(決してないわけではないのですが。)状況です。

そしてそのまま自分の中に芽生えた熱はいつの間にか冷め、
その経験はいつの日かの素敵な地方での思い出として心の中に収まっていきます。
これはお互いにとって、もったいない。

 

だったら、ゆーまにわを使ってその二歩目を踏み出してもらおう。
能動性を持った学生が、ゆーまにわという容れ物と肩書を持つことで、
地域に関わりやすくなります。そして同時に一緒に協働する仲間もできる。

そうして初めて、地域との持続的な関わり方ができるかもしれない。

ゆーまにわが学生の能動性を妨げずに発散できる土台となることで、
ワカモノの地方への関わりに持続性を生み出していけるかも
しれません。
学生による学生自身の組織だからできることです。

(能動性を妨げない。邪魔をしない。これは僕らの組織の在り方だけでなく、地域全体の在り方として非常に大切な部分です。)

 

ゆーまにわは、学生版地域おこし協力隊。

 

最近、ゆーまにわは学生版の地域おこし協力隊だなと感じています。

何かの縁で関わった地域で自分のやりたいことと、
地域の求めていることのバランスを気にしながら能動的に活動する。
まさにそっくりです。

学生なので学業第一という大きな制限はある一方で、
学生というだけでちやほやされるという特典が付いています。

ふむ、どっちもどっち。案外いい勝負かもしれません。

 

ということは考えてみたら、私自身は学生で地域おこし協力隊となって
学生版地域おこし協力隊をつくったということになります。

さてはて、自分でもよくわからなくなってきます。

自分は何がしたいんだろう。
自分には自分にしかできないことがあって、
他の人にはそれぞれにしかできないことがあるのに、
私は今自分の経験をよしとしてクローンのようなものを作ろうとしているのだろうか。

何が正解なんてわかりませんが、悩めるワカモノというのも文字に起こすと様になるのでこれもきっと学生の特典ですね。

とにもかくにも、『行動』を指針に掲げると決めた以上、立ち止まってはいられません。

 

名前:橋本隆宏
職種:地域おこし協力隊
出身:栃木県出身

人生を面白くすることを目指しています。

ゆーまにわ3連載!

第一弾『地方×ワカモノ』ゆーまにわの挑戦。
第三弾『ボランティアは二の次』であることのこだわり

【連載】#1『地方×ワカモノ』ゆーまにわの挑戦。

初めまして。
岡山県真庭市の地域おこし協力隊でゆーまにわ代表の橋本です。

岡山県真庭市ってどこにあるかご存知ですか?
僕は2年前までは知りませんでした。

なぜそんな見知らぬ土地だったところに飛び込んで活動をしているのか。
そんなところも踏まえて、今回はゆーまにわについてや、
その活動から見えてきた地方社会の力強さと課題について
3回に分けて書かせていただきます。

 

東大を休学して地域おこし協力隊になってみた。

 

まずは私の自己紹介もかねて、ゆーまにわという組織が立ち上がるまでの話をしたいと思います。

実は今私の手元には、真庭市地域おこし協力隊のネームプレートのほかに
東京大学の学生証があります。

そう、真庭では「テレビでしか見たことなかった。」といわれる現役の東大生。
同級生は現在学部4年生の学年で、
きっとそろそろ内定をもらって晴れやかな顔をし始めている人も出てきた頃でしょう。

そんな彼ら彼女らをしり目に、私は昨年(2017年度)から今年(2018年度)にかけて2年間大学を休学して真庭市にいます。

来年満を持して大学に戻ったときには、
もうみんなは学部を卒業してそれぞれの道への第一歩を踏み出したところ。

私はまさに浦島太郎状態になること間違いなし。
あれ、浦島太郎の結末ってどんな風だったっけ、と思わず浦島太郎の結末をググってしまいました。あれ意外と面白いストーリーですね。まさか鶴になるとは。

 

とにもかくにも、留学はよく聞くけれども
大学を休学して地方に働きに行くなんてあまり聞かないこと。

どうしてわざわざ休学するの。せっかくいいところに入ったのに。
「別に大学辞めたわけではないし、復学はしますよ。」
と背中に貼っておきたくなるほどあちこちで聞かれました。

さすがの東京大学事務局もそんな休学の形は想定していないようで、
いざ休学願いを提出する段階になって「困った。当てはまる休学理由がない。」というほどの状況。

お互いに面倒なやり取りを経て休学理由は「経済的理由」で決着しました。
本当に、お金がないから地方に出稼ぎに行ってきます、と書くことになりました。

 

 
 

論と、行動。だから真庭に来た。

 

地方創生が声高に叫ばれるようになってはや数十年。
各所でいろいろな方がそれぞれの取り組みをされていて、それらが「事例」として簡単に見られる世の中になり、
その事例集をバイブルに地域学や地域活性化を学ぶ学生も増えました。

私もその中の一人として、本やネットの先進事例を調べインターンなどを駆使して実際に現地へ伺ってみる、というようなことをやっていました。

 

事例集は大変参考になるし、それを踏まえて実際にお話を伺うと
ふむふむなるほどと思うことがたくさんあって、とても勉強になりました。

でもそんなことを繰り返せば繰り返していくほど、
一つの漠然とした疑問がしこりのように自分の中に浮かぶようになりました。

それが表面化したのが、ある方に言われた一言でした。
「あなたは何をされている方なの?」

「地域活性化について学んでいます。」と言おうとして気が付きました。
各地の事例を見てきて分かってきたのではなかったのか。

地域を元気にするやり方はエッセンスで共通する部分はあっても、各地でそれぞれ違っていて、
うまくいっているところは、誤解を恐れずに言えば「たまたま」から始まったことが結果として好事例となっているに過ぎない
、と。

たまたまこの人とこの人が出会った。それはもはや偶然に任せるしかない。
その定石のなさこそが事例ばかりが増えても解決へと走っているとはおよそ感じられない要因であり、また同時にこの分野の魅力である、と。
だとしたら、いつまでもその概論のエッセンスを学んでばかりで、自分は何ができるようになるのだろうか。

 

この時から、僕の指針は、「行動」になりました。

思い立ったら動く。ということで、
これを境に、“教えてもらう側”から自分で“起こしてみる側”に意識して参画するようになり、気が付いたら真庭市に来て協力隊をしていました。

 

 
 
 

十歩先でもなく目の前の一歩でもなく、三歩先を見る。

 

農学部の人間だし、一つ課題山積と言われる農業分野で旗を上げてやろう。

そんな理想を掲げて約1年半前に協力隊として真庭市に来ました。
まさか自分がゆーまにわを立ち上げて仲間を集めているなんて想像もしていませんでした。

きっと当時からお世話になっている人の中には、実際に地域に深くかかわってみて、
いかに自分の理想が机上の空論だったかを悟ったんだな、と思われている方もいるでしょう。

確かに、自分の理想は机上の空論でした。
でも、今でもその理想は掲げています。
ただし、それは何十歩も先の話。

 

私が真庭に来ていろんな方々と関わらせていただく中で一つ強く感じることがありました。
それは、理想は行動指針ではないということ。

イメージとしては、理想は幅のあるレーンで、行動指針はその途中にある通過したい点、という感じです。理想が十歩先まで続いているものだとしたら、行動指針は3歩先にあるもの

目の前のことにとらわれていては大局がつかめませんが、遠くばかりを見ていても足が進みません。一歩先も10歩先もそれぞれ必要な場面がありますが、行動するために必要なのは三歩先を見ること。

とにかく3歩先を常にチェックしながらそこに向かって行動し続けること。
これは、真庭市の皆さんから学ばせてもらった一番大きなことかもしれません。

(真庭市久世にある商店街。地方の商店街を若者が大声で笑いながら闊歩する。それだけで何だか面白いことが起こりそうな気がしてきます。)

 

地方って意識高い学生にピッタリじゃん。

 

東京にいたとき、周りにはたくさんの “意識高い系”大学生がいました。
学生団体を引っ張っている人、企業と組んで研究成果をプロダクトとして世に出す人、
国家レベルの大きなプロジェクトに関わっている人、自分の会社を興している人。

母数の違いはあれど、やっぱり東京の方が圧倒的にそういう学生が多いように感じます。

やっぱり地方と都会の人材の差は大きくて、
それは大学の数や企業や政府機能の集中など様々な要因があり、
原因は複合的で解決には時間がかかるでしょう。

ただし、この人材の差というのは経験や機会からくるもので、
決して東京の学生の方が優秀ということではありません。

東京には一見すごいことをしている学生がたくさんいますが、
それはすごいことに関われる機会が身近にあったから
というところが大きな要因です。

その機会をうまくつかんだ学生が大学生活の中での経験やステップアップなどを経て(つまり『行動』ですね)、
結果として人材の差ということになっているというパターンが多いように感じます。

つまりは、機会の不平等
これは、何だか面白くありません。

そしてもう一つ、地方の学生の方が圧倒的に有利です。
すみません、『圧倒的に』は誇張でした。
ただ、今の地方社会ほどワカモノ(学生に限らず)にとっての格好の挑戦の場はないでしょう。

そう言い切れるほど、何か志を持ったワカモノのチャレンジの場として地方は最適な場所です。
検証として、以下に志を持ったワカモノにとっての双方の主なメリットを雑に挙げてみます。

【都会】
 大企業が多い
 ノリのいいベンチャーも多い
 その道のトップランナーがそこらへんにいる
 同じ志を持ったワカモノに会いやすい

【地方】
 設備や生活費などほぼ全てにおいてコストが圧倒的にかからない
 基本的に競合がいない
 ワカモノというだけで歓迎されて人的・金銭的に応援される
 個人事業主含め経営者が多いので組織の決定権者に会うことが多く、話が早い
 人不足で手が回っておらずニーズに溢れている

どうでしょうか。

都会は多くのものを吸収できるけど地方は実践と経験ができるし、どっちもどっちだね。
そう思った方が多いのではないのでしょうか。
そうなんです、どっちもどっちなんです。

どっちもどっちなのに、お互いにいいところがあるのに、
アクションが起こされているのが圧倒的に都会の方が多いがゆえに、そっちの方が評価されているように感じる。
これも、なんだか面白くありません。

もっと『地方×ワカモノ』の相性の良さを生かしたら面白いことになるのに。

(昨年12月に開催した地域課題解決合宿型学生ビジコン『マニワの虎in日野上雲海』。タイトル含め、とにかく大真面目にふざけることを大切に。)

 

それをゆーまにわで実証してやろうじゃないか。

 

地方にも志ある学生がたくさんいる。
地方は学生らワカモノのチャレンジの場として素晴らしい場所。
なのに、ほとんど学生の活動がない。
疑問を持ったなら、それが行動のチャンス。
よし、ないなら自分で作ればいいじゃないか。

こうしてゆーまにわが立ち上がりました。
ちなみにゆーまにわの語源は”University of Maniwa”で、
大学が無い岡山県真庭市をゆーまにわの活動を通して大学生の活躍の舞台にするという思いから名付けました。

 

ゆーまにわは、『学生のやりたいことと、地域のやって欲しいことを、ゆーまにわができることでつなぐ』という『ゆーまにわの3つの輪』というものを理念として掲げています

これは『三方よし』の考え方からヒントをもらっています。
これについては次回以降でお話したいと思います。

具体的活動としては、
 空き家を利活用した拠点『ゆーまにわキャンパス』での地域の居場所作り事業
⇒ゆーまにわ×地域住民
 地元の企業と学生をつなぐビジコン型インターン『ミッションinまにわ』の企画運営
⇒ゆーまにわ×地元企業
 自主農園の管理と収穫物を生かして地域の催事へ出店する『食と農プロジェクト』
⇒ゆーまにわ×地域
の3つを軸に、その他スピンオフの自主企画や中っ港や高校と連携した学習事業、地域の方々の活動の手伝いなどをしています。

地域住民という個々人と生活の面から関わる『ゆーまにわキャンパス』、
地元の企業と仕事という面から関わる『ミッションinまにわ』、
地域のはれとけそれぞれの中心にある農業と催事に関わる『食と農プロジェクト』。

ゆーまにわを軸に学生が地方のリアルに関わることを実現するべく、全方向でそれぞれ活動しています。

ゆーまにわという団体を一つの人格として、学生が一住民に限りなく近い形で自分の志に挑戦することができたとき、お互いにとってwin-winの活動ができるかもしれない。

そうやってゆーまにわで得た経験を踏み台に、学生が次のステップへと進んでいく。
地方はワカモノがいろんなことをチャレンジしに来て活性化される。
ほらね、『地方×ワカモノ』って、学生のステップアップとしても地方の活性化としてもすごく相性がいいでしょう。
いつかそう言えるようになったら、私は嬉しいです。

(ゆーまにわのロゴ。これもメンバーのデザイン担当の子が作ってくれました。かなりクオリティが高く、これを機に地域のデザインの仕事を請け負うことも始めています。)

 
 

さて、今回はゆーまにわの設立とその根底にある『地方×ワカモノ』への思いを書いてきました。
次回は、ゆーまにわの活動から見えてきた、新しい地方社会の可能性について綴りたいと思います。

 

名前:橋本隆宏
職種:地域おこし協力隊
出身:栃木県出身

人生を面白くすることを目指しています。

ゆーまにわ3連載!

第二弾 今、地方でワカモノが求められていること。
第三弾 『ボランティアは二の次』であることのこだわり

我楽田工房主催イベント「映像ミライ研究所」に、編集長 大牧が登壇しました

7月25日に開催されたイベント「映像ミライ研究所」にて、
編集長 大牧がゲストとして登壇しました。

イベントでは、
「地方に映像マンの活躍の場を作ったらどうなるのか」
「映像マンを志す者の目指すべき場所はどこなのか」
「持続可能な映像業界とは何か」
といったテーマをもとに、
様々な形で映像に関わる人たちが
それぞれの観点をもってトークセッションに臨みました。

【イベントの様子】

映像ミライ研究所

映像ミライ研究所

<出演>
司会進行:
齋藤春馬 【ボノ株式会社/我楽田工房】https://garakuta.tokyo/

登壇者:
監督 大江海 【GEEK PICTURES】https://geekpictures.co.jp/

代表取締役 田中亮佑 【レゾナージュ】https://resonage.co.jp/

監督 鈴木純一 【エスキューブエンターテイメント】http://s-cube.co.jp/

編集長 大牧圭吾 【株式会社ファストコム/ニッポン手仕事図鑑】

<イベント概要>
開催日:7月25日(水)
場所:我楽田工房
開催内容:自己紹介、大江海監督作品 地域発信型映画「空からの花火」上映、テーマトーク

映像ミライ研究所 http://garakuta.tokyo/11462

伊佐知美さんインタビュー[3連載]

ふたりごと文庫編集長の浅野有希です。
憧れの女性、伊佐知美さんにインタビューをさせていただきました。

私にとってこれが初めてのインタビュー記事。
なんと2時間も真剣に向き合い、答えてくれました。

第一弾「灯台もと暮らしを通して伝えたい想い」
第二弾「私はどうやって生きたいのか」に向き合って見つけた“夢の道”
第三弾 みんながもう少し、“納得感”を持って生きていける世界を

の3連載でお送りいたします。

 
 

第一弾「灯台もと暮らしを通して伝えたい想い」


 

「私は1から10にするんじゃなくて、0から1を生み出したいって思う人間みたいで」

灯台もと暮らしは、「みんなで一緒に何かやろう!」という一声から始まりました。
しかし、ちょうど世界一周に行く夢を叶えようとしていた伊佐さん。
ある価値観から、メンバーに加わることを決意します。

そして、運命的なひらめきが起こります。
……「あっ、これって、灯台下暗しじゃない?」

これが灯台もと暮らしの誕生でした。

意外にも、地方に強い興味があったわけではなかった伊佐さん。
地方に住む人たちは、話をするうちにいつのまにか主語が“私たち”に変わっていく……
取材を通してその豊かさに触れ、価値観が変わっていったと言います。

ページビュー数よりも、灯台もと暮らしとして大事なことは何か。

灯台もと暮らしの誕生から今まで、伊佐さんにはどんな心の変化があったのか、
まるっと語ってくれています!!

第一弾はこちら
 
 
 

第二弾「私はどうやって生きたいのか」に向き合って見つけた“夢の道”


 

「こんなに心地いい暮らしをしている人が沢山いるのに、なぜ私は金曜日を楽しみに生きているんだろう?」

新卒で就職してからそんな違和感があったという伊佐さん。
自分はどうやって生きたいのか、に向き合うことで「旅ライター」という夢に気づきます。

「寝るのが惜しいくらい夢中になれた期間でした。」

どのようにして夢中でウェブライターの道を歩み始めたのか、
遠回りでも、やっと見つけられた「夢の道」とは何だったのか。注目です。

 

Wasei代表の鳥井さんのことを、“世界で一番信じられる”と、
胸を張って言っていたのが印象的でした。

Waseiのことが大好きなのはなぜか、理由を尋ねると
「会社が好きというよりも、最高のビジネスパートナーがいる会社を見つけられたから」だと言います。

そんなビジネスパートナー、私も見つけられたらいいな~と羨ましくなりました。

伊佐さんのキャリアという面にフォーカスした第二弾は、
ライターとしての超具体的な歩みを教えてくれたので参考になるのではと思います。

第二弾はこちら
 
 
 

第三弾 みんながもう少し、“納得感”を持って生きていける世界を


 

「無条件に自分の選択を“がんばれ”と言ってくれる人ってめちゃめちゃ大事」

ロールモデルがいないことに苦しんできたけれど、自分でつくっていけばいいと気付いた伊佐さん。
それには、無条件に信じてくれる仲間がいると早いよ!と教えてくれました。

「あんまり考えない生き方の方が楽ですよね。自然体の方がよい」

私は女性としての働き方に、漠然とした不安がありました。
そんな私に、このインタビューでズバリと言い切ってくれたある言葉で私の価値観はガラリと変わりました。

というよりも、この伊佐さんの考え方に触れてみてスッと体が軽くなったような感じがしたと言う方が正しいかもしれません。

個々の譲れない価値観とか、男女の壁とか、どうしても理解し合えないものってある。
でも、伊佐さんの言う世界になれば、今存在する問題のほとんどが解決できるんじゃないか……と、私の中で随分しっくりきました。

大学生に大切にしてほしいことは?と聞くと、「年相応で遊ぶこと」と答えた伊佐さん。

「そのときでしかできない過ごし方をして、毎日70%よりはちゃんと毎日100%で楽しむことは、その後の人生や暮らしを支えてくれる」

これは聞いたことのないもので、面白いと思いました。
第三弾はこちら
 
 

地方や伝統工芸の世界で、なぜデザインが必要なのか―石井挙之

職人魂に心を揺さぶられ、隣にいる誰かに伝えたくなる。
そんな職人の生き様を仕立てる「仕立屋と職人」さんの

個性豊かな4名の方々にリレー形式で登場してもらいます!

前回の第一弾ではワタナベユカリさんが登場。
ユカリさんの人柄がすごく伝わってくる、素敵な記事を書いてくれました。

第二弾は、デザイン、ストーリーテリング担当の石井挙之さんです!お願いします!!

(photo by Tomohisa Kawase)

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note 仕立屋の日記

 

第一走者のスタートダッシュが速すぎた上に、

バトンを落としてったようなので拾っていきます。

第二走者は、仕立屋と職人で装飾を担当しております石井です。
ここ滋賀県長浜市から、全国津々浦々行ったり来たりしながら
職人たちと話を重ね、デザインの仕事(とたまに釣り)に明け暮れています。

 

さて、ここまではワタナベが
パトス8、仕立屋2のバランスで
どんなことをやっているのかをご紹介してきました。

今回せっかくこうした機会をいただいているので、
僕はこの記事をこれから就職していく学生さんや、
働きながらも何かソワソワしている人たち
あぁこういうやり方もあるんだなぁ、
と頭の片隅で覚えてもらえたらいいな、
と思って書きます。

あわよくば、一緒にやっていきましょう。
滋賀に来てみたらパーっとするかもしれませんよ!

 

さて、仕立屋と職人の装飾担当として、
地方や伝統工芸の世界で、なぜデザインが必要なのか
僕の体験をまじえながら書いていこうと思います。

第二走者は第三走者に無事バトンを渡すことが大事!

*本文ではデザインという言葉を多用しますが、当記事においては
グラフィックデザインを思い浮かべていただけると幸いです。

photo by Kenya Morioka

はじめて地方でデザインをする、という可能性を知る。〜石井の場合〜

 

ビルボード、パッケージデザイン、テレビCM、キャンペーン。
街に溢れるデザインはスケールも大きくてかなり刺激的。

営業、プロモーション、マーケター、マネージャー、
ディレクター、フォトグラファー、そしてデザイナー。
一体どこからどこまで何人が関わっているんだ……?

まるで霧のように広がるチーム編成も、
自分がその一部だと思えば、妙な興奮感。

デザイン会社勤めの頃、僕は東京のオフィスで昼も夜も
PCのモニターに向かって、そんなことを思っていました。

興奮感の反面、擦り切れた脳ミソはもう何のために作ってるのやら
そんなことを考える余地もありませんでした。

 

ある日、原体験になる転機が訪れました。
「今、スーパーの跡地に住んでるから遊びにこいよ。」

廃墟……?
当時働いていた会社の先輩が、
退社をして妙なことをはじめたのです。

「町おこし」
この時初めてこの言葉を知りました。

 

早速訪ねてみると、駅員いない。コンビニない。車走ってない。
シンとした町の中に古民家が一軒。
同世代の若者が数名、東京から集まってタコ焼きを焼いていました。

はじめて地方でデザインをする、という可能性を知る。〜TOKYO VS LOCAL スケールのちがい〜

 

そこは千葉県にある1000人強の小さな港町でした。
この夜をキッカケに、人が人を呼び、
少しずつ人が出入りをするような町になりました。

やがて大所帯になったそのプロジェクトの中で
僕はデザインを担当させてもらっていました。
それは普段会社でやっているデザインの仕事より、
“人”に接近している感覚がありました。

 

東京でのお仕事は、
予算の規模や関わるプロジェクトメンバーの数、
リリースされた時のメディアの取り上げ方など、
スケールが大きくなる代わりに、
“届ける人”が見えづらいと思う時もありました。

では、ローカルでやるデザインのスケールが小さいか?
というとそうでもないと感じたのです。

 

一つ目の理由は、自分がカバーしなければならない範囲が大幅に増えたこと。

二つ目に、予算のケタは違うが手がけたものが世に出た時の
クライアントや町の人の反応がダイレクトに返ってくること

責任も増えるが、できることも増える。
これはデザイナー1人に対して見た時に、
かなりダイナミックなスケールじゃないか、
と思ったのです。

眠っているものを掘り出し、伝えるデザイン。
デザイナーの役割を探す生活。横断的に行き来する働き方。

ピタッとくるやり方を模索するため、
会社を辞め、東京を離れました。

 

 

はじめて地方でデザインをする、という可能性を知る。〜脱・広告市場の苦労〜

 

と、息巻いたものの、そうスンナリはいきません。

おいおい、偉そうに言ってるなぁ。と。
僕ならそう思います。
そんなうまくいくかよ、と。
いざやってみると、立ちはだかる壁の連続です。

 

まず、依頼主の伝えたいもの見つけ出すまでめっちゃ時間かかる。
依頼書やブリーフシートのようなものなんて
基本的に見たことありません。僕だけでしょうか。

何が課題で、誰がターゲットユーザーで、伝えたいことはこれで……
とお上から流れてきていたあの白い紙は一般的ではない!幻だ。

と知りました。
 

正確には、それまでの案件には、
課題発見に時間をかけて、あらゆる手法を駆使して
整理して要項をつくるプロフェッショナルがいたんだな、
と気が付きました。

そう、課題は用意されていたのです。

 

「アレ、解決したい課題から探していかないと、絵ツクレナクナイ?」
この行程をすっ飛ばすと、空振りデザインが豪快に空を切ることになります。

むしろ空振ってるデザイン(や製品)は、
この行程がおろそかになっている、とも言えます。

実際にPC開いて、グラフィックツールつかってデザインして……
という時間は全体の20%以下になりました。
残りの80%は対話と整理です。


 

大半の場合は、
何が課題なのかもハッキリしていないもんです
漠然としたモヤモヤをずっと抱えて、
そのモヤモヤが言葉にならないから、
モヤモヤしたままデザイン頼んだら
モヤっとしたデザイン上がって来た。

焦らないでください。と言いたくなります。
モヤモヤが晴れないうちは、納得いく絵なんて描けません。

そうなる前に、
モヤモヤの正体を暴かないといけないのですが、

これは客観的視点がないとできません。
つまり、えこひいきなしに、今までの経緯など知らずに、
忖度なしに、ズバッと物事を切り取れる(時には切り捨てる)
立場にいないといけません。

 

用意された課題に対して絵をこしらえることが
デザインではありません。
何に悩んでるのか、モヤモヤに名前をつけるところから
デザインの作業は始まります。


 
 

仕立屋と職人 〜デザインと伝統工芸〜

 

ここでようやく仕立屋と職人の話になります。
仕立屋と職人は4名のチームです。

第一走者のワタナベはモノづくりを。(縫子)
第二走者の石井はデザインを。(装飾)
この後登場する古澤はプロデュースを。(参謀)
そしてラストの堀出は販路開拓を。(運屋)

 

これまで書いてきたプロセスはあくまでデザインの範囲ですが、
リサーチはみんなでやります。
リサーチはそれぞれの得意な分野で深めていけば、
たいていは網羅できるからです。

伝統工芸は時に300年を超える歴史を持ちます。
歴史も深ければ、課題もだいぶ根深いです。
その中に失ってはいけないDNAが編み込まれています。

 

製品を一つつくるにも、カッコいい、売れそう、
という感覚は無視できませんが、
失ってはいけないDNAをどうアップデートするか、
が勝負になってきます。


 

こだわりを押し付けてしまっては、
消費者に伝わらなくなってしまう。

時に歴史的背景よりも、
カッコイイ、カワイイという感性が
フックになる。

ものが良くても私生活にマッチしなければ、
伝統工芸品が活躍できる場が限られる。

主観的になりがちなところを
客観的になって伝えていく。

隠さず言いますが、
これらは、仕立屋と職人もいつもブツかる壁です。
相当難しいです。

①課題と伝えたいことを見つけ出す
②言葉に表し指標にする
③伝えるためにアイテムをつくる
④職人のメッセージを翻訳してアイテムに乗せる

装飾担当と言えど、縫子から運屋までの守備範囲を
横断的に考えて動きます。他の3人も同じです。

 

だからこそ、誰かが主観的になりすぎている時は、
他のメンバーが客観的意見を与えることができるのです。

photo by Masayo Takenaka
 

東京のみの生活から離れ、
ピタッとくる働き方を探してるうちに
横断的なチームのあり方にたどり着きました。
なんとなくですが、こうした横断的な思考の動き方は
これからもっと必要になる場面が増える気がしています。

なぜ、地方や伝統工芸の世界でデザインが必要か。
それは、客観的に情報を捉えて、
伝わるように翻訳しなければならないから、
だと思っています。

 

これが、仕立屋と職人・装飾のお仕事です。
なんと気づいたらデザインしてるっぽい写真が
一枚もありませんでした……。

一応、グラフィックデザインを仕事としておりますので、
おヒマがあれば覗いていただけると幸いです。

コチラ

 

さて、次はこの仕立屋と職人をまとめ上げる、
参謀・古澤恵太の登場です!

名前:石井挙之
職種:仕立屋と職人 装飾, グラフィックデザイナー
出身:千葉県

全国津々浦々、スナフキンのように移動するデザイナー。
仕立屋と職人・現場部隊兼装飾担当。
 
photo by Arif Wahid

仕立屋と職人

職人魂に心を揺さぶられ、隣にいる誰かに伝えたくなる。そんな職人の生き様を仕立てるのが、仕立屋と職人の仕事。
HP shitateya-to-shokunin.jp
MAIL info@shitateya-to-shokunin.jp
Facebook 仕立屋と職人
Instagram shitateya_to_shokunin
note 仕立屋の日記

 

第一弾 ワタナベユカリさん『職人の生き様を、私の言語で伝えていく
第三弾 古澤恵太さん『伝統工芸のストーリーや魅力を翻訳するために

鹿角の求人&ローカルメディア『スコップ』が、『秋田魁新報』に掲載されました

「かづの”初”、かづの”発”の求人&ローカルメディア」として
弊社が運営する秋田県鹿角市の地域情報サイト「スコップ」が、
秋田県の新聞『秋田魁新報』に取材を受け、
7月28日朝刊にてその記事が掲載されました。

記事の中では、スコップ編集部が当メディアを立ち上げることになった経緯や、
掲載する記事の作成に地元市民の方や学生さんたちがライターとして参加していること、
スコップが今後目指していきたいことを紹介していただきました。

【スコップ】

Audiostockの音楽素材利用事例にて、ニッポン手仕事図鑑が紹介されました!

株式会社クレオフーガ様運営、
著作権フリーBGM・効果音ストックサービス「Audiostock」の利用事例にて、
ニッポン手仕事図鑑の動画が紹介されました!

Audiostock利用事例

記事では、ニッポン手仕事図鑑が作成した動画内で使用しているBGM音源の紹介や、
カメラマン 小林へのインタビューが掲載されています。

詳しくは以下のリンクからご覧ください!
Audiostock利用事例「ニッポン手仕事図鑑」のご紹介

『子どものためのニッポン手仕事図鑑』が「北海道青少年のための200冊」に選定されました!

2017年9月23日に発売されたニッポン手仕事図鑑の本
『子どものためのニッポン手仕事図鑑』が、
「北海道青少年のための200冊」に選定されました!

平成30年度に新しく選定された52冊のうち、
『子どものためのニッポン手仕事図鑑』は、
幼児・小学生の部五年生向けの一覧に追加されました。

推薦していただいた関係者の方々ならびに、
本づくりに関わってくださった皆さま、
本当にありがとうございました。

[北海道青少年のための200冊] http://www.ikuseikyo.jp/youth/200books.html

【amazonにて好評発売中】
子どものためのニッポン手仕事図鑑
子どものためのニッポン手仕事図鑑
大牧圭吾 (監修者) 出版社:オークラ出版

ひとことめぐり商店リニューアルオープン記念イベント&ワークショップ開催しました

ニッポン手仕事図鑑公式オンラインショップ「ひとことめぐり商店」が
7月7日にリニューアルオープンしたことを受け、
7月14日(土)IID世田谷ものづくり学校にて
記念イベント&ワークショップを開催しました。

イベントのテーマは『ホンモノ』
その地のくらしから生まれて、長年受け継がれて、
今もなおその地に根付いている手仕事。
私たちが後世に残していきたい~ホンモノ~の手仕事です。

イベントでは、
セコリ百景 編集長 大滝洋之さんをゲストとしてのトークセッションや、
錫光 錫師 中村圭一さん 
つまみかんざし彩野 江戸つまみかんざし職人 藤井彩野さんの2名の職人さんをお迎えし、
普段なかなか体験することのできない、
錫の鋳込み体験&錫加工のワークショップ、
お花のモチーフのつまみ細工のワークショップなどを行いました。

【イベントの様子】

ひとことめぐり商店リニューアルオープン記念

ひとことめぐり商店リニューアルオープン記念

ひとことめぐり商店リニューアルオープン記念

ひとことめぐり商店リニューアルオープン記念

<イベント概要>
第一部:【セコリ百景×ニッポン手仕事図鑑】両メディアの編集長による、
“手仕事を支える道具をつくる職人”の現在と未来について語るトークセッション

第二部:
・錫の鋳込み体験&錫加工のワークショップ
・お花のモチーフのつまみ細工のワークショップ
・ひとことめぐり商店店主と職人さんのトークショー
・「日本酒の本物の美味さを味わう!」錫製酒器で日本酒試飲会
・ニッポン手仕事図鑑カメラマン小林良也によるポートレート撮影
・プロのヘアメイクアーティストによる かんざしヘアアレンジ講座

<出演>
セコリ百景」編集長 大滝洋之さん
錫光」錫師 中村圭一さん
つまみかんざし彩野」江戸つまみかんざし職人 藤井彩野さん
ヘアメイクアーティスト 西谷香保里さん http://karlymake.com/
「ニッポン手仕事図鑑」編集長 大牧圭吾
「ニッポン手仕事図鑑」カメラマン 小林良也
ひとことめぐり商店」店主 堀内 哲

<協賛>
ポーラ・オルビスホールディングス

ニッポン手仕事図鑑×セコリ百景「日本の伝統的な手仕事の現在と未来について語る」に編集長 大牧が出演しました

7月3日に開催されたイベント
「日本の伝統的な手仕事の現在と未来について語る
-現場を見てきたメディアが考えるこれからの手仕事-」に、
編集長 大牧が出演しました。

【イベントの様子】

ニッポン手仕事図鑑×セコリ百景

ニッポン手仕事図鑑×セコリ百景

イベントでは、「ニッポン手仕事図鑑」と「セコリ百景」両メディアの編集長が、
それぞれの取材現場で実際に聞いた職人たちの声をもとに、
「日本の手仕事のこれから」について語り合いました。

<出演>
【ニッポン手仕事図鑑】
編集長:大牧圭吾

【セコリ百景】http://secori-hyakkei.com/
編集長:大滝洋之

【 iichi 】https://www.iichi.com/
アカウントマネージャー:新田晋也

<イベント概要>
開催日時:2018年7月3日(火)
会場:天窓(株式会社ブライトログ オフィス)

成蹊大学にて編集長 大牧が授業を行いました

昨年、大好評だった成蹊大学での授業を今年も行いました。
今年は一年生が自ら地元の起業家にインタビューをし、記事を制作するプログラム。
編集長大牧から「インタビュー力の大切さ」の講義をした後、
実際にインタビューをするワークショップを開催しました。

【授業の様子】

成蹊学園にて授業を担当

成蹊学園にて授業を担当

成蹊学園にて授業を担当

ふたりごと文庫 編集長の浅野も同行し、
2グループに分かれ、学生さん達がそれぞれインタビューをしました。
活発に質問が飛び交い、このワークショップをもとに
記事を書いてくれると言う学生さんも何名かいらっしゃいました。

講義後は、大牧・浅野のところへ学生さん達がお話をしに来てくれ、
地元への熱い想いや情報発信への興味関心を聞かせてくれました。
先生と学生さんたちとで学食にも行きました。
私たちまで刺激をもらえた、とても充実した時間でした。

職人の生き様を、私の言語で伝えていく―ワタナベユカリ

職人魂に心を揺さぶられ、隣にいる誰かに伝えたくなる。
そんな職人の生き様を仕立てる「仕立屋と職人」さんの
個性豊かな4名の方々にリレー形式で登場してもらいます!お楽しみに。

第一弾は、モノヅクリ・ファッション担当のワタナベユカリさんです。

(photo by Tomohisa Kawase)

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仕立屋と職人について 「職人の生き様、仕立てます。」

 

伝統工芸の職人にスポットライトを当て、職人の生き様を可視化して、
閉ざされていた世界の扉を開き、職人のファンを増やしていく。
仕立屋と職人は、そんな活動をしています。

メンバーは専門分野が異なる4人。
縫子 ワタナベユカリ (モノヅクリ、ファッション)
装飾 石井挙之 (デザイン、ストーリーテリング)
参謀 古澤恵太 (プロデュース、サービスデザイン)
運屋 堀出大介(海外展開、事業創出)

ワタナベと石井が現場に入り、今まで私たちのところまで届かなかった職人たちの声を拾い上げ、
それを東京組の古澤と堀出が職人の生き様を商流に乗せる。

得意分野が全く異なる4人だからこそできること、見えることがある。
この4人のそれぞれの視点から仕立屋と職人について、日本の伝統工芸の進む先、日本の未来、一人一人の熱いパトスを書かせていただこうと思います。

それでは、メンバーの中で一番抽象的なことばかり話すワタナベがスタートダッシュを決めさせていただきます。

いざっ!

 

ワタナベユカリついて、遠回りと無駄が武器

 

ザッと自己紹介させていただきます。(ザッと終わらないような気がする。)

(photo by chomo)

埼玉県に生まれ高校の頃からダンスを始めて、
渋谷新宿界隈で人より長めな青春時代を過ごし、
目の前の楽しいを追い求め生きてきました。

美術史を勉強したく浪人を経て美術大学に入ります。が、
美大に入ったら、みんなが目的を持っていていることを知り、
自分が何にも特化していないことに気づかされ、

結局、毎日ダンスとお酒とパーティーに明け暮れるという、
ここでもまた目の前の楽しいに全力疾走。
胸を張って言えます。超楽しい大学時代。

大学時代に犬の洋服をつくる仕事に誘われ、
そこからものづくり世界にドップリはまっていきます。

20代、昼間は仕事し夜は渋谷へ飲みに行くという日々。
よく飽きないなと思うくらい飲みに行っていたと思う。
この頃の飲み屋で培われたコミュニケーション力がとても役に立っています。

(↑長浜市木之本町大音の養蚕の現場)

現在、滋賀県長浜市木之本町という所に住んでいます。
生まれも育ちもこの地ではない私のことは、
地元の年齢層高めな方達にとって謎の生命体に見えているようです。

確かに、お尻が見えそうな短いズボンを履き、
お尻が出てなければヘソを出し、
金髪でカラコン、化粧バッチリ、
東京だったら街を歩いていてよく見かける格好でも、
ここでは宇宙人との遭遇状態になります。

この未知の生命体という認識からの脱却に、
飲み屋で培ったコミュニケーション力を発揮します。
地域に入り込んで活動する理由は
今まで見ることのできなかった世界を見ること、
聞くことのできなかった声を聞くことです。

そのために等身大の自分でぶつかっていき、信用してもらえるかどうか。
心を許してもらえた先の聞ける言葉は全然違います。

もちろんお酒を飲む場になったら、そりゃもう、私の得意どころ。
喋るってとても難しいです。プレゼンは未だに苦手です。
でも、目の前の相手が心を開いた瞬間を感じられるのは最高に興奮します。

だから、私の人生の「遠回り」と「無駄」は
今私のとても重要な武器になっています。

 

なぜ長浜に辿り着いたのか、意味がないことは一つもない

 

(photo by Tomohisa Kawase)長浜シルク産業未来会議vol.1の写真

今、現場部隊の私は滋賀県長浜市木之本町にいます。
「地方で暮らしたかったの?」
と聞かれたら、瞬殺で答えられます。
「いいえ。」

東京のネオン大好きです。24時間眠らない街、大好きです。
東京が好きな理由は、誰でもない、なんでもない自分でいても受け入れてくれる、
そんな街だから気がラクなのだと思います。(いやーこれは、夜の場限定の話かも。)

しかし、そこそこオトナになってきて、
何者かである自分になりたいと思うようになりました。

そんなことを思っている時に、石井がロンドン留学から帰ってきたのです。
帰国後、福島県郡山市で行われたアーティストインレジデンスに参加していて
私は石井の助っ人として郡山に行きました。

その時出会ったのが張り子職人の橋本彰一さん。
高柴だるまをつくり続けるデコ屋敷大黒屋21代当主です。

彰一さんと話している時に
「張子職人としての作業着が欲しい。」
という言葉を聞き、間髪入れず
「私、つくります!」

言ったはいいものの、張子職人のことも、大黒屋のことも、わからない!
だから弟子入りをしました。
朝から晩まで職人たちと大黒屋で一緒に過ごし、
職人たちの言葉を聞き、張子をつくるということ体感する。

それは、お母さん達からの愛の乱れ打ちを受けながら生活です。
ほんとに最高に素敵な方達なのです!!!

完成した作業着の形にも色にも模様にも意味があります。
意味がない部分は何一つありません。


 

この経験のおかげで遠い世界だと感じていた伝統工芸の世界、職人の存在が
ぐっと近づき、もっと知りたい、もっと会いたいと思いました。

そして出会った素敵な人たちのことをたくさんの人たちにも知ってほしい。
彰一さんとの出会いが「仕立屋と職人」結成のきっかけです。

 

郡山の弟子入りが落ち着いてきた頃、
滋賀県長浜市に来ないかい?というお話をいただきました。

関東生まれ関東育ちの私としては関西エリアへの初進出。
そして、今長浜市で長浜シルクを盛り上げようと力戦奮闘しています。

長浜に来て絹に触れていくうちに、そもそも絹って何なんだ!
そう思い、近所の養蚕をしている現場に通い詰め
蚕が繭になり生糸になっていく姿を追い続けました。
(むしろいつも勝手に一緒に桑の葉取りについていって
勝手に蚕のお世話のお手伝いをしていた感じも否めない。)

 

なぜ絹が高いものなのか、なぜ絹がいいと言われるのか、
時代が変わろうとも絹がなくならないのはなぜなのか。
それを知りたくて、物事の始まりから掘り下げにいきます。

蚕を追い続けた記事です↓
是非、木之本町大音の愛を感じてください。
note note.mu/shitateya_story

 

私が仕立屋と職人をやる原動力、数値化できない心の揺さぶり

 

自分の心が震えなければ
相手の心を震わすことはできない。
上っ面の言葉は誰にも響かない。
そう思っています。

震えるって何?
あたしにもわかりません。
わからないからこそ、初めて出会う感動や興奮を大事にし、
この感覚ってなんだろうと分解していきます。


 

そして、私がずっと持ち続けている気持ちは
職人に対して最上級のリスペクト

一代では築くことのできない歴史。
人生を懸けた仕事。
守り続けられた技。
未来につなげる挑戦。
そこから生まれる職人の哲学。

 

文献にも、ネットにも載っていない事実が
現場に行って職人と会って知ることができるという体験は
最高に貴重で、いつも興奮するし、そこには愛があります。
もう、これは、知ってしまったらやめられない。

数値化できない世界で生きてきた職人の生き様を
数値化できない私の心の揺さぶりで感じ取り
それを私の言語で伝えていく。
これが私の仕立屋と職人での重要任務です。

そんなニュアンスなことだけを言っていたって
仕事として成り立たないし美味しいご飯も食べられないし
大好きなビールも飲めません。

職人の生き様だけを発信しても職人の収益にはなかなか繋がらない。
モノだけ売ろうとしても職人の生き様はなかなか伝わらない。
生き様もモノも両方届けることが絶対に必要だと信じています。

職人への最大級のリスペクトを最大限に表現する。
仕立屋と職人のメンバーそれぞれのフィールドと観点から
職人の世界を伝えることができたら、一つの世界に様々な解釈ができる。
そのために仕立屋と職人がいます。


 

私の記事だけ読むと「いまいち仕立屋と職人がわからない」そうお思いでしょう。
大丈夫です。他のメンバーの記事を読むと全貌が明らかになります。
今回は私の熱いパトスです。
他のメンバーのまた違うパトスをお楽しみに。

 
 

名前:ワタナベユカリ
職種:仕立屋と職人 縫子 , 愛の伝道師
出身:埼玉県

ものごとの根本から掘りかえし、ものづくりをする、仕立屋の現場密着部隊。

仕立屋と職人

職人魂に心を揺さぶられ、隣にいる誰かに伝えたくなる。そんな職人の生き様を仕立てるのが、仕立屋と職人の仕事。
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第二弾 石井挙之さん『地方や伝統工芸の世界で、なぜデザインが必要なのか
第三弾 古澤恵太さん『伝統工芸のストーリーや魅力を翻訳するために

憎まれっ子の「葛」が、美しい「葛布」へと生まれ変わるまで

植物の「葛(くず)」の繊維からできる静岡県掛川市の伝統工芸、「葛布(くずふ)」を取材させていただきました。

「葛の繊維からできるって言っても、結局どうやってできるのだろう!? 」
そんな疑問を抱きませんか?

葛布ができるまでにかかる手間暇は、私の想像を遥かに超えるものでした。

 

葛布の材料「葛」は憎まれっ子!?

 

その前に、そもそも「葛」ってご存知ですか?
葛は「憎まれっ子」「グリーンモンスター」などと呼ばれるほど、どこにでも自生する植物。


 

こんな植物、見たことあるのではないでしょうか??
よく電車の通る脇や歩道の傍らなんかに、なにげな~く生えているのが「葛」なんです。

私も意識したことがなかったけれど、掛川から帰ってきてからというもの、ついつい葛を探してしまいます。

憎まれっ子の「葛」ですが、実は万能な植物。
布「葛布」の他にも、根っこは漢方の「葛根湯」や、葛粉を溶き固めたものが「くずきり」、
葉っぱは家畜の飼料や、天ぷらにして美味しくいただけますし、花はイソフラボンが豊富でダイエット効果があるそうですよ。

それでも、生えすぎることから「憎まれっ子」と呼ばれてしまう葛……かわいそう……(笑)

 

そんな葛は、美しい葛布へと生まれ変わるまでに大変な苦労があります。
まず、真っ直ぐに伸びたツルを収穫します。葛布には“素直に真っ直ぐ”伸びたツルが良いそうです。人間と一緒ですね!

↑これだとツルがくねくね巻き付いてしまっています。

収穫したツルを輪っか状にして、大きな釜で煮ます。
この輪っかは、一度にたくさん煮ることができるように様々な大きさで作るのだそうですよ。


 

 

また、この煮る作業もすごく神経を使うそうで、気候などによって異なる時間などは長年の経験を頼りに調節します。

煮たツルを流水につけて水を吸わして、その後、ススキをかぶせて二晩寝かせて発酵。これは、植物の呼吸によるものだそうです。
それが終わると一晩ぬかに漬けて、また水洗いをした後に、天日干しをします。

そして、前の記事でご紹介した「小崎葛布工芸」さんや「こたけや川出幸吉商店」さんから、作る商品に応じた糸の“太さ”がオーダーされます。
それに合わせて、天日干しした繊維を手で割いていくんです。こうして、ようやく一本の糸になります。


 
 

こうしてできた糸は、もちろんそのまま織られることもあれば、藍や“よもぎ”などで染めて使われることもあるそうです。どれもすごく綺麗です。


 
 
 

掛川の“仙人”

 

こんなに手間がかかり重労働ですから、葛の繊維から糸を作る職人さんたちはどんどん減少しているそうです。
訪ねたのはその中の一人、松浦さんです。

最初に訪ねた小崎さんから、「掛川の“仙人”なんだよ!」と紹介されていました。
……仙人!?

ワクワクしながら訪ねると、畑仕事をしながら松浦さんがご登場。
“仙人”のイメージとはかけ離れた、ニコニコ笑顔のほんわかした雰囲気を持つ方でした。

 
 

葛を摂るところを見せていただきたいとお願いすると、いくつかある“いつもの場所”へ案内していただけました。
片手にカマを持って、手際よく葛のツルをさばく松浦さん。季節的にまだ早く、ツルはまだ小さいようでした。


 

同い年だという松浦さんと、同行してくださった一般社団法人「中東遠タスクフォースセンター」の榛村さんが、
地面の跡を見て「これはシカやねえ」なんて会話をしていました。
お二人にとってはいつも通りの会話だと思うのですが、そんな会話を盗み聞きしては「え!?シカ!?シカがいるの!?」なんて、いちいち心躍らせていました(笑)

訪問中、常にニコニコしてくれている松浦さん。
後日撮影予定の葛布PR映像の打ち合わせで、どちらで撮影しようかご相談すると、
両手を広げながら「どっちでもいいよ~~」と答えてくれました。それがもう、とってもキュートでした。

掛川の豊かな自然と美味しいお茶が、この温厚な性格を生んだのかもしれませんね。

 

掛川の“仙人”と呼ばれる秘密

 

さて、そんなキュートすぎる松浦さんが、どうして「掛川の仙人」と呼ばれているのかは、
自宅まで案内していただいて納得することになります。

葛の収穫を見せていただいた場所から車でしばらく山道を走り、ある場所で停車。
車を降りてすこし歩くと、まるでジブリのような世界が広がっていました。


 

 
 

この地区に住んでいる方は本当に少なくなっているようで、
ジブリのような坂を少し上った先に、松浦さんのご自宅があります。

掛川の中心街からは少し離れているのですが、松浦さんは携帯を持っていないのだそう。
今回も、掛川市の方が松浦さん宅を訪ねてアポイントをとってくださいました。

また、野菜をご自宅で栽培していて、家の周りにはいたるところにお野菜がありました!


 

中心街から離れたところで、葛布の材料の供給をはじめ、自然と共に昔ながらの暮らしをしている……。
「掛川の仙人」と呼ばれる理由は、ここにあったんですね。

自然に寄り添う暮らしと、葛布

 

「葛布」ができるまで、かなりの手間暇がかかることをお分かりいただけたでしょうか。
前回の記事でもお伝えしたように、そんな葛布の材料を供給する人はどんどん減少しており、葛布産業は衰退しつつあります……。

松浦さんは、貴重な材料を供給している方の一人。
常にニコニコしているキュートなキャラクターに惹きつけられました。

「ナスさん」のように、自然のものすべてに「さん」を付けて呼ぶんです。
丁寧で、可愛くって、女子大生顔負けです。

自然というものと寄り添って暮らしている松浦さんだからこそ、自然への感謝やリスペクトを感じるなあと思いました。


 

葛布に関わる方々に出会いお話を聞いてきましたが、皆さん本当に魅力的でした。
そんな方々に触れ合ってから見る「葛布」は、なんだかより一層輝いて見えます。

東京から車で約三時間、静岡県の掛川市にはこんなにも素敵な伝統工芸「葛布」と、
それに関わる魅力的な方々がいらっしゃいました。

ぜひぜひ、そんな掛川市を訪ねてみてはいかがでしょう?
掛川市の皆さん、ありがとうございました!

こちらもご覧ください!

「お茶で有名な掛川の、もう一つの名産品。700年余り受け継がれてきた葛布に迫る。」―尾形希莉子
 
「静岡県掛川市「葛布」の、目に見えない魅力」―浅野有希

 

ニッポン手仕事図鑑 浅野有希

名前:浅野有希
職種:ふたりごと文庫 編集長
出身:埼玉県

地域活性化を志す産業能率大学4年生。ニッポン手仕事図鑑にて毎日勉強中!旅行と美味しいものを食べるのが好き。
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ふたりごと文庫編集室

全国の情報発信に興味のある大学生が集まり、出張取材や地域活性に関するプロジェクト推進、学びを得られるコンテンツの提供など、様々な活動を行うオンラインサロン。
 
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静岡県掛川市「葛布」の、目に見えない魅力

憂鬱な梅雨に差し掛かろうという6月、静岡県掛川市へお邪魔してきました。
目的は、掛川市に古くから伝わる伝統工芸「 葛布くずふ」。

「くずふ……?」
初めて聞いた時、その響きから食べ物かと思いましたが、
植物の「くず」の繊維を織りあげた布のこと。
掛川市では昔から「かっぷ」と呼ばれ親しまれています。

今回は、そんな葛布の「目に見えない魅力」をお楽しみください。

 

美しい葛布製品と60年の職人技 小崎葛布工芸さん

 
 

まず私たちが訪れたのは、『小崎葛布工芸』さん。
春には「掛川桜」が咲くという川沿いに佇む工房は、葛布の“のれん”がお出迎えをしてくれます。


 
 

工房に入ると、そこには葛布製品がずらっと並んでいました。
どれもキラキラと光沢があるのが分かります。他にはないこの光沢こそ、「くず」の特徴のひとつ。


 

 

葛布は鎌倉時代には使われていたという記録が残っており、
江戸時代には参勤交代のお土産品として献上されていた高級品なんだそうですよ。

そんな葛布製品のピークは昭和30年。というのも、
葛の繊維を取り出して一本の糸にする工程があまりに大変なのです。(次の記事で紹介します)

その職人さんたちが減少していったことが原因で、葛布産業は衰退……。
かつては30~40軒あった葛布の工房も、今では2軒のみ。

 

小崎葛布工芸さんがつくる葛布カーテンの93%は、リーマンショック前まではアメリカへの輸出だったそうです。
しかし、残念ながら円高が影響して「今はアメリカでは売れない……」と顔を歪ますのは小崎葛布工芸の小崎さん。

「車メーカーなどの大企業と違って、家業として手仕事を生業とする私たちは景気の影響には太刀打ちができない」のだと教えてくれました。

 

とってもおしゃべりで明るい小崎さん。
冗談を混じえながら、葛布についてたっぷりお話ししてくれました。

まずは葛布を多くの人に「知ってもらう」ことが第一、だと言います。
手間暇かけた美しい葛布の魅力を伝えたい……!そんな想いを掻き立ててくれました。

 
 

続いて、二階にある作業場へ案内してもらいました。
そこには織り子歴60年のベテラン・しかさんが作業をされており、しばし見学。

 

黙々とこなす、その手つきはさすがベテランさん。
中に糸を入れる、船のような形をした “シャトル”を手際良く滑らせていきます。

葛布の特徴のひとつである“たま”と呼ばれる糸同士の結び目、
これが絡んでしまうことが度々あるそうなのですが、それをほどくのも超高速です。


 

 

葛の糸は湿らせた方が扱いやすいそうで、シャトルの中には少し湿った糸が入っています。
ただ、糸が乾いた時に縮んでしまうらしく、少しだけ大きめに織ります。
この加減というのは、長年の経験によるものだから驚きです。

しかさんの手際の良さを見ているだけだと、どうしても簡単そうに見えてしまいますが……。
材料である「葛」は植物なので、まったく同じものは存在しませんし、加えて気候なども考慮しているそう。

これらもすべて長年の「経験」によるもの。手仕事というものは本当に尊いなあと改めて実感しました。

 

職人技を体感 川出幸吉商店さん

 
 

次にお邪魔したのが、『川出幸吉商店』さん。


 

ほんわか優しい雰囲気が漂う店主の川出さんは、なんと「織り体験」をさせてくれました。

あらかじめ通された無数の経糸に、葛の糸が入ったシャトルを通していきます。
見たことある方も多いと思いますが、一回一回おさを手前に引いて糸を詰めるんです。
この力加減もまた難しく、力任せにガシガシ詰めていると、糸の使用量が莫大になってしまいます。

 

む、むずかしい……。

葛の糸が途中でプチン!と切れてしまったり、絡まってしまい通らなかったり。
何より、思うようにシャトルが滑らずなかなか進みません。

糸が引っ張られすぎないように、両脇を抑えながらおさを手前に引くと教わったのですが、それを実践する余裕すらありません。
葛布商品の端っこは、きれいに糸が円を描くように処理されているのですが、大きさを均等に揃えるのは相当難しいです。


 

……でも、そんな葛布織体験はついつい夢中になってしまいます。

無心になって織り進めていると、川出さんがおもむろに「袴」を取り出してきました。
それはなんと、「江戸時代の袴」!!

 

「えええ!?」と、一同騒然です。

博物館にあってもおかしくないもの。
高級品とされた葛布は、蹴鞠の袴としても使われていたそう。
川出さんが何食わぬ顔で“普通に”出してくださって、驚きも倍増です。笑

 
 

そんな歴史のある葛布ですが、小崎さんも仰っていた通り、衰退しつつあります。

川出さんは、葛布の糸をつくる職人さんが非常に減少していることについてお話ししてくれました。
高齢化もあり、作業の大変さにお仕事を依頼しても断られてしまうとか。
手間暇をかけているからこそ高い値が付く葛布製品、
材料を供給してくれる方への賃金を更に上げなければならず、道のりは相当厳しいと言います。


 

海外へ委託しようとも試みたそうなのですが、うまくいかず……。

「情けない……」と肩を落としながらお話してくれましたが、
「でも、なんとか頑張っていくつもりですよ」と、最後には素敵な笑顔を見せてくださいました。

 

目には見えない手仕事の魅力

 
 

以上、二件の葛布工房を訪ね取材をしてきました。
存分に葛布の魅力に触れさせてもらい、その独特な光沢は眺めれば眺めるほどハマってしまいますよ。
時代を超えて愛され続けた理由がわかります。

同時に、葛布産業のちょっと心が苦しくなるような現状にも触れてきました。

葛布の材料である糸の供給が減少していることや、工房が今では2軒のみということ、
葛布の最盛期から現在に至るまでどんな道筋を辿ってきたのか……。

長年葛布産業を支えてきた、優しく面白いお二人が丁寧に何でも教えてくださいました。


 

 
 

長年愛され続ける「手仕事」って、その製品としての美しさはもちろんですが、
それに関わるたくさんの人の「人柄」とか、「想い」とか、「愛情」とか、
目に見えないものを感じてより一層、人の心を動かすのではないかなあと思います。

たった一日でしたが、私はそんな葛布の“目に見えないもの”を感じてきました。現地に足を運んだ特権ですね。
私が感じた「葛布」の魅力を、皆さんに少しでもおすそ分けできたら嬉しいです。

さて、次の記事でもまた「葛布」に関わる素敵な方が登場しますよ。
お楽しみに!!

こちらもご覧ください!
「お茶で有名な掛川の、もう一つの名産品。700年余り受け継がれてきた葛布に迫る。」―尾形希莉子
 
「憎まれっ子の「葛」が、美しい「葛布」へと生まれ変わるまで」―浅野有希

 

ニッポン手仕事図鑑 浅野有希

名前:浅野有希
職種:ふたりごと文庫 編集長
出身:埼玉県

地域活性化を志す産業能率大学4年生。ニッポン手仕事図鑑にて毎日勉強中!旅行と美味しいものを食べるのが好き。
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ふたりごと文庫編集室

全国の情報発信に興味のある大学生が集まり、出張取材や地域活性に関するプロジェクト推進、学びを得られるコンテンツの提供など、様々な活動を行うオンラインサロン。
 
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お茶で有名な掛川の、もう一つの名産品。700年余り受け継がれてきた葛布に迫る。


 

一枚400円のしおり。
これだけ見たら、高いと思う方が多いはずです。

でもそれは、何百年も前から紡がれてきた”つくり手の想い”が見えないからではないでしょうか。

 

お茶だけじゃない、掛川

 
 

先日、静岡県掛川市に行ってきました。近づくにつれて車窓からお茶畑が見え始め、
お茶好きな私は大興奮。お昼には茶そばをいただきました。

 

このように、掛川=お茶のイメージを持たれている方は多いと思います。
「静岡の茶草場農法」として世界農業遺産に登録され、世界的にも注目されています。

しかし、掛川にはその陰に隠されたもう一つの名産品があります。
葛布くずふ」です。

 

 

葛布は葛の繊維を緯糸よこいとに使用した手織物のことで、鎌倉時代からの歴史があります。葛はどこにでも生えており、葛布に限らずさまざまなものに利用されてきました。
葛湯や葛餅、風邪のときお世話になる葛根湯などが、イメージしやすいかもしれません。

葛布でつくられているのは小銭入れやカバン、さらには壁紙など、多岐にわたります。
普通の布製品よりも光沢があり、ゴツゴツとしておらず温かみのあるしなやかな手触りです。

 

 

葛布には“たま”があるのも特徴です。短い葛の繊維をつなぎあわせて一本の糸にするため、結び目ができます。
これが“たま”で、見た目にも触感にもぼこっとしているのがわかり、手づくりならではよさを感じられます。

 

さまざまな想いと共に織られる葛布

 

葛の採取から織るまで、すべての工程を人間の手と自然の力で行っています。
葛はどこにでも生えているものですが、素人には質のよい葛を見分けることがなかなかできません。

葛採りの達人は良質な葛がありそうなところへと入りこみ、
採った葛を慣れた手つきでリング状にまとめていきます。

 
 

この葛は、煮る→水にさらす→自然発酵させる→繊維となる部分を取り出す→干す→繊維どうしをつなげる…という工程を経て、やっと一本の糸となります。
簡略化して書いてもこれだけの工程があり、葛布を織るまでにも、かなりの時間と手間がかかっていることがわかります。

ちなみに10kgの葛からできる糸は100g、つまり最終的に葛布に使用される糸は、採取した葛の1/100の重量にしかならないそうです。


 
 

実際に葛布を織っているお店のひとつが小崎葛布工芸。お店の暖簾は、もちろん葛布です。
かつて40~50軒あった葛布のお店は現在2軒まで減少しており、小崎葛布工芸はその残っているお店の一つです。


 
 

ここでは葛布の手織りを見学しました。作業していたのは、御年80歳超えの大ベテラン。

あらかじめ張ってある経糸たていとと経糸の間に緯糸よこいととなる葛糸をシュッと通し、板を手前に引いてトントンと織っていきます。
経糸は葛糸ではありません。その理由は主に2点あります。緯糸を通すときに擦れやすいという点、また、どうしても費用がかさんでしまうという点です。

 

糸は葛の繊維の裂き方により、太さが変わります。
そして太さにより、どんな商品に使用するかを決めます。
手作業だからこそ、毎回同じ太さのモノはできません。
仕上がった糸を見て、この糸を最大限に活かせる商品はなんなのか、と考えてから織り始めます。

これもまた、長年の経験がものをいいます。

葛布を織る人は、単に織っているわけではありません。
「昔から紡がれてきた想い」そして「葛を採取し、糸をつくる人から紡がれる想い」
葛布に関わる人の、「葛布を残したい」という想いとともに、シュットントンと葛布を織りあげています。

 

いざ、手織り体験

 

手織りを見学した後、もう一軒の葛布店で実際に体験してみました。
場所は、川出幸吉商店。織り機を前にして、『鶴の恩返し』の鶴になった気分です。
先ほどのリズミカルに織る様子からはまったく難しさを感じませんでしたが、
実際やってみるとシュットントンというリズムでは到底できません。


 

葛糸は少し引っ張っただけでもすぐに切れてしまいます。
切れたらそこで結びなおしますが、いくら手づくりの味とはいえ、“たま”が多すぎるのはよくありません。

トントンも絶妙な力加減でやらないと、生地がゆるすぎたりつまりすぎたりしてしまいます。
5分ほどやっただけでも腰が痛くなってきて、見ただけでは分からない職人のすごさを実感しました。

 

モノの裏側を知ること

 

まずは「知ってもらうこと」が大事だと、小崎葛布工芸の小崎隆志さんは語ります。
今回私が体験した手織りも、「知ってもらう」ための一つの方法です。


 

モノを表面的に見るだけでは、なかなかその価値が理解できません。
モノの背後に隠されたストーリーが、奥深さを増すのです。
そして、ストーリーを知っているからこそ、大切にしようという想いが芽生えてきます。

長年紡がれてきた“つくり手の想い”を知ることで、
値段には表されない価値を感じられるようになるのではないでしょうか。
掛川を訪れる際はぜひ、葛布に関わる人の小さな声にも耳を傾けてみてください。

こちらもご覧ください!
「静岡県掛川市「葛布」の、目に見えない魅力」―浅野有希
 
「憎まれっ子の「葛」が、美しい「葛布」へと生まれ変わるまで」―浅野有希

 

名前:尾形希莉子
職種:学生
出身:神奈川県横浜市

大学で地理学を学ぶ傍ら、「面白そう!」を原動力にあちこち飛び回っている。食べ物には目がなく、農ある暮らしを求めて生産現場を訪れることもしばしば。身近なものの裏側が好き。

ふたりごと文庫編集室

全国の情報発信に興味のある大学生が集まり、出張取材や地域活性に関するプロジェクト推進、学びを得られるコンテンツの提供など、様々な活動を行うオンラインサロン。
 
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小林良也撮影の写真が製硯師 青栁貴史さん著『硯の中の地球を歩く』の表紙を飾りました

ニッポン手仕事図鑑のカメラマン 小林良也の写真が、
7月2日に出版された青栁貴史さん著『硯の中の地球を歩く』のカバーを飾りました。

また同著の帯と3ページ目にも、小林が撮影した写真が掲載されています。

小林良也撮影

小林良也撮影

小林良也撮影

【amazonにて好評発売中】
硯の中の地球を歩く
硯の中の地球を歩く
青柳 貴史 (著) 出版社: 左右社 (2018/7/2)

第三弾:みんながもう少し、“納得感”を持って生きていける世界を

皆さん、こんにちは。「ふたりごと文庫編集長」の浅野有希です。
今回は私がどうしてもお会いしたかった憧れの女性、
ウェブメディア「灯台もと暮らし」の創刊編集長である伊佐知美さんにお会いし、インタビューをしてきました。

とても素敵なお話を伺えたので、全3回に渡ってお届けします!

 


 
 

最終回のテーマは、「私たち若者がこれからを生きていくヒント」です。
私たち若者にとって、これからを生きていくために大切なお話をしていただきました。

私自身が今後社会に出る上で不安に思っていること。
女性として、社会にどう在るべきなのか、そしてどんな障壁があるのか……
また、地域活性に取り組んでいる人って、目立っているのは男性が多いのでは……?

そんな不安や疑問を伊佐さんにぶつけてきました。

最後は大学生へアドバイスをしていただきましたが、
今まで誰からも聞いたことがない、意外なものでした。大学生必見です!

 
 
 

ロールモデルのいない生き方

 
 

 
 

私はずっと、ロールモデルがいないのに苦しんでいました。

でも、29歳のとき、「これ!という方が見つからないのが普通だな。いろんな方からエッセンスを盗んで、自分でつくってこー!」と気が付きました。
素敵な先輩方にも沢山出会ってきましたが、私は私でいっか!と思えたんです。

 

でもそれは、分かりづらいかもしれないけど一人ではできないんですよね。仲間がいるからできることです。
無条件に自分の選択を「がんばれ」と言ってくれる人ってめちゃめちゃ大事。

例えば、自分の中でうまく言語化できないけど「やりたい!」ってモヤモヤしているけど、一歩進めないとき……

「めっちゃいいじゃんそれ!やれば?なんか手伝う?」
って言ってくれる人がいると早いですよね。誰だって、一人は怖いですから。

 
 

「女性だから」「男性だから」は関係ない

 
 

女性編集長として苦労したことや困ったことですか……ないです。

私も女性として社会にどう在るべきなのか、10年くらいモヤっとしていました。
でも、編集長として苦労したことは、なんにもないです。
むしろ、女性だからこそ助けてもらえたなあ~と思っています。

なぜかというと、「〇〇長」ってつく肩書きって、男性の方がまだ多いと思うんですよ。

だから、登壇者の大半が男性ばかりの時、優先的に「女性枠」としてお声がけいただけていたケースって、私の場合本当に多かった気がしています。

 

でも、大前提としては、私は男女がどうこうとか思ってないです。「女性活躍の世の中のために!」とかも思ってません。
あんまり考えない生き方の方が楽ですよね。自然体の方がよい。

女性編集長、私はとても良いと思うよ。

 
 

 
 

浅野さんが「地方で男性が多く目立って見える」と言ったのは、“天下を取りたい”女性が少ないからかな?
男性の方が、“天下を取りたい”という価値観を持っている方が多いからなのかもしれないです。

女性は、自分が楽しいことを突き詰めていったら、有名になっていた……というケースが多いと思います。

 

あと、私は『移住女子』という書籍を書かせていただいたことがあるのですが、どうして女性がテーマ?と問われたら、やっぱり商業出版をする上で、
女性というキーワードがとても大事だったからでしょうね。私は出版社からご依頼をいただいて執筆したので……。

「女性」だからこそ、スポットライトが当たりやすい時代だと思います。
だからむしろ、女性であることって、少しだけ有利な時期なんじゃないでしょうか。
すぐにそんな時代、過ぎてしまうと思うし、もう過ぎてしまったような気もしていますけれどね。

 

個人的には、移住や旅を絶対にしてほしいわけではなくて、
女性だから、男性だからとか関係なく、みんながもう少し好きなことをしている実感、納得感を持って生きていける世界がきたらいいなぁと思っています。

メディアをやっている身としては、その背中をぽんって押せたらいいなって。

 

 
 

情報が多すぎる現代社会と「全方位気遣い型」の若者たち

 
 

私は大学時代、ひたすら恋とダンスをしてました。

典型的な大学生で、意識高いとかじゃなかったですね。
「1限出れない!2限も、3限も出れない!」……みたいな。
毎晩終電を過ぎても踊っていましたね(笑)

インターンなんて主流じゃなかったですし、何もしてなかったです。

 

なんとなくなんだけど、今の若者は、情報が多すぎるから生きづらいんじゃないかと思います。

情報が多いことによって、何もかも可視化されすぎていますよね。
キラキラした部分をまず投稿する世の中とか……「つら!」って思います。

私の学生時代はSNSもmixiくらいだったので全然情報もなくて。
他の人が何をやっているのかとか、そんなに見られなかったです。

今は連絡もとりやすすぎるし、手段もありすぎますよね。
LINEのある世界で高校とか行きたくない!こわすぎる(笑)

 
 

生き方の選択肢が見えすぎているから、自分を信じてあげるのが難しそう。って思うかな。

「全方位気遣い型」とでも言いましょうか。
馬鹿な方が進めますよね。はい、いこう!みたいな。

でも今は“やり方”とか検索できすぎちゃって、自分にとって情報の取捨選択の基準を持たないといけないですよねぇ……。大人の私でも難しいもの。

 
 

私の中では、「大きなニュース」と、「信じられる人の情報」、「私」っていう情報の階層が3つあります。

やっぱり世の中の大きなニュースは一応把握しています。

あとは、信じられる発信元の「人」を何人か持っていますね。
その人が言ってることや情報は追うようにしています。
その人以外のものは追わない、知ってるだけにとどめる。

その上で、“私は私”って価値観を持っているんです。

 

それを持っておかないと飲まれちゃいますよね、自分を見失ってしまいます。

見失って流される人生もきっと楽しいんですよ。
でもそれではなく、私は未来を切り開く方を今選んでいます。
だから、こっちの方が今は選びたいなって思います。

 
 
 

今だから思う、大学生に大切にしてほしいこと

 
 


 
 

私は、「年相応で遊ぶこと」って大事だと思います。

学生らしい遊び方をするべきじゃないかな。
変な話だけど、「何日連続で徹夜して全力で遊べるか」みたいな(笑)。大人になったらもう絶対しないもんね。結果、食欲より睡眠欲が勝つということを学びました。

 

30代と20代とではやれることが全く違うと思うんです。
いつでも何でもできるんだけど、年相応かどうかってありますよね。

そのときでしかできない過ごし方をして、毎日70%よりはちゃんと毎日100%で楽しむことは、その後の人生や暮らしを支えてくれる気がします。

 

あと、友達って大人になっても増えるけど、「何者でもなかった学生の頃の友達」って、悲しいけどもう絶対増えないんですよね。
だから、大事にしてほしいですね。

英語勉強したり、本読んだり……いろいろあるけど、私はそっちの方が大事だなって思います。
まあ、暇なら筋トレと英語やっとけば?って思います(笑)

 

夢の昇華の仕方って色々あると思うんですよ。

私は歌が歌えれば一番いいと思っていて、憧れは歌手。でも、歌は別にうまくなかったんですよね。
ただ、「歌詞を書く」とかならできるじゃないですか。

そんな夢の昇華の仕方もあるし、人生で今が一番若いのはこの瞬間だから、どこからでもスタートは切れると思う。いつでもできるんです。

 
 

———————————————

 
 

3回に渡って、伊佐知美さんのインタビュー記事をお送りしました。

実は、インタビューをしよう!と決めたとき、
知名度も人気もある伊佐さんに依頼をするのはハードルが高いのでは……
と思いました。(ニッポン手仕事図鑑編集長・大牧もそう思っていました)
しかし、どうしても伊佐さんがいい!とダメもとでお願いをしてみることに。

 

すると、とても快くお受けいただいて……。
実際にお会いしても、インタビュー初体験の私にとても優しく真剣に向き合ってくれました。なんと二時間も!!

そして、原稿の添削・アドバイスも丁寧にしてくださり、もう感激です。
この、伊佐さんの真摯な姿勢こそ、私にとって一番の学びでした。

 

気さくで明るい、ポジティブなキャラクターの伊佐さん。
親しみやすい人柄が、きっとローカルで暮らす人たちの想いを引き出すことができているんだなあと。
これこそが、「灯台もと暮らし」の根っこの部分なのではないかと思いました。

私個人的には、「女性編集長はとっても良いと思うよ」
と言っていただいたことがすごく嬉しかったです!

現在、世界2周目の旅へ出られている伊佐さん。

伊佐さんの生き方・価値観には学ぶべきことが沢山ありました。この記事で、一人でも多くの方に新たな発見や喜びがあれば嬉しいです。
そして、インタビューをさせてくださった伊佐知美さん、ありがとうございました!!

 
 

 
 

 
 

名前:伊佐知美
職種:灯台もと暮らし創刊編集長
出身:新潟県

これからの暮らしを考えるメディア「灯台もと暮らし」の創刊編集長。書籍『移住女子』の出版やメディア連載など、フリーライターとしての活動もしている。
Twitter https://twitter.com/tomomi_isa
Note https://note.mu/tomomisa 

第二弾:「私はどうやって生きたいのか」に向き合って見つけた“夢の道”

皆さん、こんにちは。「ふたりごと文庫編集長」の浅野有希です。
今回は私がどうしてもお会いしたかった憧れの女性、
ウェブメディア「灯台もと暮らし」の創刊編集長である伊佐知美さんにお会いし、インタビューをしてきました。

とても素敵なお話を伺えたので、全3回に渡ってお届けします!

 


 

第二回目のテーマは、「キャリア」について。

就職活動では雑誌の大手出版社に落ち、一度夢を諦めた伊佐さん。
金融業界に務めるも、金曜日を待ち望む自分にモヤモヤ……
改めて、「自分はどう生きたいか」見つめ直し、夢中でライターの道を歩み始めます。

「他に方法がわからなかったから、ひたすらにやるしかなかった」と言う駆け出しのウェブライター時代。
遠回りだったけれど、「私はどうやって生きたいのか」に向き合い続けたからこそ“夢の道”を見つけられたと言います。

これから将来を考える方、私と同じように就職活動を終えた方、ライターになりたい方……とても参考になるのではと思います!

 
 

「なぜ私は金曜日を楽しみに生きているんだろう?」

 
 

大学をストレートで卒業して22歳。
ずっと国公立の中・高・大ときて、父親も上場の大きい企業に勤めていて……
「一社に勤めて、いつか街に家を買う」という暮らしが当たり前だと思っていました。

というのも、私が就活をしていた時期は10年前で、社会が全然違ったんです。
転職やフリーランスもまだ一般的でなくて、
SNSはたしかmixiが全盛期。iPhoneもなかったし、とにかく今と世の中が全く違いました。

 

書くことが好きだったので、雑誌関連の仕事がしたいと思っていたのですが、
就職活動が始まってすごく早い時期、大手出版社にすべて落ちてしまいました。
「就職できないなら、またいつか入り口を探そう」と思って、別の業界を志しました。

その後偶然クレジット会社の方にお会いして、採用をいただくことができました。
金融に魅力を感じたというより、「前例がなくてもやる」という文化と社員の方の雰囲気に惹かれました。

 

化粧品やランジェリーも好きだったので
ロレアル、ワコール、カネボウなどの面接も受けていたのですが、

最終的には「好きなものに囲まれるよりも、好きなものを買える選択をしよう」と決めて。
金融はお給料が良かったので、最後はそれで(笑)。結果的に、この時に貯めたお金が後に世界一周の資金になるのですけど、まぁそれは余談で……。

 
 

こうして入社したのですが、1年目はすごく楽しかったんですよ。
お金も稼げるし、先輩も優しいし。

でも、どうしてもやっぱり金曜日が待ち遠しくて、月曜日は辛い。
毎日同じ電車に乗って、同じ目的地に向かって、きっと5年後も10年後もこうだなって。
なんか、違和感があったんです。

それから3年……

私一回結婚したんですけど、ハワイで式を挙げたとき
毎日スローテンポで時が流れ、夕陽をぼーっと見ながらビールを飲んで暮らす人たちを目の当たりにして。

こんなに心地いい暮らしをしている人が沢山いるのに、
なぜ私は金曜日を楽しみに生きているんだろう?
これは人生の過ごし方として正しいのか?って疑問が浮かびました。

「じゃあ、私はどうやって生きたいのか」って考えたときに

ずっと感じていたこの違和感は
書き物がしたい、旅にも関わりたい
“旅ライター”になりたいって夢を抱いていたからだと気が付きました。

 

 
 

夢中でウェブライターの道を歩み始める

 
 

そうは言っても、“なりかた”がわかりませんでした。
その頃はまだ頭が堅かったから、フリーランスという発想もなかったんです。

だから、結婚を機に退職、「再就職」を選んで、
広告部のアシスタントとして出版社に潜り込みました。

でも、大手出版社で歴史もあり、編集部に異動したいと思ってもそう簡単には無理だったんですよね。
その後、試行錯誤の末「兼業でウェブライターを始める」道を見つけて、今に至ります。

 

その時は、複数の編集部に所属しながら、週5で普通に出版社で働いていました。
9時~18時は出版社、19時から曜日別で各編集部のミーティング、
土日は取材・執筆作業に明け暮れる生活を数ヶ月ほど続けました。

ピーク時は、月100本の原稿を書いていました。
朝4時半に起きて原稿を書いて9時に出社、お昼休みは取材の下調べをして、夜も1時まで作業……なんて平気でやっていました。

皆さん「え!?」って思うかもしれないし、今思えば私も「???」ってなる生活だけど、
とにかく当時は楽しかったんです。
寝るのが惜しいくらい夢中になれた期間でした。

 

 
 

今だから気づいたけど、私は「書くこと・旅・写真」が好きなんです。

今はありがたいことに、それが全部仕事につながってくれているから、楽しいんですよね。
身の回りがすべて「好き」でできているのも、それはそれでシンドイ時もあるんですけど。

私、27で夢を追い始めたんですよ。これ、結構遅いんです。
でも、遠回りだったけど、やっと見つけたこれが「夢の道」かもって思っています。

 
 

実際には、経済基盤がしっかりしていたということは大きかったです。

ただ無謀にチャレンジするのはおすすめできません。
やるのは簡単だけど、続けていくのは難しいからです。

 

「新卒フリーランス」が今もてはやされていますが、私は就職が悪いとは思いません。
長年続く大きな会社は、それなりの理由があります。そこでしっかり研修を受けられるのは大きいです。

前職の金融会社は本当に素晴らしい会社で、ビジネスマナーや電話応対などの研修をきちんと受けられました。
目上の方との接し方や、資料の準備など、沢山のことを学びました。

それは自治体の方と接する機会が増えた今、すごく役に立っているんです。
また、規模の大きな仕事を若い頃に見ることができたので、数字の大きさにビビらなくなったとも言えます。

あとは、「大手に勤めていた」というある種の信用もいただけた気がします。

中途で出版社に受かった理由は、金融会社に勤めていたからか「しっかりしてそう」と思ってもらえたからなのかなって。
結果として2社とも退職しましたが、上司にも同僚にも恵まれ、今でもすごく感謝しています。時折食事に行ったりしますよ。

 

最高のビジネスパートナーがいる会社

 
 

 

今の勤務先「Wasei」のことの方が大好きな理由は、人です。
既存の会社を好きになったのではなく、好きな会社を一緒に作らせてもらえたというのも大きいかな。

Waseiって、明らかに変わった組織なんですよ(笑)

私仕事が大好きなんですけど、仕事をしている感覚があんまりないんです。
毎日全力で遊んでいる感じ。ただ、“真剣に”遊んでいるんですけどね。

 

代表の鳥井は、結構特殊な人かもしれません。
世界で一番信じられるなと思うからついていってるんですけど、
彼はコンテンツを創る人ではなくて、「好きな人たちのやりたいことをやれる場を用意したい」って人です。
感覚は合うけど性質が全く別だから、成り立っているんだと思います。

 

http://wasei-inc.jp/message
 
 

「〇〇やって!」ではなく、
「伊佐さんは何やりたい?どうしたい?」としか聞かれないです。

会社が好きというより、最高のビジネスパートナーがいる会社を見つけられたことが大きいのかな。
……まぁ、かなり譲歩してもらってる状況だとは理解・自覚しているので、真面目に仕事をして成果で恩返しできたらな、と思っています……。

 
 

 

名前:伊佐知美
職種:灯台もと暮らし創刊編集長
出身:新潟県

これからの暮らしを考えるメディア「灯台もと暮らし」の創刊編集長。書籍『移住女子』の出版やメディア連載など、フリーライターとしての活動もしている。
Twitter https://twitter.com/tomomi_isa
Note https://note.mu/tomomisa 

砂時計職人|金子硝子工芸

理化学硝子機器のメーカーを営んでいた先代が、貿易会社の依頼で輸出用の3分砂時計を製造したことが、「金子硝子工芸」の砂時計づくりの始まりである。全盛期は月間3万個以上も売れた砂時計も、二代目の金子實さんが家業を継いだ頃には、時計のデジタル化の波に押され、生産量が減少。現在では、ひょうたん型の砂時計を製造できる職人は、實さんと実弟の2人だけになった。この技術を途絶えさせないために、音の出る砂時計や「粒状なら何でも砂時計にできる」というオーダーメイド砂時計など、新しい形の砂時計づくりに日々チャレンジをしている。

第一弾:灯台もと暮らしを通して伝えたい想い

皆さん、こんにちは。「ふたりごと文庫編集長」の浅野有希です。
今回は私がどうしてもお会いしたかった憧れの女性、
ウェブメディア「灯台もと暮らし」の創刊編集長である伊佐知美さんにお会いし、インタビューをしてきました。

とても素敵なお話を伺えたので、全3回に渡ってお届けします!

 


 

第1回目のテーマは、「灯台もと暮らしを通して伝えたい想い」です。

金融業界、出版業界を経て、「灯台もと暮らし」の編集長になった伊佐さん。
その他にも、書籍『移住女子』の出版やメディア連載など、フリーライターの活動もしています。
また、世界一周しながらライティングをするリモートワークスタイルをnoteで発信することで、一躍注目を集めました。

 

 

そんな伊佐さんが「灯台もと暮らし」を通して変わったご自身の価値観、そして、たくさんの人に伝えたい“想い”に迫ります。
灯台もと暮らしの誕生秘話と、特集のつくり方も必見です!

 
 

「はじまり」をみんなと一緒に過ごしたい

 
 

27歳の頃、まだ出版社で働いていたのですが、ツイッターで「MATCHA(まっちゃ)」というウェブサイトのライター募集を見つけ、
採用してもらったことが、私がウェブライターを始めたきっかけでした。

最初は1本あたりの記事の単価は、500円。
でも、記事を書けることが本当に楽しかったので、報酬なんてどうでもよかった。

とにかく「ライター」という肩書が欲しかったのです。
それからは「MATCHA」で書いた実績を持って、どんどん違うメディアに応募していったのですが、
1記事500円から始まり、半年後には約40倍の1~2万円にまですることができた。これは本当、嬉しかった。

 
 
 

実は、当時の「MATCHA」編集長が、今のWasei代表・鳥井(弘文)なんです。
その出会いから約1年後に、私はWaseiへ入社することになるのですが、そこに至るまでにはそれなりの葛藤もありました。

「文章を書いて生きていきたい」という夢を持っていた一方で、
「世界一周をしてみたい!」という強い想いもあったんです。
村上春樹さんの「遠い太鼓」という本にあるような、世界を旅しながら原稿を日本に送る生活に憧れを持っていたのです。

1ヶ月、20日働くとして、1記事1万円をいただければ、20万円。
最低限初任給くらい稼げたら、生きていけるかなと考えました。
当時勤めていた出版社は好きだったけど、夢だった世界へいこう! と思うようになりました。

 

ただ、そう決心したときと、鳥井に「うちの会社で、何か一緒にやりませんか?」って言ってもらったタイミングが同じだったのです……。
同じくWaseiで一緒にやろう、と話していた「MATCHA」の編集メンバーのうち2人は大学生だったので、間もなく社会人になる時期でした。
だから、みんなでいっせいにスタートを切れる状況ではあって……。

それに魅力を感じたので、世界一周へ行くという夢は、一旦延期することにしたのです。

 
 

だって、途中から鳥井たちの仲間に加わることはいつでもできるけど、“はじまり”を見られる瞬間って、そのときしかないじゃないですか。

今だから分かるのですが、私は1から10にするんじゃなくて、0から1を生み出したいって思う人間みたいで。
だから、その貴重な瞬間をみんなと一緒に味わえるなら、世界一周よりも会社に入ることを選びたいなって思ったんでしょうね。

まぁ何よりも、メンバーたちが大好きだったんですよね。
こうして私は、Waseiの社員になることに。

 

 
 
 

「灯台もと暮らし」の誕生

 
 

入社はしたけど、実はそのとき、具体的に何をやるかは決まっていませんでした。
決まっていたのは、この4人で何かをやろう! ただそれだけ。

4人の共通点は、「ウェブ関連に携わってきたこと」だったので、だからまずはウェブメディアを始めてみようということになりました。
何をするにしても発信の場は必要ですしね。

 

では、どんなメディアを作ろうか?
そのときまだ私は前職の仕事があったし、ほかのメンバーは大学生でした。
全員で集まって話し合う時間がなかなか取れなかったので、2泊3日で合宿をすることにしました。

朝から晩まで、お互いに何を思っているか?どう生きていきたいか?
千葉県の房総の貸別荘で、そんなことを真剣に話し合いました。ちなみにここは今でも、大切な時に訪れたりしています。

その合宿を通して見えてきたメンバーの共通項が、「古い文化」「古いと新しいをつなぐ」「想いに寄り添う」というものでした。

 

そのとき、「あっ、これって、灯台下暗しじゃない?」って言い合った瞬間があって。
たまたま貸別荘の名前も「ル・ファーレ」で、フランス語の「灯台」。
そう、これが「灯台もと暮らし」の誕生のきっかけでした。

 

http://wasei-inc.jp/message

 

「これからの暮らしを考える」。
そのテーマを必死に追い続けてきた「灯台もと暮らし」も、2018年の1月で丸4年を迎えました。あっという間の4年でしたね。

 
 

人の縁を通じて、その人が見た世界を描く

 
 

特に最初の頃は、「人の縁」を丁寧に広げていくことを大切にしてきました。
小さな町になればなるほど、ぽっと行くくらいじゃ誰も何も話してくれないし、大切な話も聞けないんですよね。

だから当時も今も、ご縁を大切にして、“その人が見た世界を描く”っていうメディアの作り方をしています。

 
 

 

例えば、最初に徳島県神山町の特集を組んだ時。
鳥井が、神山町でゲストハウス作りに大工として関わっていらっしゃる堤さんという男性とご縁があって。

当時神山町はインターネット環境がとても充実した地域であることが人気で、サテライトオフィス誘致が進んでおり、
「豊かな自然環境の中でMacBookを操作する」という絵がテレビや雑誌でよく取り上げられていた時期でした。

そして、灯台もと暮らしを立ち上げると聞いた堤さんが、「面白いよ!」と私たちを呼んでくれたのです。

 
 

でも、私たちは暮らしている人のリアルな様子が知りたいと思ったので、
サテライトオフィスという切り口で神山町を取材させていただくのではなくて、
そこで住んでいる方々の想いを聞かせていただくことに決めました。

そして出来上がったのが、今もほかの地域で続いている、「灯台もと暮らしの地域特集」の原型でした。

 

 

 

実は私、地域にもともと強い興味を持っていたわけではないんです。
なぜなら、私自身が新潟の田舎出身で、都会に憧れて東京に出てきた身だったから。
でも、取材を通じてたくさんの人に出会っていく中で価値観が変わりました。

私は取材の最後に、今後何をしたいですか? と聞くことが多いんですよね。
自分のことを話すとき、私は当然、「私は」という自分が中心の主語を使います。

でも、地方に住む人たちは、話をするうちにいつのまにか主語が「私たち」に変わっていく……。夢の主体が、IからWEに変わるんですよ。
それってすごいことじゃないですか?私はそれを、「自分の未来と、地域の未来を重ねる」とよく呼ぶのですが、それができるのは、とても豊かな生き方だなぁと。

そういう人たちって、自分で生きる力を持っていると感じるんです。

 

 

 

大切なのは、相手が喜んでくれるかどうか

 
 

「取材をするときに、一番大切にしていることは何ですか?」ですか……?
いろいろとありすぎて絞ってお話をするのが難しいのですが、
あえてひとつに絞るとしたら、「取材をされた人自身がシェアしたくなる記事を書くこと」でしょうか。

灯台もと暮らしでは、取材させていただく方のプロジェクトに関して、深い想いの部分まで聴くことが多いのですが、
それってすごくパーソナルなことが混じる可能性が高いです。それってすごく難しい。
でも、だからこそ応援になるような、寄り添う記事が書けるかもしれないという期待もあります。

大切なのは、相手が喜んでくれるかどうか。
それって、灯台もと暮らしの編集方針においては、ページビュー数よりも、圧倒的に大事なことです。
バズって、多くの人が読んでくれたとしても、正確なところが伝わらなかったら全然意味がないかなって。

 

「あの人が出てたから読んだよ〜」とか、「あの人とあんまりしゃべったことないけど、
そんなこと考えて移住してきたのね…じゃあ、こんなこと頼んでみよう!」って、1本の記事がそんなふうに化学反応を起こしたりする。
「灯台もと暮らし」っていうメディアとしては、今のところは、そんな存在でいいのかなって。

 
 

 

名前:伊佐知美
職種:灯台もと暮らし創刊編集長
出身:新潟県

これからの暮らしを考えるメディア「灯台もと暮らし」の創刊編集長。書籍『移住女子』の出版やメディア連載など、フリーライターとしての活動もしている。
Twitter https://twitter.com/tomomi_isa
Note https://note.mu/tomomisa 

【連載】かよいみち ―2.長岡の空

そろそろ、夏がやってくる。

テレビでは、東京都の通勤ラッシュについて触れていた。
今日の電車の乗車率は150%らしい、と。

 

僕が住む新潟県では、車通勤をする人が多いため、
満員電車に遭遇する確率は都心部に比べれば遥かに低い。

何度か仕事で東京に行った際、その混雑を経験したことがあるが、
僕にはなかなか耐え難いものがあったし、
そこで働かれている方々には敬意を表したかった。

その時を思い出しながら、ふと考える。
乗車率でこれだけ大変なのだから、
もし仮に人口がそれほど増加してしまったら、
一体どうなるのだろう、と。

そして、また思い出す。
僕が住んでいたところには、
150%どころではなく、
人口がそれ以上になる2日間があったな、と。

それは、毎年8月2日、3日。
「長岡花火」の日である。

 

 
 

長岡市の人口が約27万人であるのに対し、
2017年度の来場者数は2日間で100万人以上。
人口の約3倍である。

打ち上げ幅2km以上にも及ぶ「フェニックス」や、
直径650mもの大輪の花を咲かせる「正三尺玉」は、
観る者の心を圧倒する。

これほどまでに多くの方々が訪れるのは、
長岡花火が日本三大花火に数えられているからだけではないだろう。

 

 
 

商業的な理由だけを考えれば、
花火大会の日程は土日や祝日に設定した方が正しいのかもしれない。
しかし長岡花火は毎年必ず、8月2日と3日に打ち上げられる。

その理由は、かつての第二次世界大戦時、
昭和20年8月1日に長岡で空襲があったことに由来する。
戦没者の慰霊と復興を祈念し、
毎年その日には長岡まつりが行われ、
そして2日と3日に花火が打ち上げられるのだ。

 

 
 

僕はこの長岡市で、高校時代の3年間を過ごした。
実家から高校までの距離は毎日通うには些か遠すぎたので、
自転車通学圏内にあった祖母の家にお世話になっていた。

街の隅々には、過去の記憶がこびりついているような感覚があるし、
そしてしばらくの間働いていたこともあるという現在の記憶とが同居して、
ここを訪れるたびに不思議な緊張感にも包まれる。

 

 
 

この街の中での僕の役割は、
ある時は「居候」であり、
またある時は「高校生」であり、
そしてある時は「デザイナー」であった。

僕自身の能力、知識は、成長と退化とを繰り返しながら、
少しずつ前に進んでいると思いたいが、
周囲から期待されることや環境等によって、
時折自分を偽り、それぞれの立場を比較的不器用に演じ続けていた。

サードプレイスという、
家や学校、職場以外の心地よい場所という概念があるが、
それは僕にとってカフェ等ではなく、近所の神社であった。

 

 
 

町名にちなんで「蔵王さま」と呼ばれている金峯神社は
かつて地区の総鎮守だったこともあるらしく、
美しい木漏れ日が降り注ぐベンチに座ると
時間の流れをあっという間に感じてしまう。
日頃の役割から開放され、何者でもない自分になれる空間であった。

 

 
 

幾度となく長岡市には訪れてはいるのだが、
高校時代と比べ、少しずつ街の色が変わってきたようにも思う。

 

 
 

発端となったのは、
恐らく長岡市役所としての機能を持つ、「アオーレ長岡」の存在だ。
旧市役所移転に伴って建造されたこの建物の設計は、
新国立競技場も手がけた隈研吾氏によるものである。

 

 
 

窓口に手続きをしに来た人だけではなく、
学生から老夫婦まで、多くの人々が心のままに交差する。
ここも誰かにとってのサードプレイスとなっているのかもしれない。

そして昨年長岡駅前に、
「コモンリビング」というスペースが開設された。
街のリビングとして開かれたその場所は、
誰もが集い、寛げる貴重な空間となっている。

 

 
 

役割という肩書に押しつぶされない前に必要なのは、
きっと、空っぽになれる時間を過ごすことだ。

 

 
 

また、この街では花火が上がる。

同じ空を見上げ、その時ばかりは皆が等しく観客となる。
こうして長岡市は、1年を繰り返しながら、
ゆっくりと時計の針を進めていくのだ。

そろそろ今年も、暑い夏がやってくる。

===

前回の記事から半年以上もお時間をいただいてしまいました。

お久しぶりです。
改めて、小黒恵太朗と申します。

久しぶりに高校の通学路とその周辺を歩き直し、
感じたことを記事にしてみました。

今回は「役割」という言葉が多く出てきましたが、
それを担うのはもちろん悪いことではありませんし、
全うするのは素晴らしいことだと思います。

寺山修司の言葉の中に、こんなものがありました。

「劇場があって劇が演じられるのではない。
劇が演じられると、劇場になるのである。」

僕たちは、常に何かの役割によって、
人生という劇を演じているのかもしれません。
そして、この長岡市には面白い「劇場」が沢山あります。

ぜひ一度、足を運んでみてください。

 

小黒さんの過去記事「かよいみち ―1.新潟県長岡市和島」

 

名前:小黒 恵太朗
職種:会社員
出身:新潟県

新潟移住計画や、写真ユニット「てんてこまい」としても活動中。
丁寧な暮らしを心がけています。
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秋田を身近に感じる〜食と芸能と秋田犬〜

こんにちは!
初めましての方は初めまして、
度々、ふたりごと文庫に記事を寄稿させて頂いている田中絢子と申します。

前の記事を振り返ってみると、私の生まれは栃木県なのですが、
進学の関係で今は秋田に住んでいます。

そこで!

今回は、5月25、26、27日に秋田市中心部で行われた
「これが秋田だ!食と芸能大祭典2018」の様子をお届けしたいと思います!

この記事を読んでいただければ、きっと秋田に行きたくなること間違いないと思います!(笑)

そんなわけで、最後までお付き合いください!

 

イベントの様子

 

さて、「これが秋田だ!食と芸能大祭典」ですが、
私が行った26日と27日の2日間、凄い人・人・人でした!

会場は、秋田駅から秋田県立美術館やにぎわい交流館AUなどが集まる、
‟エリアなかいち”と呼ばれる範囲で行われました。

普段は休日であっても静かな通りなのですが、
この時はどこから来たのか高校生や家族や色んな人が行き交っていました。

 

 

このイベントは、会場となるエリアごとにテーマが異なり、
食と伝統芸能やクラフト市とストリートパフォーマンスなど
様々、色が出ていて華やかなんです!

 

秋田のうまいもの

 

そして、何と言ってもこのイベントは
秋田県の各地から秋田のうまいものが集結しているわけで!
私も2日間で、たくさん秋田のうまいものを食べまくりました(笑)

それを少しご紹介しますね!

 

まず、秋田に来たらこれは食べておきたい定番のうまいものと言えば!
そう!ババヘラアイスです!!

 

 

主に夏に見かけることが多いですが、
雪がない期間に至るところでババヘラを売っています。
味はピンク色がイチゴ味、黄色がバナナ味となっています。

会場にはこれ以外にも、青色のババヘラアイスが売っておりました!
味はソーダと、もう一つは忘れちゃいました……が、
秋田に来れば食べられますので夏はぜひ、ババヘラアイスを買ってみてはいかがでしょうか?

 

あともう一つ、忘れてはいけない秋田の定番のうまいもの……
それは、味噌たんぽです!!

炊いたご飯を練ったものを棒に巻きつけて味噌タレをつける。
これは最高に手軽で美味しい一品です!

 

 

味噌たんぽは、私が確認した限り、出店しているお店の中で3店舗が出していました。
もちろん、3店舗全て制覇しました(笑)

ぜひ、この2つは秋田に来たら食べていただきたい秋田のうまいものです!

 

秋田の祭りと秋田犬

 

先ほどは秋田のうまいものをご紹介しましたが、
ババヘラや味噌たんぽを片手に鑑賞していただきたいのがこちら!

秋田の伝統芸能です!!

 

 

 

結構な数の人がいたので、後ろからの写真で申し訳ないのですが、
秋田市の夏の風物詩である「秋田竿燈まつり」を始め、
秋田県各地から伝統芸能のパレードが開かれました。

ここで見られるお祭りのほとんどは7月〜9月に開催されるので、
気になる方は秋田のうまいものと一緒にお楽しみください!

 
 

さてもう一つ、ここ最近、何かと話題になっている子をご紹介したいと思います。

それは……、そう!秋田犬です!!

 

 

秋田に来たら一度は会いたいものですよね〜。

そんな皆様に朗報です!
「会える秋田犬」として秋田駅に「秋田犬サテライトステーション」、
秋田市にあるエリアなかいちに「秋田犬ステーション」を開設したそうです!

実は私も、このイベントに行くまで知りませんでした。

 

日本だけでなく世界的にも注目されている秋田犬ですが、実は多くの課題を抱えており、
保存・保護を目的に「ONE FOR AKITAプロジェクト」と呼ばれる
秋田犬保存会公認の団体が様々な活動をしています。

もふもふで愛らしい秋田犬ですが、
その裏では秋田犬の現状を知ってもらおうと活動している人たちがいることを忘れてはいけません。

そして、私たちもできことは少ないかもしれませんが、
少しでも秋田犬の未来が良くなるよう応援・支援できることはあるはずです。

皆さんも秋田に来たら、ぜひ一度、秋田犬に会いに来てくださいね!

 

 

最後は秋田犬の後ろ姿でお別れです(笑)

それでは、最後まで記事を読んでくださった皆様、ありがとうございました!
秋田にお越しの際は、ぜひ、うまいものに祭りに秋田犬と楽しんでいってください!!

それではまた!

名前:田中絢子
職種:大学院生
出身:栃木県

漆という素材を使って、漆器やオブジェ、アクセサリーに至るまで幅広く作品を制作。工芸と若者がつながる場所を作るため研究中。
Facebookアカウントはこちら

地域の偉人が描いたご当地浴衣「蕗谷虹児浴衣プロジェクト」

没後25年経った現在でも待望論の根強い政界の怪物「田中角栄」生誕の地、
新潟県刈羽郡(かりわぐん)西山町(旧 二田村)で生まれた私が、ひょんなことから、
縁も所縁もないこの月岡の地、月岡温泉 摩周にやってきたのは10年前。

正直に言えば、それまで月岡温泉のことは聞いたことがある程度でほとんど知りませんでしたが、
今ではその地でさまざまな活動をさせていただいているのは、改めて考えると不思議な感覚です。

月岡温泉

 

月岡温泉は、大正4年に石油採掘目的で掘られた井戸から噴出した温泉で、
2014年に開湯100年を迎えた温泉です。


 

 

『硫黄成分濃度の高さで知られ、その含有量は群馬県の万座温泉に次ぐ日本で2番目の含有量を誇り、
しかも硫黄泉としては珍しい弱アルカリ性であり、湯上りはしっとりスベスベのお肌になれる、肌に優しい硫黄泉として多くの女性から親しまれてきました。』

……と言うのは、近年の謳い文句で、全国各地の温泉街と同じく、
高度経済成長期に「歓楽街」として発展した温泉地です。

当時は芸妓さんの数も150名を超え、
各所で毎夜のように大宴会が繰り広げられたと聞きます。

1980年代バブル期にかけて、市場のニーズ(団体バス旅行)に応えるように宿泊施設が大型化。
それに伴い、土産品や遊戯場など街が持っていた機能や役割を宿泊施設内に組み込む動きが各地で進みました。

これはホテル旅館が利益とお客様の満足を追求する為に行ったことで、
徐々にホテル旅館内で温泉街での歓楽を完結出来るようになって行きました。

その動きは温泉街の各店舗に大きな打撃となり、多くのお店は縮小や廃業を余儀なくされ、温泉街は賑わいを失い疲弊してきました。
ただそれは、市場のニーズに応え満足度を向上させるという営業活動においては、
正しい行為だったのだと思います。

 

 

しかし、時代のニーズは恐ろしいほど早く変化します。
その、ホテル旅館を潤し、結果的に街を疲弊させた「団体バス旅行」が激減し始めます。
嗜好やライフスタイルの変化によって、旅行形態は「個人型旅行」へ一気に変わりました。

個人旅行と団体旅行との大きな違いは、個人に行き先の選択権があることです。
誰かが決めた場所へ行くのではなく、自身が決めた好きな場所に行くということです。
旅館の中だけで、間接的に決められたコトを楽しむのではなく、自身の感性や嗜好で、近くの町や周辺のさまざまなモノやコトを感じたい方が増えたわけです。

多くの温泉地にとって、それは正に悲劇です。
ニーズに合わせて宿を大型化し、結果、街も疲弊させてしまったにも関わらず、
短期間でお客様達の価値観が激変してしまい、逆に宿周辺の温泉街を楽しみたいというニーズの方が上回ってしまった形です。

 

しかし、温泉街には何もありません。
何故なら旅館が役割を吸い上げてしまっているからです。

これはお客様にとっても、悲劇なのかも知れません。
この出来事は、月岡温泉だけでなく、日本全国の温泉街で同時多発的におこりました。
そして、市場のニーズに応えられなくなった旅館は激減。月岡温泉でも40軒以上あった旅館の数は、20年で13件となりました。

 

賑わいを取り戻すために

 

全国各地の温泉街では賑わいを取り戻す為、さまざまな取り組みが行われています。
効果があることも、無いことも当然ありますが、そこにはどのような違いがあるのか……

その中で私が至った1つの答え、それが「役割の再分配」が行なわれているかどうかです。

 

 

地域が疲弊した最も大きな原因の1つが、先程の旅館への一極集中です。
それは、全ての役割を旅館が持ち、そこから溢れるものを温泉街が享受するような構造です。

これは右肩上がりの市場であれば成り立つモデルですが、現在の社会状況には即しません。
さらに、多様化する消費ニーズに応えられる構造でもありません。

その市場の急激な変化に対応出来ずに淘汰が進んだと考えられます。
その為、その役割の一つ一つを温泉街に還し、地域としてのお客様の流れやモデルを作り直すような取組みの必要性を感じました。

そして、その地域が持つ多様性こそが、これからさらに加速するであろう時代の変化にも対応し得る底力のように思います。
賑わいの創造には、役割の持ち方の変化によって失われた「多様性」を取り戻すことが先決なのだと考えました。

 

幸いにも月岡温泉では、若手旅館経営者の方達のグループが、
町興しとしてお土産物屋さんなどの店舗を何店かオープンされていましたので、
その「点」を繋ぐ「線」を引くような動きを行なうことで、相乗効果が得られると思いました。

 

蕗谷虹児との出会い

 

蕗谷虹児(ふきやこうじ)は、月岡温泉のある新発田市で生まれた叙情画家で、
晩年の代表作『花嫁』は、郵便局の「ふるさと切手」にもなり日本一の販売枚数を記録しました。

結婚式の案内状などでご覧になられたことのある方も多いのではないでしょうか。
その他にも、作詞家、挿絵画家など、その活動は多岐に亘り、日本アニメーションの祖とも言われ、手塚治虫や宮崎駿にも影響を与えたと言われています。


 

 

 

 
 

私は月岡温泉へ移り住み、旅館で働く為に、近くの観光地を色々調べました。
その中で「蕗谷虹児記念館」の存在を知りました。それが私と蕗谷虹児との出会いでした。

最初は、この地域出身のそういう方がいるという程度の認識でしかありませんでしたが、
実際に記念館を訪れて見た時に、その印象がまるで変わりました。
繊細に書き込まれたペン画や、色鮮やかな童話の挿絵、パリ時代に描かれたモダンな絵画など、作品の数々。

そして、何度目かに訪れた際に、記念館の長谷川館長直々にさまざまなご説明をいただき、その魅力に引き込まれました。

「こんな素晴らしい観光リソースがあるのに、世の中にあまり知られていないのは勿体無い」と思い、
それからは、何かそれを発信する方法や、感じていただく術がないか、いつも考えていました。

温泉旅館や温泉街、そして蕗谷虹児の共通点は何か……

そのポイントが分かれば、そこを起点に広がりのある取り組みが出来るのではないかと考え、長谷川館長と意見交換をさせていただいていた時に
「以前こんなものを作ったことがある」と言って、ある浴衣を見せていただきました。

それは、虹児が描いた作品の中の柄を復元した浴衣でした。

 

「これだ!」と思いました。

多くの旅館では、館内を浴衣で過ごします。
その浴衣を虹児が描いた柄で作り、それを着て温泉街の街歩きをしてもらったら面白いのではないかと考えました。

 

その地域の偉人が描いた柄やデザインのご当地浴衣を着て、その地域を散策する。
正にその地域でしか出来ない体験であると同時に、温泉街に新しく出来始めた店舗(点)を繋ぐ「線」の役割になるのではないかと思いました。

そして、蕗谷虹児浴衣プロジェクトをスタートさせました。

 

こだわりぬいた蕗谷虹児浴衣

 

まずは、虹児の柄(作品)の使用許可をいただくところから始めました。

蕗谷虹児の作品は、ご子息の蕗谷龍夫さんが使用権をお持ちになられていると伺いしましたので、直接お電話をさせていただきました。

龍夫さんは、お父様の作品をとても大切にされておられますので、色々なグッズなどへの作品の使用にはシビアな方と伺っていました。
どんなお返事をいただけるのか非常に不安でしたが、

温泉街や地域に元気を取り戻したいこと、虹児の素晴らしい作品をもっともっと沢山の方に感じていただきたいことなど、私の思いを説明させていただいたところ

「そういうことであれば。」と、快くご了承いただきました。
また、長谷川館長の計らいで直接お会いさせていただいた際にも「頑張ってくださいね。」と励ましのお言葉もいただけ、とても感激したことを思い出します。

 

 

現在、旅館で使われているほとんどの浴衣は、
メーカーさんが作ったデザインをプリントして作る量産型の物がほとんどです。
基本的には、夏が近くになると量販店さんなどで売られているような廉価型の浴衣と同じです。

しかし、虹児が描いたものは「芸術」ですので、チープな物を作っては虹児にも龍夫さんにも失礼だと考えていました。

そこで、虹児が多くの作品を残した大正時代や戦前までに実際に日本で使われていた製造方法で浴衣を作成することで、
より上質な仕上がりとなり、それを着られる方が、その地域らしさだけではなく、
日本の和装文化も感じていただけると考え「本物」を作ることにしました。

 

私は浴衣に関しては完全に素人でしたので、
着物屋さんからさまざまなアドバイスをいただきながら進めました。

そして、どんな物が良いのかを検討している中で「注染(ちゅうせん)」と言う染技法が、大正時代には一般的に使われていたことを教えていただきました。
しかし、プリント技術の発達と共に、手で染める「注染」は使われなくなってしまい、
現在ではその技法で反物を作れる所は、全国で3軒しかないことも分かりました。

 

当然、それが出来る職人さんも少なく、希少価値が高いこと。
しかし、仕上がりは抜群に良いことも教えていただきました。
そして、ここまで拘るのなら……という事で、仕立も当時のやり方、
つまり、手縫いで仕上げることにしました。

 

結果的には、浴衣1枚あたり6~8万円程の制作費がかかることになりましたが、
それでも本物を作ることに意味があると考え、その流れは変えませんでした。

その結果、職人さんのおかげで、柄はプリント仕上げとは全く異なり、
少しだけ縁がにじむような線の柔らかさ、そしてミシンではなく手縫仕上げならではの着心地の優しさ、
人のぬくもりがこもった素晴らしい浴衣が完成し、多くのお客様に喜んでいただくことが出来ました。


 

 

作成した柄は「梅」「孔雀」「葡萄」「創作花」と全部で4種類。

これは、プロジェクトにご協力いただいた皆さんにご意見をいただきながら、決定しました。
虹児らしさが伝わること、さまざまな好みの方に合わせられるよう、
色合いなどが被らないこと、最近の流行などなど、さまざまな観点から選定しました。

龍夫さんからは「どれも良いね。中でも孔雀が一番親父らしい。」との言葉もいただきました。
アーティストである虹児の多種多様な柄はどれも捨てがたく、
その中からの選定はとても厳しいことでしたが、
もっとこの取り組みを広げていく前提で「まずは」と言うことで4種類に絞りました。


 
 
 

地域活性化とお金のこと

 

このプロジェクト、温泉街の活性化の取組みには、本当に沢山の方にご協力をいただきました。
その中で忘れてはいけないことが、「お金」のことです。

活性化とは経済的側面が多く、きれいごとだけでは行えないのが現実です。
昨今では、補助金や助成金頼みの事業が非常に多いですが、初動のコストよりも継続的な熱量の方が町興しには重要だと考えていましたので、補助金などに頼らない運営の実現を目指しました。


 

 

このプロジェクトは、旅館を訪れた方々が浴衣で温泉街の街歩きをしてもらい、
賑わいが生まれると同時に、お土産を買っていただいたり、飲食をしてもらう事でお金の流れが生まれ、街が元気になるというモデルです。

ですので、この浴衣を着ていただいた方には各店舗で使える500円分の金券を差し上げると言う、消費の呼び水になる仕掛けも作りました。
その金券が使える店舗という事で、約40店舗の皆さんにご参画いただきました。

 

しかし、店舗さんに500円の割引を強要してしまっては、お金の流れが淀んでしまいますし、何より負担が大きくなります。
そこで、その金券の原資は、お客様からの浴衣のレンタル代から賄うことにしました。

ただ、レンタル代が高くなってしまっては、着ていただけない可能性が高まり本末転倒ですので、
レンタル料は、旅館の一般的な色浴衣(貸浴衣)の相場に合わせて1000円としました。
その中から500円を温泉街での消費に当てる形です。

 

 

そして、その中からさらにクリーニング代も捻出します……が、
特別な作り方をしていますので、普通にクリーニング店さんに願いすると1枚1500円はしてしまいます。
しかし、地元をこよなく愛する熱いクリーニング店「三栄ドライ」の井澤社長のご協力で1枚500円で、クリーニングをしていただくことが出来ました。
本当にありがたいお声がけでした。

そのお礼として、三栄ドライさんの常連のお客様向けに摩周の入浴券を発行させていただく事で、ボランティアではなく経済としての活動であることを担保しました。

ボランティアも良いですし、ありがたいのですが、
一方通行であるボランティアには継続性がありません。近い将来必ず破綻します。
ですので、双方にメリットがある形をとらなければなりません。

そのおかげで運営自体は廻すことが出来ますが、このプロジェクトをすることで、
摩周(自社)には金銭的なメリットは何も無いことになります。

しかも、浴衣の作成費も自己負担になってします。
それはそれで、街が元気になってくれれば良い、という考え方もありますが、
営利団体である以上、その本懐を逸脱してしまうと結果が伴わないことが良くあります。

ボランティアなど非営利の役割もあれば、営利の役割も当然あります。
そこのすみ分けは非常に重要だと考えていました。

 

そこで、このプロジェクトをクラウドファンディングに公開して、金銭的な支援も募りました。共感による資金援助です。
その結果、作成費全額とは行きませんでしたが、大変多くの方から応援をいただき、
約60万円をご支援いただくことが出来ました。


https://zenmono.jp/projects/67
 

そして、この地域の偉人の作品を使って、
地域の皆が取組んだ一つの地域振興のモデルとして、それをプレスリリースしました。

このあたりは少しテクニカルな部分でもあるのですが、読売新聞、毎日新聞、観光経済新聞、新潟日報、トラベルニュース、和装専門誌「七緒」など、
各種メディアへ掲載していただきました。
これを広告費換算すると、恐らく数百万にはなると思います。

 

地域活性化とは、極論を言えばお金の流れを作ることです。
もちろん、想いや情熱が大前提ですが、そのどちらかが欠けても成り立たないのは事実です。

月岡温泉のこれから

 

月岡温泉周辺は、素敵なモノやコトに溢れています。

それらを観光リソースとして発信する仕組みをつくることで、
より沢山の方がこの地域を訪れていただけるように努めて行きたいと考えています。

これは、観光地としてお客様に喜んでいただけるだけでなく、
地元の子供達が観光客の皆さんを通して、自分の故郷に興味をもってくれたり、
郷土愛を育んでもらうことに繋がると思いますし、そうなることを願っています。

それこそが本質的には地域活性化の一番の継続性の肝であり、
本当の意味での地域振興なのだと思います。

月岡温泉 摩周

〒959-2338 新潟県新発田市月岡温泉
TEL 0254-32-2131 FAX0254-32-2230
HP:https://www.masyuu.co.jp/
 
全国2位の硫黄含有量を誇り、硫黄とアルカリが「美と健康」もたらします。
4つの露天風呂、2つの貸切風呂、すべて一切加水を行わず源泉100%です。

平成26年新設の「月美の湯」

名前:庭山忠(にわやまただし)
職種:温泉旅館 支配人
出身:新潟県柏崎市(旧西山町)

ふと気づいたら40代に突入していましたが、人生の中で一番エネルギッシュなのは「今」だと実感しています。
これからも、もっともっと色々なことにチャレンジをして、最後の瞬間が一番充実している人生を送りたいと企んでいます。
近年は、地域振興の取組みを積極的に行なっています。

平成30年度「伝統的工芸品産業支援補助金」で採択をされました

経済産業省が公募を行っていた、各産地における伝統的工芸品の原材料確保対策事業、
若手後継者の創出育成事業のほか、観光業など異分野や他産地との連携事業、
国内外の大消費地等での需要開拓などに対しての支援と、
伝統的工芸品産業の振興を図ることを目的とした『伝統的工芸品産業支援補助金』で、
株式会社ファストコム(ニッポン手仕事図鑑)のプロジェクトが採択されました。

ニッポン手仕事図鑑は、長野県の伝統工芸品
『南木曽ろくろ細工、信州紬、木曽漆器、飯山仏壇、内山紙、信州打刃物、松本家具』
の7品目において、支援プロジェクトを行う予定です。

また、今回の支援プロジェクトについて、
地元の日本経済新聞様に取材、掲載頂きました。

【経済産業省 採択結果ページ】
http://www.meti.go.jp/information/publicoffer/saitaku/2018/s180417001.html

専門誌『ビデオSALON』に掲載されました

映像制作のための情報マガジン『ビデオSALON』(出版社:玄光社)の
2018年6月号に、ニッポン手仕事図鑑が掲載されました。

今月の話題のコーナ、
『日本の手仕事と職人の声を動画に残す ニッポン手仕事図鑑』をレポート
として、全4ページにわたり、ニッポン手仕事図鑑の立ち上げの経緯や、
映像制作に関する思いなどを取り上げていただきました。

専門誌『ビデオSALON』に掲載されました

【ビデオ SALON (サロン) 2018年 6月号】
ビデオ SALON (サロン) 2018年 6月号
出版社: 玄光社 (2018/5/19)

徳島県立名西高校で製硯師 青栁氏と特別講座を開講

徳島県立名西高校の書道科にて、
製硯師 青栁貴史さんと、ニッポン手仕事図鑑編集長 大牧圭吾が特別講座を開講。

授業では、硯の造形の話や、
青栁貴史さんが考える「硯」の話のほか、
青柳さんが普段持っている書道具、硯板の試し磨りや試し書きなど、
編集長の話にも熱心に耳を傾け、
質疑応答でも、積極的に発言がありました。

この特別授業は、徳島県立名西高校の書道科の
勉強熱心な生徒のみなさんからの申し出で、講座を開催することができました。

■授業の様子

「こいのぼり」特集 ー子供たちの夢をのせて。

ゴールデンウィークは楽しめましたでしょうか。
5月5日の端午の節句、日本各地では大空高く「こいのぼり」があがっていましたね。

今回、「こいのぼり特集」と題して
三名の方に記事を書いていただきました。

こいのぼりって奥が深い。
今も昔も、子どもたちの夢をのせて大空をたくましく泳いでいるんですね。

 

職人の手仕事と、市民の想いが大空を泳ぐ―埼玉県加須市のジャンボこいのぼり

竹内亮裕
 

 

埼玉県加須市はこいのぼりの生産量日本一!知らなかったです。
執筆者の竹内さんは、小さい頃に見たジャンボこいのぼりに衝撃を受けたことが原体験となり
「こいのぼりマン」というキャラクターまでつくってしまったそう。

 
そして、現在フランス在住ということで、
ふたりごと文庫史上初の海外からの寄稿となりました(笑)

 
 

子どもたちの夢を、こいのぼりに乗せて。―スイミープロジェクト

栗須哲秀
 

 

スイミーって覚えていますか?小学校二年生の国語の授業で習う、あれです。
執筆者の栗須さんは、そのスイミーを通して、全国、いや全世界の子供たちに夢を与えています。

 
まさにスイミーのごとく、小さな子供たちの夢が連なり
大きな大きなスイミーこいのぼりが空を舞います。
力を合わせて作り上げる様子そのものにも勇気をもらえますね。

 
 

【こいのぼり特集】鯉のぼりの川渡し―四万十町十和

浦島 卓也
 

 

高知県四万十町の十和は、鯉のぼりの川渡し発祥の地!
その名の通り、何匹も連なった鯉のぼりを川に“なんとかして”渡したのだそう。
以前の鯉のぼりの渡し方が何とも面白い。

 
執筆者の浦島さんは、四万十の地域おこし協力隊。
地域を愛しているのが良く伝わってきて、幸せな気持ちになりました。

人の心に余白をつくる ―人生を変えた一冊書店 村松徳馬

はじめまして。

 

日本をふらふら漂っている村松徳馬と申します。

このたび、ご縁があり「ふたりごと文庫」さんに
寄稿させていただくこととなりました。

自己紹介というのは、考えれば考えるほどに難しいもので、
なにを書こうか迷ってしまうのですが、

・いまやっていること
・これまでのこと
・これからやっていくこと

という構成で書かせていただきます。

 

いまやっていること

 

いまはおもに「人生を変えた一冊書店」という
だれかの人生を変えた一冊を扱う本屋をしています。


 
 

仕組みは、ウェブ上でだれかの人生を変えた一冊とその人の人生を記事にして紹介、
たまにポップアップショップ形式で色んな場所に出店するというものです。

今年の一月から始めたので、まだまだ知名度も収益もない状態ですが、
じわじわと取り組んでいこうと思っています。

他には、Rear Projectというゴミのポイ捨て問題を
根本から解決する組織の広報をやらせてもらっていたり、
伝統工芸品を海外に販売するサイトのマーケティングにも携わったりしています。

あとは、現在熱海に「トドブックス」という本屋を作っています。


 

8月か9月にオープン予定。

ちなみに学生で、18歳です。基本的に日本のどこかにいます。

 

これまでのこと

 

札幌生まれ札幌育ち。

高校1年生のときにひたらすら本を読んで、勉強して、青春も満喫した結果、
日本の学校教育の腐り具合に嫌気がさして、
海外の大学に飛び級する予定で高校を辞めました。

 

退学後すぐに、英語を身に着けるために語学留学。

留学中に、日本のことを知らなすぎる自分を知り、帰国後日本一周に。


 

はじめてのひとり旅は、ぼくに旅の面白さと、魅力的な日本を教えてくれました。

そのあとも海外もふらふらしたのですが、
結局日本が大好きになってしまい、日本の大学に昨年飛び入学。

大学がオンラインなこともあり、好き勝手に日本をふらふらしています。

 

現代社会の大量消費的なあり方が好きになれず、
もっと美しいお金とモノの使い方をしたいなぁと旅を通して思い
(美しいの定義は人によって違うので難しいところ)、

色んな手段を使って「人の心と地球を豊かにしよう」と決意しました。

そして、最初にはじめたのが本屋。


 
 

なぜ本屋なのかというと、本屋って人の心に余白をつくれるなって思ったから。

人は、選択肢が増えると心に余裕が生まれる。

“これしかない”と”これじゃなくてもあれもある”
という環境の場合、後者の方が気持ちが楽。

だから本を通して色んな選択肢を知ったら、
心は少しだけ豊かになるのではないかと。

 

そして心が豊かになったら人にやさしくできる。

人にやさしくできるようになったら、
地球にも身の回りの環境にも気を配れるようになるので、
ちょっぴり世界は平和になるのではないか、なんて仮説を立てました。

 

他にやっていることも、自分の信念にそれなりに基づいています。

 

これからやること

 

これからは熱海の本屋にちからを入れていきたいです。旅もしつつ。

「なぜ、熱海なのか」について話すと長くなってしまうのですが、理由は単なる一目惚れ。

日本を一周して、一番好きだなぁと感じた場所が熱海でした。


 

ぼくは熱海のことをよく
「新宿の歌舞伎町に透明感を注ぎ込んだような街」と表現します。

歓楽街だったこともあり、風俗店やスナックが立ち並んでいるのですが、
なぜか空気はよどんでおらず、むしろすがすがしい空気感です。

海と山のあいだにあり、温泉もある。都心からのアクセスも良好。


 

知れば知るほど熱海のカオス感だったり、ポテンシャルの高さに魅了されました。

だから「この街に住みたい、この街でなにかしたい!」と思いました。

 

旅をして、誰かのつくった場に行くということをしていた2年間。

場をもち、場に来てくれることのすごさを体感していました。

自分のつくった場に色んなところから人がわざわざ来てくれるってすごいことだなぁと。

移動する生活にもそろそろ疲れてきたので、
拠点兼だれかが来てくれる場所を試しにつくってみようと思い立ちました。

 

色んな思惑はありますが、人の心に余白をつくるという想いは変わらず、
熱海という街の特徴も生かしつつ人の心に余白だったり、
問いをつくれる場所をつくっていきます。

 

名前:村松徳馬(18)
職種:学生
出身:札幌

湖北の暮らしを紡ぐ仕事―湖北の暮らし案内所どんどん


 
 

自己紹介

 
 

はじめまして。人と人をつなぐ仕事がしたくて、長年働いていたアパレル業界から、
地元・滋賀のまちづくり会社に転職したミカミです。

今は、会社が運営する「湖北の暮らし案内所どんどん」(以下:どんどん) の
カフェ兼シェアスペースの運営・企画の担当をしています。

今回、ひょんなご縁でふたりごと文庫への記事寄稿させていただくことになりました。
せっかくの機会なので、私が働いている「どんどん」とはどんな場所なのかをいちスタッフ目線から綴ってみようと思います。

長くなるかもですが、どうぞよろしくです。

 
 

長浜というまちってどんな街?

 
 

 
 

滋賀県の北東部、「湖北」よばれるエリアに長浜市があります。
長浜は、戦国武将の羽柴秀吉がつくった長浜城を中心に発展した城下町。

江戸時代には、京阪神と北陸を結ぶ北国街道の宿場として栄えたまちです。
駅から降りて少し歩いたところに「黒壁スクエア」と呼ばれる趣のあるまち並みがあり、
観光地として賑わっています。

 
 

歴史あるお店や看板が今も残っていて、
まちを散歩するだけでもいろんなものに出会うことができます。


 

また、長浜のまちの至る所に水路が張り巡らされているのもこのまちの特徴です。


 

そして、駅を挟んで観光地エリアの反対側にでると、
歩いて10分くらいで、びわ湖が見えるのもと魅力的。


 

ゆっくりびわ湖を眺めたり、湖岸でアウトドアを楽しんだり。
長浜は、豊かな自然と歴史あるまちなみの両方堪能できるまちなのです。

 
 

湖北の暮らし案内所どんどんという場所

 
 

 
 

歴史と自然のあるまち長浜の観光エリアから少し離れ、
うっかり見逃してしまいそうな路地を抜けた先に、
まるでおとぎ話の世界にタイムトリップしたような空間があります。
少々不安になるくらい細長い路地を抜けると・・・


 

裏路地に流れる米川のほとり、「どんどん橋」のたもとに
「湖北の暮らし案内所どんどん」(以下:どんどん)があります。

湖北のプレイヤーたちが集う「拠点」となるよう、築80年の長屋を改装した、
キッチン・イベント・コワーキングの3つを備えた誰でも気軽に利用できる喫茶兼シェアスペースです。

 

あえて少し離れた場所に「拠点」をつくった理由は、またまだ家賃が高水準の観光地エリアでは、
今の若者が何かを挑戦するには、ハードルが高いというのがひとつ。

湖北の暮らしそのものを楽しむ若い世代が、身の丈に合った挑戦ができる場所を裏通りから盛り上げていきたいという理由があります。
そして、拠点をつくるなら、民衆の暮らしが詰まった米川沿いのこの長屋しかないという強い思いがあったからです。

暮らしや環境、働き方を考える人たちが行き交い、ここから生まれる新しいアイデアや楽しみがどんどん広がっていく
そんな「思いが繋がる場所」になることを願って2016年4月にオープンしました。

 
 

どんどんをつくった立役者たち

 
 

(なんでこんなに笑ってるのか今ではわからないけど、お気に入り写真)

このプロジェクトのキーマンとなったのが、長浜の家並みや自然との暮らしに魅せられ、関東から移住した、
どんどんの店長・タケムラ(右)さんと、現在どんどんの店舗内にある設計事務所MAFIS-designの代表、湖北出身の佐野さん(左)。

 

湖北の暮らしを楽しむ人々や県外からの訪れた人々が交流できる「場」をつくりたいという思いで、
どんどんを実現したすごいひとたちです。
この2人が湖北の地で出会い、タッグを組んだのが、どんどんプロジェクトのはじまりでした。

 
 

わたしがどんどんで働き始めたのは

 
 

 
 

わたしが、ここで働きだしたのは、どんどんがオープンして半年くらい経ったあと。

もともと服飾専門学校を経て、アパレル企業に勤めて都会を転々としていた頃、2011年の東日本大震災を東京で経験。
そのあたりから、地元・滋賀に関心を持ちはじめ、これからは暮らしたい場所で、人と人を繋ぐ仕事をしたいと思っていたら、
運良くご縁をいただき、どんどんで働くようになりました。

 
 

(どんどんで開催されているイベントや訪れてくれた方々)

どんどんの主な仕事は、喫茶運営やイベント企画、施設利用者さんのサポートや、
湖北の暮らし・イベント情報の発信、町家再生バンク、取材、グッズ製作など・・・とにかくいろいろ。

 

 

湖北で働く日々

 
 

 

お店に訪ねてきてくれる方々は、近所の方や同世代のプレイヤー、県外からどんどんに興味を持ってくれた方、
移住された方、移住を検討している方、期間限定でカフェ営業をしてみたいという挑戦者など年代もさまざま。
何かチャレンジしたいと思っている方のお話や、お手伝いをするのは、こちらもワクワクして、やる気をいただくこともしばしば。

「どんどんに来たら何かに出会える気がして」

最近ではそう言って、湖北の若いプレイヤーが立ち寄ってくれることが増えました。
近所に新しいお店も少しずつ増え、周辺が素敵に賑わい、じわじわアップグレードしているのを感じると、とても嬉しくなります。

 

(どんどんの近所のお店。他にもまだまだたくさん素敵なお店があります。これから革小物のアトリエも増える予定です!)

 

 

湖北のハブ・実態のあるメディアになっていくために、できること

 
 

 
 

今後の活動は、湖北の暮らしを発信しつつ、長浜のまちあるきや、伊吹山ナイトハイクなどのイベントを開催しながら、
積極的に市外、県外のコミュニティにも出会いにいこうと話しています。
もっといろんなエリアの方とも交流をしていきたい。そして、どんどんの扉をドンドンとたたいて欲しいと思っています。

どんどんは観光案内所ではないけれど、湖北の「暮らし案内所」として、
何気ない湖北の暮らしをギュッと凝縮した実態のあるメディアになっていけたら、と。


 
 

働き出して約1年半。滋賀が面白くなれば良いなぁとなんとなく思っていた数年前とは違い、いまはそれがやれる環境にいる。
わたし自身もスタッフとして、人と人を繋ぐパイプ役になれるよう、活動の幅を広げてパワーアップしていきます。

どんどんは湖北だけに限らず、滋賀の暮らしをもっと面白くするための大事な「場」だと思うので、
丁寧に5年先、10年先の未来を紡いでいけたらなぁ。

 
 

この記事を読んでくださりありがとうございました。
「ひとりごと」のように綴りましたが、もし少しでもほうほう!と関心もっていただけたなら、
どんどんに遊びにきてくださいね。

湖北の暮らし案内所どんどん

HP/http://dondonbashi.com/
住所/〒526-0059 滋賀県長浜市元浜町15-10
TEL/0749-43-2532
10時~18時(定休日:水曜・第3木曜)

 
 

名前:ミカミ ユキ
職種:キュレーター
出身:滋賀県 東近江市

探検感覚でどんどんを探しに遊びに来てくださいね〜

人生をオモシロク。 ―FirstStep 糸畑舞優

皆さん、こんにちは!

「FirstStep」という学生向けイベントを主催している糸畑舞優と申します。
北海道函館市出身で、現在は上智大学に通う3年生です!

東京に住み始め早くも3年目に突入。ようやく訛りが出ないようになってきました!

今回は①何をしているヒトなのか②きっかけ③想いの3つに分けて
書いていこうと思います!

 
 

①何してるヒトなの?

 
FirstStepというイベントを主催しています!!
 

 

FirstStepとは…
「オモシロク」生きている方を登壇者としてお呼びし、
活動しているが何か満たされない、どこか不安を抱えている、長期的なゴールが無い学生に
未来に向かって自分なりの勇気ある一歩を踏み出せるキッカケを提供するイベントです。

私たちは「オモシロク生きる人」を
自分の決めた選択に自信と誇りを持って生きている人と定義しています。

イベント内容としては、登壇者と代表学生によるパネルディスカッション、
参加者と登壇者による質疑応答、
自分と向き合うワーク、少人数の座談会を行なっています。過去250名の学生が参加。
大手企業で働いたのち、転職&起業した社会人の方々にご登壇していただきました!

 

②きっかけ

 

私は、大学1年生の頃から活発に動いていたわけではありません。
大学1年生の頃はテニサーに入り、テニスと遊び、バイトに全て捧げていました。

しかし、大学一年生も終盤になった頃、ふと将来のことを考えた時、
遊んでばかりいる自分に焦りと不安が押し寄せてきました。

「このまま4年間、こんな生活してて後悔しないかな?」と自問した時に出た答えは、「NO!」。
実は過去に、やらずに後悔した経験がありました。また同じ後悔はしたくない!という思いから、
毎日大学生活を共に過ごしていたサークルを辞め、大学外に出ることを決意。

そこで出会ったのが、私が現在運営している「FirstStep」の生みの親でした。

「ああ、なんでこの人こんなに楽しそうなんだろう?私もこんな輝いている人になりたい!」
と、気づいた時には同じ組織で活動していました!

 

③私の想い

 

私は2つの想いでこの活動をしています。

1つは、「同じ立場にいる学生の力になりたい」ということ。
将来のことが不安なのに、誰にも相談できないって想像以上に辛いんですよね。
周りの友達に言ったら「意識高い」って思われるんじゃないか?とか、
大人って誰に相談すればいいんだろう?とか。

そんな想いがある人に是非「FirstStep」に来てほしいです。
イベント行くのには抵抗あるなって方はカフェとかでお話しましょう!

2つ目は、「自分で自分の人生を描いてほしい」ということ。
“なんとなく就活して、内定もらったところで働く。”
“大学生から見る社会人=仕事が辛いのイメージ”を変えたい。

「学生の頃は楽しかったな~」ではなく、
「学生も楽しかったけど、社会人も楽しい!」と言ってほしい。
なぜなら、実際に仕事を楽しんでいる方は沢山いるから。

その方達の共通点は、自分で自分の人生を描いているということ。
そこで大切なのは、自分について知っておく事です。

だからこそ自分のキャリアと向き合うきっかけをつくりたい。
この想いが「FirstStep」に詰まっています!
 

 

最後に!

【人生をオモシロクしたいという大学生へ】


 

①是非FirstStepへお越しください!
お申し込み方法:
twitter→@fs_daiippo
facebook→FirstStep

②1対1で相談乗ります!
Twitter→@m_hinitijyouまでDMください!

 
 

【共感してくださる社会人の方へ】
①FirstStepにご協力してくださる方募集中です!ex)登壇、会場、協賛

twitter→@fs_daiippo@m_hinitijyou
facebook→FirstStepまでご連絡お願い致します!

名前:糸畑舞優(いとはた まゆ)
職種:学生(上智大学3年)
出身:北海道函館市出身

FirstStep第1回参加者。第3回より運営に携わり、次回5/25に第8回、5/27に第9回を開催予定。
趣味は旅行。長期休みは必ず海外へ!
twitter→@fs_daiippo@m_hinitijyou

秋田県立十和田高等学校『ふるさと教育』で講師を務めます

秋田県立十和田高等学校で行われる「ふるさと教育」で、
講師を務めることになりました。

十和田高校ではキャリア教育の一環として「ふるさと教育」を2・3年生で実施し、
産業と文化の領域ごとに分かれグループ活動を行います。

講義では、
・どんな情報を発信すれば、鹿角市に興味を持ってもらえるかの研究
・情報発信メディアの制作方法とノウハウを学ぶ
・鹿角初のWEBメディア「スコップ」を活性化することで、鹿角を盛り上げる
を目標に掲げ、
2019年1月までの、全13回にわたり“鹿角の面白い”を発掘、研究・発表を学び、
ライターや記者の方をゲストにむかえた授業や、
高校生自ら取材地の決定やアポイント、取材、執筆など
地方創生に関わる情報発信の力などの授業を行ってまいります。

今後の活動について、先日始動した鹿角初のWEBメディア「スコップ」にも掲載してまいります。

秋田県立十和田高等学校『ふるさと教育』

秋田県立十和田高等学校『ふるさと教育』

秋田県立十和田高等学校『ふるさと教育』

秋田県立十和田高等学校『ふるさと教育』

■関連メディア
鹿角の”面白いを”掘り起こせ!
鹿角求人&ローカルメディア『スコップ』
鹿角の”面白いを”掘り起こせ!鹿角求人&ローカルメディア『スコップ』

【こいのぼり特集】鯉のぼりの川渡し―四万十町十和

こんにちは!
皆さんゴールデンウィークはどう過ごしましたか?

5月5日は端午の節句!こどもの日ですね。
私の身近なところでも、息子さんが「初節句」!というおめでたい話題に
すごく癒された一日でした。

現在は、全国の「こいのぼり」について特集しています!
第3回目は、鯉のぼりの川渡し発祥の地・高知県四万十町十和の
地域おこし協力隊、浦島卓也さんです。

ここからは、浦島さんがお送りします。

 

– – – – – – – – – – – – – – – – – – – – –

 

鯉のぼりの川渡し 桜の花が散り山々が新緑を彩り、
季節が春から初夏に向かおうとする4月中旬から5月中旬にかけて
高知県四万十町十和では約500 匹の鯉のぼりが四万十川の風を受けて

おもしろそうに家族団欒泳いでいます。


 

今では全国で行われている鯉のぼりの川渡しは、四万十町十和が発祥の地です。
昭和 49 年 に地元の方々が子どもたちの為に約50匹の鯉のぼりをロープを使いながら、なんとかして渡したのが始まりです。

その後、マスコミなどに取り上げられ、全国各地から鯉のぼりが送られるようになりました。
そして、今でも十和に鯉のぼりを送ってくれる方々がいます。
そして今では約 500 匹の鯉のぼりが揚げられます。

 
 

鯉のぼりの川渡しは 4 月中旬の週末、
早朝四万十川にワイヤーロープを張る作業から始まります。

以前はロープをラジコン飛行機で対岸に運び、折り返して戻していました。
ただ最後は着陸場所がなく電源を切って墜落させてみんなで捜索していたようです。

わいわい言いながらラジコン飛行機を探しながらワラビ取りをするのが楽しみだったそうですが、
今ではドローンでロープが張られるようになったので捜索する手間はなくなりました。

 

ワイヤーロープが張られると彩りを考えながら、鯉のぼりを付けていくのですが、
国道381の上を通る鯉のぼりを揚げる際は、みんなで特別きれいな鯉のぼりをああでもないこうでもないと言いながら揚げるのは楽しいです。


 

そして鯉のぼりが揚がると作業参加者で鯉のぼりを見渡しながら宴会が始まります。
高知の宴会では『献杯返杯』という飲み方があります。まず自分の杯を空け、
相手に杯を預けて酒を注ぎ、相手が酒を飲み干すと自分が杯に酒を注いでもらうというものです。

高知では日本酒が主なのですが十和ではビールで『献杯返杯』を行います。
参加者全員でやるので、もうべろべろになってしまいます。

 


 

5月G.W.後半には『よってこい四万十』というイベントが行われ、
鮎をはじめ四万十町の豊かな食を楽しみながら鯉のぼりを眺めることができます。

鯉のぼりの起源は中国黄河上流に激流が連なった竜門という難所があり、
そこを乗り越えた鯉が竜になれるという登竜門伝説に基づくという説があります。

この故事から親は子が様々な困難に打ち勝ち大成し立身出世することを願い揚げられたと言われています。
十和の壮大な鯉のぼりの川渡しを見れば、立身出世間違いなしかと思います。

 

 
 

名前:浦島 卓也
職種:四万十町地域おこし協力隊
出身:京都府京都市

じんまもばんばもよう呑み よう喋りよう踊る高知へお越しください。
面白さはディズニーランドより上です。

Facebook「四万十町地域おこし協力隊とおわ

‟おいしさ”に満たされた世界を目指して。―タベモノガタリ・竹下友里絵

わたしは誰なのか。

 

はじめまして。1996年兵庫県神戸市生まれ22歳、神戸大学農学部4年の竹下友里絵と申します。

「‟おいしさ”に満たされた世界の実現」を目指して、
「タベモノガタリ」という組織の代表を務めています
(今はただの組織としか表現できないのですが、近々起業する予定です)。


 
 

「‟おいしさ”って、味だけじゃない。」

味覚的においしいのはもちろん、誰と食べるかというその環境や、
1皿ができあがるまでの物語そのもの、
この3つの要素が満たされた食事こそが「おいしい」のだと私は思っています。

今の世の中にはたくさんの”おいしさ”が捨てられており、
おいしさはどころか物質としての食べ物が届いていない地域だってあります。
私はそんな社会の現状を打破して、世界をおいしさで満たしたい。

私たちが定義する”おいしさ”を届ける食の体験(=タベモノガタリ)を創り続けることが私たちのMissionです。
(具体的な事業内容は、近々ご報告できると思うのでもうしばしお待ちください。)

もっと私のことを知ってみたい!と少しでも思ってくださった方がいらっしゃれば、ぜひブログを訪れてみてください。

 

▶︎http://tabemonogatari.hatenablog.jp/
 
 
 

この世界を目指すようになったきっかけとは。

 

中学生のころから英語の教科書を通して「国際協力」に興味があった私は、
高校2年生の時に英語を学びにカナダに1年間留学に行きました。

ホームステイ先でのある日の晩ごはんのできごと。
ホストシスターが食べ終えて席を立つと、まだたくさん食べ物がのっているお皿をもって、
なんの躊躇もなくゴミ箱に捨てる光景を目の当たりにしました。

母親に「もったいない精神」を教えてもらっていた私にとってすごく衝撃的だったのを覚えています。

そのとき、「なぜ世界の一方では捨てられるほどの食べ物があるのに、
世界のもう一方では食べ物を得られずに死んでいく人がいるんだろう。
世界全体で食の分配が実現できたら世の中はっぴーなのに。」と思ったことがすべての始まりです。

「食べ物にアクセスできない原因は、食べ物の無駄遣いがされているからだ。」
そんな仮説をもって、私はタベモノガタリを創り続けることを人生のMissionにしました。

 

タベモノガタリにかける想い。

 
 

食にまつわる活動や事業体は、「地方創生」という言葉がメディアに取り上げられ始めたと同時に増えてきている印象があります。
そのような環境の中でなぜ「食」という分野で起業する必要があるのか、疑問に思われる方もいらっしゃると思います。

「私たちは‟世界”をおいしさで満たしたいから、
自分たちで最も自由に動ける形がとりたかったんです。それが起業という手段でした。」

その疑問に対して私はこう答えます。
ベンチャーだからこそ、おいしさを創り出す地域に根付きたい。
でもそれは日本だけじゃなくて世界を、地球を見ています。

「食べる」という活動をする全ての人が私たちの価値提供の対象です。
最初は私の生まれ育った地、神戸から始めますが、
今後他地域への展開や他国への展開ももちろん視野に入れています。

 

「‟おいしさ”に満たされた世界」を目指して、タベモノガタリを世界中で創り出します。
野望が止まらない(笑)そんな私を、ぜひ応援よろしくお願いします。


 
 

名前:竹下友里絵
職種:大学生(起業準備中)
出身:兵庫県神戸市

ブログ「ワタシ×タベル=タベモノガタリ」
Twitter

【こいのぼり特集】子どもたちの夢を、こいのぼりに乗せて。―スイミープロジェクト

もうすぐゴールデンウィーク!!

「こいのぼり」について特集しています!
第2回目は、日本全国のみならず全世界でこいのぼりを大空に上げている、
「スイミープロジェクト」の栗須さんです!!

ここからは、栗須さんがお送りします。

 

はじめまして

 
 

はじめまして、スイミープロジェクトの栗須 哲秀(くりす あきひで)と申します。
浅野さんに「5/5までにこいのぼりについて書いて!」とご要望を頂きまして、何とか間に合いましたw

スイミープロジェクトと聞いて、皆さん絵本「スイミー」を想い起こした方も多いのではないでしょうか?

そうです、絵本スイミーの世界観をモチーフにした小さなさかな達が集まった大きなこいのぼりのワークショップイベントを神戸をメイン会場に全国・世界各地で開催しています。

 

 

 
 

ざっくり言いますと、大きなこいのぼりを子ども達が協力して完成させると
大きなクレーンや様々な建造物を利用して掲揚し、こいのぼりが泳ぐ姿を見てもらうイベントです。

今年で開催7年目となり、

今年も神戸市内では、
5/3ハーバーランドモザイク神戸港(アンパンマンミュージアム海側)
5/4ネスタリゾート神戸

市外では、
5/5大阪うめきたガーデン(大阪グランフロント横)
5/3~5沖縄トヨペット湊川店の駐車場

海外では、
3/31台湾・宜蘭頭城國小学校(開催終了)
10/27~28フランス・フレジュス
11/3ニューカレドニア・アメデ島灯台

→ スイミープロジェクトイベント情報はこちら

にて、子ども達が作った大きなこいのぼりが雄大に群泳する姿がみれる【掲揚式】の開催を予定しています。

 

今では小学生以下の神戸市内の多く子ども達が制作に関わった活動となってきました。
さて、こどもの日に向けたスイミープロジェクトのこいのぼりの制作・掲揚イベントですが、
当初はこんな広がり方をするとは到底考えておりませんでした。

私の個人的な想いから活動がスタートしたからです。

 

「今度は私の番だ。」

 
 

1995年1月17日5時46分。
阪神・淡路大震災発生時、当時私は高校3年生でした。
寒い中、寝巻きで外に出るとサイレンが鳴り響き、多くの家屋が倒壊し、
人々の怒号が飛び交っていました。

早朝、変わり果てた街並みにただただ愕然としながら、避難所で過ごした事を覚えています。

地域の住民がごった返した避難所の中学校の教室は狭く、
床が冷たかったのを昨日の様に思い出します。
避難所では大人達が不満や不安を口にして、些細な事で喧嘩をしています。
それを見た子供達が泣いています。

何も出来ない私は体を丸めて小さく毛布にくるまっているだけでした。

 

何日かした時に女子大学生が校庭で子ども達を集めて、絵を描いていました。
子供達の大好きなキャラクターや街の風景を描いては子供達にスケッチブックからちぎりプレゼントしています。

「おねえちゃん、アンパンマン描いてー」
「ドラえもん描いてー」

子ども達は皆笑顔です。

彼女は芸術大学の学生でTVで阪神・淡路大震災の事を知り、
居てもたってもいられなくなり神戸に来たと言います。
私は、絵を描くという事がこんなに子供達を笑顔にさせる事に驚きました。

当時、神戸に全国各地から多くのボランティアの皆さんが駆けつけて頂きました。
色々な形で生活をサポートして頂いた事が本当に温かかった事を覚えています。

そして、同時に年齢がさほど変わらない彼女の行動力に自分の惨めさや生かされた命など色々なことを考えさせられました。

 
 
 

2011年3月11日14時46分。
東日本大地震の発生、テレビで東北被災地の目を覆いたくなる様な映像が流れています。
多くの希望がどんどん失われていく姿が無造作にテレビに映し出されています。
愕然としながらTVの映像を見て、心から湧き出る1つの感情がありました。

「今度は私の番だ。」

あの時感じた温もりを返す時が来た。
何が出来るかは分からないが、何かしなくてはと気持ちだけが動いていました。
あの時の学生の行動が私に伝染したかの様でした。

 
 

 

こいのぼり

 
 

こいのぼりは江戸時代から始まったと言われている民俗文化です。
武士の家に男の子が生まれると旗のぼりが掲げられたと伝えられます。

それをいつしか町民達が中国の故事「後漢書」の登竜門に習って、
鯉が瀧を昇ると龍になるという伝承を元にこいのぼりが作られました。

江戸の町民達の子ども達を喜ばせようという想いからスタートしています。
こいのぼり自体が中国の話をもとに作られた事は後で知って驚きました。
既にこいのぼりは国際色豊かな文化として日本の江戸時代に作られていました。

 
 

文化として400年近くになりますが、
現在大きなこいのぼりを見る機会や場所が住宅事情などで少なくなってきています。
私の会社ではおもちゃと花火の店舗販売と卸売りを行う問屋業者ですが、
小さなこいのぼりの製造卸販売もしています。

こいのぼり文化が小さなこいのぼりを室内やベランダで飾るだけの文化に変わってきている事を肌で感じていましたので、
いつか大きなこいのぼりを作る様な事業が出来たら、
子ども達も喜ぶだろうなと日々の業務の中でも感じていました。

 
 

しかし、どうやって作るのか?掲げるのか?という問題がありました。

そんな時、クレーン会社の盛興業株式会社がクレーンを使ったこいのぼりの掲揚を行なっている事を知りました。
盛さんでは昔から約5mのこいのぼりを10~15匹をクレーンで揚げていました。

「大きなこいのぼりを掲げることで神戸から希望を届ける事ができないだろうか。」

 

クレーンを使って、大きなこいのぼりに乗った神戸の子供達の元気を東北に届けよう!
神戸の子供達が制作することで温もりを被災地の子供達へ。
私自信が経験した様に、温もりを受け取った子供達がまた別の被災地へ温もりを届けるそんな循環を生み出す活動を目標としました。

スイミープロジェクトの発足です。

 

 

 
 
 
 
 

スイミープロジェクト

 
 

 
 

あまり勉強は好きな方ではありませんでしたが、
小学校2年生で勉強した「スイミー」は良く覚えています。

小学校の国語の教科書で学ぶ「スイミー」は多くの夢と希望を与えてくれました。
スイミーの様に魚群で出来たこいのぼりがあったら、面白そうだなと授業を受けながら思った事があります。

 

団結する事で大きな敵を追い払ったスイミー達の様に、東日本の人々にも震災の困難を乗り越えてもらいたい。

そんな想いが多くの神戸の子供達の想いを東北に届ける『小さなさかなの大きなこいのぼり』スイミープロジェクトという形になりました。

 

 

 
 

スイミープロジェクトは、日本伝統のこいのぼり文化と絵本スイミーの世界観、
夢を描く事を大切にする普遍的な文化を基に、子供達が文化交流を行ないながら、

「子ども達の成長を祈願する」という日本の節句文化を体感してもらう事

そして、こいのぼりの制作・掲揚を通じて、

『個性を出してもいいこと』
『友達と協力すること』
『多くの人たちとつながることで大きななにかができること』

を学ぶ機会を作る事業です。

 

決して一人では作る事ができない大きなスイミーこいのぼりを多くの友達と協力する事で完成していく過程は、まさにスイミーの魚達そのものです。

 

被災地支援

 
 

スイミープロジェクトの活動の発端が「被災地の子ども達を応援する事」から始まりましたので、
近年国内・海外での被災地支援で声をかけて頂ける機会が増えました。


 

 
 

2014年
東北3県での制作イベントを開催、掲揚式を行いました。
サイクロン被害があったフィリピン・セブ島へ神戸の子供達が作ったスイミーこいのぼりを国境なき災害支援隊を通して寄贈しました。

2015年
イタリア・ラクイラ地震で被災した子ども達を励ましたいとPepe氏から連絡があり、
イタリア中部ラクイラで制作イベントを開催。

サイクロン被害があったバヌアツ共和国へ神戸の子ども達が作ったスイミーこいのぼりを神戸国際支縁機構を通して寄贈しました。

広島土砂災害があった広島市安佐南区で神戸の子ども達が作ったスイミーこいのぼりを掲揚しました。

ネパール大地震があったカトマンズへ神戸の子ども達が作ったスイミーこいのぼりを掲揚・寄贈しました。

 

 

 

 

 
 

神戸の子ども達の元気と笑顔を届ける事で、被災地の元気と希望を取り戻す事が一番の目的ですが、
神戸の子ども達に被災地の状況を知ってもらう機会としています。

そんな中、2015年スイミープロジェクトの活動中盤の4月25日にネパール大地震があり、
居てもたってもいられなくなり、ネパールに急遽訪問する事にしました。

 

ネパールでの活動

 
 

神戸の子ども達が制作するネパールの子供達にプレゼントするスイミーこいのぼりの準備に取り掛かり、
スイミープロジェクトのメインイベント掲揚式と5月5日のこどもの日イベント中に